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桑原徳馬の気晴らし
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郁紀は、部屋で座り込んでいた。
(俺は明日、奥村雅彦を憎んでいた者がいたことを桑原徳馬に教えるよ。山木郁紀という男の存在を、ね。彼は必ず、その男を探し出す。このままだと、彼は死ぬよりも辛い目に遭わされるだろうね)
昨日、ペドロから聞いた言葉が頭から離れない。あの怪物は、とんでもない危険人物を自分にけしかける気なのだ。
何を考えているのだろうか。
テレビをつけてみた。ニュース番組は、昨日の爆破事件を特集で扱っている。その中で、桑原興行についても報道していた。イベント関連の業務を請け負う会社……とだけ伝えている。
桑原徳馬なる人物については、何もわからなかった。裏社会の人間だ、などという報道はされていない。しかし、郁紀にはわかっている。ペドロは、嘘をつかない男だ。
桑原という男は、必ず何かしらの手を打ってくる。それに対し、自分はどうすればいいだろう。
不思議な気分だった。
これから始まるのは、本物の殺し合いだ。今までやっていたガキの喧嘩とは違う。向こうは、殺すつもりで襲撃をかけて来るだろう。正直にいうなら、怖くてたまらない。
と同時に、異様な高揚感を感じてもいた。
・・・
「隆司、あれをやったバカは見つかったか?」
尋ねたのは桑原徳馬だ。
「いえ、まだです」
「そうか。さて、どうしたもんかな」
桑原は、周囲を見回した。
この男は中肉中背であり、髪型は七三分けで眼鏡をかけている。着ている服は安物のスーツであり、靴も安売りセールで売っていそうな代物だ。
どこから見ても、うだつの上がらない中年サラリーマンでしかない。だが、この桑原の手で地獄に落とされた人間は百人ではきかないだろう。裏の世界でも、かなり名前を知られた人物なのだ。
「板尾さんや池野さんたちも、あちこち回って情報を集めています。今は、下手に動かない方がいいかと……動ける兵隊が、ほとんどいないですから」
隆司と呼ばれた青年が、おずおずと声をかけてきた。こちらも、着ているのは安物のスーツだ。実直さが売りの商社マン、といった雰囲気である。
もっとも、この佐藤隆司は過去に角材で人を殴り殺し、刑務所に七年服役している。
そんな二人は今、真幌市の外れに来ていた。怪しげな雑居ビルや古い木造住宅などが立ち並ぶ区域であり、どう見てもカタギの人間の住んでいる雰囲気ではない。刑事ドラマ、あるいはヤクザ映画にでも出てきそうな風景だ。漂う空気からして、違う味がする。人通りもほとんどない。
まともな人間が寄り付く場所ではないが、ここには桑原興行の息のかかった店がある。異常がないかどうか、社長自らが足を運び様子を見に来たのだ。
「関係ないかもしれないですが、ひとつ気になることがあります」
不意に、隆司が口を開いた。
「なんだ?」
「十日ほど前のことですが、ウチで使ってる人間がひとり、病院送りにされました。奥村っていうチンピラですが、両肘と両膝の関節を外され、さらには目と喉を潰されていたそうです。もともと使い道のないチンピラでしたから、大した損害にはならなかったですがね」
「なんだそりゃあ。殺す方がよっぽど簡単じゃねえか。ずいぶん悪趣味な野郎だな」
桑原は、口元を歪めて笑った。だが、隆司の方はにこりともしない。
「それだけじゃないんですよ。奥村の背中には、おかしなタトゥーが彫られていました。あいつが過去に犯した罪を、事細かく書いたタトゥーです。これは、ちょっと普通じゃないですよ」
「そうだな。やった奴は、俺と気が合いそうだ」
「それどころじゃないですよ。これは、ひょっとしたら今回の爆発と何か関係があるかもしれません」
隆司が言った時だった。突然、近くの道路を一台の車が通り過ぎていった……かに見えたが、数メートル先で止まった。
ドアが開き、降りて来た者がいる。スーツを着て、髪を金色に染めた若者だった。しまりのない表情で、へらへら笑いながら桑原に頭を下げる。
「ちぃーっす。桑原さーん、こないだは大変でしたね」
ふざけた態度の若者を見て、桑原は目を細めた。
「お前、誰だ?」
「自分、銀星会の田中っていいます。桑原さんのお噂は、前々から聞いてましたよ。一度、お会いしたいと思ってたんですよ」
「そうかい。俺はてめえを知らねえし、会いたくもねえな」
冷たい口調で言いながら、桑原は車に視線を移す。中から、坊主頭の巨大な男が出てきた。さらに、運転席から長髪の若者が出てくる。二人は田中の脇に立ち、桑原に挑発的な視線を投げかけてくる。
「ところで、ボディーガードの板尾さんはどうしたんです? まさか、あの爆発で死んじゃったんですか?」
田中のへらへらした態度は変わらない。どこか小馬鹿にしているような雰囲気すら漂っている。
「生きてるよ。ちょいと、他の仕事に回しててな。それが、お前と何の関係がある?」
「いや、こいつとどっちが強いかやらせてみたいと思いましてね。こいつ、昔キックボクシングの選手だったんすけど、キレて人殴って厶所に入ってたんですわ」
言いながら、田中は坊主頭の大男の肩を軽く叩いた。
「こいつはノブっていいまして、キックボクシングよりステゴロ(素手による喧嘩を指すスラング)の方が得意なんですよ。ステゴロなら、誰にも負けないって豪語してましてね。だから、板尾さんとどっちが強いか見てみたかったんすけど」
田中の言っている板尾とは、普段は桑原のボディガードを務めている男だ。元力士であり、業界でも有名な男である。
横にいた隆司が、不快そうな表情で何か言いかけた。が、桑原が彼を制する。
「そんなに強いなら、俺が相手してやるよ」
「はい? 何いってるんすか?」
「俺じゃ、嫌なのか? 俺が相手じゃ、怖くてヤレねえってのか?」
その言葉を聞き、田中がニタリと笑う。
「いいんすか? やっちゃっていいんすか?」
「いいよ。やれるもんなら、な。俺も、ちょうど気晴らしがしたかったとこだ」
桑原の表情は、先ほどと変わっていない。むしろ、ノブの方が戸惑っている。本当にやっていいのか、とでもいいたげだ。
「しょうがねえ人だなあ。いいよ、やれ」
言った後、田中は桑原の方を向いた。見ると、桑原は平然とした顔でポケットに手を突っ込んでいる。
「桑原さん、あなたもヤキが回ったみたいっすね。勝ち目があるかどうか、見てわからないんすか?」
「ああ、わからねえな」
桑原は、ポケットから何かを取り出した。金属製の携帯型ウイスキーボトルだ。蓋を開け、ぐいっとあおる。
その様を見て、田中は首を捻る。ノブは、身長百九十センチで百キロを超える体格だ。キックボクシングでも、日本人相手なら負け無しの成績である。日本人初のヘビー級世界チャンピオンを狙える逸材だ、とまで言われていた。
ところが、酔っ払いに絡まれ、叩きのめして病院送りにしてしまったためキックボクシング界を追放され、ヤクザになった男だ。はっきり言って、素人では相手にならない。
まあいい。ここで、有名な桑原徳馬を叩きのめせば、田中の名前も株もぐんと上がる。しかも、桑原興行は事務所を爆破され弱体化している。その一件以来、脱退する者が相次いでいるとか。
ならば、今はチャンスだ。この際、桑原徳馬を潰す……田中は頭の中でそんな計算を巡らせつつ、睨み合う二人を見つめる。
しかし、田中は何もわかっていなかった。桑原徳馬は、彼らの手に負える男ではない。
桑原は、もう一度ボトルの中身を煽る。
直後、いきなり拭きかけたのだ──
ノブは、完全に不意を突かれた。顔面にウイスキーを吹きかけられ、アルコールが目に入る。思わず、顔をしかめ手で目を覆った。
その瞬間、桑原は別の物を取り出す。それは、マッチであった。一瞬で火をつけ、ノブに投げつける。
彼の顔面は、一気に燃え上がった──
悲鳴を上げ、顔を手で覆うノブ。だが、桑原の攻撃は止まらない。その首根っこを掴み、電柱に思いきり叩き付ける。
顔から血を吹きながら、ノブは崩れ落ちた。桑原は冷酷な表情で、田中に視線を移す。
「まだ、やるかい?」
静かな口調で聞いたが、答えはない。田中は、怯えた表情で目を逸らす。隣にいる長髪の男も同様だ。予想外の出来事を前に、体が硬直し動けなくなっているのだ。
桑原は鼻で笑い、隆司の方を向いた。
「少しは気晴らしになったよ。さて、そろそろ戻るか」
そう言った時、ポケットのスマホが震える。誰かから、電話がきたのだ。
思わず舌打ちする。こんな時に、わざわざ電話をかけてよこすとは、どこのバカだろう。見ると、知らない番号だ。普段なら無視している。
だが、今は違っていた。ひょっとしたら、事務所を爆破した者からの宣戦布告かもしれない……その思いから、桑原はスマホを耳に当てる。
「お前、誰だ?」
(さあ、誰だろうね。名乗ったところで、君は俺を知らない。何の意味もないと思うよ)
ふざけた言葉が返ってきた。桑原の目に、危険な光が宿る。
直後、彼は動いた。地面で倒れているノブに近づいたかと思うと、顔面に蹴りを叩き込んだ。その時、田中の表情が歪む。
「も、もうやめてください!」
叫ぶ田中を無視し、桑原はスマホに向かい凄む。
「俺はな、お前誰だと聞いたんだよ。てめえ、そんな簡単な言葉もわからねえのか? 頭沸いてんのか?」
(いいや。今の君よりは頭が働いていると思うよ)
どこまでもふざけた男だ。桑原の眉間にシワが寄る。だが、続けて放たれた言葉を聞いた瞬間、表情が一変した。
(ところで、ひとつ有益な情報を教えよう。君の部下の奥村雅彦氏だがね、彼をあんな目に遭わせた人物の名前を知っている。知りたいかい?)
「本当か?」
(フフフ、君は頭の悪い男だね。本当か? と言われて、嘘だ、などと答えるバカがいるかい?)
「んだと……」
思わず、ぎりりと奥歯を噛み締める。この男が、何者か知らないが、今すぐ頭を叩き割ってやりたい。
そんな桑原の気持ちを逆なでするかのように、飄々とした口調で男は言葉を続ける。
(まあまあ、短気は損気だよ。とりあえずは、真幌市に住む山木郁紀という男に聞いてみたまえ。追って、住所をお伝えしよう)
(俺は明日、奥村雅彦を憎んでいた者がいたことを桑原徳馬に教えるよ。山木郁紀という男の存在を、ね。彼は必ず、その男を探し出す。このままだと、彼は死ぬよりも辛い目に遭わされるだろうね)
昨日、ペドロから聞いた言葉が頭から離れない。あの怪物は、とんでもない危険人物を自分にけしかける気なのだ。
何を考えているのだろうか。
テレビをつけてみた。ニュース番組は、昨日の爆破事件を特集で扱っている。その中で、桑原興行についても報道していた。イベント関連の業務を請け負う会社……とだけ伝えている。
桑原徳馬なる人物については、何もわからなかった。裏社会の人間だ、などという報道はされていない。しかし、郁紀にはわかっている。ペドロは、嘘をつかない男だ。
桑原という男は、必ず何かしらの手を打ってくる。それに対し、自分はどうすればいいだろう。
不思議な気分だった。
これから始まるのは、本物の殺し合いだ。今までやっていたガキの喧嘩とは違う。向こうは、殺すつもりで襲撃をかけて来るだろう。正直にいうなら、怖くてたまらない。
と同時に、異様な高揚感を感じてもいた。
・・・
「隆司、あれをやったバカは見つかったか?」
尋ねたのは桑原徳馬だ。
「いえ、まだです」
「そうか。さて、どうしたもんかな」
桑原は、周囲を見回した。
この男は中肉中背であり、髪型は七三分けで眼鏡をかけている。着ている服は安物のスーツであり、靴も安売りセールで売っていそうな代物だ。
どこから見ても、うだつの上がらない中年サラリーマンでしかない。だが、この桑原の手で地獄に落とされた人間は百人ではきかないだろう。裏の世界でも、かなり名前を知られた人物なのだ。
「板尾さんや池野さんたちも、あちこち回って情報を集めています。今は、下手に動かない方がいいかと……動ける兵隊が、ほとんどいないですから」
隆司と呼ばれた青年が、おずおずと声をかけてきた。こちらも、着ているのは安物のスーツだ。実直さが売りの商社マン、といった雰囲気である。
もっとも、この佐藤隆司は過去に角材で人を殴り殺し、刑務所に七年服役している。
そんな二人は今、真幌市の外れに来ていた。怪しげな雑居ビルや古い木造住宅などが立ち並ぶ区域であり、どう見てもカタギの人間の住んでいる雰囲気ではない。刑事ドラマ、あるいはヤクザ映画にでも出てきそうな風景だ。漂う空気からして、違う味がする。人通りもほとんどない。
まともな人間が寄り付く場所ではないが、ここには桑原興行の息のかかった店がある。異常がないかどうか、社長自らが足を運び様子を見に来たのだ。
「関係ないかもしれないですが、ひとつ気になることがあります」
不意に、隆司が口を開いた。
「なんだ?」
「十日ほど前のことですが、ウチで使ってる人間がひとり、病院送りにされました。奥村っていうチンピラですが、両肘と両膝の関節を外され、さらには目と喉を潰されていたそうです。もともと使い道のないチンピラでしたから、大した損害にはならなかったですがね」
「なんだそりゃあ。殺す方がよっぽど簡単じゃねえか。ずいぶん悪趣味な野郎だな」
桑原は、口元を歪めて笑った。だが、隆司の方はにこりともしない。
「それだけじゃないんですよ。奥村の背中には、おかしなタトゥーが彫られていました。あいつが過去に犯した罪を、事細かく書いたタトゥーです。これは、ちょっと普通じゃないですよ」
「そうだな。やった奴は、俺と気が合いそうだ」
「それどころじゃないですよ。これは、ひょっとしたら今回の爆発と何か関係があるかもしれません」
隆司が言った時だった。突然、近くの道路を一台の車が通り過ぎていった……かに見えたが、数メートル先で止まった。
ドアが開き、降りて来た者がいる。スーツを着て、髪を金色に染めた若者だった。しまりのない表情で、へらへら笑いながら桑原に頭を下げる。
「ちぃーっす。桑原さーん、こないだは大変でしたね」
ふざけた態度の若者を見て、桑原は目を細めた。
「お前、誰だ?」
「自分、銀星会の田中っていいます。桑原さんのお噂は、前々から聞いてましたよ。一度、お会いしたいと思ってたんですよ」
「そうかい。俺はてめえを知らねえし、会いたくもねえな」
冷たい口調で言いながら、桑原は車に視線を移す。中から、坊主頭の巨大な男が出てきた。さらに、運転席から長髪の若者が出てくる。二人は田中の脇に立ち、桑原に挑発的な視線を投げかけてくる。
「ところで、ボディーガードの板尾さんはどうしたんです? まさか、あの爆発で死んじゃったんですか?」
田中のへらへらした態度は変わらない。どこか小馬鹿にしているような雰囲気すら漂っている。
「生きてるよ。ちょいと、他の仕事に回しててな。それが、お前と何の関係がある?」
「いや、こいつとどっちが強いかやらせてみたいと思いましてね。こいつ、昔キックボクシングの選手だったんすけど、キレて人殴って厶所に入ってたんですわ」
言いながら、田中は坊主頭の大男の肩を軽く叩いた。
「こいつはノブっていいまして、キックボクシングよりステゴロ(素手による喧嘩を指すスラング)の方が得意なんですよ。ステゴロなら、誰にも負けないって豪語してましてね。だから、板尾さんとどっちが強いか見てみたかったんすけど」
田中の言っている板尾とは、普段は桑原のボディガードを務めている男だ。元力士であり、業界でも有名な男である。
横にいた隆司が、不快そうな表情で何か言いかけた。が、桑原が彼を制する。
「そんなに強いなら、俺が相手してやるよ」
「はい? 何いってるんすか?」
「俺じゃ、嫌なのか? 俺が相手じゃ、怖くてヤレねえってのか?」
その言葉を聞き、田中がニタリと笑う。
「いいんすか? やっちゃっていいんすか?」
「いいよ。やれるもんなら、な。俺も、ちょうど気晴らしがしたかったとこだ」
桑原の表情は、先ほどと変わっていない。むしろ、ノブの方が戸惑っている。本当にやっていいのか、とでもいいたげだ。
「しょうがねえ人だなあ。いいよ、やれ」
言った後、田中は桑原の方を向いた。見ると、桑原は平然とした顔でポケットに手を突っ込んでいる。
「桑原さん、あなたもヤキが回ったみたいっすね。勝ち目があるかどうか、見てわからないんすか?」
「ああ、わからねえな」
桑原は、ポケットから何かを取り出した。金属製の携帯型ウイスキーボトルだ。蓋を開け、ぐいっとあおる。
その様を見て、田中は首を捻る。ノブは、身長百九十センチで百キロを超える体格だ。キックボクシングでも、日本人相手なら負け無しの成績である。日本人初のヘビー級世界チャンピオンを狙える逸材だ、とまで言われていた。
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まあいい。ここで、有名な桑原徳馬を叩きのめせば、田中の名前も株もぐんと上がる。しかも、桑原興行は事務所を爆破され弱体化している。その一件以来、脱退する者が相次いでいるとか。
ならば、今はチャンスだ。この際、桑原徳馬を潰す……田中は頭の中でそんな計算を巡らせつつ、睨み合う二人を見つめる。
しかし、田中は何もわかっていなかった。桑原徳馬は、彼らの手に負える男ではない。
桑原は、もう一度ボトルの中身を煽る。
直後、いきなり拭きかけたのだ──
ノブは、完全に不意を突かれた。顔面にウイスキーを吹きかけられ、アルコールが目に入る。思わず、顔をしかめ手で目を覆った。
その瞬間、桑原は別の物を取り出す。それは、マッチであった。一瞬で火をつけ、ノブに投げつける。
彼の顔面は、一気に燃え上がった──
悲鳴を上げ、顔を手で覆うノブ。だが、桑原の攻撃は止まらない。その首根っこを掴み、電柱に思いきり叩き付ける。
顔から血を吹きながら、ノブは崩れ落ちた。桑原は冷酷な表情で、田中に視線を移す。
「まだ、やるかい?」
静かな口調で聞いたが、答えはない。田中は、怯えた表情で目を逸らす。隣にいる長髪の男も同様だ。予想外の出来事を前に、体が硬直し動けなくなっているのだ。
桑原は鼻で笑い、隆司の方を向いた。
「少しは気晴らしになったよ。さて、そろそろ戻るか」
そう言った時、ポケットのスマホが震える。誰かから、電話がきたのだ。
思わず舌打ちする。こんな時に、わざわざ電話をかけてよこすとは、どこのバカだろう。見ると、知らない番号だ。普段なら無視している。
だが、今は違っていた。ひょっとしたら、事務所を爆破した者からの宣戦布告かもしれない……その思いから、桑原はスマホを耳に当てる。
「お前、誰だ?」
(さあ、誰だろうね。名乗ったところで、君は俺を知らない。何の意味もないと思うよ)
ふざけた言葉が返ってきた。桑原の目に、危険な光が宿る。
直後、彼は動いた。地面で倒れているノブに近づいたかと思うと、顔面に蹴りを叩き込んだ。その時、田中の表情が歪む。
「も、もうやめてください!」
叫ぶ田中を無視し、桑原はスマホに向かい凄む。
「俺はな、お前誰だと聞いたんだよ。てめえ、そんな簡単な言葉もわからねえのか? 頭沸いてんのか?」
(いいや。今の君よりは頭が働いていると思うよ)
どこまでもふざけた男だ。桑原の眉間にシワが寄る。だが、続けて放たれた言葉を聞いた瞬間、表情が一変した。
(ところで、ひとつ有益な情報を教えよう。君の部下の奥村雅彦氏だがね、彼をあんな目に遭わせた人物の名前を知っている。知りたいかい?)
「本当か?」
(フフフ、君は頭の悪い男だね。本当か? と言われて、嘘だ、などと答えるバカがいるかい?)
「んだと……」
思わず、ぎりりと奥歯を噛み締める。この男が、何者か知らないが、今すぐ頭を叩き割ってやりたい。
そんな桑原の気持ちを逆なでするかのように、飄々とした口調で男は言葉を続ける。
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