最強の除霊師・上野信次

板倉恭司

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超聖人エル・カラス(1)

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 郊外の大きな屋敷の中で、エレンは真っ青な顔をして閉ざされた扉を見つめていた。室内からは、時おり声が聞こえてくる。
 やがて、それが凄まじいものになってきた。叫び声や怒鳴り声、さらには獣の吠えるような声。それに混じり、ドスンという重いものがぶつかるような音も聞こえる。
 しばらくして、扉が開いた。中から、ひとりの男がよろよろとした足取りで出てくる。男の顔は蒼白で、髪は乱れていた。服はところどころ破れており、吐瀉物のようなものまで付着している。

「神父さま! どうでした!?」

 勢いこんで尋ねるエレンに、男は無言のまま扉を閉める。
 直後、かぶりを振った。

「失敗しました。私の信仰が足りなかったゆえです。悪魔に負けました……」

 そこまで言った後、がくりと崩れ落ちた。片膝を着き、荒い息を吐く。
 エレンは、思わず頭を押さえた。この地獄は、いつまで続くのだろう。


 娘のリンダに変化が生じたのは、一月ほど前だった。
 最初は、時おり妙に大人びたことを口走る程度だった。成長過程ではそんなこともあるだろう、と気にも留めずにいた。
 だが、その発言頻度はどんどん高くなる。医者にも診断してもらったが、いっこうに収まる気配はない。ついには、卑猥なことを喚き散らすようになったのだ。
 たまりかねたエレンは、力ずくで黙らせようとした。すると、凄まじい勢いで暴れ出したのだ。その腕力は、十歳の子供のものではない。エレンは吹っ飛ばされ、気を失った。
 やがて意識を取り戻すと、目の前にはリンダの涙に濡れた顔があった。

「ママ、ごめんなさい。でも、もうあいつを止められないの……」

 唖然となる母の前で、娘はさらに驚くべきことを語る。

「あいつが……あいつがあたしの体に入って来るの……いやあ! やめてえ!」

 次の瞬間、リンダの目の色が変わった。

「ぐわはは! このクズ女が! お前の娘は俺がいただいた! これから、たっぷり可愛がってやるぜ!」

 その声は、リンダの口から発せられたものだった。にもかかわらず、聞こえてくるのは男のそれだ。聞くだけで不愉快になる嫌な声だ。さらに、顔つきまで変わっている。もはや人ではない。獣のごとき容貌だ──

「お前は誰なの!? リンダを返して!」

 絶叫するエレンに、リンダ……いや、取り憑いた悪魔は笑った。

「俺はな、お前らの言うところの悪魔パズスさ! 返して欲しいの? いーやーだーね!」

 言ったかと思うと、リンダの体は宙に浮き上がった──
 直後、とんでもない速さで飛び回る。仰天するエレンの前で、悪魔は天井に張り付いた。
 下を向き、ニイと笑いベロを出す。

「お前らが狂い死ぬまで、ずっと取り憑いてやるぜ!」



 エレンは藁にもすがる思いで、教会に悪魔ばらいを頼んだ。やがて現れたのはマックス神父である。高名なエクソシストであり、これまでにも数々の悪魔を祓ってきたという。
 だが、彼は今、悪魔に敗れさった──
 絶望のあまり泣き出すエレンに、マックス神父は声をかけた。

「申し訳ありません。私が未熟であったが故の敗北です。それにしても、奴は強い。こうなった以上、彼に依頼するしかありません」

「彼?」

 顔を上げたエレンに、マックス神父は頷いた。

「はい。私が知る限り、世界最強のエクソシストです。彼に祓えない悪魔はいないでしょう」



 そして今、エレンは教えられた番号に電話してみた。しかし、電話に出たのは想定外の者だった。

(もちもち、あたちメリーでちゅ。御用件は何でちゅか?)

 受話器の向こうから聞こえてきた幼い声に困惑しつつも、エレンは口を開いた。

「あ、あのう、私はエレンです。マックスさんからの紹介で、カラスさまに是非ともお願いしたいことが……」

「あ、悪魔祓いのおちごとでちゅね。わかりまちた。では、ごじゅうちょを。あちた、ちぇんちぇいとお宅に伺いまちゅ」

 舌足らずな口調に戸惑いながらも、エレンは住所を伝える。
 すると翌日、さっそくエクソシストと称するふたり組が現れる。だが、その姿を見るなりエレンは絶句した。
 ひとりは、小柄で痩せた中年男だ。神父の服を着てはいる。しかし、マックス神父に比べると威厳はなく、あまりに貧弱な風貌である。態度も気弱そうで、おどおどしている。
 もう片方は、幼い少女であった。白衣のようなものを着てはいるが、リンダとさほど変わらない歳に見える。可愛らしい顔だが、世界最強のエクソシストとは程遠い印象だ。
 困惑するエレンに向かい、中年男はペこりと頭を下げた。

「はじめまして、私はエクソシストのカラスです。こちらは、助手のメリー。では、さっそく取りかかるとしましょう。娘さんの部屋はどちらです?」

「は、はあ、カラスさま、ですか。娘の部屋はこちらです」

 一応は案内したものの、エレンは底知れぬ不安を感じていた。こんな頼りない男と幼女が、最強のエクソシストなのか。
 三人が部屋のドアの前に来たとたん、恐ろしい声が聞こえてきた。

「ははははは! ぷんぷん匂いがするぞ! またエクソシストを連れて来たのか! 今度は生かして帰さん! 殺して頭から食ってやる!」

 あまりにも汚らしい声に、エレンは顔を歪める。しかし、カラス神父は平気な顔だ。

「あれですか。恐らく、十分以内に終わるでしょう。ここで待っていてください。絶対に入って来ないでください」

 それだけ言い残し、カラス神父は室内へと入っていった。メリーも、その後から続いて入っていく。エレンの目の前で、扉はゆっくりと閉められた。
 室内では、少女に憑いた悪魔がブリッジした状態でベッドの上を歩き回っている。まるで虫のような動きである。何とも不気味な光景だ。
 不意に、悪魔が動きを止めた。

「十分以内に終わる、と外で言っていたな! あれは、十分以内に自分が死にますという遺言だったのだな!」

 言ったかと思うと、げらげら笑出した。しかし、カラス神父は相手にしていなかった。哀れむような表情で、悪魔に憑かれた少女を見つめている。その目から、一筋の涙が流れた。

「純真な少女に憑くとは、許せん」

 ボソリと呟くと、いきなり服を脱ぎ始めた──

「何だお前! 服を脱いで何をする気だ!? そうか、こいつとナニをする気か! お前は幼女にいたずらする変態か! 神父の中には、子供に手を出す変態がいるらしいな! お前も、変態のひとりなのか!」

 またしてもげらげら笑う悪魔。だが、カラス神父は無視して服を脱いでいる。やがて、派手な銀色のトランクスだけを身につけている格好になった。
 痩せた肉体を剥きだしにした姿で、メリーの方を向く。

「メリー、マスクだ」

「はい、ちぇんちぇい」

 答えると、メリーは銀色の布切れを取り出す。それは、狭義のマスクではなかった。そう、彼女が渡した物は、口に当てるマスクではなく覆面だったのだ──
 カラス神父は、マスクを手に叫ぶ。

「スカイ・ハイ!」

 直後、マスクを被る。と、その肉体に変化が生じた。小さな背丈は、みるみるうちに伸びていく。痩せた体は、分厚い筋肉が覆っていた。だが、それよりも大きな変化は周囲に漂う空気である。カラスは、全身に強烈なオーラを纏っているのだ。それは、まさしく聖なる光。本物の聖人のみが纏えるものだった。
 さすがの悪魔も、これには戸惑っていた。

「貴様、何者だ!?」

「私は千の技を持つ超聖人、エル・カラスだ!」

 エル・カラス……かつてワルキューレと共に世界を救うため魔王ゾウナと戦った伝説の勇者エル・サンドラの力を受け継いだエクソシストである。カラス神父は、よいサンドラによって祝福されたマスクを被ることにより、超聖人エル・カラスへと変身するのだ。

「エル・カラスだと!? 面白い! 返り討ちにしてやるぜ!」

 叫ぶと、悪魔は空中に浮遊した。少女の体が、室内を飛び回る。悪夢のごとき光景だ。
 しかし、エル・カラスは怯まない。それどころか、高く飛び上がった。同時に、腕を十字にクロスする。

「神の怒りを受けてみろ!」

 エル・カラスの必殺技、フライングクロスチョップが炸裂する。悪魔は、床に落とされた──
 直後、驚愕の表情を浮かべる。悪魔は、予想もしなかったダメージを受けていたのだ。

 ・・・

 フライングクロスチョップとは、もともと聖人の技である。十字架の形でチョップすることにより、単なる傷だけではなく聖痕を与える。選ばれた聖人にのみ可能な技だ。

 明民書房刊『ルチャ・リブレの秘密』より抜粋

 ・・・

「まだ終わりではない! いくぞ悪魔!」

 起き上がった悪魔めがけ、エル・カラスは高く飛んだ。
 悪魔の胸に、ドロップキックが命中する──

「ぐわあぁ!」

 壁まで吹っ飛ばされ、悪魔は呻いた。直後、続けざまのドロップキックが炸裂する──

「うおぉ! な、なんだこれは!」

 叫ぶ悪魔に、またしてもドロップキック。もう何も出来ぬまま、ドロップキック連打により壁に釘付けにされている──
 これもまた、エル・カラスの必殺技ドロップキック二十二連発である。ドロップキックを当てた直後、反動を利用し反対側の壁に飛ぶ。さらに反対側の壁を蹴り、その勢いで再びドロップキック……エル・カラスのみが使える技だ。
 やがて、エル・カラスが着地した。と同時に、悪魔も床に崩れ落ち仰向けに倒れる。
 その瞬間、エル・カラスは飛んだ。聖なるフライングボディアタックでフォールする。

「メリー! カウントだ!」

「はい! ちぇんちぇい!」

 メリーはしゅたたたと走ってきて、床を叩きカウントを取る。

「わん! ちゅー! ちゅりー!」

 と、悪魔……いや、少女の顔に変化が生じた。名状しがたい不気味な顔が、あっという間に元の可愛らしい少女のそれへと変わっていく。目をつぶり、口から寝息が聞こえてきた。
 そう、エル・カラスの聖なるフライングボディアタックからのスリーカウントにより、悪魔は少女より離れたのだ。
 そして今、エル・カラスの体に入り込んだ──

(バカめ! エル・カラスだかエル・チキンだか知らんが! 今度はお前に取り憑いてやったぞ!)

 頭の中に、悪魔の声が響き渡る。だが、エル・カラスはすくっと立ち上がった。

「メリー! ベランダの戸を開けろ!」

「はい! ちぇんちぇい!」

 メリーはしゅたたたと走り、すぐさま戸を開ける。
 すると、エル・カラスはベランダに走り、柵に登る。
 直後、空高く舞い上がった。同時に叫ぶ。

「悪魔よ! 父と子とサンドラの御名において、お前に命ずる!」

 直後、エル・カラスは急降下していく。

「光になれえぇぇぇ!」

 吠えながら、地面に激突した──
 エル・カラスは、ぴくりとも動かない。と、その体から光る粒のようなものが発生した。それもひとつやふたつではない。まるで、たんぽぽの綿毛のようである。
 大量に発生した光の粒は、ふわふわと浮いて上空へと昇っていく。
 そう、エル・カラスの体内にいた悪魔は、光と化して浄化されたのだ──

 その様子をベランダで見届けたメリーは、室内に戻り扉を開ける。

「もう大丈夫でちゅよ。悪魔は光になりまちた」

 数秒の後、エレンが恐る恐る入ってきた。そっと室内を見回す。
 ベッドの上で、リンダが眠っていた。安らかな表情で寝息をたてている。悪魔が去ったのは、顔を見れば一目でわかった。
 
「リンダ!」

 エレンは、寝ている我が子を抱きしめる。すると、リンダの目が開いた。

「ママ……凄く怖い夢を見てた」

 寝ぼけ眼で呟く。その体には、傷ひとつ付いていない。エル・カラスの強力な技は、悪魔にのみダメージを与えるものなのだ。

「よかった。本当によかった……」

 涙を流すエレンに、メリーはペこりと頭を下げる。

「よかったでちゅね。では、ちつれいちまちゅ」
 
 そう言うと、床に落ちていたカラスの服を拾い去って行った。



 外に出たメリーは、地面で気絶しているカラスに声をかける。

「ちぇんちぇい、帰りまちゅよ」

 すると、エル・カラスはむっくり起き上がる。マスクを取ると、元のカラス神父へと戻った。服を着て、屋敷を見上げる。

「今日もまた、ひとり救うことが出来た。本当によかった」





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