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倉庫ウォリアーズ(1)
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そこは、かなり大きな建物だ。小学校の体育館ほどの広さはあるだろう。プレハブの壁に囲まれており、天井は高い。倉庫のようだが、中には何もなくガランとしている。
そんな場所に、上野は立っていた。彼の横には、スーツ姿の中年男がいる。押し出しの強い土建屋、といった風体だ。
「先生、どうでしょうか」
スーツの男が尋ねると、上野は怪訝な表情になった。
「何がですか?」
「ここに、その、霊はいるのでしょうか?」
「ああ、霊ですか。いますよ。すぐそこで、こっちをじっと睨んでいます。しかも、一体ではなさそうですね」
そう、今見えているのは一体だ。もっとも、漂う空気や上野の経験が、ここには複数の霊が出ると教えてくれている。
「ほ、本当ですか?」
「ええ。これは、少しばかり厄介ですな」
本当に厄介だ。どうやら、この場所に複数の霊が住み着いた……というわけではないらしい。となると、霊が集まる何かがあるのかもしれない。
「その厄介な霊ですが、先生のお力で何とかしていただけないでしょうか? ここは、出来るだけ早いうちに取り壊さねばならんのですよ」
スーツ姿の男は、ペコペコ頭を下げる。
彼は、土建屋の社長・板屋健二だ。普段は、ドカジャンを着込み現場でユンボなどの重機に乗る男である。
この倉庫解体は、本来なら板屋のような小さな下請に回ってくる仕事ではないはずだった。ところが、かかわった企業の担当者が次々と急病や事故や不運な事件に巻き込まれ、仕事が出来ない状態に陥ってしまう。挙げ句、ほとんどの企業が手を引いてしまった。
話が回ってきた板屋は、これは普通ではないと判断した。考えた挙げ句、知人のつてを頼り上野に相談したのである。
その上野は、仕方ないという様子で口を開いた。
「あまり気は進みませんが、いいでしょう。引き受けます」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、条件があります。除霊をする間は、ここに来ないでください。僕がいいと言うまで、来訪してはいけません。この条件が守られなかった場合、僕は即座に降ります。いいですね?」
「わかりました。先生が引き受けてくださったなら問題ありませんな」
翌日、上野は現地入りした。何を思ったか、床でテントを組み立て始めた。手際はよくないが、苦戦しつつもどうにか設置する。
出来上がったものを見て、満足げにウンウンと頷く上野。その時だった。突然、反対側の隅に人の姿が浮き上がる──
出現したのは、十代半ばから二十代前半の男だ。血が付き、あちこち破れたスーツ姿である。生前はサラリーマンだったのか。立ったまま、じっとこちらに視線を向けている。いや、睨んでいるという方が正確だろう。顔には、あからさまな敵意がある。
だが上野は、それを完全に無視し準備を続ける。床に布を敷き、次にコンロや折りたたみ式の椅子を出した。キャンプの雰囲気である。
その時、また新手が出現した。今度は建築現場の作業員、といった服装だ。ただし、首から上がない。先ほどのサラリーマン風の隣に立っている。頭がないため表情は見えないが、歓迎されていないのは確かだ。
上野は、ちらりと見ただけで、すぐに視線をそらす。ここにいるのは、あのふたりだけではない。恐らく、あと十体以上はいるだろう、
さすがに、今回はかなり厄介な案件だ。通常ならば、引き受けていなかったかもしれない。
だが、そうもいかないのだ。
夕方になり、上野はコンロで肉を焼いていた。完全にキャンプの雰囲気である。
と、またしても新手だ。今度は、昭和初期のムード歌謡を歌っているグループのような格好の三人組で、三人とも下半身がない。彼らも、上野を歓迎していない雰囲気である。
上野は首を捻った。霊たちの職種も年代も、完全にバラバラだ。となると、あちこちにいた霊がここに集結してしまったのかもしれない。
まあいい。しばらくは様子見だ。上野は、焼き上がった肉を皿に取り、一口食べてみた。
その途端、顔をしかめる。
「思ってたのと違うな」
文句を言いながらも、肉を完食する。霊たちは、同じ位置に留まり上野の行動を見つめていた。
翌日、上野は九時に目を覚ました。寝袋から出て、周囲を見回す。
予想通り、数が増えていた。サラリーマン風、現場作業員風、ムード歌謡グループ風というメンバーに、新たにパンチパーマにスーツ姿の昭和ヤクザ風が加わっていた。当然ながら、上野を見る目には敵意しか感じられない。
上野は、ちらりと見ただけだった。スマホを手に取り、何やら操作する。
その途端、ラジオ体操第一の音楽が聞こえてきた。上野は、音楽に合わせ体操をしている。あくまでマイペースな上野を、霊たちはただただ見ているだけだった。
ラジオ体操を終えると、上野はまたコンロでの調理に取りかかる。今度は、食パンを焼き始めた。次の一手を考える棋士のごとき雰囲気で、じっと食パンを眺めている。
しばらく黙って見ていたが、不意に口を開いた。
「こんなもん焼いてどうすんだ」
何も付けず表面を炙っただけの食パンを、上野は無表情で食べ終える。
しばらくして、コンロにも飽きたらしく立ち上がった。スウェットに着替え、またスマホを操作する。
今度は、やたら元気のいい曲が流れ出した。聴いていると意味もなく走り出したくなる『ロッキーのテーマ』である。上野の表情が変わり、倉庫内をどたどた走り出した。
すると、またしても新手が出現する──
今度は、長髪にピアスに一昔前の渋谷風ファッションで身を固めた若者だ。かつて流行った、チーマーと呼ばれる者たちに似ている。ただし、頭頂部は欠けていた。
そのチーマー風もまた、他の霊たちと同じ箇所にいる。これだけ広いのに、なぜ散らばらないのかという疑問はあるが、霊にしかわからない事情があるらしい。
もっとも、上野は一瞥しただけだった。倉庫内を楽しそうに走っている。時おり、シャドーボクシング風の動きも入る。
ロッキーのテーマが流れる中で、室内ジョギングに勤しむ奇怪な中年男を、霊たちはじっと睨んでいた。
ロッキーのテーマが終わると同時に、上野のジョギングもピタリと止まった。両手を上に挙げ叫んだ。
「ブラボー!」
直後、下を向き座り込む。何かを考えているらしい。
やがてアイデアが浮かんだらしく、表情が明るくなった。立ち上がると、スマホの置かれた位置に戻る。
スマホをスタンドで立て、操作した。すると、今度は人の声が聞こえてくる。
(よう、みんな。俺はコマンドー・サクラダだ! いいか、俺のトレーニングは半端な覚悟じゃ続かねえ! 覚悟を決めろ! じゃ、行くぞ!)
そして画面には、スキンヘッドでマッチョな日本人が映っている。この男が、コマンドー・サクラダなのだろう。
画面を見ている上野はというと、直立不動の姿勢である。口を真一文字に結び、目には真剣な光がある。上野にとって、コマンドー・サクラダなる人物は、いい加減な気分で相対してはいけないようだ。
(では、トレーニングいくぞ! まずは、ヒンズースクワットだ! そらいけ!)
画面の指示に合わせ、上野もヒンズースクワットをやっている。ちらりと霊たちを見たが、動く気配はない。
(次は、レスラープッシュアップだ! ノーマルプッシュアップと違い、全身の筋肉を連動させるイメージでやれ! いくぞ! 一! 二!──)
サクラダの号令に合わせ、上野はレスラープッシュアップをこなしていく。広い倉庫の端で、ひとりレスラープッシュアップをしている姿は異様である。心なしか、霊たちも困惑しているように見えた。
その時、またしても新手が登場した。
今度は、子供向けヒーロー番組の何たらレンジャー……に似た格好をした男である。ただし、着ている衣装の半分くらいは焼け焦げているため、どこかの国の民族衣装にも見える。
何たらレンジャーもまた、他の霊たちと同じ場所に固まっていた。指示に合わせトレーニングに励む上野を、じっと見つめている。ソーシャルディスタンスなど、彼らには関係ないのだろう。ただ、見ていて狭苦しそうではある。
(では、次は技の指導だ! まず最初は、ひとり河津落とし! さあ、いくぞ!)
スマホから流れてくる声に合わせ、上野は立ち上がった体勢から、後方へバタンと倒れる。すぐに起き上がり、また同じことを繰り返す。
方や霊たちは、隅の一カ所に密集し上野をじっと睨んでいる。倉庫内は、異様な空間へと変貌していた──
そんな場所に、上野は立っていた。彼の横には、スーツ姿の中年男がいる。押し出しの強い土建屋、といった風体だ。
「先生、どうでしょうか」
スーツの男が尋ねると、上野は怪訝な表情になった。
「何がですか?」
「ここに、その、霊はいるのでしょうか?」
「ああ、霊ですか。いますよ。すぐそこで、こっちをじっと睨んでいます。しかも、一体ではなさそうですね」
そう、今見えているのは一体だ。もっとも、漂う空気や上野の経験が、ここには複数の霊が出ると教えてくれている。
「ほ、本当ですか?」
「ええ。これは、少しばかり厄介ですな」
本当に厄介だ。どうやら、この場所に複数の霊が住み着いた……というわけではないらしい。となると、霊が集まる何かがあるのかもしれない。
「その厄介な霊ですが、先生のお力で何とかしていただけないでしょうか? ここは、出来るだけ早いうちに取り壊さねばならんのですよ」
スーツ姿の男は、ペコペコ頭を下げる。
彼は、土建屋の社長・板屋健二だ。普段は、ドカジャンを着込み現場でユンボなどの重機に乗る男である。
この倉庫解体は、本来なら板屋のような小さな下請に回ってくる仕事ではないはずだった。ところが、かかわった企業の担当者が次々と急病や事故や不運な事件に巻き込まれ、仕事が出来ない状態に陥ってしまう。挙げ句、ほとんどの企業が手を引いてしまった。
話が回ってきた板屋は、これは普通ではないと判断した。考えた挙げ句、知人のつてを頼り上野に相談したのである。
その上野は、仕方ないという様子で口を開いた。
「あまり気は進みませんが、いいでしょう。引き受けます」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、条件があります。除霊をする間は、ここに来ないでください。僕がいいと言うまで、来訪してはいけません。この条件が守られなかった場合、僕は即座に降ります。いいですね?」
「わかりました。先生が引き受けてくださったなら問題ありませんな」
翌日、上野は現地入りした。何を思ったか、床でテントを組み立て始めた。手際はよくないが、苦戦しつつもどうにか設置する。
出来上がったものを見て、満足げにウンウンと頷く上野。その時だった。突然、反対側の隅に人の姿が浮き上がる──
出現したのは、十代半ばから二十代前半の男だ。血が付き、あちこち破れたスーツ姿である。生前はサラリーマンだったのか。立ったまま、じっとこちらに視線を向けている。いや、睨んでいるという方が正確だろう。顔には、あからさまな敵意がある。
だが上野は、それを完全に無視し準備を続ける。床に布を敷き、次にコンロや折りたたみ式の椅子を出した。キャンプの雰囲気である。
その時、また新手が出現した。今度は建築現場の作業員、といった服装だ。ただし、首から上がない。先ほどのサラリーマン風の隣に立っている。頭がないため表情は見えないが、歓迎されていないのは確かだ。
上野は、ちらりと見ただけで、すぐに視線をそらす。ここにいるのは、あのふたりだけではない。恐らく、あと十体以上はいるだろう、
さすがに、今回はかなり厄介な案件だ。通常ならば、引き受けていなかったかもしれない。
だが、そうもいかないのだ。
夕方になり、上野はコンロで肉を焼いていた。完全にキャンプの雰囲気である。
と、またしても新手だ。今度は、昭和初期のムード歌謡を歌っているグループのような格好の三人組で、三人とも下半身がない。彼らも、上野を歓迎していない雰囲気である。
上野は首を捻った。霊たちの職種も年代も、完全にバラバラだ。となると、あちこちにいた霊がここに集結してしまったのかもしれない。
まあいい。しばらくは様子見だ。上野は、焼き上がった肉を皿に取り、一口食べてみた。
その途端、顔をしかめる。
「思ってたのと違うな」
文句を言いながらも、肉を完食する。霊たちは、同じ位置に留まり上野の行動を見つめていた。
翌日、上野は九時に目を覚ました。寝袋から出て、周囲を見回す。
予想通り、数が増えていた。サラリーマン風、現場作業員風、ムード歌謡グループ風というメンバーに、新たにパンチパーマにスーツ姿の昭和ヤクザ風が加わっていた。当然ながら、上野を見る目には敵意しか感じられない。
上野は、ちらりと見ただけだった。スマホを手に取り、何やら操作する。
その途端、ラジオ体操第一の音楽が聞こえてきた。上野は、音楽に合わせ体操をしている。あくまでマイペースな上野を、霊たちはただただ見ているだけだった。
ラジオ体操を終えると、上野はまたコンロでの調理に取りかかる。今度は、食パンを焼き始めた。次の一手を考える棋士のごとき雰囲気で、じっと食パンを眺めている。
しばらく黙って見ていたが、不意に口を開いた。
「こんなもん焼いてどうすんだ」
何も付けず表面を炙っただけの食パンを、上野は無表情で食べ終える。
しばらくして、コンロにも飽きたらしく立ち上がった。スウェットに着替え、またスマホを操作する。
今度は、やたら元気のいい曲が流れ出した。聴いていると意味もなく走り出したくなる『ロッキーのテーマ』である。上野の表情が変わり、倉庫内をどたどた走り出した。
すると、またしても新手が出現する──
今度は、長髪にピアスに一昔前の渋谷風ファッションで身を固めた若者だ。かつて流行った、チーマーと呼ばれる者たちに似ている。ただし、頭頂部は欠けていた。
そのチーマー風もまた、他の霊たちと同じ箇所にいる。これだけ広いのに、なぜ散らばらないのかという疑問はあるが、霊にしかわからない事情があるらしい。
もっとも、上野は一瞥しただけだった。倉庫内を楽しそうに走っている。時おり、シャドーボクシング風の動きも入る。
ロッキーのテーマが流れる中で、室内ジョギングに勤しむ奇怪な中年男を、霊たちはじっと睨んでいた。
ロッキーのテーマが終わると同時に、上野のジョギングもピタリと止まった。両手を上に挙げ叫んだ。
「ブラボー!」
直後、下を向き座り込む。何かを考えているらしい。
やがてアイデアが浮かんだらしく、表情が明るくなった。立ち上がると、スマホの置かれた位置に戻る。
スマホをスタンドで立て、操作した。すると、今度は人の声が聞こえてくる。
(よう、みんな。俺はコマンドー・サクラダだ! いいか、俺のトレーニングは半端な覚悟じゃ続かねえ! 覚悟を決めろ! じゃ、行くぞ!)
そして画面には、スキンヘッドでマッチョな日本人が映っている。この男が、コマンドー・サクラダなのだろう。
画面を見ている上野はというと、直立不動の姿勢である。口を真一文字に結び、目には真剣な光がある。上野にとって、コマンドー・サクラダなる人物は、いい加減な気分で相対してはいけないようだ。
(では、トレーニングいくぞ! まずは、ヒンズースクワットだ! そらいけ!)
画面の指示に合わせ、上野もヒンズースクワットをやっている。ちらりと霊たちを見たが、動く気配はない。
(次は、レスラープッシュアップだ! ノーマルプッシュアップと違い、全身の筋肉を連動させるイメージでやれ! いくぞ! 一! 二!──)
サクラダの号令に合わせ、上野はレスラープッシュアップをこなしていく。広い倉庫の端で、ひとりレスラープッシュアップをしている姿は異様である。心なしか、霊たちも困惑しているように見えた。
その時、またしても新手が登場した。
今度は、子供向けヒーロー番組の何たらレンジャー……に似た格好をした男である。ただし、着ている衣装の半分くらいは焼け焦げているため、どこかの国の民族衣装にも見える。
何たらレンジャーもまた、他の霊たちと同じ場所に固まっていた。指示に合わせトレーニングに励む上野を、じっと見つめている。ソーシャルディスタンスなど、彼らには関係ないのだろう。ただ、見ていて狭苦しそうではある。
(では、次は技の指導だ! まず最初は、ひとり河津落とし! さあ、いくぞ!)
スマホから流れてくる声に合わせ、上野は立ち上がった体勢から、後方へバタンと倒れる。すぐに起き上がり、また同じことを繰り返す。
方や霊たちは、隅の一カ所に密集し上野をじっと睨んでいる。倉庫内は、異様な空間へと変貌していた──
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