外道猟姫・釣り独楽お京

板倉恭司

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殺人狂

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 華のお江戸、なんて言葉がある。確かに、江戸には華やかな場所が多い。憧れる奴も多いだろう。俺も若い頃に、初めて吉原に行った時は、頭がくらくらしちまったもんさ。別世界に来ちまったのかと思ったぜ。
 だがな、光が大きければ影もまた大きくなる。江戸の華やかさは、莫大な額の富を生み出す。その富の匂いを嗅ぎ付けた悪党どもが、あっちこっちから群がってくる。そう、江戸の裏社会は、深く濃い闇に包まれているのさ。その中には、とんでもねえ化け物も潜んでいる。
 お京、あんたは血の滲むような鍛練の日々を重ね、今の強さを手に入れた。そして、はるばる江戸までやってきた。ようやく復讐を始められるってわけだな。
 あんたは、確かに強いよ。それは認める。あんたに勝てる奴なんか、そうそういねえだろうよ。だがね、江戸の裏社会には、人間をやめちまったような奴が大勢いるんだよ。それに、不測の事態って言葉もある。今のうちに、遺言くらいは書いといた方がいいかもしれねえぜ。

 ・・・

 昼下がりの商店街にて、ひとりの男がうろついていた。
 その挙動は、明らかに不審である。時おり足を止め、何やら思案するような表情で辺りを見回していたかと思うと、また歩き出す……という具合だ。
 この男、名を猿蔵さるぞうという。小さな体で背中を丸め、すたすた歩いていく姿は滑稽であり、道化者を連想させる。
 不意に、その足が止まる。顔見知りの町娘を見つけたのだ。向こうも、猿蔵に気づき会釈する。

「おら猿蔵さん、こんにちは。今日ほ、いいお天気ね」

 娘に挨拶され、猿蔵はにこやかな表情で会釈する。

「よう、おきぬちゃん。今日もべっぴんさんだね。こんなべっぴんさんじゃ、男がほっとかねえだろ」

「そんなことないですよ。あたし、ほっとかれてます」

「そうかい。最近の若い奴は、お絹ちゃんに声かける度胸もねえのか。俺があと十年若けりゃ、絶対に声かけてるぜ。全く、嘆かわしい話だ」

 言いながら、猿蔵は大げさな態度で頭を抱える。

「もう、やめてくださいよう」

 お絹は手をあげ、猿蔵をぶつような仕草をして去っていった。
 この会話している様だけを見れば、猿蔵が悪人であるなどと思う者はいないだろう。事実、この男は小柄な体格であり、顔も愛嬌がある。四十歳という年齢より、若く見える風貌であるのは間違いない。きっぷのいい職人さん、という印象を受けるだろう。
 実のところ、猿蔵は職人ではない。表の仕事は蕎麦の屋台を引いているが、同時に裏の世界の住人でもある。そちらの世界では、ましらの猿蔵の名で知られていた。
 それも、単なる三下ではない。三人の手下を率いて、殺し屋稼業を営んでいる男なのだ。金さえもらえば、善人だろうが悪人だろうが、関係なく殺す。五年前には、仲間たちと共に山奥の村を襲い、大勢の村人たちを虐殺したのだ。時には、金をもらえなくても殺す。
 そう、この男は悪人どころではない。根っからの極悪人である。今も、去りゆくお絹の後ろ姿を異様な目つきで凝視している。
 その時だった。

「よう、猿蔵じゃねえか。昼間っから何やってんだ?」

 猿蔵に声をかけてきた者がいる。誰かと思えば、見回り同心だった。中肉中背の体格に、とぼけた顔立ち。十手を預かる身でありながら、まるで威厳を感じさせない。
 とはいえ、いかにとぼけた顔立ちだろうとも相手は見回り同心だ。裏の世界の住人からすれば、かかわりたくはない人種である。普段なら、警戒しつつ話を聞いたはずだ。
 しかし、猿蔵の前にいる男は、他の同心たちとは違う。この藤村左門ふじむら さもんは、奉行所にて勤めていられるのが不思議な男であった。おおやけにはしていないが、仕事は徹頭徹尾手抜きでいきます……が信条という、どうしようもない人物である。町の見回りに出ても、とにかく動かない。手柄を立てたなどという話は、聞いたことがなかった。町人からも裏稼業の人間からも、軽く見られている。
 特に裏社会の住人たちは、陰で案山子かかし同心などと呼んでいた。案山子と同じく、ただ突っ立っているだけが役目の同心……という意味だ。何とも不名誉なあだ名である。

「おや、藤村の旦那じゃないですか。お久しぶりです」

 猿蔵は、一応は笑顔で頭を下げた。もっとも、目は笑っていない。腹の中では、何しに来たのだと思案している。

「お久しぶりだな。ところでよ、ここで会ったのも何かの縁だ。うまい儲け話でもあったら、よろしく頼むぜ」

 一方の藤村は、へらへらした態度である。表情にも締まりがない。とぼけた顔からは、脱力感がにじみ出ている。
 猿蔵は、渋い表情を作りかぶりを振った。

「何を言っているんですか。あっしの懐は、寒くて風邪ひいちまいそうなところでさあ。うまい儲け話なら、こっちが聞きたいですよ」

「それもそうだな。まあ、うまい儲け話とまではいかなくていい。小遣い稼ぎになりそうな話なんかあったら、よろしく頼む」

 ふざけたことを言って、藤村は去っていった。
 その後ろ姿を見ながら、猿蔵はちっと舌打ちした。あんな男が同心でいられるなら、奉行所とは恐ろしく緩い場所らしい。
 まあいい。今夜は、日だ。日頃、溜まっている鬱憤を晴らすとしよう。



 その夜、川岸をひとり歩く女がいた。いわゆる夜鷹だ。今夜の彼女は客を拾えず、普段より少しばかり遠い場所まで足を伸ばしていた。
 
「ちょっと、そこのお姉さん」

 不意に声が聞こえた。彼女は立ち止まり、辺りを見回す。周囲は草原で、人の姿は見えない。
 空耳かと思った瞬間、目の前に小柄な男が出現した。その手には細身の短刀が握られていた。しかも、片手に一本ずつ持っている。逃げる間も声をあげる間もないまま、男は腕を振った。
 まず右手の短刀が、夜鷹の喉元に突き刺さる。一瞬にして、首を貫通した。
 さらに、もう一撃。左手の短刀が、今度は首筋に刺さる。
 それだけでは終わらない。男は、両手に持った短刀でなおも刺し続けた
 夜鷹が完全に絶命したあとも、狂ったような表情で刺し続ける。血は大量に流れ、かつて女だったものは、もはや原型を留めていない。
 返り血をたっぷり浴び、狂気の笑みを浮かべている猿蔵の姿は、絵双紙の妖怪より恐ろしいものだった。

 ましらの猿蔵は、特殊な病に侵されていた。
 初めて人を殺したのは、十五の時である。その時以来、彼は殺しに憑かれてしまった。いや、「人体を刃物で刺し、切り、損壊する喜び」に憑かれてしまった、と言った方が正確だろう。
 そんな猿蔵にとって、裏の世界はうってつけであった。何せ、大好きな人殺しで金になるのだ。今まで殺してきた数は、五十人近いだろう。
 しかも、この男は腕も立つ。小柄で愛想のいい顔に騙されがちだが、動きは素早い上に二本の短刀を用いた独特の戦法の使い手だ。これまでにも、裏社会の抗争に巻き込まれ幾多の修羅場を潜ってきた。その辺にいる実戦経験のない侍など、この男の敵ではない。 
 本当ならば、今夜ほ夜鷹ではなくお絹を獲物にするつもりだったが……彼女どの会話を、藤村左門に見られてしまった。奴は案山子同然の役立たずではあるが、念のために獲物を変えたのだ。



 その翌日、猿蔵の耳に妙な情報が入ってきた。どこかの金持ちが、自分に仕事を依頼したい……といっていたらしい。今夜、是非とも会いたいとのことだ。
 率直な気持ちをいえば、疑わしいの一言に尽きる。裏の世界の住人と接触したがる堅気など、ろくなものではないだろう。ひょっとしたら、自分を殺したがっている連中の仕組んだ罠かもしれない。
 だが、自分に敵対する何者かの立てた計画だとしたら、今回は無視で済んでも、次の手を打ってくる可能性があるのだ。
 ならば、罠にかかったふりをして返り討ちにしてやる。万一、本当に仕事の依頼なら儲けものだ。猿蔵は手下を連れ、待ち合わせに指定された場所へと向かった。

かしら、本当にここで合っているんですか?」

 手下の三造さんぞうが尋ねる。この男、二十歳になったばかりだ。若いがゆえの向こう見ずさと考えの足りなさはあるが、度胸はあるし腕も悪くない。その上、猿蔵に対する忠誠心は、手下の中でも一番だろう。
 今も、抜き身の長脇差を手に猿蔵の隣に控えている。何かあれば、すぐに動く腹積もりだ。

「ああ、間違いねえよ。この地蔵が目印らしいぜ」

 言いながら、猿蔵は道端の地蔵を指さす。周りには、大木が密集して生えていた。森、といっても差し支えない場所だ。
 どう見ても、話し合いに適した場所ではない。

「頭、これは罠ですぜ。もう引き上げましょう」

 手下の一太いったが、不安そうな顔で提案する。こちらは、猿蔵と同年代だろう。体は大きく顔も厳ついが、どこか気の弱そうな雰囲気を醸し出している。手にはまさかりを握っているが、微かに震えていた。

「罠? 上等じゃねえか。返り討ちにしてやるよ。俺を狙うような馬鹿を、ほっとくわけにはいかねえ」

 猿蔵が答えた時、仁助にすけが声を発した。

「おい、妙な音がしねえか?」

 言った直後、短刀を抜く。この仁助は、二十五歳の凶状持ちだ。かつて住んでいた村で、喧嘩の挙げ句に相手を死なせてしまい、江戸に逃げてきた。それからは、紆余曲折を経て猿蔵の下で働いている。

「音? どんな音だ?」

 猿蔵が尋ねた時だった。木の陰から、姿を現した者がいる。
 途端に、三人は唖然となっていた。

「お前ら、何者だ?」

 思わず呟く猿蔵。だが、それも無理からぬことだろう。
 まず進んでくるのは、一台の乳母車と、それに乗ったざんぎり頭の女だ。どう見ても、乳母車に乗るような年齢ではない。
 さらに、車を押す女は目を閉じている。恐らく盲目なのだろう。にもかかわらず、すたすた歩いている。
 この異様な風体の二人組を見て、さすがの猿蔵も、それ以上の言葉が出なかった。唖然とした表情を浮かべている。手下の三人も同様だ。
 そんな彼らとは対照的に、二人組は無表情でまっすぐ近づいてくる。両者の距離が四間(約十メートル)まで縮まった時、車は止まった。
 直後、車に乗っていた女が口を開く。

「久しぶりだねえ、猿蔵。地獄の底から、会いにきたよ」



 
 


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