外道猟姫・釣り独楽お京

板倉恭司

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左門の秘密

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 翌日の朝、左門は何事もなかったかのような顔で南町奉行所へと向かった。
 奉行所へと到着すると、形だけの挨拶だけでずかずか入っていく。目指すは、筆頭与力・山田やまだ又右衛門またえもんのいる部屋だ。
 到着するなり、挨拶もせず戸を開けた。無言のまま、室内へと入っていく。
 山田は、座ったまま書状に目を通していたところだったが、突然の無礼な闖入者に血相を変え怒鳴りつけた。

「なんだ貴様! 無礼ではないか!」

 だが、当の左門は飄々とした態度で言葉を返す。

「私は、見回り同心の藤村左門です。まあまあ、そんなに殺気立たないでくださいよ。あなたに、大切なお話があります」

「話だと……俺は、貴様と話すことなどない! さっさと消えろ!」

 言うと同時に、山田は立ち上がった。だが次の瞬間、その表情は硬直する。
 どうやって抜いたのか、刀の切っ先が喉元に触れていたのだ。左門は刀を逆手で持ち、その切っ先は山田へと向けられている……。
 抜く手も見えなかったし、動きすら目では捉えられていなかった。あまりのことに、山田はその場で立ったまま呆然となっていた。

「申し訳ありませんが、話だけでも聞いていただけませんか。聞かないと、あなたは非常に困った立場へと追い込まれることとなります」

 左門の語り口調は淡々としていた。だが、その瞳には冷ややかな殺気が浮かんでいる。その迫力に気圧され、山田は再び座り込んだ。
 すると、左門も刀を脇に置いた。ただし抜き身の状態である。いざとなったら、いつでも振るえる体勢だ。
 そんな状態で、左門は再び語りだした。

「かつて、長七郎という男が召し捕られました。闇の御前などという大げさな二つ名を持つ盗賊の親玉でして、その後すぐに処刑されたそうです」

 途端に、山田の表情が歪む。だが、左門は無視して語り続けた。

「ところが……妙な話なんですなあ、これは。長七郎は牢に入れられた時、ふてぶてしい態度でした。昼間から高いびきで寝ており、取り調べにも淡々と応じたそうです。打首獄門を言い渡された後も、牢の中で平然としていたとか。さすが闇の御前だ……と、牢屋見回りだった私は感服したのを覚えていますよ」

 そう、当時の左門は牢屋見回りだった。牢にいる罪人を見張るだけの仕事だ。
 長七郎の顔は、今も忘れていない。三十になったばかりで、髪はきっちり剃り上げていた。中肉中背の体格で、目は細い。色白で、表情に乏しい顔立ちであった。処刑を言い渡されても、平静な顔つきで受け止めているように見えた。

「それが、いざ処刑の当日になると、態度はがらりと変わっていました。首切り役人の前で、泣くは喚くは漏らすは垂れるは……散々暴れた挙げ句、数人がかりで押さえつけ縛り上げました。その後、やっと首をはねたのです。とても同一人物だとは思えませんでした」

 疑問は、それだけではない。
 処刑前日の長七郎の髪は、五分ごぶほどの長さになっていた。入牢直後は綺麗に剃り上げられていたが、牢で生活するうち少しずつ伸びていたのだ。
 ところが処刑当日、牢にいた男の頭は綺麗に剃り上げられていた。朝に出勤した左門は、牢で眠りこけている彼を見た瞬間に唖然となったことを覚えている。
 時間になり叩き起こされた時も、男はきょとんとなり周りを見回してした。自分がどこにいるのか、それすらわかっていないようだった。しかも息は酒臭く、目の焦点も合っていない。
 酒と薬を、大量に飲まされたような雰囲気である──
 
「私はおかしいと思い、時間の許す限り調べてみました。結果、わかったことがあります。長七郎は、表と裏の双方に多額の金をばら撒いていたとか。その中には、奉行所の人間もいたそうです。そこで、ひとつの疑念が出てきました。処刑されたのは、闇の御前とは無関係の、無実の男ではないのだろうかというものです」

 そこで、ようやく山田は口を開いた。

「お、お前は何を言っているのだ? そんなはずはあるまい!?」

「残念ながら、その可能性は極めて高いと言わざるを得ません。少なくとも、私は本当であると信じています」

 そうなのだ。
 処刑の直前、長七郎だったはずの男は、人違いだ! と喚き散らして必死で抵抗した。数人がかかりで手足を押さえ首をはねたが、辺りには糞尿の匂いがたちこめていた。言うまでもなく、男が漏らしたのだ。もっとも、それ自体は珍しいことではない。
 問題は他にある。首をはねられた男の声と肌だ。長七郎は低くよく通る声で、地方の訛りはない。また、肌の色は白かった。夜、闇に紛れて動く盗賊に特有のものだろう。
 ところが、首をはねられた男は訛りがひどく、甲高い声だ。その上、肌はよく焼けている。昼間、外で働く人間に特有の焼け方だ。牢の中で、日焼けしたとは思えない。
 顔は確かに似ていた。年齢も背格好もほぼ同じだが、間違いなく別人だ──

「当時、私は悩みました。然るべき筋に、このことを訴え出るべきではないかと……ところが、それは無理でした。この件には、様々な人間が絡んでいます。もし万が一、処刑されたはずの闇の御前が生きていた……そんなことになれば、大勢の人間の首が飛ぶことになるでしょう。私には、それは出来なかったのです」

 当時、まだ若かった左門は悩んだ。こんな話は、誰かに相談することも出来ない。
 ひとり悩んだ挙げ句、口をつぐむことを選んだ。この秘密を、墓場まで持っていくと決意したのだ──

「言うまでもなく、罪を見逃すことも罪です。無実の人間が、打首獄門に処せられました。本来なら罰を受けるはずの極悪人は、のうのうと生きている……こんなひどい所業を、私は見逃しました。結果として、私もまた悪の片棒を担ぐこととなりました。罪人に成り果てたのです」

 あの日、左門は大切なものを失った……そんな気がした。罪の意識から逃れるべく酒を飲んでみたが、かえって重くのしかかってくるばかりだった。
 当時は、本当に針の上を歩いているような心持ちだった──

「私はね、何もかもが嫌になりました。巨悪を見逃して肥え太っていくお偉方。何の罪もないのに、虫けらのように殺された名もなき男。全てを知りつつ、何も出来ない私。あの当時は、生きてることすら嫌でしたよ。以来、私は決心したのです。奉行所のために、この刀を抜くような真似だけはすまいとね。私に出来る、ささやかな抵抗です」

「藤村……貴様、何が言いたい?」

 苛立ったような口調で、山田が口を挟む。

「ここまでは、前置きのようなものです。この闇の御前と名乗り、無実の人間を身代わりにして生き延びた長七郎なる男ですが……現在、天河狂獣郎なる傾奇者と組んで、江戸の表と裏に多大なる影響を及ぼしているとか。この長七郎と天河のもとに、明日ふたりの女が乗り込む手筈になっております」

「そのふたりの女は、何をする気なのだ?」

「天河狂獣郎と、長七郎のふたりを殺すつもりです。さらには、その場にいる子分たちをも皆殺しにする気です。つきましては、明日なにが起ころうと、奉行所は知らぬ顔でいてほしいのですよ」

「はあ? たったふたりの女が、奴らを皆殺しだと!? 何を馬鹿なことを言っているのだ! 出来るわけなかろう!」

 怒鳴りつけた山田だったが、次の瞬間に顔色が変わり口をつぐむ。だが、遅かった。
 左門の方は、にやりと笑う。

「なるほど、奴らをよく御存知のようですね。やはり、あなたもあの一件に関係していたのですな。まあ、今さらどうでもいいです。出来るか出来ないか、そんなことは関係ありません。あのふたりは、それをやる気なのです」

「嫌だと言ったら、お前は何をするのだ?」

「先ほど話した、闇の御前の一件を江戸中に触れ回ります。次に、将軍さまに直訴します。おそらくは、途中で握り潰されることになるでしょうが……それでも、何人かの人間の首を飛ばすことくらいは出来るでしょう」

 途端に山田は、凄まじい形相で左門を睨みつけた。

「その何人かの中には、貴様の首も入るのだぞ。文字通りの打首だ。わかっているのか?」

「もちろん承知の上です。しかしね、私の命などどうでもいいのですよ。これまでに、様々な人間を見てきました。皆、懸命に生きようとしていたのですよ。ところが、次々と死んでいきました。私ひとりが、おめおめと生き延びてしまいましたよ」

 そう、自分ひとりが生き延びてしまった。
 己をさいなみ続ける罪の意識……そんな時に、仁願や捨丸と出会い裏稼業を始めたのだ。法で裁けぬ悪党を殺すことで、自分の気持ちをどうにかごまかしていたのだ。
 しかし、みんな先に死んでしまった。そして今、お京とお花も死に逝こうとしている──

「藤村の家には、離縁状を叩きつけてきました。見回り同心の職も、今日を限りに辞するつもりです。失うことの出来るものは、あとは命以外にはありません。そして……こんな命など、惜しくもありません」

 そこで、左門は刀を手にした。静かな表情で山田に尋ねる。

「さあ、どうします? 私は何も、無茶苦茶な要求をしているつもりはありません。ただ、明日一日だけ目を瞑り耳を塞いでいてくれればよいだけです。そうすれば、私も口を閉ざしたまま江戸を出ていきます。あなたを初めとする、奉行所の方々には何も迷惑をかけません。あとは、あなたが心を決めるだけですよ」

 左門の曇りなき目が、山田を真っ直ぐ見据えている。だが、そこからは純粋な殺意も感じられた。
 この男は、本気なのだ。いざとなったら、命を捨て将軍に直訴する気だ……。
 山田の体は震え出していた。その震えを隠し、どうにか尋ねる。

「本当だな? 本当に、それだけでよいのだな?」

「それだけで充分です。他には、何も求めません。先ほども申し上げた通り、黙って江戸を出ていきます」

 その答えを聞き、山田は思わず目を逸らした。正直、この藤村左門なる男とは同じ部屋にいたくない、完全に狂っている。
 いや、狂っているという表現もまた違う。純粋に、目的のためなのだ。女のためなら、死をも厭わない。己の全てと引き換えに、お京とお花というふたりの女の活路を開くつもりなのだ。
 少しの間を置き、山田は口を開いた。

「いいだろう。だがな、ひとつだけ聞かせてくれ。その女たちは、お前の何なのだ?」

「はい?」

「お前の愛人なのか? たかが愛人を助けるため、お前は何もかも捨て去ろうというのか?」

 その時、予想だにしなかったことが起こる。
 突然、左門が笑い出したのだ。膝を叩き、涙を流し、狂ったように笑っている。さすがの山田も、唖然とした表情で左門の奇行を眺めていた。
 やがて、左門は落ち着きを取り戻した。涙を拭くと、片岡に向かい、ぺこりと頭を下げる。

「いや、申し訳ない。あなたの仰ることもわかります。あのふたりが、私の愛人だった……それならば、簡単な話ですよね」

 確かに、それなら話はわかりやすい。一度は愛した女のために、死地に赴く……これなら、万人の心に響くものがあるだろう。
 だが、左門の裡にあるものは違っていた。

「あいにくですが、お京もお花も私の愛人ではありません。そんな色っぽい話など、我々の間には微塵もなかったのですよ。私と、あのふたりがどんな関係なのか……それは、私の方が聞きたいですね」

「では、何のために命を張る? その女たちに、そこまでの値打ちがあるのか?」

 聞いてきた山田に、左門はかぶりを振って見せた。

「どうでしょうね。私にはわかりません。わかっているのは、このままにしてはおけないということだけです。今回、何もしなければ、私はこの先ずっと自分自身を責め続けて生きることになるでしょう。それだけは御免です」

 言うと同時に、左門は立ち上がった。刀を鞘に収め、ぺこりと一礼する。

「では、失礼します、これから、やらねばならぬことがありますので……」

 その言葉を残し、去っていった。
 途端に、山田は崩れ落ちる。両手を畳に付け、荒い息を吐いた。

「恐ろしい男だ……」

 そっと呟き、額の汗を拭った。



 左門はというと、すぐに奉行所を出て行った。ひたすら歩き続け、目的地に到着する。
 そこは、古いあばら家であった。かつて、雉間正厳が住んでいた家である。
 左門は家に入ると、彼の墓の前でしゃがみ込んだ。穏やかな表情で語りかける。

「雉間さん、あなたの刀を使わせてもらいますよ」

 そう、いま左門が腰に帯びているのは……雉間が使っていた刀であった。これまで、幾多の敵をほふり血を吸ってきた業物である。

「私もいよいよ、あなたのところに逝くことになるかもしれません。その時は、また稽古をお願いします」





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