動物帝国

板倉恭司

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晩犬の役目

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 我輩は犬である。名前をロバーツという。
 我輩の現在の住居は、孤児院なる場所である。親の無い人間の子供が、数多く住んでいるのだ。我輩はその孤児院で、番犬を生業としている……と言いたいところだが、近頃は目が悪くなってきた。体も昔のようには動かない。我輩も既に十二歳、老犬と言っていい年齢である。番犬の役割を充分に果たせている、とは言いがたい。
 かつては、子供たちと共に野山を駆け回り、楽しく遊んだものだが……今では、歩き回るのすら億劫になってきた。我輩が天に召されるのも、そう遠くないのかもしれない。
 昔、狼の群れに襲われ死んでしまった母、それに兄弟たちよ……我輩も、もうじきそちらに逝くことになりそうだ。

「あにき! あにき!」

 うとうとしていた我輩の耳に飛び込んできたのは、アメデオの吠える声だ。アメデオは、雑種の白い犬である。ミニチュア・ブルドッグ族の我輩より、体も大きく力も強い。その上、足も早く持久力もある……年齢も、まだ三歳である。今では、このアメデオこそが番犬としての役割を担っているのだ。

「いったい何事だ、アメデオ?」

 我輩が尋ねると、アメデオは嬉しそうに尻尾を振った。

「あにき! マルコが猪を捕まえてきたよ! 今夜は猪のスープだよ! 美味しいよ!」

 ハイテンションで、わんわん吠える。ちなみにマルコとは、アメデオのあるじの人間である。誰よりも強いが、誰よりも優しい男だ。
「そうか、よかったな」

 そう答えると、アメデオは首を傾げた。

「あにき、近ごろ元気ないよ。どしたの?」

「何でもない。ただ眠いだけだ」

 顔を逸らし答える。そう、活力あふれる成犬のアメデオは、我輩の体のことなど知る必要がない。アメデオには、アメデオの仕事がある。子供たちを守るという大事な任務が。
 だから、我輩などに構うな。

「わかった! じゃあ、起きたら猪スープ食べようね!」

 そう言うと、アメデオはわんわん吠えながら子供たちの方に走って行く。我輩は寝そべりながら、子供たちと遊ぶアメデオをじっと眺めた。
 出会った時のアメデオは、我輩よりも小さな仔犬だった。それが、随分と逞しく成長したものだ。今や、我輩など比較にならないほど大きく強い。子供たちも、動きの遅くなった我輩よりもアメデオの方を好いている。動きの遅い老犬と遊びたがる子供は、もはやひとりもいない。
 寂しいが、これも仕方ないことなのだろう。我輩のここでの役目は、もう終わったのだ。



「あにき! あにき!」

 いい気分でうとうとしていたが、まどろみを邪魔する者がいる。言うまでもなくアメデオだ。

「どうした、アメデオ。猪のスープが出来たのか?」

「違うんだよ、あにき! 助けて欲しいんだよ!」

 アメデオの言葉に、思わず首を捻った。助けて欲しい、とは?

「何事が起きたのだ?」

「あの最近入ったアスナって娘なんだけど、ぼくが近寄ると怖がって逃げるんだよ! あにきじゃなきゃ駄目みたいなんだよ!」

 困った顔で、きゃんきゃん吠えるアメデオ。我輩は思わず苦笑した。
 アスナとは、二日ほど前から孤児院にて生活している人間の娘だ。小柄な引っ込み思案の少女で、体が大きく常にハイテンションな態度でわんわん吠えてくるアメデオを敬遠しているのである。
 もっとも、当のアメデオはなぜ自分が恐れられているのか……今ひとつ理解していないようなのだが。
 本当に、仕方のない奴である。

 我輩は起き上がると、アスナの匂いを確かめながら歩いて行く。近頃は、鼻も昔ほど利かなくなってきた。それでも、アスナの現在地くらいなら容易に割り出せる。
 匂いを辿り、ゆっくりと歩いて行く。すると、すぐにアスナは見つかった。広い庭の隅っこに、ひとりでしゃがみこんでいる。どうやら、地面を蠢く虫たちを見ているらしい。髪は短く、一見すると男の子のようだ。瞳は大きく、溢れんばかりの好奇心に満ちている。他の人間と遊んだり話をするのは苦手で、いつも庭の隅に陣取り、ひとりで遊んでいるのである。
 しかしアメデオは、アスナをみんなと遊ばせようとちょっかいを出す。しかし、アスナはアメデオを恐れ、すぐに逃げて行ってしまう。
 アメデオには、まだまだ経験が足りない。ここには、色んな性格の子供が来る。性格に応じた対処が大事なのだ。アスナは、今は無理に他の子供たちと遊ばせる必要はない。少しずつ、環境に慣らしていくこと。これが重要なのである。

 そんなアスナに向かい、我輩はわう、と吠えた。すると、こちらを向く。
 その途端、アスナの表情がパッと明るくなった。

「ロバーツさんなの……おいで、ロバーツさん」

 笑みを浮かべ、我輩を手招きする。ロバーツさんなどと呼ぶのは、子供たちの中でもアスナだけだ。
 我輩は、静かに近づいて行く。するとアスナの手が伸び、我輩の頭を撫でた。その手からは、暖かいものが伝わってくる。我輩を見る目は、親愛の情に満ちていた。

「ロバーツさん、本当に可愛いの」

 そう言いながら、我輩の背中を撫でる。ならば、こちらも親愛の気持ちを示さねばなるまい。アスナの顔をペロッと舐める。すると、アスナはくすぐったそうな顔をしてニッコリと笑った。
 つられて、我輩も笑う。
 アスナと我輩は、お互いを見つめ合った。どちらからともなく、ニコニコと笑い合う。我輩は幸せであった。まだ我輩にも、人を笑顔にできる力があるのだ。アメデオには、アメデオの役割がある。だが、我輩にも我輩の役割がある。
 年老い、弱く小さな犬である我輩の存在により、笑顔になる人間がいる。そうなのだ。人を笑顔に変えること、それが今の我輩の仕事なのである。
 人の笑顔を見るのは、とても嬉しいことだ。アスナの笑う顔を見て、我輩も笑う。そう、我輩は笑う犬なのだ。誰かが笑えば、我輩も笑う。

「みんな! ご飯が出来たのである!」

 不意に、大きな声が聞こえてきた。子供たちの世話係をしているマリアの声である。すると、アスナは立ち上がった。
 
「ロバーツさん、ご飯の時間なの。一緒にご飯食べるの」

 そう言うと、食堂に向かいトコトコ歩き出した。
 その後を、我輩はのんびりと付いて行く。
 どうやら、まだやるべき仕事が残っているらしい。仕方ない。もう少しだけ、頑張って生きてみるとしようか。
 アスナが、我輩を必要としてくれている間だけでも……。




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