動物帝国

板倉恭司

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続・晩犬の役目

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 我輩は犬である。名前はロバーツという。
 孤児院は今、昼寝の時間なのだ。陽は高く昇っており、子供たちはみな眠りについている。広い庭はがらんとしており、とても静かだ。
 我輩は、空を見上げた。今日はいい天気だ。日射しがとても暖かく、辺り一帯は平和な匂いに満ちている。したがって眠くてたまらない。午後からの仕事に向け、我輩もしっかり眠っておくとしようか。



「あにき! あにき!」

 せっかくの昼寝の時間なのに、邪魔してくる不届き者がいる。誰であるかは見なくても分かる。アメデオだ。

「あにき、大変だよ!  寝てる場合じゃないよ!」

「いったい何事だ、アメデオ?」

 体を起こし、尋ねる。この犬は図体は大きいのに、今ひとつ落ち着きがない。困ったものだ。
 だが次の言葉を聞いた瞬間、愕然となった。

「アスナって娘が、ひとりで山に入って行っちゃったんだよ!」

 きゃんきゃん吠えるアメデオ。我輩は慌てて起き上がった。

「何だと? なぜひとりで行かせた!?」

「止めようとしたんだよ! でも、ぼくが近づくと逃げちゃうんだ!」

 きゃんきゃん鳴く。そうなのだ……アスナは、アメデオを今も恐れている。アメデオも、もう少しソフトな接し方をすればいいのに。
 いや、そんなことを言っている場合ではない。山には、猪や狼が出る。ひとりでいたら、餌食になるかもしれぬ。

「アメデオ、我輩が山に行ってアスナを探す。お前はマルコを連れて、後から来てくれ。万が一の場合、我輩が遠吠えで知らせるからな」

「わかった!」



 山に入ると、我輩は慎重にアスナを探す。山の中は様々な匂いに溢れており、今の我輩では探すのが難しい。
 だが、それでも見つけなくてはならないのだ。山の中は危険に満ちており、今のアスナでは対処しきれまい。取り返しのつかない事態になる前に、必ずアスナを見つける。
 そして、安全に連れ帰る。



 山の中を探し続けた結果、ようやくアスナの残り香を嗅ぎ付けた。我輩は、慎重に歩いていく。

 アスナは、小川のほとりにいた。どうやら、水に住む魚や小動物を眺めているらしい。我輩はホッとした。暗くなる前に見つけられて、本当に良かった。
 そんなことを思いながら、我輩はワウと吠える。すると、アスナは振り向いた。
 その顔に、笑みが浮かぶ。

「ロバーツさんなの……おいで、ロバーツさん」

 そう言って、アスナは手招きする。しかし、我輩は困っていた。さて、どうやってアスナを連れ戻せばよいのだろうか。
 仕方ない。とりあえずは、飽きるまでここに居させよう。無理に帰らせようとすれば、アスナの機嫌を損ねる可能性が高い。
 近づいて行き、アスナの顔を見上げる。少女はにこにこしながら、我輩の頭を撫でた。

「ロバーツさんは、本当に可愛いの」

 アスナの手からは、親愛の情が伝わってくる。この娘は、とても優しい心の持ち主なのだ。争いごとを好まない穏やかな性格である。
 その反面、気の弱い部分も目立つ。他の子たちに無理やり玩具を取られ、何も言えずうつむいてしまうことも少なくない。ひとりで行動することが多いのも、自分を主張することが苦手だからだろう。
 生きていくうえで、闘いを避けて通ることは出来ない。アスナには優しさはあるが、勇気がないのだ。自分の大切なものを踏みにじろうとする不届き者には、全身全霊をもって立ち向かう……そんな強さを、身に付けて欲しいものである。

 その時、我輩の鼻に妙な匂いが飛び込んできた。直後、一瞬にして全身の毛が逆立つ……。

 これは、狼の匂いだ!

 我輩は、アスナのズボンのすそを咥えた。そして懸命に引っ張る。一刻も早く、アスナを逃がさなくてはならない。我輩が狼の匂いに気づいたということは、狼もこちらに気づいたということなのだ。
 狼から見れば、小さな老犬である我輩と幼い子供のアスナ……どちらも、狩るには手頃な獲物でしかない。
 全力で引っ張ったが、アスナを動かすことは出来なかった。

「ロバーツさん、引っ張っちゃ駄目なの」

 アスナは笑いながら、我輩の頭を軽く叩く。我輩が遊びたくてちょっかいを出している、そう思っているらしい。

 このままでは、アスナは狼に食われてしまう!

 我輩は上を向いた。次の瞬間、大きく長く吠える。腹の底から声を絞り出しての遠吠えだ。こうなっては、アメデオたちを呼ぶしかない。
 すると、アスナはビクリとなった。

「ロ、ロバーツさん? どうしたの?」

 だが我輩は、もう一度吠えた。一刻も早く、アメデオに来てもらわなくては──

「やかましい」

 そう言いながら、のっそり出て来たのは……一匹の若い狼だった。黒い毛に覆われた体は、我輩より遥かに大きい。さらに牙も爪も鋭いのだ。
 我輩には、勝ち目はない。

 だが、我輩は低い姿勢で構えた。低く唸りながら、アスナの前に出る。
 すると、狼は嘲笑した。

「おい爺さん、さっさと消えろ。てめえみたいな爺さんは、食っても美味くねえんだ」

「そうか。だったら、後ろの人間と一緒に消えるとしよう。構わないな?」

 我輩は、微かな期待を込めて尋ねた。もしかしたら、見逃してくれるかもしれない……という、淡い願望だ。
 しかし、狼は歯を剥き出した。

「駄目だ。俺はな、人間の肉が大好きなんだよ。特に、子供の肉の味はたまんねえぜ……さっさと子供を置いて消えろ。でねえと、てめえも噛み殺すぞ」

 言いながら、狼は我輩を睨む。間違いない……こいつは、人間の肉の味を知ってしまったのだ。一度、人間を食べることを覚えたら、もう始末に負えない。
 我輩は、ちらりとアスナを見た。アスナは尻餅を着き、ガタガタ震えている。恐怖のあまり、動けないのだ。
 こうなっては仕方ない。今のアスナを守れるのは、我輩しかいないのだ。

「アスナ逃げろ!」

 我輩は、叫びながら突進した。口を開け、狼の足に食らいつく──

「痛えな! 離しやがれ!」

 喚く声と同時に、我輩の背中に何かが突き刺さる。凄まじい痛みだ。我輩は、思わず悲鳴を上げそうになった。
 だが、悲鳴を上げてはいけない。悲鳴を出せば、我輩の牙が外れてしまう。
 アスナだけは、なにがなんでも守るのだ。
 我輩の、命に換えても。

「クソが! 離せえ!」

 狼は吠え、我輩の首に噛みついた。我慢できず、悲鳴を上げる。次の瞬間、我輩は振り回され、叩きつけられた。
 全身に走る激痛。我輩はそのまま気を失いそうになる。
 だが、ふらつきながらも立ち上がった。ここで、倒れるわけにはいかない。

「てめえ、まだやる気か! いい加減にしろ、このジジイ!」

 狼は歯を剥き出し、我輩に怒鳴り付ける。
 悔しいが、今は言い返す気力がない。目も霞んでいる。
 それでも、我輩は進む……目の前の狼は、恐ろしく強い相手だ。勝ち目はない。
 しかし、我輩の仕事は勝つことではない。
 アスナを守ることだ。
  この役目だけは、命に換えても果たす。

「このジジイ! そんなに死にてえなら、てめえから先に殺してやる!」

 吠えると同時に、狼は飛びかかって来た。我輩の首筋に噛みつき、激しく振り回す──

 もう、我輩は痛みすら感じていない。
 意識が薄れていく。

 その時、妙な叫び声が聞こえてきた。直後、狼の牙が離れる。
 いったい何事だろう……我輩は、目を開ける。すると、ぼやけた視界に予想外の光景が飛び込んできたのだ。

「ロバーヅざんを! いじめるなあぁ!」

 泣き叫びながら、狼に石を投げている者がいる。
 それは、アスナだった……涙で顔をくしゃくしゃにしながら、石を拾って狼に投げつけているのだ。あの、ひ弱なアスナが狼に闘いを挑んでいるとは。
 馬鹿者、なぜ逃げないのだ……我輩はどうにか起き上がる。

 まだだ。
 まだ、終われない!

 アメデオは、必ず助けに来てくれる。それまでは、我輩がアスナを守る。
 我輩は、狼の足に噛みついた。さらに、アスナは泣きながらも石を投げ続ける──
 さすがの狼も、我々の攻撃に怯んでいた。どちらを先に攻撃すればいいのか分からず戸惑っているのだ。
 その時、ようやく助っ人が現れた。

 凄まじい勢いで、飛び込んできた者がいる。アメデオだ。アメデオは狼の首に噛みつき、強い顎で相手に致命傷を与える。さすがの狼も、今のアメデオにはかなわない。尻尾を巻いて逃げて行った──
 我輩たちは、恐ろしい狼を撃退したのだ。だが、そこまでだった。ついに限界が訪れたのだ。
 体から、力が抜けていく。次の瞬間、暗闇に覆われていた。



 もう、何も見えない。
 だが、かすかに声が聞こえる。匂いも感じる。

「あにぎぃ!」

 アメデオが、きゃんきゃん吠える声が聞こえる。
 出会った頃は、小さくやんちゃな仔犬だったのに、ずいぶんと逞しくなったな。
 後のことは頼んだぞ。

「ロバーヅざあん……じんじゃやだあ……」

 アスナか……。
 泣かないでくれ。
 我輩は、本当に嬉しかったぞ。最期に、お前の勇敢に闘う姿が見られたのだから。
 忘れるな……生きることは、闘いなのだ。
 これからの人生において、困難な出来事がお前を待っている。
 だが、恐れずに立ち向かっていけ。
 お前ならやれる。
 あの恐ろしい狼に立ち向かっていけたお前なら、必ずやれる。
 そして、幸せを掴むんだ。
 アスナよ。
 本当に、ありがとう。
 お前のお陰で、我輩は笑って死んで逝ける──







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