必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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どこかで、誰かが見ています(三)

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 辰巳屋は、江戸でもそれなりに名の知れた出会い茶屋である。
 切り盛りしているのは、おこまという名の女将であるが……実質的な経営者が蛇次であることは、裏の世界に関わる人間なら、大抵の者が知っている事実だ。



 その辰巳屋の一室に、十人ほどの男女が集まっていた。皆、年齢や背格好はまちまちである。しかし、全員にどこか共通する匂いがあった。堅気の人間は発しないであろう匂いだ。そんな者たちの中に、お禄と蘭二もいる。
 お禄はにこやかな笑みを浮かべているが……内心では、どういうことなのか戸惑っていた。
 だが、それも仕方ないだろう。何せ、ここには裏稼業の有名人が集められているのだから。通称・仕込屋しこみや熊次くまじ寅三とらぞうの兄弟、弁天の小五郎しょうごろう、そして鼬の勘兵衛……お禄も含めると、四つの組織の頭目が集められたことになる。
 皆、表面上は和やかに、当たり障りの無い会話をしている。同時に、腹の探り合いもしている。
 ところが、その空気を気に入らない者もいた。

「いったい、いつまで待たせるんでしょうなあ、蛇次さんは。そうは思いませんか、皆さん」

 不意に、皆に聞かせるような声を出した者がいる。鼬の勘兵衛だ。背はさほど高くないが、がっちりした体つきと日に焼けた肌が特徴的である。実年齢よりは、ずっと若く見える男だ。
 勘兵衛は、皆の反応を窺うかのように周囲を見回した。

「そうは思わねえかい。俺たちも暇じゃねえんだよ。待たせてもらうんだったら、日当くらいは貰わねえとなあ」

 すると、その声に捨三が反応する。

「すみません。元締は、もうすぐ──」

「捨三さん、俺は巳の会の手下になった覚えはねえんだよ。蛇次さんは今、どこで何をしてるんだ?」

 言いながら、捨三に詰め寄って行く勘兵衛。その時だった。

「いや、すまねえな勘兵衛さん。いろいろあって遅くなった」

 声と共に、飄々ひょうひょうとした態度で現れたのは蛇次だ。襖を開け、すたすたと入って来る。
 場の空気は、一瞬にして凍りついた。しかし、勘兵衛は怯まない。

「蛇次さんよう、ちいとばかり遅過ぎるんじゃねえのかい。人を呼び出しておいて、待たせるってのは筋が通らねえなあ」

 そう言って、蛇次を睨み付ける。
 だが蛇次は、その視線を平然と受け止めた。

「まあ、そう言うなよ。それにな、俺たちが揉めてる場合じゃねえんだ」

「どういう意味だよ?」

 勘兵衛は訝しげな表情になった。しかし蛇次はその問いに答えず、皆の顔を見回す。

「仕込屋の熊次さんと寅三さん、弁天の正五郎さん、仕上屋のお禄さん、そして鼬の勘兵衛さん。皆さんに集まってもらったのは……近頃、やたらとはえが多くなってきた気がするんでな」

「蝿?」

 思わず聞き返すお禄。ふと横を見ると、蘭二は口を真一文字に結んだ鋭い表情で、辺りを油断なく見回している。さすがに隙がない。

「ああ、蝿だよ。お禄さん、あんたなら分かるだろ? 仕分人とかいう連中が、最近のさばってるそうだ。みんな、昨日今日この商売を始めたような連中に、でけえ面されていいのかい?」

「そんな連中は、片っ端から殺していけばいいだろうが」

 言ったのは勘兵衛だ。苛ついたような表情で、蛇次を睨む。
 蛇次の表情が、僅かに歪んだ。

「ああ、あんたの言う通りだよ。しかしな、返り討ちに遭わねえとも限らねえだろうが──」

「俺はそんなへまはしねえよ」

 蛇次の話を、鋭い口調で遮る勘兵衛。さらに、口元を歪め言葉を続けた。

「あんたも焼きが回ったんじゃねえか? 最近ちょいと噂になってるだけの、仕分人なんて連中に怖じ気づいた挙げ句、俺たちを呼び出したって訳か? 悪いが、俺はそんな素人連中なんざ怖くねえよ。用ってのがそれだけなら、俺は引き上げるぜ」

 言うと同時に、勘兵衛は背中を向けた。その時、彼の前に立った者がいる。

「勘兵衛さん、ちょいと言葉が過ぎるんじゃねえですかい」

 その言葉と同時に、捨三が詰め寄る。勘兵衛の表情も変わった。いかにも凶悪そうな目付きで、捨三に向き合う。
 睨み合う二人。だが、蛇次が声をかける。

「捨三、いいからこっちに来い。勘兵衛さん、あんたの腹の内は分かった。まあ、あんたもせいぜい気を付けるんだね。あんたが馬鹿にしてた、素人連中に殺られねえようにな」

 その言葉に、勘兵衛はふんと鼻を鳴らしただけだった。蛇次を無視し、大股で去って行く。

「悪いが、俺たちも引き上げるぜ。こんな雰囲気じゃあ、話し合いも糞もねえだろ。蛇次さん、またな」

 言いながら立ち上がったのは、仕込屋の熊次と寅三の兄弟だ。二人は蛇次やお禄たちに軽く会釈し、去って行った。
 残されたのは、弁天の小五郎とお禄、そして小五郎の子分と蘭二だ。
 蛇次は苦笑し、他の者たちに向かい頭を下げる。

「小五郎さん、わざわざ来てもらってすまねえな。今日は、お開きにするしかねえ。だが、さっき言った通りだ。あんたにも分かっておいてもらいてえんだよ。近頃じゃ、おかしな連中が多くてな。素人連中に、俺たちの縄張りを荒らされてんだ」

 その言葉に対し、小五郎は頷いた。彼は蛇次よりも歳上であり、恰幅のいい大旦那という雰囲気を漂わせている。事実、この中では一番長く裏稼業で飯を食ってきた男なのだ。背中に背負った弁天の刺青は伊達ではない。

「ああ、わかった。だがな、あんたの方も注意しな。勘兵衛のあの態度からして、いずれ何か仕掛けて来るかもしれねえからな」

 そう言うと、小五郎は立ち上がった。そして、お禄の方を向く。

「仕上屋さん、久しぶりだねえ。あんたの所は、腕の立つのを揃えてるって評判だ。いずれ仕事を回すかもしれねえから、よろしく頼むよ」

「わかりました。弁天の小五郎さんの依頼とあれば、喜んで引き受けさせてもらいますよ」

 にこやかな表情で答え、頭を下げるお禄。横に控えている蘭二も、堅い表情で頭を下げる。 

「そうかい、そいつは助かるぜ。じゃあ、またな」





「せっかく集まったのに、勘兵衛の馬鹿にぶち壊しにされちまったな。そうは思わねえかい、お禄さん」

 小五郎が去った後、お禄に向かい愚痴るような口調で蛇次は言った。

「ええ、そうですね。勘兵衛の奴、虫の居所でも悪かったんでしょうか」

「あいつの虫の居所なんざ、俺の知ったことじゃねえよ。こういう時、俺はどうすべきなのか。あんたは、どう思うね?」

 いきなり聞いてきた。その目は冷たく、見る者すべてを凍りつかせてしまいそうだ。
 お禄は、目の前にいる男が何を言わんとしているのか、ちゃんと理解できている。要は、仕上屋に勘兵衛たちを仕留めさせようというのだ。
 もちろん正面きっての喧嘩となれば、蛇次の率いる巳の会は勘兵衛には引けを取らない。勘兵衛の方もそれなりに人数を揃えているが、恐らくは捻り潰せるだろう。
 だが、そんなことになれば……勝った側もただではすまない。確実に弱体化する上、奉行所が動く可能性もある。
 だからこそ、仕上屋に殺らせたいのだ。

「あたしなら、相手にしませんね。あんな奴、放っておいても何も出来ませんよ。では、そろそろ失礼します。明日の仕込みがありますので」

 そう言って、お禄は頭を下げる。背中を向けて立ち去ろうとした。
 だが蛇次は、その背中に声をかける。

「そうかい。お禄さん、もしもの話だが……勘兵衛とその手下を殺ってくれたら、五十両出すって奇特な人がいたら、あんたはどうするね?」

 その言葉を聞き、お禄は足を止めた。しかし、振り返らずに答える。

「ほう、それは変わったお人だ。そうですねえ……考えさせてください、とだけ言っておきます。そんな奇特な人が本当にいたら、の話ですが」



 帰り道、お禄と蘭二は、並んで歩いていた。二人の間に会話はなく、無言のまま歩いている。
 しかし、黙っていることに耐えられなくなったらしい。蘭二がためらいながらも口を開いた。

「お禄さん、あの勘兵衛ってのは何者だ?」

「何者、って言われてもねえ。見ての通り、ちょいと気の荒い大工の棟梁だよ。ただし、裏で殺しもやるけどね。昼間に家を造り、夜は人を殺す……そんな奴だよ。ま、あたしもよくは知らないけど」

 そう、お禄は勘兵衛とは全く付き合いがない。顔を合わせた回数も、せいぜい二度か三度くらいだろうか……あくまでも、噂しか聞いていないのだ。
 ただ、あの蛇次に対する態度には肝を冷やされた。両者の間に、どのような因縁があるのかは知らない。しかし、蛇次に向かいあんな口を利いたら、確実にただではすまないのだ。

「それとお禄さん、あの蛇次の話だが、どうするんだい?」

「ほっとくさ」

「ほっとく?」

 思わず聞き返す蘭二に、お禄は頷いた。

「いいかい、あたしらみたいな小さい所が蛇次に目を付けられてみなよ、ろくな事にならないよ。けどね、蛇次が他の連中と揉めてる限り、こっちは安全って訳さ。勘兵衛はほっとくよ。どっちが潰れようが、あたしらには痛くも痒くもない」

「なるほどね。さすがは元締だ」

 感心したような表情で、蘭二は頷いた。お禄の方は、思わず苦笑する。

「何が元締だよ。からかうんじゃない」



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