必滅・仕上屋稼業

板倉恭司

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さよならだけが、人生です(一)

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 江戸の片隅にある剣呑横町。
 この周辺には、怪しげな素性の者が数多く住んでいる。やくざ者や島帰り、得体の知れない物を売りさばいている商人などなど。さながら、江戸の魔窟といったところか。
 そんな場所を、壱助は杖を突きながら歩いていた。最近、たまにつるむようになった権太も、今日はどこかに出かけている。女でも買いに行ったのか、あるいは武術の稽古でもしているのか。
 権太には、妙な性質がある。人前で、努力している姿を見せようとはしないのだ。仕上屋の中でも、権太は肉弾戦において最強だろう。その強さを維持するには、相当の鍛練が必要なはず。だが、彼が鍛練をしている姿は見たことがない。陰では、相当鍛えているはずなのだが、そんな話をしたことはない。また、本人も語ろうとはしない。
 あの年頃ならば、自分の腕前をもっと吹聴してもおかしくないのだが。
 そんな事を考えつつ、歩いている時だった。

「おい! 待ちやがれ!」

 突然、前から聞こえてきた罵声。壱助が薄目で見てみると、若い女がこちらに走ってくる。さらに、それを追いかける男たちの姿も。
 壱助は、さりげなく道の端に避ける。こんな所で、余計な揉め事に関われる立場ではないのだ。下手にしゃしゃり出て、役人に目を付けられることになったら後が面倒である。
 裏の世界に生きる者の鉄則のひとつが、余計な事には関わらない……ということなのだ。

 やがて若い女は、男たちに捕らえられた。手足を捕まれ、力ずくで引っ立てられて行く。

「おい、もう逃げるんじゃねえぞ! 今度また逃げたら、ただじゃ済まねえからな! この清吉せいきちさまを、なめるんじゃねえ!」

 喚く声を聞き、壱助は、そっと薄目で声の主を見る。
 若い女を引っ立てていくごろつきたち。そんな彼らに指示をしているのは、凶暴そうな顔つきの男だ。まだ若いが、ごろつきたちから一目置かれているらしい。女の腹を殴り、無理やり引きずって行くその姿には、不快な印象しかない。もっとも壱助とて、人さまに誇れるような生き方をしてきたわけではないが。



 住家にしている廃寺に戻ると、壱助は今しがた見た光景を話した。

「へえ、そんなことがあったのかい」

 廃寺にて仔猫を撫でながら、お美代は言葉を返す。

「ああ、困ったもんだぜ。この辺りも、すっかり物騒になってきやがった。俺も、用心棒でも雇った方がいいかもな」

 言いながら、壱助は首を回す。今日は妙に疲れた。ひとりであちこち行くのも、そろそろ限界かもしれない。

「はあ!? 用心棒!?」

 素っ頓狂な声を出したお美代に、壱助は苦笑した。

「ああ、そうさ。知り合いにひとり、暇そうな男がいる。そいつに頼むことにするよ」

「そいつ、信用できるのかい?」

 疑わしげな表情のお美代に、壱助は首を捻る。

「そいつは無愛想で口も悪いが、一応は信用できそうだ。口も堅いしな」

「そうかい。まあ、あんたが決めることだからね」

 そう言うと、お美代は火縄銃の点検を始める。父親代わりの猟師が愛用していた形見の銃だ。手製の竹筒などを使うより、その火縄銃を使った方が手っ取り早く仕留められるはずだが、彼女はそれを仕事に用いようとはしなかった。

「これは、おとっつぁんの大事な形見さ。これを使うのは……誰かを救う時だけだよ。人殺しには、使いたくないね」

 お美代は、そう言っている。
 彼女の竹筒は、射程距離が二間(約三・六メートル)以内であり、しかも一発撃てば銃身が破裂してしまう。あまりにも不利な条件ではある。しかし、お美代は竹筒での殺しにこだわっていた。
 壱助は時おり、不安になる。お美代は腕はいい。度胸もある。さらに根性もある……恐らく、自分などよりずっと。
 だが、そのこだわり故に身を滅ぼすことにならないだろうか。

「すまないね。あたしが外に出られれば、何の問題もないのに」

 不意に、お美代が呟くように言った。

「なあに、大したことねえよ」

 ・・・

 泥棒市は、今日も大盛況だった。



 江戸の下町の片隅で、ひっそりと開かれている泥棒市。あちこちから怪しげな商品が集められ、屋台で売られているのだ。もっとも、その大半が盗品である。
 同心の渡辺正太郎は、その泥棒市をうろつき、屋台を一軒ずつ見回っていた。とは言っても、盗品を回収したり悪事を取り締まるためではない。小悪党どもから、ちょっとした小遣いをせしめることだけに血道をあげていたのだ。
 あちこちの屋台を回り、袖の下をきっちり集め、にんまりしている。だが彼の視界に、ある人物が入った。
 その途端、渡辺の目がすうっと細くなる。十手を抜き、彼は静かに近づいて行った。



 その頃、権太もまた泥棒市を見て回っていた。もっとも、彼の場合は冷やかしに来ただけである。今は特に、買いたい物もない。単なる暇潰しのつもりだった。
 彼は懐から胡桃を取り出し、殻を握り潰す。そして実を口の中に放り込んだ。
 その時、いきなり声をかけられた。

「おい、そこのでかいの。ちょいと待ってくれねえか」

 その声に、すっと振り向いた。だが、彼の顔は一瞬で歪む。
 同心がひとり、十手を弄びながら立っていたのだ。端正な顔立ちにとぼけた表情を浮かべ、やる気のなさそうな態度で立っている。この同心は、街で見かけた覚えがある。もっとも、名前は知らない。
 いや、こんな奴の名前などどうでもいい。権太は不機嫌そうな表情で、同心を見つめる。

「お役人さま、俺に何か用ですか?」

「いや、用ってほどのものでもないんだがな。ところで、おめえの力は凄いなあ」

 言いながら、同心は手を伸ばした。権太の太い腕を掴み、目を丸くする。

「おいおい、この腕は凄いな。丸太みてえだよ。それに、胡桃の殻を軽々と握り潰すなんざ、誰にでも出来ることじゃねえぜ」

「いや、大したことじゃありませんよ。じゃあ、忙しいんで失礼します」

 そう言うと、立ち去ろうとする権太。しかし、同心は逃がしてくれなかった。素早く動き、彼の前に立ち進路を塞ぐ。

「そんなに嫌わないでくれよ。俺の名は、渡辺正太郎だ。南町奉行所の、見回り同心だよ。よろしくな」

「そうですか。わかりました。では、忙しいのでこの辺で」

 権太の口調は丁寧だが、態度はぞんざいである。渡辺のことを見ようともせず、ペこりと頭を下げ去って行く。ひとり残された渡辺は、その後ろ姿をじっと見つめる。

「やれやれ、随分と嫌われちまったなあ。さて、お前さんはいったい何者なんだろうね。まあ、おおよその見当はついてるが」




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