化け猫のミーコ

板倉恭司

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ゾロという名の猫(3)

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 黒猫のその言葉を聞いたとたん、僕の中に疑問が湧いてきた。

 ゾロを知ってるのか? 
 こんな奴のためにって、どういうことだ?

「あの、それはどういうことです? あなたは、ゾロを知ってるんですか?」

 その問いに、ミーコは大きなため息を吐いた。

「思った通りだニャ。やっぱり、お前は気づいてなかったようだニャ」

「えっ? なっ、何をですか?」

 思わず聞き返していた。言っている意味がわからない。何を気づいていなかったと言うのだろう?
 するとミーコは、こちらをじっと見つめた。

「あいつは……ゾロは毎日、あたしの所に来ていたんだニャ。お前のためにニャ」

 その時、僕は驚きのあまり言葉が出てこなかった。

 何だよ、それ。
 どういうこと?

 驚愕の表情を浮かべ、あんぐりと口を開けていた僕。さぞかし間抜けな表情だったろう。
 一方、ミーコは黙ったまま僕をじっと見つめている。その瞳からは、哀れみと同時に微かな怒りのようなものも感じられた。
 少しの間を置いて、静かな口調で語り始める。

「もう、十年以上前の話だニャ。ゾロは、妖怪に悩まされているお前のことを、とても心配していたのニャ。そこで、あちこちの妖怪の所を回り、お前の前に姿を現さないよう頼んでいたんだニャ」

 衝撃のあまり、崩れ落ちそうになった。かろうじて耐えたものの、何も言えぬまま、その場に立ち尽くす──
 そんな僕の前で、ミーコはなおも語り続ける。

「もちろん、妖怪があんな猫の頼みなんか聞く訳は無いのニャ。うるせえ! と一喝されて引き上げるパターンがほとんどだったそうだニャ。ひどい時には、食われそうになったこともあったらしいのニャ」

 その時、ミーコの口から奇妙な音がした。人間が、プッと笑った時のような音だ。おかしくて笑ったのか、あるいは昔を懐かしんで笑ったのか、僕にはわからない。
 ひとつ確かなのは、僕には少しも笑えなかったことだけだ。

「そんなゾロの姿を見て、哀れに思った一匹の野良猫がいたのニャ。その野良猫が、ゾロをあたしの前に連れてきたニャ。ゾロの奴、必死になって頼んできた……他の妖怪が、お前を困らせないようにしてくださいってニャ。面倒くさいから、最初は追っ払ったけどニャ」

 その時になって、僕はようやく言葉を発することが出来るようになった。

「そんな……僕は、全然知らなかった……」

「まあ、知らないのは仕方ないニャ。けど、ひとつだけ知っておいてもらいたいことがあるニャ。ゾロはめげることなく、それから毎日あたしの前にやって来たのニャ。お供え物として、捕まえた鼠や虫や小鳥なんかを咥えてニャ。全ては、お前のためだニャ」

 ミーコの口調は、淡々としていた。だが、僕の心を静かに抉っていく。それは、殴られるより遥かに辛いものだった。
 そんな僕に向かい、ミーコは静かに語る。

「そこまでされたら、あたしも三百年生きてきた化け猫として、動かない訳にはいかないのニャ。あいつに、力を授けてやったニャ。この町の妖怪どもと、互角に戦えるくらいの妖力だニャ。野良猫たちの話では、あいつは強い妖怪にも必死で立ち向かっていったそうだニャ。その結果、何が起きたかはわかるニャ」

 信じられない話だった。だが、嘘でないことはわかっている。目の前にいる化け猫は、人間のようにつまらない嘘をつくような卑小な存在ではない。生きてきた年数が二百年なのか三百年なのかは不明だが、この妖怪にとっては、そんな細かい数字など取るに足らないことなのだ。僕は、ただただ途方に暮れていた。
 そんな僕の態度などお構いなしに、ミーコは語り続ける。

「それからも、ゾロはやって来たニャ。あたしの所に、獲物を供えるためだニャ。野良猫たちの話では、いつも必死で狩りをしていたらしいのニャ。お前を守るために家の周りをパトロールし、妖怪どもと戦い、どうにかこうにか追っ払う合間にニャ」

 その時、僕は我慢できなくなる。ミーコを睨みつけ、口を開いた。

「なんで……なんで、もっと早く教えてくれなかったんですか!」

 尋ねる……というより、叫んでいた。すると、ミーコは奇妙な目つきでこちらを見つめる。黒猫の目には、それまでと違う感情が浮かんでいた。

「ゾロに止められてたからだニャ」

「そんな!? どうしてゾロは──」

「それは、自分で考えろニャ」

「えっ……」

 それ以上、何も言えなかった。言える訳がないのだ。ミーコの言葉は正しい。
 僕は、ゾロのことなど見ていなかったのだから。
 自分の抱えている悩みで、手一杯だったから。

「ゾロは、いつも言ってたんだニャ。仔猫の時、いきなり神社の草むらで親猫とはぐれて……とても寂しくて悲しくて怖かった、とニャ。でも、お前が家に連れ帰って、美味しいご飯をお腹いっぱい食べさせてくれた。本当に嬉しかった、とも言っていたのニャ」

 ミーコは、懐かしそうに空を見上げた。その顔には、微かに表情らしきものが浮かんでいるように見える。黒猫は言葉を続けた。

「ゾロは昨日も、あたしの前に顔を出したのニャ。お前を守ってやってくれと……最後の力を振り絞って、言いに来たんだニャ」

 そう言った後、不意にミーコは言葉を止めた。真剣な眼差しで、じっと僕を見つめる。

「ゾロは、妖怪どもとずっと戦い続けていたのニャ。しかも、一日も欠かさず、あたしの所に来ていたニャ。本当に、凄い奴だったニャ。あたしはあいつに、敬意のようなものすら感じていたのに。だから、ゾロの最期の頼みは聞くつもりニャ。これからは、あたしがお前を守ってやるニャ」

 だが、僕はミーコのことなど見ていなかった。黒猫がその後に言った言葉も聞いていなかった。
 心の中から湧き出てくる感情……それを押さえつけることは、もはや不可能だったから。

「ゾロ……」

 ゾロは、ずっと戦ってくれていたのだ。まさに怪傑ゾロのように。
 誰に知られることもなく、知られることもよしとせず、たった一匹で戦い続けてくれていた。
 ただ、僕のためだけに。

「僕は、なんてバカだったんだ」

 呟きながら、立ち上がっていた。
 そう、僕はバカだった。よく考えれば、わかったことではないのか……ゾロが外を出歩くようになってからしばらくして、妖怪が現れなくなったことに。
 だが、気づいてあげられなかった。たったひとり、いや一匹で僕のために戦い続けていたゾロ。老いた体に鞭打ち、へとへとになるまで妖怪どもと戦い、ミーコに貢ぎ物を捧げていたのだ。
 妖怪たちを、僕に近づけさせないためだけに。
 僕が、普通の人間として生きていけるように。
 なのに僕は、ゾロをどうしようもないワガママな馬鹿猫だと思っていた。きままに外を遊び歩き、餌を食べる時だけ帰って来る奴だと。
 こちらが何をしようが、完全に無視していたゾロ。だが、それは当然だった。戦いと狩りで疲れきっていたゾロは、僕の相手など出来るはずも無いのだから。
 挙げ句、僕は──

「どうして、気付かなかったんだ」

 もう一度、呟くように言った。その時、予想もしなかったことが起きる。
 目から、大粒の涙が溢れ出していたのだ。

「ごめんよ、ゾロ……」

 そんな言葉を吐きながら、僕は涙を流していた。そして次の瞬間、さらにみっともないことが起きる。
 僕は耐えきれなくなり、泣きながら地面に崩れ落ちていた。







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