化け猫のミーコ

板倉恭司

文字の大きさ
25 / 39

過去からの呼び声(1)

しおりを挟む
 僕が小学生の頃、両親は離婚した。



 あやふやな記憶ではあるが、小学生の時には、両親の会話はほとんど無かった気がする。僕の目の前で派手な喧嘩をするようなことはなかったが、二人の間には冷たい空気が漂っていたのは間違いない。
 やがて二人は離婚し、その際の話し合いにより、僕は母に引き取られることとなった。それから高校生になった今まで、父とは数えるほどしか会っていない。
 もっとも、今さら会いたいとも思わないが。父は、決して悪い人間ではない。むしろ友人として付き合えば、面白い人間だったのだろう。だが、親としての資質には欠けていた。責任感というものがまるでなく、どこか夢の世界で生きているような雰囲気を漂わせていた。
 何せ最後に会った時、父はこんなことを言っていたのだ。

「俺はまだ終わっちゃいねえ。これから、一発でっかい花火を打ち上げてやるからよ」

 僕は苦笑するしかなかった。こんな夢想家の男が家庭を持っても、上手くいくはずがない。



 あれは、十年近く前のことだ。まだ両親の間に、愛という感情が、ほんの僅かでも存在していた頃の話である。
 僕ら家族は、滝川村という山奥の集落へと行った。表向きの理由は家族旅行であったが、今にして思えば何か別の目的もあったのかもしれない。滝川村には、父の遠い親戚が住んでいたのだから。
 ひょっとしたら、金の無心のために来たのかもしれない。何せ、父という男は当時から自由人だったから。

 だが、そんな大人の事情など、幼い子供に分かるはずもない。自然に囲まれた滝川村は、当時の僕にとって楽しい遊び場だった。野山を探検し、川の魚や蟹などの動きを見たり、虫の声に耳をすませたりした。
 そんな中、僕は彼女に出会った──



「あんた、誰?」

 田んぼに囲まれた田舎道を歩いていた時、不意に背後から聞こえてきた声。振り返ると、そこには小さな子が立っていた。短く刈られた髪、白いタンクトップと半ズボン姿だ。僕より背は小さく、大きな目でこちらを真っ直ぐ見ている。
 僕は首を傾げる。地元の少年だろうか。

「えっ……いや、誰と言われても……」

 僕が答えに窮していると、その子はつかつか近づいて来た。

「あたし、宮内穂香ミヤウチ ホノカ。あんた、名前は?」

 穂香、ということは女の子だったのか。髪は短いし、男の子のような雰囲気だ。でも近くでよく見ると、その顔立ちには女の子らしさもある。

「ぼ、僕は、た、高山和義タカヤマ カズヨシだよ」

 僕はつっかえながら答えた。もともと人見知りであり、活発な方ではない。女の子と一対一で話すこともなかった。なのに、初対面の女の子に親しげに話しかけられるとは……僕は戸惑っていた。ひょっとしたら、この時の僕は赤面していたかもしれない。
 だが、穂香は僕の事情など関係ないようだ。こちらを真っ直ぐ見つめながら、なおも聞いてくる。

「カズヨシ……じゃあ、カズくんだね。カズくんは、引っ越してきたの?」

「い、いや、旅行で来たんだよ」

「ふうん、旅行なんだ」

 そう言うと、穂香は下を向いた。心なしか、がっかりしているようにも見える。
 だが、すぐに顔を上げた。

「一緒に遊ぼ。あっちに、不思議な野良猫がいたんだよ」

「不思議な野良猫?」

「うん。真っ黒で、尻尾が二本生えてたんだよ。一緒に探そう」

 言うと同時に、穂香は僕の手を掴み引っ張っていく。その強引な態度に、僕はされるがままになっていた。



 後になって分かったことだが、当時の滝川村は既に限界集落寸前の状態であった。そのため、穂香と同じ年頃の小学生は全くいなかった。彼女はたったひとりで、学校に通い授業を受けていたのである。
 そんな穂香にとって、村で初めて見かけた同年代の少年の僕……ひょっとしたら同級生になるのかもしれない、という淡い期待を抱いたのではないだろうか。
 村を出たことのない彼女にとって、同年代の友だちとは、テレビの中でしか観たことがないものだったのだ。当時の穂香にとって、僕の存在は特別なものだった……これは、単なる自惚れや独りよがりの思い込みではないはずだ。
 僕にとっても、穂香の存在は特別だった。ぱっとしない風貌で引っ込み思案、友だちの少ない少年であった僕にとっては、穂香は初めて触れ合った異性の友人である。彼女の強引なペースに抗えぬまま、行動を共にしていた。



 翌日から僕は、穂香と毎日遊ぶようになった。
 穂香は昼ごろになると、うちに呼びに来た。そして僕たちは、一緒に滝川村の周辺を探検する。野山を歩き、川で魚やザリガニを獲った。穂香はザリガニ獲りが上手く、僕は感心していた。

「穂香ちゃんは、本当に凄いんだね!」

 僕がそう言うと、穂香は得意気に胸を張る。その姿は、本当に可愛かった。

 また別の日には、二人で山に登った。とはいっても、少し高い丘の上といった程度のものだが。
 そんな山の上で一緒に弁当を食べ、いろんなことを話した。都会のこと、田舎の生活、好きな遊び、面白いテレビ番組などなど……穂香は楽しそうに話し、大きな声で笑う。穂香が笑うと、僕は幸せな気分になった。
 あの頃のことを思い出すと、僕は形容の出来ない想いに襲われる。僕の初恋はと問われれば、それは紛れもなくこの時だ、と答える。穂香と遊んでいる時間は、僕にとってかけがえのないものだった。



 もっとも、楽しい時間というのは、あっという間に過ぎてしまう。やがて夏休みが終わり、僕たちは東京に帰ることとなった。

「そう、帰るんだ」

 穂香は、とても悲しそうな表情であった。もっとも、悲しいのは僕も同じである。彼女とは、離れたくなかった。穂香と僕の、二人だけの世界。それは、あまりにも美しくかけがえのないものだった。

「僕、また来るから! 来年の夏休みに、また来るからね!」

 最高に恥ずかしいことが起きた。この時、僕は泣き出していたのだ……。
 それは、単なるお別れではない。僕と穂香が築き上げてきた、二人だけの世界。だが、夏の終わりと共に崩壊してしまうのだ。その後の僕に待っているのは、いつもと同じ灰色の世界。退屈きわまりない学校生活が待っている。
 その事実が、たまらなく悲しかった。僕は嗚咽を洩らしながら、その場に立ち尽くしていた。

 だが、穂香は泣かなかった。にっこり笑って、僕の手を握る。

「また、遊びに来てね」

「絶対……絶対に遊びに来るからね!」



 しかし、僕と穂香は再会できなかった。
 その後、父と母の仲は急速に悪くなる。はっきりとは覚えていないが、父の浮気が発覚したのが、それからすぐのことだったように思う。
 やがて父と母は離婚し、僕は母の家に引き取られる。そうなると、滝川村に行くことなど出来ない。父方の親戚の家に泊めてもらっていたのに、その親戚との縁が切れてしまったのだから。



 僕は、穂香との約束を忘れてはいなかった。しかし、滝川村は幼い少年がひとりで行けるような場所ではない。やがて月日が流れていき、いつしか僕の中で、穂香の存在は遠いものになっていた。
 彼女のことは、今も忘れられない……だが、思い出すこともなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...