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幸せの形(2)
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「け、恵子さん! 行かせていいんですか!? あいつ、ショック受けてたんじゃないですか! もし、これが原因でグレちまったら、俺は……俺はどうすればいいんですか!」
叫びながら、でかい図体で忙しなく動き回る龍平。こいつはバカなんだけど、妙に心配性なところがある。
「大丈夫。あの子のことは、あたしが一番よく知ってるから。このくらいで、ショック受けるほどヤワじゃないよ」
そう、あの時に比べれば……こんなのは、何でもない。
「だ、だけど……俺、心配です!」
龍平の暑苦しい顔が、ぐいと近づいて来る。あたしは、その頭を軽く叩いた。
「わかったから、ちょっと落ち着きなさい」
言いながら、昔のことを思い出していた。
たった二人の家族にとって、地獄の日々を──
・・・
健一には、暗い過去がある。本人は、もう二度と思い出したくないだろう。
あれは、この町に来る前のことだった。まだ、あの子が小学校に通っていた時の話である。
明るく朗らかな子だった健一。だが、あの子はいじめに遭っていたのだ。いじめが始まったのは、あたしがゲイバーに勤め出した頃からだった、らしい。
もっとも、それらしき兆候はあった。まず口数が少なくなり、笑顔を見せなくなった。傍から見ても、はっきりわかるくらいに。
さらに、顔の肉が落ちてきた。食事の量も減った。おかしいな、とは思っていたが、当時は仕事の方を優先していたのだ。ゲイバー勤めなど、初めてのことである。あの時は、本当に無我夢中だった。結果として、息子のことは蔑ろになる。
気づけたはずなのに、気づけなかった……親としての罪に対する罰は、最悪の形でやってくる。
五年前のことだった。突然、家に電話がかかってきた。誰かと思ったら、なんと警察官だったのである。
(すみません、お宅の息子さんを交番で保護しているのですが)
あたしも昔、警察には何度も補導されている。そのため、相手が警官だと知った瞬間、健一が何か悪さをして捕まったのだ、と早合点してしまった。
「ご迷惑おかけして、本当にすみません! あの子には、私の方からもよく言っておきますので……」
そこまで言った時、受話器の向こうから溜息が聞こえた。
(何か、勘違いをされているようですね。よく聞いてください、健一くんは被害者です。河原の草むらで、裸で震えていたところを保護しました。体に打撲傷があり、火傷の痕も二箇所あります──)
その瞬間、目の前が真っ暗になった。腰が抜けそうになりながらも、かろうじて受話器を落とさず話を続けていた。
電話をかけてきた警官の話によると、健一へのいじめは日常茶飯事であり、学校の近所で大勢の人に目撃されていた。今回は、通りかかった人が通報してくれたのだという。
大勢の人が、健一へのいじめを知っていた。教師も、知っていた可能性がある。にもかかわらず、放置していたようなのだ。
しかも、親のあたしには、誰も教えてくれなかった。
そこからは、断片的にしか覚えていない。
はっきり覚えているのは、健一を連れ家に帰った時のことだ。あたしは、努めて明るい声を出した。
「健一、お腹すいてない? 何か食べる?」
だが、健一は無言のまま部屋へと向かう。その後ろ姿を見た時、ついにブチ切れてしまった。息子の肩を掴み、無理やり引き寄せた。
「なんで、言ってくれなかったんだよ!?」
怒鳴ったが、健一は無視している。目を合わせようともしない。
あたしは、健一の襟首を掴んだ。
「なんで相談してくれなかったんだ! あたしは、そんなに頼りない親か! なんとか言え!」
その時、健一が笑った。小学生らしからぬ、歪んだ笑みだった。その目には、はっきりとした憎しみがある。
あたしは、思わず怯んでいた。それ以上は何も言えず、呆然と息子の顔を見ていた。
すると、健一が口を開いた。その口から、一生忘れられない言葉が出る。
「原因を作ったのは、あんただよ」
ようやく、全てを理解した。この子がいじめられていた理由は、全部あたしにあったのだ。
だが健一は、黙っていじめに耐え続けていた……あたしを傷つけないために。
結果、この子の心は限界を迎えてしまった──
健一は、学校に行かなくなった。あたしとも、口をきかなくなった。部屋に閉じこもりきりになり、顔を見ることもなくなった。
あたしは、心を決めた。
ここは、誰がどこで働いているか、簡単にわかってしまうような田舎町だ。しかも、昔の価値観が色濃く残っている保守的な地域でもある。そんな小さな世界にこだわり、ズルズル居続けたら、健一の心が回復不能なまでに壊れてしまう。新しい場所で、もう一度やり直すのだ。
引っ越した先で、中学生になった健一。なんとか部屋を出て、登校できるようにはなった。だが、昔とは完全に別人になっていた。おとおどした態度で学校に行き、授業が終わると真っすぐ家に帰る。部屋に篭り、あたしとは一言も口もきかない。朝食には、いっさい手を付けない。夕食は引きこもっていた時と同じく、お盆に乗せて部屋の前に置く。そんな生活が、ずっと続いていた。
この地獄は、いつまで続くのだろうか。当時は、ひとり涙をこぼす日々を送っていた。
ところが、ある日を境に状況は変わる──
あたしは、困惑していた。
帰宅した健一の隣に、とんでもない奴が気をつけの姿勢で立っている。背は高くがっちりした体格で、眉毛は太く顔は濃い。昭和の、スポ根劇画に出て来そうな顔立ちだ。髪は短いが、全体的にとても暑苦しい印象である。一応、健一と同じ制服を着てはいるが、とても中学生には見えない。三十歳と言われても、違和感なく受け入れられる。
なんだ、この怪人は? などと思っていると、健一が口を開いた。
「あ、あの、こちら、同級生の鈴本龍平……くん」
つっかえながらも紹介する。おいおい、同級生ってことは中一かい。こんなフケた中一がいるのか? という衝撃を感じていたはずだったろう、普段ならば。
だが今は、そんなことに衝撃を受けている場合ではなかった。健一の声を、久しぶりに聞けたのだ。しかも、向こうから話しかけてきてくれた……あたしは、その場で思わず泣きそうになった。
だが、その感動は一瞬で消し飛ぶ──
「は、はい! ぼ、ぼきは健一くんの心の友である鈴本龍平なのであります!」
何を言ってるんだ、このバカは。ぼきって何だよ……とドン引きしていると、健一がおずおずと口を挟んできた。
「あのう、話したの、今日が始めてだよね。心の友は、ちょっと大袈裟なんじゃないかと思うよ」
「おお、言われてみれば。それもそうだな!」
ぐはははは、と龍平は笑った。本当にバカな子だ、と呆れてしまう。
だが、そんなバカな子の隣でクスクス笑っている健一の姿は、あたしの心を暖かくしてくれた。
それでも、微かな不安はある。あの龍平とかいう少年は、はっきり言ってでかい。確実に、健一より腕力はあるだろう。その腕力が健一に向けられ、挙げ句にいじめに発展するのでは……やはり、落ち着かない。
我慢できなくなったあたしは、お菓子を乗せたお盆を持ち、そっと部屋まで行く。ドアの前に立ち、そっと耳をすませた。
すると、中から妙な声が聞こえた。さらに、鼻をすするような音も。
これは、泣き声か!?
もしかして、健一が泣かされているのか!?
「ちょっと! 何してんだ!」
あたしは、すぐにドアを開け入っていった。ところが、そこには予想外の光景があった。
「うっうっ、泣けるぜ。ミーコ、お前はなんていい奴なんだよ……」
泣いているのは、龍平の方だった。テレビを観ながら、いかつい顔から大粒の涙と鼻水を流しているのだ。その横では、健一が困り果てた顔で座っていた。どうにか慰めようとしている。
「な、泣かないでよ龍平くん」
「だってよお、ミーコは本当にいい奴じゃねえか。人間のためにエイリアンと戦ったのに、最後は人間に石投げられてんだぜ。こんなのありかよ。ひど過ぎるぜ」
あたしは、何が起きているのか必死で把握しようとした。龍平が何を言っているのかは全く理解できなかったが、彼が映画を観て泣いていることだけはわかった。
「わかったから、ね。ひとまず落ち着こう」
健一がなだめようとしているが、龍平はおさまらない。
「これが落ち着いていられるか。ひど過ぎるぜ。ああ、また悲しまれてきたぞ」
「悲しまれてきた、って、日本語としておかしいから……」
ふたりの奇妙なやり取りを見ながら、あたしはお盆を持ったまま固まっていた。
この子は、人として大丈夫なのだろうか。違う意味で、不安になった。
「なんか、とっても変わった子だね」
龍平が帰った後、あたしはそっと聞いてみた。すると健一は、ちょっと困ったような表情で頷いた。
「うん、凄く変わってる。でも、悪い奴じゃないよ」
「そうみたいだね」
クスリと笑った。確かに、悪さはしない……というか、不器用すぎて出来ないタイプに見える。そう言おうとした時、健一の表情が変わった。意を決した様子で、口を開く。
「母さん、今までごめんなさい」
初めて、母さんと呼んでくれた。しかも、謝ってくれた。
謝らなくてはならないのは、あたしの方なのに──
・・・
あれから、もう四年経ったのか。
本当に、苦しい時期だった。ゴールがどこかもわからない霧のたちこむ迷路を、二人でさ迷っていたのだ。
ところが、どこからともなく現れた龍平が、あたしたちをゴールまで導いてくれた。もちろん、それは意識したものではないだろう。でも、助けてくれたのは事実だ。
龍平は果てしないバカなのは間違いない。だけど無意識のうちに、周囲の人を幸せにしてしまう不思議な力がある──
そんなことを思っていた時、龍平が叫んだ。
「すいません! やっぱり俺、このままにしたくないです! あいつを連れ戻して来ます! 健一も入れて三人で、今後のことをきっちり話し合いたいんです!」
言ったかと思うと、止める間もなくドタドタ走って行く。
フウ、と溜息を吐いた。龍平は、本当に変わらない。こうと決めたら、一直線だ。
あの時も、そうだった──
・・・・
一年前のことだった。ちょうど夏休みに入ったばかりの頃である。
「あれ、龍平くん。どしたの?」
いきなりの来訪者に、あたしは戸惑っていた。
目の前には、龍平が立っている。でかい体に直立不動の姿勢だ。白いタンクトップに短パン姿という、裸の大将のごとき格好である。この子には、妙に似合っていた。ただし、暑苦しい雰囲気は相変わらずである。
恐らく、健一に会いに来たのだろう。だが、あの子は出かけている。しばらく帰って来ないはずなのだ。
「あのね、健一は今いないんだけど」
「いえ、今日は恵子さんに話があるんです」
その声は、少し震えていた。おかしいと思いながらも、家の中に招き入れる。ひょっとしたら、健一の話かもしれないのだ。
「あたしに話って、何?」
言いながら振り返った。すると、龍平が直立不動の姿勢で立っている。お前は軍人か、と突っ込みたくなる。
それにしても、いったい何用だろう……と思っていると、彼が深々と頭を下げる。
直後、とんでもない言葉が飛んできた──
「恵子さん! 俺は……初めてお会いした時から、あなたのことが好きでした! 心から愛しています!」
はい?
もしかして、この軍人少年に告白されてんの?
あまりにも突然のことに、何も言えず目をパチクリさせるしかなかった。もしかして、罰ゲームか何かだろうか、と彼の顔をまじまじと見る。だが、そんな気配はない。おいおい、本気なのかよ……頭がくらくらしてきた。めまいすら感じる。
そんな、ダウン寸前のボクサーみたいな状態のあたしに向かい、龍平は更なる攻撃を仕掛けて来る。
「いきなり付き合って欲しい、などと大それたことは言いません! せ、せめてお友達から始めて欲しいのであります! お願いします!」
言いながら、怖い顔でずんずん近づいて来る。あたしは、思わず両手を前に出していた。
「近い! それ以上近づいたら、怒るよ! 本気で怒るからね!」
「は! すいません!」
龍平は、ピタリと停止した。何と素直な子なのだろう。こんな状況にもかかわらず、プッと吹きだしそうになる。だが、必死で堪えた。
そう、笑っている場合ではない。はっきり言って、非常に困った事態なのだ。思春期の少年の心を傷つけずに告白を断るには、どうすればいいのだろうか。
いや、待てよ……縮こまる龍平を見ながら、心の中で姑息な計算をしていた。先ほどの反応を見てわかる通り、この子は素直だ。しかも、バカだから扱いやすい。その上、健一の親友でもある。ここできっぱり断ったら、ふたりの関係が壊れてしまうかもしれないのだ。
健一の友人兼ボディーガードをしてもらう代わりに、お友達のふりをするくらい何でもない。
「いいよ。友達でいいならね」
あの時は、健一のために……という思いだけだった。
でも、今は違う。
叫びながら、でかい図体で忙しなく動き回る龍平。こいつはバカなんだけど、妙に心配性なところがある。
「大丈夫。あの子のことは、あたしが一番よく知ってるから。このくらいで、ショック受けるほどヤワじゃないよ」
そう、あの時に比べれば……こんなのは、何でもない。
「だ、だけど……俺、心配です!」
龍平の暑苦しい顔が、ぐいと近づいて来る。あたしは、その頭を軽く叩いた。
「わかったから、ちょっと落ち着きなさい」
言いながら、昔のことを思い出していた。
たった二人の家族にとって、地獄の日々を──
・・・
健一には、暗い過去がある。本人は、もう二度と思い出したくないだろう。
あれは、この町に来る前のことだった。まだ、あの子が小学校に通っていた時の話である。
明るく朗らかな子だった健一。だが、あの子はいじめに遭っていたのだ。いじめが始まったのは、あたしがゲイバーに勤め出した頃からだった、らしい。
もっとも、それらしき兆候はあった。まず口数が少なくなり、笑顔を見せなくなった。傍から見ても、はっきりわかるくらいに。
さらに、顔の肉が落ちてきた。食事の量も減った。おかしいな、とは思っていたが、当時は仕事の方を優先していたのだ。ゲイバー勤めなど、初めてのことである。あの時は、本当に無我夢中だった。結果として、息子のことは蔑ろになる。
気づけたはずなのに、気づけなかった……親としての罪に対する罰は、最悪の形でやってくる。
五年前のことだった。突然、家に電話がかかってきた。誰かと思ったら、なんと警察官だったのである。
(すみません、お宅の息子さんを交番で保護しているのですが)
あたしも昔、警察には何度も補導されている。そのため、相手が警官だと知った瞬間、健一が何か悪さをして捕まったのだ、と早合点してしまった。
「ご迷惑おかけして、本当にすみません! あの子には、私の方からもよく言っておきますので……」
そこまで言った時、受話器の向こうから溜息が聞こえた。
(何か、勘違いをされているようですね。よく聞いてください、健一くんは被害者です。河原の草むらで、裸で震えていたところを保護しました。体に打撲傷があり、火傷の痕も二箇所あります──)
その瞬間、目の前が真っ暗になった。腰が抜けそうになりながらも、かろうじて受話器を落とさず話を続けていた。
電話をかけてきた警官の話によると、健一へのいじめは日常茶飯事であり、学校の近所で大勢の人に目撃されていた。今回は、通りかかった人が通報してくれたのだという。
大勢の人が、健一へのいじめを知っていた。教師も、知っていた可能性がある。にもかかわらず、放置していたようなのだ。
しかも、親のあたしには、誰も教えてくれなかった。
そこからは、断片的にしか覚えていない。
はっきり覚えているのは、健一を連れ家に帰った時のことだ。あたしは、努めて明るい声を出した。
「健一、お腹すいてない? 何か食べる?」
だが、健一は無言のまま部屋へと向かう。その後ろ姿を見た時、ついにブチ切れてしまった。息子の肩を掴み、無理やり引き寄せた。
「なんで、言ってくれなかったんだよ!?」
怒鳴ったが、健一は無視している。目を合わせようともしない。
あたしは、健一の襟首を掴んだ。
「なんで相談してくれなかったんだ! あたしは、そんなに頼りない親か! なんとか言え!」
その時、健一が笑った。小学生らしからぬ、歪んだ笑みだった。その目には、はっきりとした憎しみがある。
あたしは、思わず怯んでいた。それ以上は何も言えず、呆然と息子の顔を見ていた。
すると、健一が口を開いた。その口から、一生忘れられない言葉が出る。
「原因を作ったのは、あんただよ」
ようやく、全てを理解した。この子がいじめられていた理由は、全部あたしにあったのだ。
だが健一は、黙っていじめに耐え続けていた……あたしを傷つけないために。
結果、この子の心は限界を迎えてしまった──
健一は、学校に行かなくなった。あたしとも、口をきかなくなった。部屋に閉じこもりきりになり、顔を見ることもなくなった。
あたしは、心を決めた。
ここは、誰がどこで働いているか、簡単にわかってしまうような田舎町だ。しかも、昔の価値観が色濃く残っている保守的な地域でもある。そんな小さな世界にこだわり、ズルズル居続けたら、健一の心が回復不能なまでに壊れてしまう。新しい場所で、もう一度やり直すのだ。
引っ越した先で、中学生になった健一。なんとか部屋を出て、登校できるようにはなった。だが、昔とは完全に別人になっていた。おとおどした態度で学校に行き、授業が終わると真っすぐ家に帰る。部屋に篭り、あたしとは一言も口もきかない。朝食には、いっさい手を付けない。夕食は引きこもっていた時と同じく、お盆に乗せて部屋の前に置く。そんな生活が、ずっと続いていた。
この地獄は、いつまで続くのだろうか。当時は、ひとり涙をこぼす日々を送っていた。
ところが、ある日を境に状況は変わる──
あたしは、困惑していた。
帰宅した健一の隣に、とんでもない奴が気をつけの姿勢で立っている。背は高くがっちりした体格で、眉毛は太く顔は濃い。昭和の、スポ根劇画に出て来そうな顔立ちだ。髪は短いが、全体的にとても暑苦しい印象である。一応、健一と同じ制服を着てはいるが、とても中学生には見えない。三十歳と言われても、違和感なく受け入れられる。
なんだ、この怪人は? などと思っていると、健一が口を開いた。
「あ、あの、こちら、同級生の鈴本龍平……くん」
つっかえながらも紹介する。おいおい、同級生ってことは中一かい。こんなフケた中一がいるのか? という衝撃を感じていたはずだったろう、普段ならば。
だが今は、そんなことに衝撃を受けている場合ではなかった。健一の声を、久しぶりに聞けたのだ。しかも、向こうから話しかけてきてくれた……あたしは、その場で思わず泣きそうになった。
だが、その感動は一瞬で消し飛ぶ──
「は、はい! ぼ、ぼきは健一くんの心の友である鈴本龍平なのであります!」
何を言ってるんだ、このバカは。ぼきって何だよ……とドン引きしていると、健一がおずおずと口を挟んできた。
「あのう、話したの、今日が始めてだよね。心の友は、ちょっと大袈裟なんじゃないかと思うよ」
「おお、言われてみれば。それもそうだな!」
ぐはははは、と龍平は笑った。本当にバカな子だ、と呆れてしまう。
だが、そんなバカな子の隣でクスクス笑っている健一の姿は、あたしの心を暖かくしてくれた。
それでも、微かな不安はある。あの龍平とかいう少年は、はっきり言ってでかい。確実に、健一より腕力はあるだろう。その腕力が健一に向けられ、挙げ句にいじめに発展するのでは……やはり、落ち着かない。
我慢できなくなったあたしは、お菓子を乗せたお盆を持ち、そっと部屋まで行く。ドアの前に立ち、そっと耳をすませた。
すると、中から妙な声が聞こえた。さらに、鼻をすするような音も。
これは、泣き声か!?
もしかして、健一が泣かされているのか!?
「ちょっと! 何してんだ!」
あたしは、すぐにドアを開け入っていった。ところが、そこには予想外の光景があった。
「うっうっ、泣けるぜ。ミーコ、お前はなんていい奴なんだよ……」
泣いているのは、龍平の方だった。テレビを観ながら、いかつい顔から大粒の涙と鼻水を流しているのだ。その横では、健一が困り果てた顔で座っていた。どうにか慰めようとしている。
「な、泣かないでよ龍平くん」
「だってよお、ミーコは本当にいい奴じゃねえか。人間のためにエイリアンと戦ったのに、最後は人間に石投げられてんだぜ。こんなのありかよ。ひど過ぎるぜ」
あたしは、何が起きているのか必死で把握しようとした。龍平が何を言っているのかは全く理解できなかったが、彼が映画を観て泣いていることだけはわかった。
「わかったから、ね。ひとまず落ち着こう」
健一がなだめようとしているが、龍平はおさまらない。
「これが落ち着いていられるか。ひど過ぎるぜ。ああ、また悲しまれてきたぞ」
「悲しまれてきた、って、日本語としておかしいから……」
ふたりの奇妙なやり取りを見ながら、あたしはお盆を持ったまま固まっていた。
この子は、人として大丈夫なのだろうか。違う意味で、不安になった。
「なんか、とっても変わった子だね」
龍平が帰った後、あたしはそっと聞いてみた。すると健一は、ちょっと困ったような表情で頷いた。
「うん、凄く変わってる。でも、悪い奴じゃないよ」
「そうみたいだね」
クスリと笑った。確かに、悪さはしない……というか、不器用すぎて出来ないタイプに見える。そう言おうとした時、健一の表情が変わった。意を決した様子で、口を開く。
「母さん、今までごめんなさい」
初めて、母さんと呼んでくれた。しかも、謝ってくれた。
謝らなくてはならないのは、あたしの方なのに──
・・・
あれから、もう四年経ったのか。
本当に、苦しい時期だった。ゴールがどこかもわからない霧のたちこむ迷路を、二人でさ迷っていたのだ。
ところが、どこからともなく現れた龍平が、あたしたちをゴールまで導いてくれた。もちろん、それは意識したものではないだろう。でも、助けてくれたのは事実だ。
龍平は果てしないバカなのは間違いない。だけど無意識のうちに、周囲の人を幸せにしてしまう不思議な力がある──
そんなことを思っていた時、龍平が叫んだ。
「すいません! やっぱり俺、このままにしたくないです! あいつを連れ戻して来ます! 健一も入れて三人で、今後のことをきっちり話し合いたいんです!」
言ったかと思うと、止める間もなくドタドタ走って行く。
フウ、と溜息を吐いた。龍平は、本当に変わらない。こうと決めたら、一直線だ。
あの時も、そうだった──
・・・・
一年前のことだった。ちょうど夏休みに入ったばかりの頃である。
「あれ、龍平くん。どしたの?」
いきなりの来訪者に、あたしは戸惑っていた。
目の前には、龍平が立っている。でかい体に直立不動の姿勢だ。白いタンクトップに短パン姿という、裸の大将のごとき格好である。この子には、妙に似合っていた。ただし、暑苦しい雰囲気は相変わらずである。
恐らく、健一に会いに来たのだろう。だが、あの子は出かけている。しばらく帰って来ないはずなのだ。
「あのね、健一は今いないんだけど」
「いえ、今日は恵子さんに話があるんです」
その声は、少し震えていた。おかしいと思いながらも、家の中に招き入れる。ひょっとしたら、健一の話かもしれないのだ。
「あたしに話って、何?」
言いながら振り返った。すると、龍平が直立不動の姿勢で立っている。お前は軍人か、と突っ込みたくなる。
それにしても、いったい何用だろう……と思っていると、彼が深々と頭を下げる。
直後、とんでもない言葉が飛んできた──
「恵子さん! 俺は……初めてお会いした時から、あなたのことが好きでした! 心から愛しています!」
はい?
もしかして、この軍人少年に告白されてんの?
あまりにも突然のことに、何も言えず目をパチクリさせるしかなかった。もしかして、罰ゲームか何かだろうか、と彼の顔をまじまじと見る。だが、そんな気配はない。おいおい、本気なのかよ……頭がくらくらしてきた。めまいすら感じる。
そんな、ダウン寸前のボクサーみたいな状態のあたしに向かい、龍平は更なる攻撃を仕掛けて来る。
「いきなり付き合って欲しい、などと大それたことは言いません! せ、せめてお友達から始めて欲しいのであります! お願いします!」
言いながら、怖い顔でずんずん近づいて来る。あたしは、思わず両手を前に出していた。
「近い! それ以上近づいたら、怒るよ! 本気で怒るからね!」
「は! すいません!」
龍平は、ピタリと停止した。何と素直な子なのだろう。こんな状況にもかかわらず、プッと吹きだしそうになる。だが、必死で堪えた。
そう、笑っている場合ではない。はっきり言って、非常に困った事態なのだ。思春期の少年の心を傷つけずに告白を断るには、どうすればいいのだろうか。
いや、待てよ……縮こまる龍平を見ながら、心の中で姑息な計算をしていた。先ほどの反応を見てわかる通り、この子は素直だ。しかも、バカだから扱いやすい。その上、健一の親友でもある。ここできっぱり断ったら、ふたりの関係が壊れてしまうかもしれないのだ。
健一の友人兼ボディーガードをしてもらう代わりに、お友達のふりをするくらい何でもない。
「いいよ。友達でいいならね」
あの時は、健一のために……という思いだけだった。
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