化け猫のミーコ

板倉恭司

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私の名はゾロ、一応は猫である

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 私の名はゾロ、一応は猫である。
 今年で十六歳になる。猫としては、そこそこの老齢だ。最近は、目も霞むようになってきた。体を動かすのも辛い。日課としていたパトロールも、今では億劫おっくうになってきた。
 出来ることなら、何もせず部屋の隅で寝ていたい。だが、そういうわけにもいかないのだ。私は起き上がり、そっと部屋を出ていく。
 私の友である人間・安田智喜ヤスダ トモキは、まだ眠っている。日は高く昇っているというのに、しょうのない奴だ。
 こやつは今、ニートと呼ばれる状態であるらしい。何のことやらよくわからんが、人間の間ではあまり褒められた状態ではなさそうだ。
 この人間と出会わなければ、私の命はなかったのだろう。ふと、過去の記憶が蘇る──

 ・・・

 気がつくと、母猫の姿がなかった。
 神社と呼ばれる場所の草むらで、私は母猫や兄弟猫たちと一緒に散歩をしていた……はずだった。
 しかし、いつのまにか母猫たちは消えている。私は、たったひとりで草むらにいたのだ。
 
 怖い──

 広い草むらに、ひとりぼっち……それが、こんなに怖いものだとは思わなかった。私は、必死で鳴いた。声の限り鳴き、母を呼ぶ。だが、母は来ない。
 鳴きながら、あちこち歩いた。だが、誰もいない。それどころか、怖い音が周りから聞こえて来る。車のエンジン、鳥の羽ばたき、人の声などなど……当時の私には、それが何なのかわからない。ただただ恐怖に震え、その場にうずくまっていた。
 どのくらいの時間が経ったのだろうか。
 不意に、私の体は宙に浮いた。人間の手で、持ち上げられていたのだ。
 普段の私なら、必死で暴れていただろう。しかし、当時は飢えと渇きと疲れと寒さにより、体力がほとんど残っていなかった。したがって、その人間のなすがまま、私は知らない場所へと運ばれていたのである。
 それが、智喜との出会いだった。私は美味しいご飯をたらふく食べさせてもらい、暖かい場所で寝させてもらった。初めのうちは、不安で仕方なかったが、智喜の優しさが私の不安を徐々に消してくれた。



 私は、智喜のことが大好きだ。
 小さい時は、いつも一緒だった。智喜は学校から帰って来ると、すぐに私の体を撫でてくれたのだ。他の人間に撫でられるのは、不快で仕方ない。でも、智喜に撫でられると心地好い気分になる。彼の手からは、愛情を感じ取れた。
 私に、ゾロという名をつけたのも智喜だ。

「ゾロ、おいで。ご飯だよ」

 そんな風に呼ばれると、私はすぐに飛んでいった。そして、美味しいご飯をお腹いっぱい食べる。夜には、智喜の布団で寝る。あの頃は、本当に幸せであった。当時のことを思い出すだけで、私は丸一日しあわせな気分で過ごせる。



 ところが、その幸せは長く続かなかった。
 いつ頃からであろうか……智喜の周辺に、怪しげなものが現れるようになったのだ。そのものたちは、見たこともない異様な姿をしていた。カラスと人間を合成させたような生き物。カエルのような肌とカメのような甲羅を背負った生き物。人間に似ているが、首がヘビのように長く伸びる人間などなど……それが、妖怪と呼ばれるものであることを知ったのは、数年経った時のことだった。
 妖怪たちは、智喜の前に現れ様々ないたずらをしていた。どうやら、普通の人間に妖怪は見えないらしい。だが、智喜は妖怪を見ることが出来る。そのため、妖怪たちは面白がって智喜に悪さを仕掛けたのである。
 当時の私は、ただただ怯えることしか出来ない。幼い智喜が妖怪の襲来に恐怖し、泣きながら逃げ惑う姿を見ていたのだ。
 他の人間たちには、妖怪は見えない。したがって、智喜が怯えて逃げ惑う姿を見ても、なぜなのかはわからなかった。智喜が妖怪のことを訴えても、嘘を言っているとしか思われないのだ。
 いや、嘘だけならまだよかった。しまいには、頭のおかしな者と認定され病院に通うようになってしまったのである。
 智喜は変わってしまった。まだ小学生だというのに、頬はこけ目は落ちくぼむ。怯えた目で学校へ行き、学校が終わると医者の元に行かされる。妖怪たちは懲りもせず、智喜の前に現れては他愛もないいたずらをしていった。

 私は決意した。
 人間どもに、妖怪を見ることは不可能である。したがって、打てる手はない。ならば、私が頼むしかないのだ。
 私は外に出た。他の猫たちに聞き、妖怪に出会える場所を探す。妖怪に出会えたら、ひたすら頼み込む……智喜の前にあらわれないでくれ、と。
 ところが、妖怪どもは私の頼みを聞いてくれなかった。無視されるくらいなら、まだいい。中には、私を食おうとしたものまでいたのだ。あの時は必死で逃げた。町をあちこち走り回り、どうにか逃れられたのだ。
 そんな時、私の前に救世主が現れる──

「お前かニャ、この辺りで評判のバカ猫というのは」

 私に声をかけてきたのは、真っ黒い化け猫だった。毛並みは美しく、長い尻尾が二本生えている。妖怪であることは一目でわかった。それも、かなり上位の妖怪である。

「あなたも、智喜をいじめに来たのですか?」

 尋ねたとたん、黒猫は尻尾でびしゃりと地面を叩いた。

「あたしは、二百年生きてる化け猫さまだニャ! たかが人間ひとりのために、こんなところに来るか!」

 あまりの剣幕に、私は怯えて後ずさる。化け猫は、ふんと鼻を鳴らして毛繕いを始めた。
 私は、恐る恐る聞いてみた。

「では、どのような御用でしょうか?」

 その途端、化け猫は顔を上げた。ジロリと睨まれ、私は思わず目を逸らす。 
 その時、溜息が聞こえた。

「まったく、近頃は礼儀を知らない奴ばかりだニャ。この三百年前から生きてる化け猫ミーコさまが、わざわざ来てやったというのに……」

 三百年? 先ほどは二百年と言っていなかったか……などと思いつつも、私は謝ることにした。

「す、すみません」

 すると、ミーコと名乗った化け猫は向きを変える。そのまま歩き出した。
 私が唖然となっていると、ミーコは振り返る。

「何してるニャ。さっさとついて来いニャ」

 いったい何事だろうか……そう思いながらも、私は付いていくしかなかった。



 どのくらい歩いただろう。 
 ミーコに連れて行かれた場所は、塀に囲まれた空き地であった。背の高い草が大量に生えており、あちこちに虫がうろついている。もっとも、私はそんなものは見ていなかった。
 なぜなら、目の前に恐ろしいものがいるからだ。仔牛ほどもありそうな巨大な犬……いや、狼だ。毛の色はミーコとは対照的で、雪のように白い。体から漂う妖気の量は尋常ではなく、そばにいるだけで息苦しさを感じるほどだ。

「こらバカ猫、こいつは大神おおかみといって、この町を仕切る大妖怪だニャ。こいつに相談してみろニャ」

 言ったかと思うと、ミーコは毛繕いを始める。直後、大神は私を睨んだ。

「おい猫、何の用だ?」

 想像より砕けた口調である。私は震えながら、どうにか口を開いた。

「私の友人である人間が、妖怪に嫌がらせを受けております。助けてやってはいただけないですか?」

「嫌だね。んな面倒くせえこと出来るかよ」

 即答だった。私がさらに頼み込もうとした時、大神の姿は一瞬で消える──
 呆然となっている私に、ミーコが語りかけてきた。

「ああ言ってるけど、あいつはお人好しだニャ。だから、毎日ここにお供え物をしてみろニャ。そしたら、頼みを聞いてくれるかもしれないニャ」



 翌日より、私はその空き地へと通うようになった。捕らえた鼠や小鳥などを置いていく。だが、大神は出てこなかった。
 それでも、私は通い続けた。今となっては、すがるものはこれしかない。こうしている間にも、智喜は妖怪に苦しめられているのだ。
 どのくらい通っただろうか。ついに、大神が姿を現したのだ。

「ったく、お前もしつこい奴だな。仕方ねえから、お前に少しだけ妖力をくれてやる」

「妖力、ですか?」

 びっくりして聞き返すと、大神は尻尾をぶんと振った。

「ああ。これで、お前は妖怪と戦えるくらいの強さになる。だから、自分の力で追い払え」

「わ、私は妖怪に勝てるのですか?」

「さあな。下位の妖怪なら、何とか勝てるかもしれない。ただ、中位の妖怪には正面からたたかっても勝てねえ。ま、あとは自分の力で何とかするんだな」

 そう言うと、大神はフッと消えた。



 翌日から、私の戦いが始まった。
 起きると同時に、家の周囲を回る。妖怪を見つけたなら、すぐに襲いかかっていった。
 ほとんどの場合、勝負はあっけないものだった。大半の妖怪は、面白半分で智喜にいたずらをしようと現れるだけだ。対する私は、決死の思いで立ち向かっていく。最初からの覚悟が違うのだ。妖怪どもは、すぐに退散していった。
 もっとも、中には反撃してくるものもいた。妖怪とてプライドがあるのだろう。必死で戦い、どうにか撃退したが……私とて無傷では済まない。傷の治療のため、しばらくは身を隠すこともあった。
 数年に渡る戦いの末、妖怪どもは現れなくなった。しかし、その後も私は大神の元に通い続けた。獲物を取り、空き地にそっと置いていく。これを、毎日続けたのだ。
 私に力を授けてくれた恩に報いるため。
 私の、もうひとつの頼みを聞いてもらうため──

 ・・・

 今、私は大神のもとに向かっている。
 かつてなら、こんな道はまばたきする間に走り抜けていただろう。だが、今となっては恐ろしく時間がかかる。何せ、屋根を飛び越え塀の上を進まねばならんのだ。老齢の私には、困難な道のりである。足を滑らせ落ちては、元も子もない。慎重に進まねばならないのだ。
 どうにか大神の住みかに到着すると、お供え物をそっと置いた。かつては、小鳥や鼠などを捕らえて持ってきたものだが……今は、小さく愚鈍な虫を捕らえるのがやっとだ。情けない話である。
 くわえてきた虫を地面に置き、急いで立ち去ろうとした。
 その時、周囲に妖気が満ちていく──

 私の目の前に、大神が姿を現したのだ。白い毛並みは、初めて会った時と変わっていない。神々しいまでの美しさだ。大きな体で地面に横になり、じっと私を見つめている。
 圧倒的なまでの妖気に目がくらみそうになっている私に向かい、大神は口を開いた。

「本当にしつこい奴だな。お前の頼みは聞いてやる。安心しろ」

「ありがとうございます。時間がないので、これにて失礼します」

 言った後、私は向きを変える。と、大神の声が聞こえてきた。

「聞かせてくれないか? あの人間に、お前がやっていたことを教えなくて、本当によかったのか?」

「はい」

 私は、向きを変えることなく答えた。実のところ、早く帰りたい。
 しかし、大神の話は続く。

「最後に、もうひとつ聞かせてくれ。あの人間に、そこまでの値うちがあったのか?」

「もちろんです」



 時間はかかったが、ようやく自宅へと帰りついた。智喜の部屋に行き、隅の方で寝そべる。
 智喜は、テレビゲームに興じていた。帰ってきた私をちらりと見たが、すぐにゲーム画面へと視線を戻す。
 かつては、私が部屋に戻ると笑顔で出迎えてくれたものだ。しかし、最近ではすっかり遊んでくれなくなった。もっとも最近では、私も遊びに付き合う体力がなくなっている。これは仕方ないのだろう。
 そんなことを思いつつ、私は智喜の後ろ姿を眺める。昔より、ずいぶん大きくなったものだ。もう、この男の周囲に妖怪が出現することはないだろう。

 やがて夜が訪れる。
 智喜は今、眠りについていた。平和そうな顔である。昔は、寝顔すら怯えたものだった。悪夢にうなされ、夜中に飛び起きることもあったのだ。しかし、今は安らかに眠っていられる。私の戦いにも意味があったのだ。
 ふと、大神の質問を思い出す。

(あの人間に、お前がやっていたことを教えなくて、本当によかったのか?)

 そんなことを、奴が知る必要はない。
 智喜は今まで、妖怪によって苦しめられてきたのだ。現在の私は、妖怪と同じ存在である。そんな私が傍にいては、智喜の心が安らぐことはない。
 私は、ただの飼い猫でなくてはならない。智喜に、私の戦いの日々など教える必要はないのだ。

(あの人間に、そこまでの値うちがあったのか?)

 バカげた質問だ。
 母猫とはぐれ、とても寂しくて悲しくて怖かった。そんな私を、智喜は拾ってくれた。家に連れ帰り、美味しいご飯を腹いっぱい食べさせてくれたのだ。
 それだけではない。智喜と過ごした仔猫時代……あの頃は、本当に幸福であった。私は、あの日々を思い出すだけで、心の底から満ち足りた気分になれる。智喜が帰って来る足音を聞いた時の胸の高鳴り。部屋の中で、奴と遊んだ格闘ごっこや追いかけっこ。一緒に食べるご飯の美味しさ。布団の中で、お互いの温もりを感じる幸せ……人間どものありがたがる光る石や、どこの馬の骨とも知らん者の顔が描かれたオサツとかいう紙切れより、よほど価値のある宝物だ。
 仮にこの先、地獄に落ちようとも……あの幸せな日々の思い出があれば、どんなつらい責め苦でも耐えられる。

 もうじき夜が明ける。私が、この世から旅立つ時が迫っていた。
 そう、数日前よりわかっていたことだった。私の寿命は、今夜で尽きる。妖怪の端くれでありながら、こんな短い寿命しかないのは情けない。
 もう少し、こやつの人生に付き合ってやりたかった。だが、後のことは大神に任せてある。私が死んだ後のことを頼むため、毎日お供えをしていたのだ。もう心配はない。
 智喜よ、私の生涯は幸福なものだった。お前には、深く感謝している。私を拾い、幸せな思い出をくれた。その思い出があるかぎり、私は何も恐れない。笑って死に逝くことが出来る。
 楽しい生を、ありがとう。










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