とある脱獄囚のやったこと~黒い鳥~

板倉恭司

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裏社会の住人たち

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「あんた、ライターさんなのか。今川勇三なんて、聞いたことないけどなあ」

「す、すみません。まだ駆け出しなもので……」

 ペコペコ頭を下げながら、今川は周囲を見回した。
 彼は今、パイプ椅子に座らされていた。周りの様子から判断するに、木造の小屋のような建物にいるらしい。それも、山小屋のような……殺風景で、生活の雰囲気がまるで感じられないのだ。
 そして今川の目の前には、三人の男がいた。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者。
 残るひとりは、ブランド物のスーツを着た中年男だ。肌は白く、病的な雰囲気を漂わせている。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。

 今から、三十分ほど前のことだった。
 車を停め、白土市のコンビニに入った今川。弁当やジュースを買い、すぐに店を出る。
 その瞬間、この人相の悪い三人組に囲まれた。スキンヘッドが背後に立ち、両脇に残りの二人が密着して来る。
 次の瞬間、中年男が囁いた。

「今川勇三さん、だよね? あんたに話があるんだわ。悪いけど、ちょっと付き合ってくれねえかな」

 直後、今川は三人組に車に乗せられる。有無を言わさぬ勢いで、今いる小屋に連れて来られた……いや、拉致されたと言った方が正確だろう。



「あ、あのう……ぼ、僕に何の用でしょうか?」

 パイプ椅子に座らせられた状態の今川は、恐る恐る尋ねた。すると、中年男は口元を歪める。

「ああ、それは簡単だよ。実はな、あの事件を調べるのは、やめて欲しいんだわ」

「はい? 何のことです?」

 今川がそう言ったとたん、中年男は眉間に皺を寄せた。

「何? とぼけてんの? そういうのやめようよ。俺だってさ、人格変わっちゃうかも知れないよ」

 中年男の目が、凶暴な光を帯びる。今川は、慌てて答えた。

「あ、あの島田義人の件ですか」

「そうだよ。ボケてもらっちゃ困るな」

 ニヤリと笑う中年男。その時、突然スキンヘッドが吠えた。

黒沢クロサワさん、すみません! 今、銀星会から電話きまして……下手打ちました!」

 それは、今川に向かい発せられた言葉ではなかった。スキンヘッドはスマホ片手に細身の男の方を向き、ペコペコ頭を下げている。どうやら、別の件でヘマをしたらしい。
 すると、細身の男の表情が変わった。

「んだと! てめえブッ殺すぞゴラァ!」

 喚いた直後、スキンヘッドは殴り倒された。さらに細身の男は、倒れた体を蹴りまくる。
 今川は怯えきった表情を浮かべていたが、内心は冷静であった。これは、ヤクザがよくやる脅しの手口だ。直接の暴力ではなく、間接的な暴力で脅す。暴力に慣れていない人間というのは、他人が殴られている場面を見るだけで恐怖を抱くケースが多い。結果、冷静な判断が出来なくなり、こちらの意のままになる。
 しかも、本人には指一本触れていない。したがって、後で訴えられることもない。
 一方、中年男はニタリと笑った。

「あそこにいる黒沢はさ、キレたらすぐに手が出るんだよね。実はあいつ、ポン中なんだよ。あんた、ポン中の意味は知ってるよね?」

 すぐ近くで、肉を打つ生々しい音が聞こえてくる。にもかかわらず、中年男の声は落ち着いていた。何事もなかったかのように聞いてくる。

「は、はい」

 今川は、慌てた様子で頷いた。ポン中とは、覚醒剤の依存症になってしまった者を指すスラングだ。となると、あの細身の男の痩せかたは、覚醒剤が原因なのか。

「あいつさ、ほっとくとやり過ぎちまうんだよね。俺が言っても、止まらない時があるんだよ。本当に、困っちまうよな」

 そう言って、ゲラゲラ笑い出した。つられて、今川も愛想笑いを浮かべる。
 すると、中年男の笑顔は一瞬にして硬直した。

「おい、何がおかしいんだ?」

「えっ? ええと──」

「お前は今、笑ってたよな? 何がおかしいんだ? 言ってみろ」

 中年男は、真顔で聞いてきた。これまた、ヤクザがよく用いる手段だ。クスリと笑うような状況を作りだす。相手が笑ったら、そこを突いて責め立てる。悪いのは相手であり、自分は被害者……その構図を作るのが、彼らの常套手段なのだ。

「黙ってちゃわからねえだろ。なあ、俺の話の中に笑うような要素があったのか? 俺は、お前と話し合うためにここに来てる。極めて真面目な気持ちだ。しかし、お前は俺との話し合いがおかしくてたまらねえってか。俺をなめてんの? バカにしてんの?」

 予想通り、中年男はねちねちと責めてきた。今川が黙っていると、今度は別の攻撃が始まる。

「おいゴラァ! てめえ、大島オオシマの兄貴をなめてんのか!」

 怒鳴った直後、スキンヘッドが顔を近づけてきた。だが、中年男が彼の肩を掴む。

「おい、てめえは引っ込んでろ。横からしゃしゃり出てくんじゃねえ」

 低い声で凄むと、スキンヘッドはペコペコしながら下がって行く。
 大島と呼ばれた中年男は、ゆっくりとこちらに向き直る。

「とにかく、あんたが何のために事件を調べてんのかは知らないし、そんなことはどうでもいい。だがな、今になって終わった事件をほじくり返してどうすんだ? 誰も得しねえだろうが。だいたいな、この事件の真実が何であろうが、発表なんか出来ねえんだよ。あんただって、薄々はわかってんだろ?」

 その言葉に、今川は眉をひそめた。

「それは、どういうことです?」

「聞いているのは、こっちだぜ。お前、この状況をわかってないみたいだな」

 言いながら、大島はポケットから何かを取り出す。
 一瞬、今川はビクリと反応した。だが、出てきた物はタバコだった。男は一本抜き取り、口にくわえ火をつける。
 うまそうに煙を吐きだし、話を続けた。

「ここにいるのは、俺たち三人とお前だけだ。何が起きようが、誰にも気づかれないんだよ。わかるよな?」

「は、はい」

「そこでだ、お前にはひとつ約束してもらいたい。島田義人の件について調べるのは、今日を限りにやめるんだ」

 その時、今川の表情が変わった。先ほどまでの怯えた雰囲気が、一瞬で消え失せる。

「もし、嫌だと言ったら、どうします?」

「てめえ! 大島の兄貴をなめてんのか!」

 喚いたのは、細身の黒沢だった。彼は、今川の襟首を掴み強引に立ち上がらせようとする。だが、中年男が拳を振るった。
 その拳は、黒沢の顔面に炸裂する。

「るせえぞ! てめえは引っ込んでろ!」

 黒沢を一喝すると、大島は再び今川を見つめる。

「あんた、わかってないみたいだな。俺たちの稼業はな、なめられたら終わりなんだよ。特に、お前みたいな素人になめられたら、この業界ではやっていけねえんだよ。そんな評判が広まったら、俺たちは廃業しなくちゃならない。だがな、俺はまだ廃業したくねえんだよ。わかるな?」

「はい、わかります」

 答える今川の表情は、平静そのものだった。怯えているわけでも、虚勢を張っているわけでもない。
 大島の顔に、奇妙な表情が浮かぶ。こいつは、何を考えているのか……という感情が湧き上がってきていたのだ。目の前にいる若者は、今まで彼が脅してきた者たちとは違うらしい。
 だが、大島はそんな感情をおくびにも出さず話を続けた。
 
「俺はな、出来ることなら話し合いで終わらせたい。だがな、話が通じないバカも世の中にはいる」

 言いながら、大島は吸っていたタバコをもみ消す……隣に立っている黒沢の、手の甲に押し当てて消したのだ。
 黒沢はぴくりと反応したが、声ひとつ出さずに耐える。大島は構わず、タバコの箱を取りだした。またしても、一本抜き取り口にくわえる。
 火をつけ、うまそうに煙を吐きだした。

「なあ、名探偵何ちゃらとか、何ちゃらの事件簿とかいうドラマがあるだろ。あれに出てくる犯人な、本当に頭悪いんだよ。金と時間かけてアホなトリックを仕掛けたり、アリバイ工作したり……あんなんするより、もっといい方法があるんだよ。知ってるか?」

「いいえ、知りません」

「ルポライターやるなら、覚えときな。プロは人を殺したら、死体そのものを消しちまうんだ。そうすれば、ただの行方不明だからな。殺人事件なら、警察は目の色変えて動き出す。しかし、行方不明なら動かない。毎年、数万人の人間が行方不明になってるからな。そんなもんに人員を割くほど、奴らも暇じゃない」

 大島は、ニヤリと笑った。だが、今川の表情は揺るがない。身じろぎもせず、話を聞いている。
 眉をひそめながら、大島は話を続けた。
 
「人を殺したら、死体を消す……これ、俺たちの業界じゃ常識なんだよ。面倒なトリックやアリバイ工作もする必要なし。ところで、あんた家族はいるか?」

「いません」

 間髪を入れず、今川は即答した。

「いない? どういうことだ?」

「両親は、僕が幼い時に交通事故で死にました。兄弟はいませんし、妻も子もいません。天涯孤独の身です」

 言った後、今川の目に不気味な光が宿る。
 大島は、背筋に寒気を感じた。自分でも理解できない感覚に、思わず顔が引き攣る。裡から湧き上がる感情をごまかすように、彼は笑って見せた。

「そうか。それは気の毒だな。天涯孤独となると、いきなり姿が消えたとしても捜してくれる人がいない。仮に今、お前が不幸な事故に遭って行方不明になっても、警察に届けてくれる人がいない。本当に、哀れな話だよ」

「なるほど。つまり、言うことを聞かなかったら僕を殺して死体を消すよ……というわけですね」

 そう言って、今川はニヤリと笑った。

「か、勘違いされちゃ困るな。俺は、そんなことは言ってない。ただ、世の中はいろんなことが起こる。崖から落ちたり、海に落ちたり、山の中で遭難した挙げ句に熊に食われたりする。特に、ここは山の中だ。何が起こるかわからない。だから、俺は忠告してるんだよ。何もかも忘れてさっさと家に帰れば、あんたにはいつもと同じ平穏な日々が待っている。ところが、あんたがこれ以上、この件にかかわると……どうなっても、俺は知らないよ」

 脅し文句にしか聞こえないセリフだが、大島の声は微かに震えていた。彼の隣にいる黒沢も、異変を感じたらしい。明らかに、顔色が変わっている。
 一方、今川はウンウンと頷いた。

「あなたの言いたいことはわかりました。では、取り引きといきませんか?」

「取り引きだと? どういうことだ?」

「僕はね、まだ終われないんですよ。ここまで来たら、最後まで見届けるつもりです。そこで、あなた方に提案があります。いっそ、僕と組みませんか? 損はさせませんよ」

 そう言うと、今川は立ち上がった。

「取り引きする方が、あなた方にとっても得ですよ。でないと、後悔することになります」

「な、なんだと! てめえ、なめてんのか!」

 怒鳴ったのは黒沢だった。しかし次の瞬間、その顔が青ざめる。

「皆さんは、桑原クワバラ興行の社員さんですよね。でしたら、佐藤隆司サトウリュウジさんに連絡してみてください。僕は、あの人と知り合いですので……」

 今川は、クスリと笑った。さっきまでの、怯えた一般人の仮面が消え失せている。
 対照的に、三人の顔は青ざめていった。今川の言う通り、彼らは桑原興行の人間だ。しかも佐藤隆司とは、社長である桑原徳馬クワバラ トクマの片腕である。桑原興行の、実質上のナンバー2なのだ。
 その佐藤の知り合いとなると……確実に、ただ者ではない。

「お前、何者だ?」

 呆然となって呟く大島に、今川はすました顔で口を開く。

「ですから、今川勇三という名のルポライターです」





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