13 / 21
裏社会の住人たち
しおりを挟む
「あんた、ライターさんなのか。今川勇三なんて、聞いたことないけどなあ」
「す、すみません。まだ駆け出しなもので……」
ペコペコ頭を下げながら、今川は周囲を見回した。
彼は今、パイプ椅子に座らされていた。周りの様子から判断するに、木造の小屋のような建物にいるらしい。それも、山小屋のような……殺風景で、生活の雰囲気がまるで感じられないのだ。
そして今川の目の前には、三人の男がいた。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者。
残るひとりは、ブランド物のスーツを着た中年男だ。肌は白く、病的な雰囲気を漂わせている。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。
今から、三十分ほど前のことだった。
車を停め、白土市のコンビニに入った今川。弁当やジュースを買い、すぐに店を出る。
その瞬間、この人相の悪い三人組に囲まれた。スキンヘッドが背後に立ち、両脇に残りの二人が密着して来る。
次の瞬間、中年男が囁いた。
「今川勇三さん、だよね? あんたに話があるんだわ。悪いけど、ちょっと付き合ってくれねえかな」
直後、今川は三人組に車に乗せられる。有無を言わさぬ勢いで、今いる小屋に連れて来られた……いや、拉致されたと言った方が正確だろう。
「あ、あのう……ぼ、僕に何の用でしょうか?」
パイプ椅子に座らせられた状態の今川は、恐る恐る尋ねた。すると、中年男は口元を歪める。
「ああ、それは簡単だよ。実はな、あの事件を調べるのは、やめて欲しいんだわ」
「はい? 何のことです?」
今川がそう言ったとたん、中年男は眉間に皺を寄せた。
「何? とぼけてんの? そういうのやめようよ。俺だってさ、人格変わっちゃうかも知れないよ」
中年男の目が、凶暴な光を帯びる。今川は、慌てて答えた。
「あ、あの島田義人の件ですか」
「そうだよ。ボケてもらっちゃ困るな」
ニヤリと笑う中年男。その時、突然スキンヘッドが吠えた。
「黒沢さん、すみません! 今、銀星会から電話きまして……下手打ちました!」
それは、今川に向かい発せられた言葉ではなかった。スキンヘッドはスマホ片手に細身の男の方を向き、ペコペコ頭を下げている。どうやら、別の件でヘマをしたらしい。
すると、細身の男の表情が変わった。
「んだと! てめえブッ殺すぞゴラァ!」
喚いた直後、スキンヘッドは殴り倒された。さらに細身の男は、倒れた体を蹴りまくる。
今川は怯えきった表情を浮かべていたが、内心は冷静であった。これは、ヤクザがよくやる脅しの手口だ。直接の暴力ではなく、間接的な暴力で脅す。暴力に慣れていない人間というのは、他人が殴られている場面を見るだけで恐怖を抱くケースが多い。結果、冷静な判断が出来なくなり、こちらの意のままになる。
しかも、本人には指一本触れていない。したがって、後で訴えられることもない。
一方、中年男はニタリと笑った。
「あそこにいる黒沢はさ、キレたらすぐに手が出るんだよね。実はあいつ、ポン中なんだよ。あんた、ポン中の意味は知ってるよね?」
すぐ近くで、肉を打つ生々しい音が聞こえてくる。にもかかわらず、中年男の声は落ち着いていた。何事もなかったかのように聞いてくる。
「は、はい」
今川は、慌てた様子で頷いた。ポン中とは、覚醒剤の依存症になってしまった者を指すスラングだ。となると、あの細身の男の痩せかたは、覚醒剤が原因なのか。
「あいつさ、ほっとくとやり過ぎちまうんだよね。俺が言っても、止まらない時があるんだよ。本当に、困っちまうよな」
そう言って、ゲラゲラ笑い出した。つられて、今川も愛想笑いを浮かべる。
すると、中年男の笑顔は一瞬にして硬直した。
「おい、何がおかしいんだ?」
「えっ? ええと──」
「お前は今、笑ってたよな? 何がおかしいんだ? 言ってみろ」
中年男は、真顔で聞いてきた。これまた、ヤクザがよく用いる手段だ。クスリと笑うような状況を作りだす。相手が笑ったら、そこを突いて責め立てる。悪いのは相手であり、自分は被害者……その構図を作るのが、彼らの常套手段なのだ。
「黙ってちゃわからねえだろ。なあ、俺の話の中に笑うような要素があったのか? 俺は、お前と話し合うためにここに来てる。極めて真面目な気持ちだ。しかし、お前は俺との話し合いがおかしくてたまらねえってか。俺をなめてんの? バカにしてんの?」
予想通り、中年男はねちねちと責めてきた。今川が黙っていると、今度は別の攻撃が始まる。
「おいゴラァ! てめえ、大島の兄貴をなめてんのか!」
怒鳴った直後、スキンヘッドが顔を近づけてきた。だが、中年男が彼の肩を掴む。
「おい、てめえは引っ込んでろ。横からしゃしゃり出てくんじゃねえ」
低い声で凄むと、スキンヘッドはペコペコしながら下がって行く。
大島と呼ばれた中年男は、ゆっくりとこちらに向き直る。
「とにかく、あんたが何のために事件を調べてんのかは知らないし、そんなことはどうでもいい。だがな、今になって終わった事件をほじくり返してどうすんだ? 誰も得しねえだろうが。だいたいな、この事件の真実が何であろうが、発表なんか出来ねえんだよ。あんただって、薄々はわかってんだろ?」
その言葉に、今川は眉をひそめた。
「それは、どういうことです?」
「聞いているのは、こっちだぜ。お前、この状況をわかってないみたいだな」
言いながら、大島はポケットから何かを取り出す。
一瞬、今川はビクリと反応した。だが、出てきた物はタバコだった。男は一本抜き取り、口にくわえ火をつける。
うまそうに煙を吐きだし、話を続けた。
「ここにいるのは、俺たち三人とお前だけだ。何が起きようが、誰にも気づかれないんだよ。わかるよな?」
「は、はい」
「そこでだ、お前にはひとつ約束してもらいたい。島田義人の件について調べるのは、今日を限りにやめるんだ」
その時、今川の表情が変わった。先ほどまでの怯えた雰囲気が、一瞬で消え失せる。
「もし、嫌だと言ったら、どうします?」
「てめえ! 大島の兄貴をなめてんのか!」
喚いたのは、細身の黒沢だった。彼は、今川の襟首を掴み強引に立ち上がらせようとする。だが、中年男が拳を振るった。
その拳は、黒沢の顔面に炸裂する。
「るせえぞ! てめえは引っ込んでろ!」
黒沢を一喝すると、大島は再び今川を見つめる。
「あんた、わかってないみたいだな。俺たちの稼業はな、なめられたら終わりなんだよ。特に、お前みたいな素人になめられたら、この業界ではやっていけねえんだよ。そんな評判が広まったら、俺たちは廃業しなくちゃならない。だがな、俺はまだ廃業したくねえんだよ。わかるな?」
「はい、わかります」
答える今川の表情は、平静そのものだった。怯えているわけでも、虚勢を張っているわけでもない。
大島の顔に、奇妙な表情が浮かぶ。こいつは、何を考えているのか……という感情が湧き上がってきていたのだ。目の前にいる若者は、今まで彼が脅してきた者たちとは違うらしい。
だが、大島はそんな感情をおくびにも出さず話を続けた。
「俺はな、出来ることなら話し合いで終わらせたい。だがな、話が通じないバカも世の中にはいる」
言いながら、大島は吸っていたタバコをもみ消す……隣に立っている黒沢の、手の甲に押し当てて消したのだ。
黒沢はぴくりと反応したが、声ひとつ出さずに耐える。大島は構わず、タバコの箱を取りだした。またしても、一本抜き取り口にくわえる。
火をつけ、うまそうに煙を吐きだした。
「なあ、名探偵何ちゃらとか、何ちゃらの事件簿とかいうドラマがあるだろ。あれに出てくる犯人な、本当に頭悪いんだよ。金と時間かけてアホなトリックを仕掛けたり、アリバイ工作したり……あんなんするより、もっといい方法があるんだよ。知ってるか?」
「いいえ、知りません」
「ルポライターやるなら、覚えときな。プロは人を殺したら、死体そのものを消しちまうんだ。そうすれば、ただの行方不明だからな。殺人事件なら、警察は目の色変えて動き出す。しかし、行方不明なら動かない。毎年、数万人の人間が行方不明になってるからな。そんなもんに人員を割くほど、奴らも暇じゃない」
大島は、ニヤリと笑った。だが、今川の表情は揺るがない。身じろぎもせず、話を聞いている。
眉をひそめながら、大島は話を続けた。
「人を殺したら、死体を消す……これ、俺たちの業界じゃ常識なんだよ。面倒なトリックやアリバイ工作もする必要なし。ところで、あんた家族はいるか?」
「いません」
間髪を入れず、今川は即答した。
「いない? どういうことだ?」
「両親は、僕が幼い時に交通事故で死にました。兄弟はいませんし、妻も子もいません。天涯孤独の身です」
言った後、今川の目に不気味な光が宿る。
大島は、背筋に寒気を感じた。自分でも理解できない感覚に、思わず顔が引き攣る。裡から湧き上がる感情をごまかすように、彼は笑って見せた。
「そうか。それは気の毒だな。天涯孤独となると、いきなり姿が消えたとしても捜してくれる人がいない。仮に今、お前が不幸な事故に遭って行方不明になっても、警察に届けてくれる人がいない。本当に、哀れな話だよ」
「なるほど。つまり、言うことを聞かなかったら僕を殺して死体を消すよ……というわけですね」
そう言って、今川はニヤリと笑った。
「か、勘違いされちゃ困るな。俺は、そんなことは言ってない。ただ、世の中はいろんなことが起こる。崖から落ちたり、海に落ちたり、山の中で遭難した挙げ句に熊に食われたりする。特に、ここは山の中だ。何が起こるかわからない。だから、俺は忠告してるんだよ。何もかも忘れてさっさと家に帰れば、あんたにはいつもと同じ平穏な日々が待っている。ところが、あんたがこれ以上、この件にかかわると……どうなっても、俺は知らないよ」
脅し文句にしか聞こえないセリフだが、大島の声は微かに震えていた。彼の隣にいる黒沢も、異変を感じたらしい。明らかに、顔色が変わっている。
一方、今川はウンウンと頷いた。
「あなたの言いたいことはわかりました。では、取り引きといきませんか?」
「取り引きだと? どういうことだ?」
「僕はね、まだ終われないんですよ。ここまで来たら、最後まで見届けるつもりです。そこで、あなた方に提案があります。いっそ、僕と組みませんか? 損はさせませんよ」
そう言うと、今川は立ち上がった。
「取り引きする方が、あなた方にとっても得ですよ。でないと、後悔することになります」
「な、なんだと! てめえ、なめてんのか!」
怒鳴ったのは黒沢だった。しかし次の瞬間、その顔が青ざめる。
「皆さんは、桑原興行の社員さんですよね。でしたら、佐藤隆司さんに連絡してみてください。僕は、あの人と知り合いですので……」
今川は、クスリと笑った。さっきまでの、怯えた一般人の仮面が消え失せている。
対照的に、三人の顔は青ざめていった。今川の言う通り、彼らは桑原興行の人間だ。しかも佐藤隆司とは、社長である桑原徳馬の片腕である。桑原興行の、実質上のナンバー2なのだ。
その佐藤の知り合いとなると……確実に、ただ者ではない。
「お前、何者だ?」
呆然となって呟く大島に、今川はすました顔で口を開く。
「ですから、今川勇三という名のルポライターです」
「す、すみません。まだ駆け出しなもので……」
ペコペコ頭を下げながら、今川は周囲を見回した。
彼は今、パイプ椅子に座らされていた。周りの様子から判断するに、木造の小屋のような建物にいるらしい。それも、山小屋のような……殺風景で、生活の雰囲気がまるで感じられないのだ。
そして今川の目の前には、三人の男がいた。ひとりはスキンヘッドの大柄な若者、もうひとりはトレーナーを着た細身の若者。
残るひとりは、ブランド物のスーツを着た中年男だ。肌は白く、病的な雰囲気を漂わせている。背はさほど高くない上に痩せているが、その目には冷ややかな殺意が浮かんでいた。
今から、三十分ほど前のことだった。
車を停め、白土市のコンビニに入った今川。弁当やジュースを買い、すぐに店を出る。
その瞬間、この人相の悪い三人組に囲まれた。スキンヘッドが背後に立ち、両脇に残りの二人が密着して来る。
次の瞬間、中年男が囁いた。
「今川勇三さん、だよね? あんたに話があるんだわ。悪いけど、ちょっと付き合ってくれねえかな」
直後、今川は三人組に車に乗せられる。有無を言わさぬ勢いで、今いる小屋に連れて来られた……いや、拉致されたと言った方が正確だろう。
「あ、あのう……ぼ、僕に何の用でしょうか?」
パイプ椅子に座らせられた状態の今川は、恐る恐る尋ねた。すると、中年男は口元を歪める。
「ああ、それは簡単だよ。実はな、あの事件を調べるのは、やめて欲しいんだわ」
「はい? 何のことです?」
今川がそう言ったとたん、中年男は眉間に皺を寄せた。
「何? とぼけてんの? そういうのやめようよ。俺だってさ、人格変わっちゃうかも知れないよ」
中年男の目が、凶暴な光を帯びる。今川は、慌てて答えた。
「あ、あの島田義人の件ですか」
「そうだよ。ボケてもらっちゃ困るな」
ニヤリと笑う中年男。その時、突然スキンヘッドが吠えた。
「黒沢さん、すみません! 今、銀星会から電話きまして……下手打ちました!」
それは、今川に向かい発せられた言葉ではなかった。スキンヘッドはスマホ片手に細身の男の方を向き、ペコペコ頭を下げている。どうやら、別の件でヘマをしたらしい。
すると、細身の男の表情が変わった。
「んだと! てめえブッ殺すぞゴラァ!」
喚いた直後、スキンヘッドは殴り倒された。さらに細身の男は、倒れた体を蹴りまくる。
今川は怯えきった表情を浮かべていたが、内心は冷静であった。これは、ヤクザがよくやる脅しの手口だ。直接の暴力ではなく、間接的な暴力で脅す。暴力に慣れていない人間というのは、他人が殴られている場面を見るだけで恐怖を抱くケースが多い。結果、冷静な判断が出来なくなり、こちらの意のままになる。
しかも、本人には指一本触れていない。したがって、後で訴えられることもない。
一方、中年男はニタリと笑った。
「あそこにいる黒沢はさ、キレたらすぐに手が出るんだよね。実はあいつ、ポン中なんだよ。あんた、ポン中の意味は知ってるよね?」
すぐ近くで、肉を打つ生々しい音が聞こえてくる。にもかかわらず、中年男の声は落ち着いていた。何事もなかったかのように聞いてくる。
「は、はい」
今川は、慌てた様子で頷いた。ポン中とは、覚醒剤の依存症になってしまった者を指すスラングだ。となると、あの細身の男の痩せかたは、覚醒剤が原因なのか。
「あいつさ、ほっとくとやり過ぎちまうんだよね。俺が言っても、止まらない時があるんだよ。本当に、困っちまうよな」
そう言って、ゲラゲラ笑い出した。つられて、今川も愛想笑いを浮かべる。
すると、中年男の笑顔は一瞬にして硬直した。
「おい、何がおかしいんだ?」
「えっ? ええと──」
「お前は今、笑ってたよな? 何がおかしいんだ? 言ってみろ」
中年男は、真顔で聞いてきた。これまた、ヤクザがよく用いる手段だ。クスリと笑うような状況を作りだす。相手が笑ったら、そこを突いて責め立てる。悪いのは相手であり、自分は被害者……その構図を作るのが、彼らの常套手段なのだ。
「黙ってちゃわからねえだろ。なあ、俺の話の中に笑うような要素があったのか? 俺は、お前と話し合うためにここに来てる。極めて真面目な気持ちだ。しかし、お前は俺との話し合いがおかしくてたまらねえってか。俺をなめてんの? バカにしてんの?」
予想通り、中年男はねちねちと責めてきた。今川が黙っていると、今度は別の攻撃が始まる。
「おいゴラァ! てめえ、大島の兄貴をなめてんのか!」
怒鳴った直後、スキンヘッドが顔を近づけてきた。だが、中年男が彼の肩を掴む。
「おい、てめえは引っ込んでろ。横からしゃしゃり出てくんじゃねえ」
低い声で凄むと、スキンヘッドはペコペコしながら下がって行く。
大島と呼ばれた中年男は、ゆっくりとこちらに向き直る。
「とにかく、あんたが何のために事件を調べてんのかは知らないし、そんなことはどうでもいい。だがな、今になって終わった事件をほじくり返してどうすんだ? 誰も得しねえだろうが。だいたいな、この事件の真実が何であろうが、発表なんか出来ねえんだよ。あんただって、薄々はわかってんだろ?」
その言葉に、今川は眉をひそめた。
「それは、どういうことです?」
「聞いているのは、こっちだぜ。お前、この状況をわかってないみたいだな」
言いながら、大島はポケットから何かを取り出す。
一瞬、今川はビクリと反応した。だが、出てきた物はタバコだった。男は一本抜き取り、口にくわえ火をつける。
うまそうに煙を吐きだし、話を続けた。
「ここにいるのは、俺たち三人とお前だけだ。何が起きようが、誰にも気づかれないんだよ。わかるよな?」
「は、はい」
「そこでだ、お前にはひとつ約束してもらいたい。島田義人の件について調べるのは、今日を限りにやめるんだ」
その時、今川の表情が変わった。先ほどまでの怯えた雰囲気が、一瞬で消え失せる。
「もし、嫌だと言ったら、どうします?」
「てめえ! 大島の兄貴をなめてんのか!」
喚いたのは、細身の黒沢だった。彼は、今川の襟首を掴み強引に立ち上がらせようとする。だが、中年男が拳を振るった。
その拳は、黒沢の顔面に炸裂する。
「るせえぞ! てめえは引っ込んでろ!」
黒沢を一喝すると、大島は再び今川を見つめる。
「あんた、わかってないみたいだな。俺たちの稼業はな、なめられたら終わりなんだよ。特に、お前みたいな素人になめられたら、この業界ではやっていけねえんだよ。そんな評判が広まったら、俺たちは廃業しなくちゃならない。だがな、俺はまだ廃業したくねえんだよ。わかるな?」
「はい、わかります」
答える今川の表情は、平静そのものだった。怯えているわけでも、虚勢を張っているわけでもない。
大島の顔に、奇妙な表情が浮かぶ。こいつは、何を考えているのか……という感情が湧き上がってきていたのだ。目の前にいる若者は、今まで彼が脅してきた者たちとは違うらしい。
だが、大島はそんな感情をおくびにも出さず話を続けた。
「俺はな、出来ることなら話し合いで終わらせたい。だがな、話が通じないバカも世の中にはいる」
言いながら、大島は吸っていたタバコをもみ消す……隣に立っている黒沢の、手の甲に押し当てて消したのだ。
黒沢はぴくりと反応したが、声ひとつ出さずに耐える。大島は構わず、タバコの箱を取りだした。またしても、一本抜き取り口にくわえる。
火をつけ、うまそうに煙を吐きだした。
「なあ、名探偵何ちゃらとか、何ちゃらの事件簿とかいうドラマがあるだろ。あれに出てくる犯人な、本当に頭悪いんだよ。金と時間かけてアホなトリックを仕掛けたり、アリバイ工作したり……あんなんするより、もっといい方法があるんだよ。知ってるか?」
「いいえ、知りません」
「ルポライターやるなら、覚えときな。プロは人を殺したら、死体そのものを消しちまうんだ。そうすれば、ただの行方不明だからな。殺人事件なら、警察は目の色変えて動き出す。しかし、行方不明なら動かない。毎年、数万人の人間が行方不明になってるからな。そんなもんに人員を割くほど、奴らも暇じゃない」
大島は、ニヤリと笑った。だが、今川の表情は揺るがない。身じろぎもせず、話を聞いている。
眉をひそめながら、大島は話を続けた。
「人を殺したら、死体を消す……これ、俺たちの業界じゃ常識なんだよ。面倒なトリックやアリバイ工作もする必要なし。ところで、あんた家族はいるか?」
「いません」
間髪を入れず、今川は即答した。
「いない? どういうことだ?」
「両親は、僕が幼い時に交通事故で死にました。兄弟はいませんし、妻も子もいません。天涯孤独の身です」
言った後、今川の目に不気味な光が宿る。
大島は、背筋に寒気を感じた。自分でも理解できない感覚に、思わず顔が引き攣る。裡から湧き上がる感情をごまかすように、彼は笑って見せた。
「そうか。それは気の毒だな。天涯孤独となると、いきなり姿が消えたとしても捜してくれる人がいない。仮に今、お前が不幸な事故に遭って行方不明になっても、警察に届けてくれる人がいない。本当に、哀れな話だよ」
「なるほど。つまり、言うことを聞かなかったら僕を殺して死体を消すよ……というわけですね」
そう言って、今川はニヤリと笑った。
「か、勘違いされちゃ困るな。俺は、そんなことは言ってない。ただ、世の中はいろんなことが起こる。崖から落ちたり、海に落ちたり、山の中で遭難した挙げ句に熊に食われたりする。特に、ここは山の中だ。何が起こるかわからない。だから、俺は忠告してるんだよ。何もかも忘れてさっさと家に帰れば、あんたにはいつもと同じ平穏な日々が待っている。ところが、あんたがこれ以上、この件にかかわると……どうなっても、俺は知らないよ」
脅し文句にしか聞こえないセリフだが、大島の声は微かに震えていた。彼の隣にいる黒沢も、異変を感じたらしい。明らかに、顔色が変わっている。
一方、今川はウンウンと頷いた。
「あなたの言いたいことはわかりました。では、取り引きといきませんか?」
「取り引きだと? どういうことだ?」
「僕はね、まだ終われないんですよ。ここまで来たら、最後まで見届けるつもりです。そこで、あなた方に提案があります。いっそ、僕と組みませんか? 損はさせませんよ」
そう言うと、今川は立ち上がった。
「取り引きする方が、あなた方にとっても得ですよ。でないと、後悔することになります」
「な、なんだと! てめえ、なめてんのか!」
怒鳴ったのは黒沢だった。しかし次の瞬間、その顔が青ざめる。
「皆さんは、桑原興行の社員さんですよね。でしたら、佐藤隆司さんに連絡してみてください。僕は、あの人と知り合いですので……」
今川は、クスリと笑った。さっきまでの、怯えた一般人の仮面が消え失せている。
対照的に、三人の顔は青ざめていった。今川の言う通り、彼らは桑原興行の人間だ。しかも佐藤隆司とは、社長である桑原徳馬の片腕である。桑原興行の、実質上のナンバー2なのだ。
その佐藤の知り合いとなると……確実に、ただ者ではない。
「お前、何者だ?」
呆然となって呟く大島に、今川はすました顔で口を開く。
「ですから、今川勇三という名のルポライターです」
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
今さら「間違いだった」? ごめんなさい、私、もう王子妃なんですけど
reva
恋愛
「貴族にふさわしくない」そう言って、私を蔑み婚約を破棄した騎士様。
私はただの商人の娘だから、仕方ないと諦めていたのに。
偶然出会った隣国の王子は、私をありのまま愛してくれた。
そして私は、彼の妃に――。
やがて戦争で窮地に陥り、助けを求めてきた騎士様の国。
外交の場に現れた私の姿に、彼は絶句する。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる