とある脱獄囚のやったこと~黒い鳥~

板倉恭司

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事件の真相(2)

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 今川の言葉に、夏帆は顔を伏せた。彼女としても、出来ることなら言いたくない話なのだろう。これは、ある意味では広志を殺した時のそれよりも、さらに辛い告白なのかもしれない。
 それでも、今川は聞かなくてはならなかった。この件に、ケリをつけるためにも。
 この話を聞かなくては、終わりに出来ない。

 少しの間を置き、夏帆は顔を上げた。

「あたしの言うこと、信じるの? あたしは、人殺しなんだよ。その罪を義人に被せて、平然と生きてる極悪人なんだよ。そんな女の言うことを、あんたは信じるの?」

「今のあなたの言うことなら、信じられます」

 真顔で答えた今川に、夏帆は苦笑した。

「わかった。じゃあ、特別に教えてあげる」

 ・・・

「島田義人! ここは、完全に包囲されている! もう逃げられないぞ! おとなしく武器を捨て投降しろ!」

 廃墟の中、いきなり声が聞こえてきた。それも大音量だ。と同時に、ライトのものらしい光が見えた。それも、複数の光だ。間違いなく警官隊のものである。
 義人は舌打ちした。夏帆は、反射的に栞を抱きしめる。

「どうするの!?」

 恐怖に顔を歪める夏帆に、義人は静かな口調で言った。

「もう、ここまでだ。お前は、栞と一緒に警察に投降しろ」

「そ、そんなこと──」

「黙って最後まで聞け。警察には、こう言うんだ。脱獄犯の島田義人に脅され、無理やり連れて来られたってな。後は、俺がなんとかする」

 その言葉に、夏帆は驚愕の表情を浮かべた。この状況を、どうしようというのだろう。 

「ど、どういうこと?」

 聞かれた義人は、視線を逸らし俯いた。
 夏帆は立ち上がり、窓から外を見た。暗くて、よくは見えない。だがサイレンの音と、大勢の人間の声が聞こえる。警官隊が集結しているのだ。まるで、映画のワンシーンのようである。
 さらに、マスコミと思われる者たちも大勢集まっている。ここから逃げ出すのは、超能力でも使わない限り不可能だ。
 そして、自分たちには超能力などない──

 夏帆がそんなことを思った時、義人は自嘲の笑みを浮かべた。不思議なほど落ち着いた表情で、静かに口を聞く。

「俺が、あんたの旦那を殺したと言うよ。全部、俺が被る。だから、安心して外に出ていけ」

 一瞬、何を言っているのかわからなかった。だが、直後に夏帆の体が震え出す。今にも泣きそうな顔で、義人を怒鳴り付けた。

「何を言ってるの!? そんなこと、出来るわけないでしょ! あんたに、全部おしつけるなんて──」

「バカ野郎! あんたが刑務所に行ったら、栞はどうなるんだ!? ひとりぼっちになっちまうんだぞ!」

 夏帆の言葉を遮り、義人は怒鳴り返した。
 だが、夏帆は首を横に振る。涙を浮かべ、じっと義人を見つめた。ただでさえ、この男には助けてもらっているのだ。これ以上、迷惑はかけられない。
 その瞬間、義人の視線が泳いだ。気持ちが揺らいでいるのだろうか。
 だが、それは一瞬だった。さらに険しい表情を作り、彼女を睨んだ。

「よく考えろ。栞を守ってやれるのは、この世界にあんたしかいないんだろうが。だったら、俺の言う通りにするんだ。いいか、人を殺したら刑務所に行くんだよ。刑務所の生活はな、甘いものじゃない。人間のクズが集まる場所なんだぞ。しかも前科が付いたら、この先ずっと苦労する。普通の人生は、一生歩めないんだぞ」

 義人は夏帆の肩を掴み、ゆっくりと諭すような口調で言った。
 とても静かで、落ち着いた声だった。幼い頃に聞いた、父親からの声に似ている……夏帆は、全てを彼に委ねてしまいたい気持ちに駆られる。
 だが、それは出来ないのだ。自分の犯した罪に対する罰を、この男に受けさせるなど……。
 人として、それだけはやってはいけないのだ。

「だ、駄目……それは許されない──」

「もうひとつ教えてやる。今の時代、過去に犯した罪の記録はネットに永遠に残るんだ。前科者は、死ぬまで前科者のままなんだよ。まして、あんたは人殺しだ。どんな事情があったにせよ、人殺しともなれば、ずっと偏見の目に晒されるんだ。本当に、ひどいもんさ……俺は、その偏見を肌身で知っているんだよ。あれはな、本当にキツイぜ。どんなにいいことをしようが、人殺しの烙印は一生消えないんだよ。俺はな、あんたにそんな重荷を背負わせたくないんだ」

 そこで、義人は言葉を止めた。
 夏帆は、彼の言葉に気持ちが揺らいでいた。唇が、わなわな震えている。何か言おうとしたが、言葉が出てこない。
 少しの間を置き、義人は低い声で言葉を続けた。

「それだけじゃない。栞が、人殺しの娘と呼ばれてもいいのか?」

 その言葉を聞いた瞬間、夏帆の目に涙が浮かんだ。彼女にとって、それは殴られるよりつらいことだった。表情がぐしゃぐしゃになり、泣き崩れそうになる……。
 だが、義人はそれを許さない。強靭な手で彼女の肩を掴んだまま、言葉を続ける。

「もう一度言うぞ、あんたは何もしていないんだ。自宅で家族とくつろいでいたら、いきなり脱獄犯の島田義人が侵入してきた。島田は旦那を殴り倒して猟銃と金を奪い、あんたら親子を人質として無理やり連れ出した。あんたは恐怖のあまり、何も出来なかった。警察には、そう言い張るんだ。いいな?」

「そ、そんなの──」

「それしかないんだよ。いいか、俺は脱獄犯だ。どちらにしても、刑務所に逆戻りになるだよ。でも、あんたが刑務所に行ったら、栞は施設に入れられるんだ。あの子は、施設で人殺しの娘として差別され、いじめられる……挙げ句に、俺みたいな人間のクズになるかもしれないんだぞ。そんな日陰者の人生を、あの子に歩ませていいのか?」

 熱に浮かされたように、義人は語る。その熱意に夏帆は圧倒され、彼の言葉に聴き入っていた。

「栞は、とても優しくて頭のいい子だ。耳が聞こえないハンデも、栞なら必ず乗り越えられる。あの子には、いろんな才能がある。この先、無限の可能性があるんだ。その可能性を、こんな下らないことで閉ざしていいのか? あんたが今、最優先に考えるべきなのはなんだ? 自分の犯した罪じゃない。俺の人生でもない。栞の未来じゃなのか?」

 そう語る義人の表情は、不思議なくらい落ち着いていた。夏帆は、彼の顔をじっと見つめる。
 ややあって、こくりと頷いた。
 義人は笑みを浮かべる。

「そうか。だったら、さっさと行け──」

「いつ、出て来れるの?」

 夏帆は義人の言葉を遮り、真剣な表情で聞いてきた。
 義人は顔をしかめ、思わず目を逸らす。

「出るまでには、十年以上かかる」

「じゃあ、待ってる。栞と一緒に、ずっと待ってるから……」

「待ってなくていい。俺のことは、さっさと忘れてくれ」

 言いながら、義人は栞を指差した。栞は不安そうな様子で、二人を見ている。

「ほら、栞が待ってるぞ。早く行け。後のことは俺に任せろ」

「待って。行くから、ひとつだけ約束して」

「なんだ?」

「手紙も書くし、面会にも行く。だから……刑務所を出たら、必ずあたしたちの家に帰って来るって約束して」

「はあ? 何をバカなことを……」

 怒鳴りつけようとした義人だったが、続けることが出来なかった。夏帆の顔には、強い意思がある。答えを聞くまでは動かないぞ、という……彼女は不退転の決意をにじませ、義人の返事を待っていた。
 その隣には、栞もいる。耳が聞こえないはずの彼女が、じっと義人の言葉を待っていた。その目は、義人の唇をじっと見つめている。
 義人はうつむいた。二人の顔を、まともに見ることが出来ない。何かをこらえるように、体を震わせながら答える。

「わかった。必ず会いに行くよ。だから、早く行ってくれ」




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