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事件の真相(3)
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「あいつは、嘘つきだよ……必ず帰って来るって、約束したのに……」
夏帆は、呻くような声で話を終えた。その瞳には、涙が溢れている。
口を挟まず、黙って聞いていた今川は、彼女の顔をじっと見つめた。
今川はこれまでにも、大勢の悪党を見てきている。人の嘘を見抜く目はあるつもりだ。しかし、夏帆の涙から嘘は感じられない。
夏帆は、島田義人を本気で愛していたのだ──
最後に、もうひとつ言わなくてはならないことがあった。今川は、静かに語り始める。
「あなたにとって、もうひとつ不運な偶然がありました。小山たちと接触した時に、免許証を落としたことです。その免許証を、パトカーで巡回していた制服警官に拾われてしまいました。よりによって、盗難車の近くでね。警官は、あなたに事情を聞こうと自宅にやって来た。そこで、義人と鉢合わせしてしまった。もし、そこに警官が来なければ……こんな結末を迎えなかったかも知れません。広志の死体を義人が始末し、さっさと解散と相成っていたかもしれないですね。まあ、全ては結果論ですが」
その時、夏帆は歪んだ笑みを浮かべた。
「じゃあ、何もかもあたしのせいなんだね。あたしが、ずっと我慢していれば、誰も死なずに済んだ。なのに、あたしのせいで、死ななくていい人まで死なせた──」
「ちょっと待ってください。僕は、そんなことが言いたいわけじゃないんです」
夏帆の言葉を遮り、今川は語り出した。
「確かに、あなたは罪を犯しました。あなたの手は……いや、あなたの体は真っ黒に染まっているんです。自分の犯した罪でね。ただ、今のあなたが何をしようが、広志さんは生き返りませんし、義人も戻ってきません。あなたが真犯人として逮捕されても、何の意味もないです。それにね、僕は思うんですよ……義人は、最初から全てを計算していたんじゃないかとね」
「どういうこと?」
「この事件ですが、警察は島田義人の犯行という判断で捜査を打ち切りました。あなたへの取り調べも、全ておざなりだったはずです。しかしね、そんなの本来ならありえないんですよ。この事件は、矛盾だらけですからね」
言われてみて、夏帆はようやく気づいた。確かに、今川の言う通りなのだ。取り調べを担当した刑事からは、やる気が全く感じられなかった。こちらの言ったことに、全てはいはいと答えて調書を書き、最後に指印(指による捺印)を押して終わった。あまりの呆気なさに、拍子抜けしたのを覚えている。
「考えてみてください。僕のような三流のルポライターですら、事件の真相に辿り着けたんですよ。警察が本気で捜査していれば、簡単に真犯人を……つまりは、あなたを逮捕できたはずでした。ところが、警察はろくに調べもしないまま、捜査を打ち切りました。これが、なぜだかわかりますか?」
今川の問いに、夏帆はかぶりを振った。そんなこと、わかるはずがない。
すると、今川はクスリと笑った。
「まあ、そうなるでしょうね。説明しましょう……あの日、警察は義人を射殺してしまいました。ところが、真犯人でない義人を射殺したとなると、警察の面子は丸つぶれです。この事実が明るみに出れば、発砲の許可を出したお偉いさんの首が飛ぶことになるでしょう。さらに、何人かが異動させられることになるでしょうね。だから……警察としては、義人が犯人だったという形で終わらせるのがベストなんですよ。ですから、僕が何を言おうと、あなたが自首しようと、あの事件が再捜査されることはありません。したがって、あなたは安全です」
その言葉に、夏帆の顔から表情が消えた。
ややあって、言葉を絞り出す。
「何それ……あいつは、全部知ってたの?」
「はい。さっきも言った通り、義人は全てを計算ずくの上で死んでいったのだと思います」
「それは、最初からだったの?」
「恐らくは、最初からでしょうね。あなたの話を聞いた義人は、どうしようか考えたはずです。普通の脱獄犯なら、こんな面倒事にはかかわりたくない……と、さっさと逃げていたでしょうね。ところが、義人は逃げなかった。彼が逃げたら、あなたは間違いなく逮捕されていたでしょう。そうなると、栞ちゃんは施設に預けられます。義人は、施設という場所の闇の部分をあまりに多く見てきました。そんな場所に、栞ちゃんを入れたくない……彼は、そう考えたのでしょう。ちょうど、そこに制服警官が訪ねて来たという不運な偶然も重なりましたがね」
その言葉は、夏帆の当時の記憶を蘇らせた。
義人を連れ、自宅に戻った彼女。義人は死体を見下ろし、渋い表情を浮かべていた。
その時、突然ドアホンが鳴る。夏帆が扉を開けると、目の前に制服を着た警官が二人立っていたのだ。彼女はたちまち我を失い、しどろもどろで応答した。そんな夏帆の姿に何かを感じたのか、警官はずかずか家の中に入って来た。もはや、彼女に止めることは出来ない。
その瞬間、銃声が轟く──
「お前ら! 手を挙げろ!」
猟銃を構えた義人に怒鳴りつけられては、警官もおとなしく従うしかない。
もし、あの時に夏帆が上手く立ち回っていれば、警官は入って来なかったかもしれない。
いや、それよりも……あの時、既に義人は計画を立てていたのだろうか?
今川の話は続く。
「それに、義人はあなたを犯罪者にしたくなかったんですよ。人殺しというのは、他の犯罪とは違います。世間からのイメージは、最悪なんですよ。義人は、そのことを肌身で感じていたはずです。彼自身も、殺人で逮捕されていますからね」
そのことは、夏帆も知っていた。本人は多くを語らなかったが、マスコミの報道でそれを知ったのだ。
「しかも、今はネット社会です。義人も言っていた通り、犯した罪の記録は一生消えないんですよ。あなたが逮捕されたら、ネットでは永遠に殺人犯として記録が残ります。そうなると、栞ちゃんは殺人犯の娘という烙印を押されることになるんですよ。下手すれば、ネットによるリンチを受けるかもしれません」
それもまた、肌身で理解している。夏帆は、何者かにネットで誹謗中傷され続けた。挙げ句に住所まで晒され、彼女は白土市に引っ越す羽目になったのだから。
「この事態を避けるには、義人が全ての罪を被るしかありません。しかし、彼が逮捕されただけでは不充分でした。警察が真面目に捜査をすれば、この事件の矛盾点にすぐに気づくことでしょう。捜査をされずに、義人が犯人という形で全てを終わらせるには……彼が、警官隊に射殺されるしかなかったんです」
「そ、そんな……」
夏帆は、思わず呻いた。義人は栞と仲良く遊びながら、腹の中では冷静に計画を立て、その通りに動いていたのだ。
自分が命を捨て、夏帆と栞を救う計画を。
二人が、普通に生きていけるように──
「ただでさえ、日本の警察は発砲することに対して忌避感を抱いています。まして、無実の人間を射殺してしまった……そんなことが公になったら、警察の面子は丸つぶれです。ですから、多少のおかしな点には目をつぶり、被疑者死亡で終わらせるでしょう」
語る今川の顔は、なぜか誇らしげに見えた。自身の手柄を語るかのような雰囲気すら漂わせていた。
「この事件はね、全て義人の描いた絵図の通りになったんですよ。あなた方を人質解放という形で逃がした後、猟銃を乱射する……警察は、間違いなく発砲を許可するだろうと読んでいました。結果、事態は義人の思惑通りに進みました。警察としては、真相を闇に葬らざるを得なかったわけです」
そこで今川は言葉を切り、天井に視線を移す。
「ひとつ、面白いことを教えてあげましょう。義人は、中学生の時に職員の石川を刺殺したと報道されています。しかしね、あれも嘘なんですよ。義人は、高村獅道というろくでなしの犯した罪を被ったんです」
「えっ……」
唖然とした表情を浮かべる夏帆に、今川は頷いた。
「殺された石川という職員は、筋金入りの変態でした。立場を利用し、施設の女の子をレイプしていたんですよ。被害者の中には、小学生もいました」
夏帆は、何も言えなかった。一方、今川は彼女の目を、しっかりと見つめたまま語り続ける。
「たまりかねた義人は、石川に話をつけに行きました。女の子に手を出すな、とね。ところが、ボコボコに殴られたそうです。そりゃあ、向こうは柔道二段で体も大きい。百キロを超える巨漢だったとか。中学生になったばかりの義人が、勝てるはずがありませんでした」
そこで、今川は下を向いた。
「ところが、そこに乱入してきた男がいました。高村です。高村は窓から部屋に侵入し、ナイフで背後から石川の喉をかき切ったんです。石川は、首から大量の血を流しながら死にました」
そこで、今川の表情が歪んだ。高村なる人物を糾弾するかのような顔つきで、彼はふたたび語り出す。
「本来なら、高村が逮捕されるはずでした。ところが、実際に逮捕されたのは義人です。俺のせいで、お前が人殺しになるのは耐えられない。石川は自分が殺したことにする……お前は黙っていろ、と高村に言ったそうです」
「それ、本当なの?」
「ええ、間違いありません。高村本人が、はっきり言っていました。本当に、高村は人間のクズですね。自分の罪を義人になすりつけたまま、のうのうとシャバで暮らしていたんですから」
その時、くすくす笑う声が聞こえた。今川が顔を上げると、夏帆が笑っていた。
もっとも、その目は笑っていない。先ほどまでと同じく、深い哀しみを湛えている。
「どうしてかなあ……どうして、人の罪を被りたがるの? あのバカは……」
「本当に、義人はバカですよね。あんなクズの罪を被らなければ、違った人生を歩めていたはずなのにね。ただね、義人がとんでもない凶悪犯なのは間違いありません」
「えっ?」
その言葉の真意が理解出来ず、夏帆は聞き返した。すると、今川は大きく頷く。
「義人は、本当にとんでもない凶悪犯ですよ。最後まで誰にも知られることなく、完全犯罪を成し遂げてしまったわけですからね」
「か、完全犯罪?」
「ええ、完全犯罪と言っても間違いではないでしょう。警察はもう、あなたを逮捕できないわけですからね。しかも、全ての国民を騙してしまった。こんなとんでもない凶悪犯、僕は見たことないですよ。ルパン三世も、真っ青でしょうね。僕は、そんな大それたことをしでかした義人を、心から尊敬していますよ」
そう言って、今川はニヤリと笑った。つられて、夏帆もクスリと笑う。
だが、直後に今川の表情が引き締まる。
「あなたにお願いがあります。幸せになってください」
「えっ?」
「あなたと、お子さんの幸せのために義人は死にました。あなたの体は、犯した罪で黒く染まっています。でも僕は、あなたを責める気はありません。あなたの犯した罪を糾弾するつもりもありません。むしろ、僕はあなたを応援しています。黒く染まった体で、しぶとく生き抜き幸せを掴んでください。義人の分まで、ね」
今川の言葉に、夏帆はこくんと頷いた。彼の言葉には、不思議な説得力がある……そんなことを思った時、今川は足元にある紙袋に手を伸ばす。
「そうそう、これは取材に協力して下さったお礼です。受け取ってください」
言いながら、今川は紙袋を取り上げた。夏帆の目の前に置く。
「えっ、何これ?」
戸惑いながら、夏帆は紙袋の中を見た。直後、彼女の表情は凍りつく。
中には、札束が入っていたのだ。それも、百万や二百万という額ではない。一千万円を超える……と思われる額の分厚い札束が、洋菓子のように無造作に入っていたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ……こんなの、受け取れない」
かすれた声を出しながら、夏帆は顔を上げる。
今川は、優しく微笑みながら頷いた。
「遠慮しないで、受け取ってください。僕があなたにしてあげられることは、これくらいしかありません。それに、あなたにはお金が必要でしょう。特に、この先は」
そう言うと、意味ありげな表情を作る。
直後、夏帆の顔に驚愕の表情が浮かぶ。目の前にいる男は、何もかも知っているというのだろうか?
その時、彼女の思いを察したかのように、今川は頷いた。
「そう、あなたの思った通りですよ。僕は、全て知っています。ですから、これを受け取ってください……義人の願いを、叶えるためにもね。それでは、失礼します」
・・・
江崎博敏は、スマホをいじくりながら通りを歩いていた。これから、医療用大麻推進会のミーティングがある。その前に、ブログに載せる原稿を仕上げておかなくてはならない。今日の彼のスケジュールは、分単位であった。だからこそ、歩きながらスマホで原稿を書いていたのだ。
しかし、その予定をキャンセルせざるを得ない事態が起きる。
「ちょっと、歩きスマホはまずいんじゃないかな」
その声に、江崎は顔を上げる。直後、チッと舌打ちした。
目の前には、スーツ姿の中年男が立っている。年齢は四十代から五十代。身長はさほど高くないが、肩幅は広くがっちりしている。髪はだいぶ薄くなってきており、落ち武者を連想させる。目つきは鋭く、鼻は曲がっている。
江崎には、この男の正体がすぐにわかった。
「おやおや、刑事さんですか。まさか、歩きスマホで俺をパクる気ですか? 俺の記憶が確かなら、歩きスマホを取り締まる法は、まだ制定されていないはずですがね」
言いながら、江崎はスマホで弁護士の番号を確認した。いざとなったら、すぐに電話をかけるつもりだ。
ところが、目の前にいる刑事は笑いながら首を振る。
「違う違う。俺は、あんたをパクるために来たわけじゃない。悪いが、あんたみたいな小物が何をしようが、俺の知ったことじゃないんだよ」
「そうですか。では、俺みたいな小物に何の御用で?」
「ちょっと話を聞きたいだけだ。あんたと、俺……共通の知人についての話を、な」
夏帆は、呻くような声で話を終えた。その瞳には、涙が溢れている。
口を挟まず、黙って聞いていた今川は、彼女の顔をじっと見つめた。
今川はこれまでにも、大勢の悪党を見てきている。人の嘘を見抜く目はあるつもりだ。しかし、夏帆の涙から嘘は感じられない。
夏帆は、島田義人を本気で愛していたのだ──
最後に、もうひとつ言わなくてはならないことがあった。今川は、静かに語り始める。
「あなたにとって、もうひとつ不運な偶然がありました。小山たちと接触した時に、免許証を落としたことです。その免許証を、パトカーで巡回していた制服警官に拾われてしまいました。よりによって、盗難車の近くでね。警官は、あなたに事情を聞こうと自宅にやって来た。そこで、義人と鉢合わせしてしまった。もし、そこに警官が来なければ……こんな結末を迎えなかったかも知れません。広志の死体を義人が始末し、さっさと解散と相成っていたかもしれないですね。まあ、全ては結果論ですが」
その時、夏帆は歪んだ笑みを浮かべた。
「じゃあ、何もかもあたしのせいなんだね。あたしが、ずっと我慢していれば、誰も死なずに済んだ。なのに、あたしのせいで、死ななくていい人まで死なせた──」
「ちょっと待ってください。僕は、そんなことが言いたいわけじゃないんです」
夏帆の言葉を遮り、今川は語り出した。
「確かに、あなたは罪を犯しました。あなたの手は……いや、あなたの体は真っ黒に染まっているんです。自分の犯した罪でね。ただ、今のあなたが何をしようが、広志さんは生き返りませんし、義人も戻ってきません。あなたが真犯人として逮捕されても、何の意味もないです。それにね、僕は思うんですよ……義人は、最初から全てを計算していたんじゃないかとね」
「どういうこと?」
「この事件ですが、警察は島田義人の犯行という判断で捜査を打ち切りました。あなたへの取り調べも、全ておざなりだったはずです。しかしね、そんなの本来ならありえないんですよ。この事件は、矛盾だらけですからね」
言われてみて、夏帆はようやく気づいた。確かに、今川の言う通りなのだ。取り調べを担当した刑事からは、やる気が全く感じられなかった。こちらの言ったことに、全てはいはいと答えて調書を書き、最後に指印(指による捺印)を押して終わった。あまりの呆気なさに、拍子抜けしたのを覚えている。
「考えてみてください。僕のような三流のルポライターですら、事件の真相に辿り着けたんですよ。警察が本気で捜査していれば、簡単に真犯人を……つまりは、あなたを逮捕できたはずでした。ところが、警察はろくに調べもしないまま、捜査を打ち切りました。これが、なぜだかわかりますか?」
今川の問いに、夏帆はかぶりを振った。そんなこと、わかるはずがない。
すると、今川はクスリと笑った。
「まあ、そうなるでしょうね。説明しましょう……あの日、警察は義人を射殺してしまいました。ところが、真犯人でない義人を射殺したとなると、警察の面子は丸つぶれです。この事実が明るみに出れば、発砲の許可を出したお偉いさんの首が飛ぶことになるでしょう。さらに、何人かが異動させられることになるでしょうね。だから……警察としては、義人が犯人だったという形で終わらせるのがベストなんですよ。ですから、僕が何を言おうと、あなたが自首しようと、あの事件が再捜査されることはありません。したがって、あなたは安全です」
その言葉に、夏帆の顔から表情が消えた。
ややあって、言葉を絞り出す。
「何それ……あいつは、全部知ってたの?」
「はい。さっきも言った通り、義人は全てを計算ずくの上で死んでいったのだと思います」
「それは、最初からだったの?」
「恐らくは、最初からでしょうね。あなたの話を聞いた義人は、どうしようか考えたはずです。普通の脱獄犯なら、こんな面倒事にはかかわりたくない……と、さっさと逃げていたでしょうね。ところが、義人は逃げなかった。彼が逃げたら、あなたは間違いなく逮捕されていたでしょう。そうなると、栞ちゃんは施設に預けられます。義人は、施設という場所の闇の部分をあまりに多く見てきました。そんな場所に、栞ちゃんを入れたくない……彼は、そう考えたのでしょう。ちょうど、そこに制服警官が訪ねて来たという不運な偶然も重なりましたがね」
その言葉は、夏帆の当時の記憶を蘇らせた。
義人を連れ、自宅に戻った彼女。義人は死体を見下ろし、渋い表情を浮かべていた。
その時、突然ドアホンが鳴る。夏帆が扉を開けると、目の前に制服を着た警官が二人立っていたのだ。彼女はたちまち我を失い、しどろもどろで応答した。そんな夏帆の姿に何かを感じたのか、警官はずかずか家の中に入って来た。もはや、彼女に止めることは出来ない。
その瞬間、銃声が轟く──
「お前ら! 手を挙げろ!」
猟銃を構えた義人に怒鳴りつけられては、警官もおとなしく従うしかない。
もし、あの時に夏帆が上手く立ち回っていれば、警官は入って来なかったかもしれない。
いや、それよりも……あの時、既に義人は計画を立てていたのだろうか?
今川の話は続く。
「それに、義人はあなたを犯罪者にしたくなかったんですよ。人殺しというのは、他の犯罪とは違います。世間からのイメージは、最悪なんですよ。義人は、そのことを肌身で感じていたはずです。彼自身も、殺人で逮捕されていますからね」
そのことは、夏帆も知っていた。本人は多くを語らなかったが、マスコミの報道でそれを知ったのだ。
「しかも、今はネット社会です。義人も言っていた通り、犯した罪の記録は一生消えないんですよ。あなたが逮捕されたら、ネットでは永遠に殺人犯として記録が残ります。そうなると、栞ちゃんは殺人犯の娘という烙印を押されることになるんですよ。下手すれば、ネットによるリンチを受けるかもしれません」
それもまた、肌身で理解している。夏帆は、何者かにネットで誹謗中傷され続けた。挙げ句に住所まで晒され、彼女は白土市に引っ越す羽目になったのだから。
「この事態を避けるには、義人が全ての罪を被るしかありません。しかし、彼が逮捕されただけでは不充分でした。警察が真面目に捜査をすれば、この事件の矛盾点にすぐに気づくことでしょう。捜査をされずに、義人が犯人という形で全てを終わらせるには……彼が、警官隊に射殺されるしかなかったんです」
「そ、そんな……」
夏帆は、思わず呻いた。義人は栞と仲良く遊びながら、腹の中では冷静に計画を立て、その通りに動いていたのだ。
自分が命を捨て、夏帆と栞を救う計画を。
二人が、普通に生きていけるように──
「ただでさえ、日本の警察は発砲することに対して忌避感を抱いています。まして、無実の人間を射殺してしまった……そんなことが公になったら、警察の面子は丸つぶれです。ですから、多少のおかしな点には目をつぶり、被疑者死亡で終わらせるでしょう」
語る今川の顔は、なぜか誇らしげに見えた。自身の手柄を語るかのような雰囲気すら漂わせていた。
「この事件はね、全て義人の描いた絵図の通りになったんですよ。あなた方を人質解放という形で逃がした後、猟銃を乱射する……警察は、間違いなく発砲を許可するだろうと読んでいました。結果、事態は義人の思惑通りに進みました。警察としては、真相を闇に葬らざるを得なかったわけです」
そこで今川は言葉を切り、天井に視線を移す。
「ひとつ、面白いことを教えてあげましょう。義人は、中学生の時に職員の石川を刺殺したと報道されています。しかしね、あれも嘘なんですよ。義人は、高村獅道というろくでなしの犯した罪を被ったんです」
「えっ……」
唖然とした表情を浮かべる夏帆に、今川は頷いた。
「殺された石川という職員は、筋金入りの変態でした。立場を利用し、施設の女の子をレイプしていたんですよ。被害者の中には、小学生もいました」
夏帆は、何も言えなかった。一方、今川は彼女の目を、しっかりと見つめたまま語り続ける。
「たまりかねた義人は、石川に話をつけに行きました。女の子に手を出すな、とね。ところが、ボコボコに殴られたそうです。そりゃあ、向こうは柔道二段で体も大きい。百キロを超える巨漢だったとか。中学生になったばかりの義人が、勝てるはずがありませんでした」
そこで、今川は下を向いた。
「ところが、そこに乱入してきた男がいました。高村です。高村は窓から部屋に侵入し、ナイフで背後から石川の喉をかき切ったんです。石川は、首から大量の血を流しながら死にました」
そこで、今川の表情が歪んだ。高村なる人物を糾弾するかのような顔つきで、彼はふたたび語り出す。
「本来なら、高村が逮捕されるはずでした。ところが、実際に逮捕されたのは義人です。俺のせいで、お前が人殺しになるのは耐えられない。石川は自分が殺したことにする……お前は黙っていろ、と高村に言ったそうです」
「それ、本当なの?」
「ええ、間違いありません。高村本人が、はっきり言っていました。本当に、高村は人間のクズですね。自分の罪を義人になすりつけたまま、のうのうとシャバで暮らしていたんですから」
その時、くすくす笑う声が聞こえた。今川が顔を上げると、夏帆が笑っていた。
もっとも、その目は笑っていない。先ほどまでと同じく、深い哀しみを湛えている。
「どうしてかなあ……どうして、人の罪を被りたがるの? あのバカは……」
「本当に、義人はバカですよね。あんなクズの罪を被らなければ、違った人生を歩めていたはずなのにね。ただね、義人がとんでもない凶悪犯なのは間違いありません」
「えっ?」
その言葉の真意が理解出来ず、夏帆は聞き返した。すると、今川は大きく頷く。
「義人は、本当にとんでもない凶悪犯ですよ。最後まで誰にも知られることなく、完全犯罪を成し遂げてしまったわけですからね」
「か、完全犯罪?」
「ええ、完全犯罪と言っても間違いではないでしょう。警察はもう、あなたを逮捕できないわけですからね。しかも、全ての国民を騙してしまった。こんなとんでもない凶悪犯、僕は見たことないですよ。ルパン三世も、真っ青でしょうね。僕は、そんな大それたことをしでかした義人を、心から尊敬していますよ」
そう言って、今川はニヤリと笑った。つられて、夏帆もクスリと笑う。
だが、直後に今川の表情が引き締まる。
「あなたにお願いがあります。幸せになってください」
「えっ?」
「あなたと、お子さんの幸せのために義人は死にました。あなたの体は、犯した罪で黒く染まっています。でも僕は、あなたを責める気はありません。あなたの犯した罪を糾弾するつもりもありません。むしろ、僕はあなたを応援しています。黒く染まった体で、しぶとく生き抜き幸せを掴んでください。義人の分まで、ね」
今川の言葉に、夏帆はこくんと頷いた。彼の言葉には、不思議な説得力がある……そんなことを思った時、今川は足元にある紙袋に手を伸ばす。
「そうそう、これは取材に協力して下さったお礼です。受け取ってください」
言いながら、今川は紙袋を取り上げた。夏帆の目の前に置く。
「えっ、何これ?」
戸惑いながら、夏帆は紙袋の中を見た。直後、彼女の表情は凍りつく。
中には、札束が入っていたのだ。それも、百万や二百万という額ではない。一千万円を超える……と思われる額の分厚い札束が、洋菓子のように無造作に入っていたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ……こんなの、受け取れない」
かすれた声を出しながら、夏帆は顔を上げる。
今川は、優しく微笑みながら頷いた。
「遠慮しないで、受け取ってください。僕があなたにしてあげられることは、これくらいしかありません。それに、あなたにはお金が必要でしょう。特に、この先は」
そう言うと、意味ありげな表情を作る。
直後、夏帆の顔に驚愕の表情が浮かぶ。目の前にいる男は、何もかも知っているというのだろうか?
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江崎博敏は、スマホをいじくりながら通りを歩いていた。これから、医療用大麻推進会のミーティングがある。その前に、ブログに載せる原稿を仕上げておかなくてはならない。今日の彼のスケジュールは、分単位であった。だからこそ、歩きながらスマホで原稿を書いていたのだ。
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言いながら、江崎はスマホで弁護士の番号を確認した。いざとなったら、すぐに電話をかけるつもりだ。
ところが、目の前にいる刑事は笑いながら首を振る。
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