とある脱獄囚のやったこと~黒い鳥~

板倉恭司

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もうひとつの顔、もうひとつの真相(2)

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 語り終えた加賀谷は、グラスの水を飲み干した。テーブルには、注文したコーヒーのカップが二つ置かれている。
 だが、夏帆は口をつける気にはなれなかった。今しがた聞いた話が、あまりにも衝撃的だったからだ。

「それ、本当なんですか……」

 かすれた声を発した夏帆に、加賀谷はしかめ面で頷いた。

「ああ、間違いないよ。高村と同行していた二人のガキも、同じことを言っていたらしい。あまりに凄惨な内容に、この話は公にすることは出来なかったそうだよ」

 確かに凄惨だ。幼い子供が、死んだ友の肉を食らいながらジャングルを抜けた……こんな話、ニュースとして放送できない。
 衝撃のあまり顔が青ざめていく夏帆。そんな彼女に、加賀谷は語り続ける。

「高村は、施設に来た直後は誰とも喋らなかったそうだ。何かを言われても、返事さえしなかった。他の子供たちも、怖がって近寄って来なかった。まあ、それも当然だよな。顔に醜い傷痕がある上、一言も口をきかない……子供社会じゃ、避けられるのが普通だよ。けどな、島田義人は違っていた。あいつは、高村にも分け隔てなく話しかけていたらしい。高村も、島田にだけは懐いていたんだよ。実際、島田のおかげで、高村はだいぶ人間らしくなったって話だ」

 淡々と語っていく加賀谷。夏帆は、今川……いや、高村が島田の話をしていた時の表情を思い出す。
 それは、とても親しげな表情であり、懐かしそうでもあった。彼は今も、島田を親友だと思っていたのだろう。

「ところが、その島田が事件を起こして学園を去った。それからだよ、高村が本格的に狂い出したのは。あいつは、中学生の時にシャブを製造し、あちこちに売りさばいてたんだ。そうやって、当時から荒稼ぎしてたんだよ」

「シャブって、覚醒剤ですよね?」

「そうだよ。高村はタイで、シャブを作る工場に監禁されていたからな。シャブが製造されていく過程を、間近で見ていたし手伝いもした。だから、製造工程は何となく頭に入っていたんだよ。さらに、ネットで化学や薬学の知識も仕入れた。そうなると、作るのは簡単だった。あいつは中学生にして、シャブを製造して売ってたんだよ」

 夏帆は絶句し、何も言えなかった。中学生にして覚醒剤を製造するなど、彼女の理解を超えている。

「シャブの原価なんか、一グラム作るのに二千円もかからないからな。そいつが、末端ではグラム数万になる。ネットを上手く使えば、買い手を見つけるにも苦労しない。高村は、あっという間に大金を稼ぎ出した。高校を卒業する頃には、でかい規模の組織のトップに立ってたんだ。そうなると、地元のヤクザや半グレどもも黙ってない。さっそく潰しにかかった。ところが、生き延びたのは高村だった。何たって、ガキの頃に人肉を食いながらジャングルを抜ける……という地獄を生き延びた男だ。日本の半グレやヤクザなんか、屁とも思ってなかったらしいぜ」 

 そこで加賀谷は言葉を切り、苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべる。彼の中に、どのような感情があるのだろう……夏帆にはわからなかった。

「俺が今まで調べた限りじゃあ、高村の周辺で二十人以上の人間が行方不明になってる。その中には、大物ヤクザや外国人マフィア、さらには代議士までいる始末だ。恐らく、全員が高村に消されたんだよ」

「そ、そんな……」

「あんたにゃ、想像も出来ないだろう。高村はな、本物の怪物なんだよ。奴は、今までに何人もの人間を殺している。しかも、あいつは快楽殺人鬼と似た部分がある。純粋に、殺したいから殺すんたよ。あいつにとって、人の命はてめえに快感をもたらす道具なんだよ」

 夏帆は、衝撃のあまり何も言えなかった。だが、加賀谷の方はお構いなしだ。一方的に喋り続ける。

「俺は、五年前から奴を追ってきた。高村を初めて取り調べた時、背筋がぞっとしたよ。今も、はっきりと覚えてる。それまで大勢の犯罪者を見て来た。中にはプロの殺し屋もいたし、快楽殺人鬼もいた。だがな、高村はレベルが違うんだよ。あれは、化け物としかいいようがない。俺は、どうにかあいつをパクろうとしたが、証拠を揃えられなかった。取り調べでも、こちらが何を言おうがヘラヘラしてやがる。あんな奴、今まで見たことねえ。結局、尻尾は掴めずじまいだ。以来、ずっと奴を追い続けて来た」

 そこで加賀谷は言葉を止め、コーヒーをごくりと飲み干した。少しの間を置き、再び語り出す。

「高村は、一ヶ月前までタイに潜伏していたらしい。そこで顔を整形したんだよ。かつての知り合いが見ても、わからないくらいにな。おまけに、偽の身分証を幾つか手に入れた……という情報も入ってきている。恐らく、ほとぼりが冷めるまでタイにいるつもりだったんだろう。ところが、今になってなぜか日本に戻って来た。危険を犯してまで、わざわざ日本に来た理由……その理由が、あんたにわかるか?」

「そんなこと……わかりません……」

「これは俺の勘だがな、高村はタイで、島田義人の起こした事件を知ったんだよ。奴は、ショックを受けたんだろうな。人殺しの化け物みたいな高村にも、まだ人間らしい心が残っていたらしい」

「そうだったんですか……」

 加賀谷の言葉に、夏帆は複雑な気分になった。そんな怪物のごとき男にとっても、義人は特別な存在だったのか。
 だが、そんな想いはすぐに吹き飛んだ。

「高村は、事件を独自に調べ始めた。まあ、それはいい。だがな、あいつは日本でもやらかしてくれたよ」

「どういうことです?」

「高村の接触した人間が、次々と行方不明になってるんだよ。松村広志の元カノの光穂由紀。人間学園の生徒だった住友顕也。同じく人間学園の職員だった三井博光。警察に証言したが、相手にされなかった新宅彩美。松村広志の父、松村伸介……この五人は、高村と会って話をした後、煙のように消えちまった」

「消えたって……」

「間違いなく、全員が消されたんだ。あいつは、邪魔だと判断したら迷わず殺す。殺した後で、死体を消す。それが、高村のやり方だ」

「死体を、消す?」

「ああ。高村は、死体を跡形もなく消しちまうんだよ。バラバラに切り刻み、骨も肉も残さず処分する。死体がなければ、ただの行方不明だ。そんなもの、警察も人員を割いて調べたりしない」 

 夏帆は、ぞっとなった。最後に会った時、彼女は高村に親近感を抱いていたが……そこまでする男だったとは。
 ふと、娘の栞が高村と初めて会った時のことを思い出した。栞は、怯えきった目で高村を見ながら震えていた。
 あれは、確かに異常な反応だったが……その理由が、今になってわかった。栞は、高村の正体を一目で見抜いていたのだ。 

「あんたに言っておく。俺は、島田義人やあんたには興味はない。あんたの事件にも興味はない。だがな、高村獅道だけは別だ。あいつだけは放っておけない。もし万が一、奴から連絡が来たら、俺に教えてくれ。出来る限りの礼はする」

 そう言って、加賀谷は名刺を差し出した。



 夏帆と別れた後、加賀谷はなおも動き回っていた。様々な人間と電話で話し、結果、どうにか松村輝を会う約束を取り付けることが出来た。明日は、彼と話す。
 もっとも、得られる情報には期待できなかったが。高村はもう、海外に飛んでいる可能性が高い。

 気がつくと、既に暗くなっていた。重い徒労感をごまかすため、加賀谷は駐車場近くの喫煙所にてタバコを吸っていた。近頃では、タバコを吸える場所も限られてきている。こんなガラス張りの隔離された部屋で、タバコを吸わなくてはならない。やりにくい時代になったものだ。
 そのときだった。ガラス越しに、ひとりの青年がこちらを見ているのが見えた。
 加賀谷は驚きのあまり、くわえていたタバコを落とす。そこにいたのは、間違いなく高村獅道だ──

 加賀谷は、すぐに表に飛び出した。すると、高村は歩き出す。

「おい、待て! そこで止まれ!」

 加賀谷は怒鳴った。だが、高村は止まらない。すたすたと歩いていく。やがて、人気ひとけのない路地裏へと入っていった。
 
「クソ!」

 慌てて追いかけていく。懸命に走り、高村を追った。だが、高村の姿は消えている。
 加賀谷は、さらに走った。すると、高村の背中が見えた。どこかのマンションの地下駐車場へと降りて行く。
 
「高村!」

 叫びながら、加賀谷は後を追った。薄暗い駐車場へと足を踏み入れる。
 その時、高村はくるりと向きを変える。


  


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