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少年の目に映るもの
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「ぺ、ペドロさん、これから、何をするんですか?」
車を走らせながら、昭夫は尋ねる。すると、ペドロはニヤリと笑った。
「この村の地図を作っておきたいと思ってね」
「地図?」
「そうさ。ここはネットも通じていない。となると、昔ながらのやり方で地図を作るしかないのさ」
なるほど、と思った。だが、そこで疑問が浮かぶ。
「筆記具は使わないのですか?」
「いらないよ。見たものを、頭の中に記憶する。それが一番手っ取り早い」
即答したペドロに、昭夫はなんといえばいいかわからなかった。この男は、本当にそんなことが出来るのだろうか。
それ以前に、もう少し常識的な行動をしてほしい──
今朝、昭夫はペドロに起こされた。その起こし方たるや尋常ではない。鍵のかかったはずのドアから、昭夫の家に侵入し枕元に立っていたのだ。目を覚ました時、あの怪人の顔が眼前にある……これは、どんなホラー映画より恐ろしい。本当に、心臓が停まるかとさえ思ったくらいだ。
当のペドロは悪びれる様子もなく、昭夫に言った。
「昭夫くん、すまないが村の案内を頼むよ」
すまないが、などと言ってはいる。しかし、本人からはすまなさそうな雰囲気は全く感じられない。どちらかと言えば、有無を言わさず……という圧力の方を強く感じる。
昭夫は、わかりましたと答えるしかなかった。
そして今、最凶最悪の殺人犯と村の便利屋の青年とが、同じ車に乗り田舎道を走っていたのであった。
息がつまりそうな感覚に襲われながらも、昭夫はどうにか車を走らせていく。ペドロは無言のまま、じっと外を眺めていた。
そのまま、ずっと黙っていて欲しい……と思っていたが、それは敵わなかった。
「そうだ、佐倉家に向かってくれないか。一応は、挨拶くらいはしないとね」
いきなり発せられたペドロの言葉に、昭夫の顔が歪む。佐倉家は、厄介な問題を抱えているのだ。そんな家に、この怪人が現れたら──
「お願いです。佐倉家とはかかわらないでください。健太は、本当にかわいそうな子なんです」
その声は震えていた。佐倉家の次男である健太は、御手洗村以外の場所では生きられないだろう。病院に送られ、薬漬けにされるのがオチだ。だが、この村でようやく普通に生きられるようになったのだ。
「あいつは、やっと居場所を見つけたんです。お願いします」
車を停め、深々と頭を下げる。すると、予想外のことが起きた。
「なるほど、君がそういうのでは仕方ない。では、また明日」
言ったかと思うと、ペドロはドアを開け車を降りた。実に呆気なく、すたすたと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、昭夫はふうと溜息を吐く。今になって、足が震えてきた。背中に冷や汗もかいている。
まあいい。あの怪物にも、心を込めて話せは通じるのかもしれない。そんなことを思いながら、車を発進させる。
だが、昭夫は何もわかっていなかった。
途中、昭夫は佐倉家に寄った。
この家は、筑ウン十年の木造二階建てである。古いが、住むには問題ない。元の持ち主だった老夫婦が亡くなり、ただ同然の値段で手に入れたのである。
昭夫がドアホンを鳴らすと、父の佐倉広志が出てきた。開口一番、とんでもない言葉を吐く。
「ねえ、あのペドロって人、ここに住むの?」
聞いた瞬間、愕然となった。今のところ、ペドロのことを知っているのは真壁家の母娘と、昭夫だけのはずだ。なぜ、それを知っている?
その疑問は、すぐに解ける。広志は、続けてこう言ったのだ。
「あの人、今うちに来てるんだよ。健太と遊んでくれてる。それにしても驚いたよ、あんな人がいるとはなあ。あの人は天才だよ」
感心した様子であったが、昭夫は顔をしかめた。挨拶もろくにしないまま、二階の子供部屋へと走る。健太の病に付き合うのは、ほとんどの人間に不可能なはずだ。まして、あの男は空気など読まない。人殺しの才能はあるだろうが、相手を思いやる気持ちなどは持ち合わせていない。
室内は、最悪の状態になっているのではないのか……そんな思いに駆られドアを開けると、全く想定外の光景があった。
「兄ちゃん、ペドロは凄いんだよ。見てよ、この筋肉」
ニコニコしながら言っているのは、坊主頭の少年・健太である。痩せていて、どこか暗い雰囲気を漂わせていた。本当なら、来年は中学生になっている年齢だが、学校らしき場所には通っていない。あぐらをかいて、正面に向かい話している。
そんな健太の横には、ペドロが座っていた。真面目くさった表情で、彼の話に耳を傾けている。
室内にいるのは、ペドロと健太と昭夫の三人だけだ。兄ちゃん、なる人物の姿はどこにも見えない。少なくとも、昭夫の目には見えていなかった。にもかかわらず、健太は見えていない何者かに話しかけているのだ。事情を知らない者の目には異様な光景として映るだろうが、昭夫には見慣れた光景である。
楽しく語り合っているのかと思いきや、不意に健太の顔が歪む。
「俺、学校なんか行きたくない。兄ちゃんだって学校行ってないじゃんか」
その言葉は、悲痛なものだった。昭夫は、思わず目を逸らす。
だが、言い合いは終わっていないらしい。黙っていたかと思うと、いきなり健太が怒鳴る。
「説教すんな! 兄ちゃんのせいで、俺は……」
直後、床に突っ伏し泣き出した。昭夫が慌てて近寄ろうとした時だった。
ペドロが、おもむろに口を開く。
「修一くん、君の言うことももっともだ。しかし、今は多様性の時代と言われている。わざわざ学校に行かずとも、様々な道を切り開くことが出来る。そういう時代に、わざわざ既存の学校に通う必要などないのではないかな」
その声は静かなものだった。ペドロの目は、まっすぐ「兄」へと向けられている。泣いていた健太が、顔を上げ「兄」のいる方を見た。
横で見ている昭夫は、衝撃のあまりその場に立ちすくんでいた。ペドロの目線、態度、口調、表情……全てに嘘偽りが感じられないのだ。そこに、本物の人間がいるかのような態度である。まるで、一流の俳優のひとり芝居を見せられているかのようだ。
しかし、驚くのはまだ早かった。不意に、ペドロは黙り込む。じっと正面を見つめ、時おり相槌を打つ。話を聞いている者の態度だ。
健太の空想が生み出した者の話を、ペドロは普通に聞いているらしい……。
ややあって、ペドロは再び口を開く。
「君の言うことは、間違いではない。しかしね──」
「もう、兄ちゃんの言ってることわけわかんないよ!」
横から口を挟んだのは健太だ。口調からして、機嫌は直ったらしい。ただし、両者の会話は小学生には難しいものだったようだ。
ペドロはくすりと笑ったかと思うと、さっと立ち上がる。
「では、そろそろ失礼するよ。修一くん、君はもう少し柔軟に生きるべきだな」
存在しない人物にそう言い残し、さっさと部屋を出て行った。昭夫も、慌てて後を追う。
「さっきのは何なんです? 本物の超能力ですか? それとも何かトリックがあるのですか?」
歩いているペドロに追いすがり、昭夫は尋ねた。さっきのやり取りは、どう見ても普通ではない。
健太の兄・修一は二年前に死んだ。川に落ち、弟の目の前で亡くなったのだという。だが、健太の心は未だに兄の死を受け入れられないらしい。
やがて、健太はイマジナリーフレンドを作り出した。兄は、まだ生きている……そう信じたい彼の心が生み出したのだ。彼の目だけに見え、彼の耳だけに声が聞こえる存在である。
健太は、常に兄と会話している。彼の行くところ、どこでも付いて行く兄。言うまでもなく、他の人間には見えず、声も聞こえない存在だ。そのため、健太はどこに行っても不気味がられた。精神科の医師にも相談したが、何の役にも立たなかった。しまいには、霊能者のお祓いまで受けたのだ。無論、効果はなかった。
そんな時、両親は御手洗村の存在を知る。閉鎖病棟に入院させ薬漬けにするよりは、この村でのびのびと暮らさせた方がいいのではないか。健太の言うことを否定せず、話を合わせることにしたのだ。
そんな健太のイマジナリーフレンドと、ペドロは会話を成立させてしまった。しかも、本人に違和感を覚えさせることなく……こんなことの出来る人間が存在したとは。
ひょっとしたら、あの部屋には本当に修一の亡霊がいたのだろうか。ペドロには、それが見えているとしたら?
そんなことすら考えてしまっていた昭夫の問いに、ペドロはかぶりを振った。
「もちろん超能力などというものではない。あえて言うなら、トリックという言葉が一番近いかな」
「どういうことですか?」
「たとえばの話だが、君は初対面の人の顔を見て、男性か女性かの区別はつくだろう。昨今は性も多様化しているが、それはひとまず置くとして……君も、七割以上は当てられるだろう」
「ええ、まあ。当てられると思います」
「では、犬はどうかな? 犬の顔を一目見て、雄か雌かの区別がつくかね?」
「無理です」
「そうたろうね。しかし、熟練した獣医や犬の訓練師の中には、顔を見ただけで犬の雄雌を見分けられる者がいる。彼らの脳内には、長年の経験により蓄えられた様々な犬のデータが入っている。そのデータと照らし合わせ、雄か雌かを一瞬で判断しているのさ」
昭夫はぽかんとなっていた。そんなことは、これまで考えたこともなかった。
だが、それとイマジナリーフレンドとの会話と、どんな関係があるのだろう。
「さっき健太くんと会った時、俺は彼を観察した。数秒の間に、目から得られた情報と俺の脳内にある様々なデータとを照らし合わせ、健太くんがどんな人間であるかを大まかにプロファイリングした。さらに彼の目の位置、喋る時の声の出し方、動きなどを注意深く見た結果、健太くんの目に見えている兄の修一氏は、こういう人物だろうと推理した。目の前に、その推理した人間をイメージしてみた。それだけだよ。まあ外れることもあるが、七割ほどは成功する。今回は、実に上手くいった」
「えっ……」
そう言ったきり、昭夫は何も言えなくなってしまった。ペドロの言っていることは、頭では何となく理解できる。トリックという言葉が合っているかは疑問だが、理論的には可能なのだろう。
だが、現実にそんなことの出来る人間がいるのだろうか。昔、紙を四十二回折れば月に届く高さになるという話を聞いたことがあった。これも理論的には可能なのだろうが、現実には不可能だ。
現実には不可能なはずのことを、いとも簡単に成し遂げてしまう。そんな人間を、人は天才と呼ぶ。
では、ペドロは天才なのか?
「人間は、それまで生きてきた時間の中で、様々な体験をする。その体験から得た膨大なデータを、脳内に蓄えているはずだ。ところが、ほとんどの人間はそれらを上手く活用できていない。もし、全ての人間が脳内のデータをきっちり活用できていれば、世界は変わるかもしれないね」
そんなことを言ったかと思うと、ペドロは背中を向け去っていった。
後に残された昭夫は、狐につままれたような気分であった。だが、わかったこともある。
ペドロは、ただの犯罪者ではない。あれは、本物の怪物だ。
あの怪物は、御手洗村で何をしようとしている?
車を走らせながら、昭夫は尋ねる。すると、ペドロはニヤリと笑った。
「この村の地図を作っておきたいと思ってね」
「地図?」
「そうさ。ここはネットも通じていない。となると、昔ながらのやり方で地図を作るしかないのさ」
なるほど、と思った。だが、そこで疑問が浮かぶ。
「筆記具は使わないのですか?」
「いらないよ。見たものを、頭の中に記憶する。それが一番手っ取り早い」
即答したペドロに、昭夫はなんといえばいいかわからなかった。この男は、本当にそんなことが出来るのだろうか。
それ以前に、もう少し常識的な行動をしてほしい──
今朝、昭夫はペドロに起こされた。その起こし方たるや尋常ではない。鍵のかかったはずのドアから、昭夫の家に侵入し枕元に立っていたのだ。目を覚ました時、あの怪人の顔が眼前にある……これは、どんなホラー映画より恐ろしい。本当に、心臓が停まるかとさえ思ったくらいだ。
当のペドロは悪びれる様子もなく、昭夫に言った。
「昭夫くん、すまないが村の案内を頼むよ」
すまないが、などと言ってはいる。しかし、本人からはすまなさそうな雰囲気は全く感じられない。どちらかと言えば、有無を言わさず……という圧力の方を強く感じる。
昭夫は、わかりましたと答えるしかなかった。
そして今、最凶最悪の殺人犯と村の便利屋の青年とが、同じ車に乗り田舎道を走っていたのであった。
息がつまりそうな感覚に襲われながらも、昭夫はどうにか車を走らせていく。ペドロは無言のまま、じっと外を眺めていた。
そのまま、ずっと黙っていて欲しい……と思っていたが、それは敵わなかった。
「そうだ、佐倉家に向かってくれないか。一応は、挨拶くらいはしないとね」
いきなり発せられたペドロの言葉に、昭夫の顔が歪む。佐倉家は、厄介な問題を抱えているのだ。そんな家に、この怪人が現れたら──
「お願いです。佐倉家とはかかわらないでください。健太は、本当にかわいそうな子なんです」
その声は震えていた。佐倉家の次男である健太は、御手洗村以外の場所では生きられないだろう。病院に送られ、薬漬けにされるのがオチだ。だが、この村でようやく普通に生きられるようになったのだ。
「あいつは、やっと居場所を見つけたんです。お願いします」
車を停め、深々と頭を下げる。すると、予想外のことが起きた。
「なるほど、君がそういうのでは仕方ない。では、また明日」
言ったかと思うと、ペドロはドアを開け車を降りた。実に呆気なく、すたすたと立ち去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、昭夫はふうと溜息を吐く。今になって、足が震えてきた。背中に冷や汗もかいている。
まあいい。あの怪物にも、心を込めて話せは通じるのかもしれない。そんなことを思いながら、車を発進させる。
だが、昭夫は何もわかっていなかった。
途中、昭夫は佐倉家に寄った。
この家は、筑ウン十年の木造二階建てである。古いが、住むには問題ない。元の持ち主だった老夫婦が亡くなり、ただ同然の値段で手に入れたのである。
昭夫がドアホンを鳴らすと、父の佐倉広志が出てきた。開口一番、とんでもない言葉を吐く。
「ねえ、あのペドロって人、ここに住むの?」
聞いた瞬間、愕然となった。今のところ、ペドロのことを知っているのは真壁家の母娘と、昭夫だけのはずだ。なぜ、それを知っている?
その疑問は、すぐに解ける。広志は、続けてこう言ったのだ。
「あの人、今うちに来てるんだよ。健太と遊んでくれてる。それにしても驚いたよ、あんな人がいるとはなあ。あの人は天才だよ」
感心した様子であったが、昭夫は顔をしかめた。挨拶もろくにしないまま、二階の子供部屋へと走る。健太の病に付き合うのは、ほとんどの人間に不可能なはずだ。まして、あの男は空気など読まない。人殺しの才能はあるだろうが、相手を思いやる気持ちなどは持ち合わせていない。
室内は、最悪の状態になっているのではないのか……そんな思いに駆られドアを開けると、全く想定外の光景があった。
「兄ちゃん、ペドロは凄いんだよ。見てよ、この筋肉」
ニコニコしながら言っているのは、坊主頭の少年・健太である。痩せていて、どこか暗い雰囲気を漂わせていた。本当なら、来年は中学生になっている年齢だが、学校らしき場所には通っていない。あぐらをかいて、正面に向かい話している。
そんな健太の横には、ペドロが座っていた。真面目くさった表情で、彼の話に耳を傾けている。
室内にいるのは、ペドロと健太と昭夫の三人だけだ。兄ちゃん、なる人物の姿はどこにも見えない。少なくとも、昭夫の目には見えていなかった。にもかかわらず、健太は見えていない何者かに話しかけているのだ。事情を知らない者の目には異様な光景として映るだろうが、昭夫には見慣れた光景である。
楽しく語り合っているのかと思いきや、不意に健太の顔が歪む。
「俺、学校なんか行きたくない。兄ちゃんだって学校行ってないじゃんか」
その言葉は、悲痛なものだった。昭夫は、思わず目を逸らす。
だが、言い合いは終わっていないらしい。黙っていたかと思うと、いきなり健太が怒鳴る。
「説教すんな! 兄ちゃんのせいで、俺は……」
直後、床に突っ伏し泣き出した。昭夫が慌てて近寄ろうとした時だった。
ペドロが、おもむろに口を開く。
「修一くん、君の言うことももっともだ。しかし、今は多様性の時代と言われている。わざわざ学校に行かずとも、様々な道を切り開くことが出来る。そういう時代に、わざわざ既存の学校に通う必要などないのではないかな」
その声は静かなものだった。ペドロの目は、まっすぐ「兄」へと向けられている。泣いていた健太が、顔を上げ「兄」のいる方を見た。
横で見ている昭夫は、衝撃のあまりその場に立ちすくんでいた。ペドロの目線、態度、口調、表情……全てに嘘偽りが感じられないのだ。そこに、本物の人間がいるかのような態度である。まるで、一流の俳優のひとり芝居を見せられているかのようだ。
しかし、驚くのはまだ早かった。不意に、ペドロは黙り込む。じっと正面を見つめ、時おり相槌を打つ。話を聞いている者の態度だ。
健太の空想が生み出した者の話を、ペドロは普通に聞いているらしい……。
ややあって、ペドロは再び口を開く。
「君の言うことは、間違いではない。しかしね──」
「もう、兄ちゃんの言ってることわけわかんないよ!」
横から口を挟んだのは健太だ。口調からして、機嫌は直ったらしい。ただし、両者の会話は小学生には難しいものだったようだ。
ペドロはくすりと笑ったかと思うと、さっと立ち上がる。
「では、そろそろ失礼するよ。修一くん、君はもう少し柔軟に生きるべきだな」
存在しない人物にそう言い残し、さっさと部屋を出て行った。昭夫も、慌てて後を追う。
「さっきのは何なんです? 本物の超能力ですか? それとも何かトリックがあるのですか?」
歩いているペドロに追いすがり、昭夫は尋ねた。さっきのやり取りは、どう見ても普通ではない。
健太の兄・修一は二年前に死んだ。川に落ち、弟の目の前で亡くなったのだという。だが、健太の心は未だに兄の死を受け入れられないらしい。
やがて、健太はイマジナリーフレンドを作り出した。兄は、まだ生きている……そう信じたい彼の心が生み出したのだ。彼の目だけに見え、彼の耳だけに声が聞こえる存在である。
健太は、常に兄と会話している。彼の行くところ、どこでも付いて行く兄。言うまでもなく、他の人間には見えず、声も聞こえない存在だ。そのため、健太はどこに行っても不気味がられた。精神科の医師にも相談したが、何の役にも立たなかった。しまいには、霊能者のお祓いまで受けたのだ。無論、効果はなかった。
そんな時、両親は御手洗村の存在を知る。閉鎖病棟に入院させ薬漬けにするよりは、この村でのびのびと暮らさせた方がいいのではないか。健太の言うことを否定せず、話を合わせることにしたのだ。
そんな健太のイマジナリーフレンドと、ペドロは会話を成立させてしまった。しかも、本人に違和感を覚えさせることなく……こんなことの出来る人間が存在したとは。
ひょっとしたら、あの部屋には本当に修一の亡霊がいたのだろうか。ペドロには、それが見えているとしたら?
そんなことすら考えてしまっていた昭夫の問いに、ペドロはかぶりを振った。
「もちろん超能力などというものではない。あえて言うなら、トリックという言葉が一番近いかな」
「どういうことですか?」
「たとえばの話だが、君は初対面の人の顔を見て、男性か女性かの区別はつくだろう。昨今は性も多様化しているが、それはひとまず置くとして……君も、七割以上は当てられるだろう」
「ええ、まあ。当てられると思います」
「では、犬はどうかな? 犬の顔を一目見て、雄か雌かの区別がつくかね?」
「無理です」
「そうたろうね。しかし、熟練した獣医や犬の訓練師の中には、顔を見ただけで犬の雄雌を見分けられる者がいる。彼らの脳内には、長年の経験により蓄えられた様々な犬のデータが入っている。そのデータと照らし合わせ、雄か雌かを一瞬で判断しているのさ」
昭夫はぽかんとなっていた。そんなことは、これまで考えたこともなかった。
だが、それとイマジナリーフレンドとの会話と、どんな関係があるのだろう。
「さっき健太くんと会った時、俺は彼を観察した。数秒の間に、目から得られた情報と俺の脳内にある様々なデータとを照らし合わせ、健太くんがどんな人間であるかを大まかにプロファイリングした。さらに彼の目の位置、喋る時の声の出し方、動きなどを注意深く見た結果、健太くんの目に見えている兄の修一氏は、こういう人物だろうと推理した。目の前に、その推理した人間をイメージしてみた。それだけだよ。まあ外れることもあるが、七割ほどは成功する。今回は、実に上手くいった」
「えっ……」
そう言ったきり、昭夫は何も言えなくなってしまった。ペドロの言っていることは、頭では何となく理解できる。トリックという言葉が合っているかは疑問だが、理論的には可能なのだろう。
だが、現実にそんなことの出来る人間がいるのだろうか。昔、紙を四十二回折れば月に届く高さになるという話を聞いたことがあった。これも理論的には可能なのだろうが、現実には不可能だ。
現実には不可能なはずのことを、いとも簡単に成し遂げてしまう。そんな人間を、人は天才と呼ぶ。
では、ペドロは天才なのか?
「人間は、それまで生きてきた時間の中で、様々な体験をする。その体験から得た膨大なデータを、脳内に蓄えているはずだ。ところが、ほとんどの人間はそれらを上手く活用できていない。もし、全ての人間が脳内のデータをきっちり活用できていれば、世界は変わるかもしれないね」
そんなことを言ったかと思うと、ペドロは背中を向け去っていった。
後に残された昭夫は、狐につままれたような気分であった。だが、わかったこともある。
ペドロは、ただの犯罪者ではない。あれは、本物の怪物だ。
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