1 / 1
人殺し
しおりを挟む
真幌市の南端は、広い森林地帯だ。少し歩くと、隣の白戸市にある蛾華山へ入っていくこととなる。
そんな森林の中に、木造の一軒家が建っていた。さほど大きくはない平屋だが、庭は広く雑草が大量に生えており、木製の塀が周囲を取り囲んでいた。壁も塀も腐りかけており、ヘビー級ボクサーのパンチで倒壊してしまいそうなくらい脆くなっている。
もともとは、とある大会社の重役たちが、怪しげな趣味に興じるための別邸として用いていたらしい。もっとも、法律上の持ち主は十年以上前に亡くなっている。
相続する者はなく、かといって取り壊すことも出来ず、手入れする者も当然いない。完全に放置された状態であり、中はボロボロで異臭が漂っている。中は、虫や小動物の住処となっていた。ただ、時おり不良少年たちや、ネタに飢えた動画配信者が入り込むことある。
午後二時、その空き家に向かい、ひとりの少年が進んでいた。
身長は小さく、百六十センチもないだろう。ほっそりとした体つきで、上下に迷彩色のジャージらしきものを着ている。年齢は、十代の半ばであろうか。少なくとも、成人していないのは確かだ。
黒縁メガネをかけており、癖のある前髪は細かくうねっていた。一見すると、気弱でおとなしそうな印象を受けるだろう。
そんな彼・灰野茂は、空き家の前で動きを止めた。姿勢を低くし、黒縁メガネを外す。
途端に、顔つきが変わった。獲物を狙う肉食獣のごときものへと変化している──
空き家の庭には、三人の男がいた。彼らは家の中には入らず、前にたむろし立ち話をしている。
彼らの立っている場所は荒れ放題で、周囲からはカサコソ音が聞こえる。おそらく、空き家に住みついている虫の動く音だろう。
地面はでこぼこで、雑草は成人男性の膝ほどの高さまで伸びている。そのため、歩く時には注意せねばならない状態だ。
そんな足場の悪い場所で、彼らはスマホをいじりつつ言葉を交わしていた。
灰野は、草むらの中を音も立てず進んでいく。男たちに全く気づかれることなく、至近距離まで辿り着いた。
男たちは、全く気づかず会話を続けている。
「遅えなあ。あの野郎、何をやってんだよ。バックレる気か?」
革のジャンパーを着た男が、忌々しげな表情で呟いた。身長は百七十センチほどだが、異様に痩せた体つきである。頬はこけており、目つきもおかしい。ドラッグでもやっていそうなタイプだ。
「いや、それはないだろ。奴は、あのバカ娘を溺愛してるからな。娘のためなら、いくらでも出すぜ」
金髪の若者が、軽い口調で答える。こちらは小柄で、百六十センチ前後といったところか。しかし顔は凶暴そうで、街のチンピラという風貌だ。
「クソがぁ……これ以上遅れたら、その分の金も取り立てようぜ」
低い声で言ったのは、ひときわ体の大きな男だ。身長は百八十センチを優に超えており、セーターを着た上半身は筋肉で盛り上がっていた。腹の方もかなり出ているが、常人離れした腕力の持ち主であることは一目でわかる。
平日の午後二時過ぎ、いい歳の大人三人が空き家に入り込み立ち話をしている……この時点で、彼らが堅気の勤め人でないのはわかるだろう。
三人は、互いのやり取りに気をとられていた。そのため、自分たちに忍び寄って来る小さな影には、全く気づいていなかった。
いや、会話をしていなくても、気づくことは出来なかったかも知れない。灰野は気配を完全に消し去っており、音も立てずに攻撃を開始したのだ。
突然の出来事だった。
革ジャンを着た男の表情が、いきなり歪む。一瞬の間を置き、膝から崩れ落ちた。そのまま、バタリと前のめりに倒れる。
残りのふたりはというと、キョトンとした表情で死体と化した仲間を見ているだけだった。彼の身に何が起きたのか、全くわかっていないのだ。
一方、灰野の方は動き続けている。瞬時に次のターゲットの背後に回り、右手を振り上げる。その手には、光るものが握られていた。
次に崩れ落ちたのは、金髪の男だった。急に表情が歪んだかと思うと、膝から崩れ落ちる。土下座をするような形で、前のめりに倒れた。
ひとり残った大男は、ようやく気づいた。何者かが、自分たちの近くにいる。そいつが、ふたりを殺したのだ──
「誰だ!」
喚きながら振り返った。
だが、そこにいたのは予想もしていなかった人物だった。背は低く、体もさほどゴツくはない。一見、片手で捻り潰せそうに見える。
にもかかわらず、灰野の瞳には不気味な光が宿っていた。口元には、薄笑いを浮かべている。両腕はダランと下げられており、凶器を持っているような雰囲気はない。
大男は思わず後ずさる。目の前にいる者は、あまりにも異様だ。人というより、妖怪に近い空気を漂わせている──
「な、何だてめえ!」
反射的に怒鳴っていた。怒りよりも、むしろ恐怖に駆られていたのだ。
灰野は、臆せず近づいて来た。目の前にいる巨体の男を、全く恐れてはいない。
大男は、思わず顔をしかめる。拳を握り、思い切り殴りつけた。体格差は、それこそ大人と子供ほどの違いがある。このパンチをまともにくらえば、一撃で吹っ飛ばされていただろう。
しかし、灰野は表情を変えない。大男がパンチを放った瞬間、スッとしゃがみ込んだ。放たれた拳は、空を切る。
直後に灰野は、くるりと前転したのだ。相手の予想もしていなかった動作に、大男は混乱し次の手が出ない。
その間、灰野は大男の背後に回っていた。いつの間にか、その右手には鋭い針のようなものが握られている。長さは十五センチほどあるだろうか。針といっても、縫い針のような細いものではなく、アイスピックほどの太さだ。
針を逆手に持った灰野は、大男の背中に飛びついた。瞬時に、背中をよじ登る。
と同時に、首筋に針を突き刺した──
後頭部と首の境目は、延髄と呼ばれる場所であり人体の急所だ。その急所を、灰野は寸分の狂いもなく針で貫いたのだ。
急所を突かれた大男は、瞬時に絶命する。意識が途絶える寸前に聞いたのは、この言葉だった。
「地獄へ落ちろ」
針を引き抜くと、灰野はズボンのポケットからスマホを取り出した。針をしまい込み、何事もなかったかのような表情でスマホを操作する。
やがて、メッセージが送られてきた。灰野はスマホに表示された文字を確認し、草むらにしゃがみ込む。
三分ほどすると、外にトラックが到着する。中から、ひとりの男が降りてきた。緑色の作業服を着て作業帽を被り、口にはマスクを付けている。遠目から見れば、作業員にしか見えないだろう。
灰野は立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「どうも吉本さん、お願いします」
「シゲ、これで全部だな?」
聞かれた灰野は、冷めた表情で頷く。
「はい」
「わかった。ひとりデカいのがいるな。こいつは面倒だぞ」
呟いた後、吉本剛はスタスタ歩いていく。荷物を受け取りに来た宅配業者のように、ごく普通の表情で死体の上半身を持ち上げる。灰野も、死体の足を抱えた。
吉本と灰野は死体をひとつずつ運んでいき、次々と荷台へ放り込んでいく。
幌をしっかりかけると、灰野は吉本と共にトラックに乗り込んだ。
ふたりの人間と三つの死体を乗せたトラックは、ゆっくりとした速度でその場を離れていった。
「後で、大泉が話があるから会いたいとよ」
運転中、吉本が言った。
「わかりました。何の話ですかね?」
「たぶん次の仕事の依頼だろ。とにかく、夜の九時に鷹沢公園に来いって言ってたぞ」
「九時ですか。じゃあ、急がないといけないですね」
そんな森林の中に、木造の一軒家が建っていた。さほど大きくはない平屋だが、庭は広く雑草が大量に生えており、木製の塀が周囲を取り囲んでいた。壁も塀も腐りかけており、ヘビー級ボクサーのパンチで倒壊してしまいそうなくらい脆くなっている。
もともとは、とある大会社の重役たちが、怪しげな趣味に興じるための別邸として用いていたらしい。もっとも、法律上の持ち主は十年以上前に亡くなっている。
相続する者はなく、かといって取り壊すことも出来ず、手入れする者も当然いない。完全に放置された状態であり、中はボロボロで異臭が漂っている。中は、虫や小動物の住処となっていた。ただ、時おり不良少年たちや、ネタに飢えた動画配信者が入り込むことある。
午後二時、その空き家に向かい、ひとりの少年が進んでいた。
身長は小さく、百六十センチもないだろう。ほっそりとした体つきで、上下に迷彩色のジャージらしきものを着ている。年齢は、十代の半ばであろうか。少なくとも、成人していないのは確かだ。
黒縁メガネをかけており、癖のある前髪は細かくうねっていた。一見すると、気弱でおとなしそうな印象を受けるだろう。
そんな彼・灰野茂は、空き家の前で動きを止めた。姿勢を低くし、黒縁メガネを外す。
途端に、顔つきが変わった。獲物を狙う肉食獣のごときものへと変化している──
空き家の庭には、三人の男がいた。彼らは家の中には入らず、前にたむろし立ち話をしている。
彼らの立っている場所は荒れ放題で、周囲からはカサコソ音が聞こえる。おそらく、空き家に住みついている虫の動く音だろう。
地面はでこぼこで、雑草は成人男性の膝ほどの高さまで伸びている。そのため、歩く時には注意せねばならない状態だ。
そんな足場の悪い場所で、彼らはスマホをいじりつつ言葉を交わしていた。
灰野は、草むらの中を音も立てず進んでいく。男たちに全く気づかれることなく、至近距離まで辿り着いた。
男たちは、全く気づかず会話を続けている。
「遅えなあ。あの野郎、何をやってんだよ。バックレる気か?」
革のジャンパーを着た男が、忌々しげな表情で呟いた。身長は百七十センチほどだが、異様に痩せた体つきである。頬はこけており、目つきもおかしい。ドラッグでもやっていそうなタイプだ。
「いや、それはないだろ。奴は、あのバカ娘を溺愛してるからな。娘のためなら、いくらでも出すぜ」
金髪の若者が、軽い口調で答える。こちらは小柄で、百六十センチ前後といったところか。しかし顔は凶暴そうで、街のチンピラという風貌だ。
「クソがぁ……これ以上遅れたら、その分の金も取り立てようぜ」
低い声で言ったのは、ひときわ体の大きな男だ。身長は百八十センチを優に超えており、セーターを着た上半身は筋肉で盛り上がっていた。腹の方もかなり出ているが、常人離れした腕力の持ち主であることは一目でわかる。
平日の午後二時過ぎ、いい歳の大人三人が空き家に入り込み立ち話をしている……この時点で、彼らが堅気の勤め人でないのはわかるだろう。
三人は、互いのやり取りに気をとられていた。そのため、自分たちに忍び寄って来る小さな影には、全く気づいていなかった。
いや、会話をしていなくても、気づくことは出来なかったかも知れない。灰野は気配を完全に消し去っており、音も立てずに攻撃を開始したのだ。
突然の出来事だった。
革ジャンを着た男の表情が、いきなり歪む。一瞬の間を置き、膝から崩れ落ちた。そのまま、バタリと前のめりに倒れる。
残りのふたりはというと、キョトンとした表情で死体と化した仲間を見ているだけだった。彼の身に何が起きたのか、全くわかっていないのだ。
一方、灰野の方は動き続けている。瞬時に次のターゲットの背後に回り、右手を振り上げる。その手には、光るものが握られていた。
次に崩れ落ちたのは、金髪の男だった。急に表情が歪んだかと思うと、膝から崩れ落ちる。土下座をするような形で、前のめりに倒れた。
ひとり残った大男は、ようやく気づいた。何者かが、自分たちの近くにいる。そいつが、ふたりを殺したのだ──
「誰だ!」
喚きながら振り返った。
だが、そこにいたのは予想もしていなかった人物だった。背は低く、体もさほどゴツくはない。一見、片手で捻り潰せそうに見える。
にもかかわらず、灰野の瞳には不気味な光が宿っていた。口元には、薄笑いを浮かべている。両腕はダランと下げられており、凶器を持っているような雰囲気はない。
大男は思わず後ずさる。目の前にいる者は、あまりにも異様だ。人というより、妖怪に近い空気を漂わせている──
「な、何だてめえ!」
反射的に怒鳴っていた。怒りよりも、むしろ恐怖に駆られていたのだ。
灰野は、臆せず近づいて来た。目の前にいる巨体の男を、全く恐れてはいない。
大男は、思わず顔をしかめる。拳を握り、思い切り殴りつけた。体格差は、それこそ大人と子供ほどの違いがある。このパンチをまともにくらえば、一撃で吹っ飛ばされていただろう。
しかし、灰野は表情を変えない。大男がパンチを放った瞬間、スッとしゃがみ込んだ。放たれた拳は、空を切る。
直後に灰野は、くるりと前転したのだ。相手の予想もしていなかった動作に、大男は混乱し次の手が出ない。
その間、灰野は大男の背後に回っていた。いつの間にか、その右手には鋭い針のようなものが握られている。長さは十五センチほどあるだろうか。針といっても、縫い針のような細いものではなく、アイスピックほどの太さだ。
針を逆手に持った灰野は、大男の背中に飛びついた。瞬時に、背中をよじ登る。
と同時に、首筋に針を突き刺した──
後頭部と首の境目は、延髄と呼ばれる場所であり人体の急所だ。その急所を、灰野は寸分の狂いもなく針で貫いたのだ。
急所を突かれた大男は、瞬時に絶命する。意識が途絶える寸前に聞いたのは、この言葉だった。
「地獄へ落ちろ」
針を引き抜くと、灰野はズボンのポケットからスマホを取り出した。針をしまい込み、何事もなかったかのような表情でスマホを操作する。
やがて、メッセージが送られてきた。灰野はスマホに表示された文字を確認し、草むらにしゃがみ込む。
三分ほどすると、外にトラックが到着する。中から、ひとりの男が降りてきた。緑色の作業服を着て作業帽を被り、口にはマスクを付けている。遠目から見れば、作業員にしか見えないだろう。
灰野は立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「どうも吉本さん、お願いします」
「シゲ、これで全部だな?」
聞かれた灰野は、冷めた表情で頷く。
「はい」
「わかった。ひとりデカいのがいるな。こいつは面倒だぞ」
呟いた後、吉本剛はスタスタ歩いていく。荷物を受け取りに来た宅配業者のように、ごく普通の表情で死体の上半身を持ち上げる。灰野も、死体の足を抱えた。
吉本と灰野は死体をひとつずつ運んでいき、次々と荷台へ放り込んでいく。
幌をしっかりかけると、灰野は吉本と共にトラックに乗り込んだ。
ふたりの人間と三つの死体を乗せたトラックは、ゆっくりとした速度でその場を離れていった。
「後で、大泉が話があるから会いたいとよ」
運転中、吉本が言った。
「わかりました。何の話ですかね?」
「たぶん次の仕事の依頼だろ。とにかく、夜の九時に鷹沢公園に来いって言ってたぞ」
「九時ですか。じゃあ、急がないといけないですね」
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
M性に目覚めた若かりしころの思い出 その2
kazu106
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、終活的に少しづつ綴らせていただいてます。
荒れていた地域での、高校時代の体験になります。このような、古き良き(?)時代があったことを、理解いただけましたらうれしいです。
一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる