灰色の天使たち

板倉恭司

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人殺し

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 真幌市の南端は、広い森林地帯だ。少し歩くと、隣の白戸市にある蛾華山へ入っていくこととなる。
 そんな森林の中に、木造の一軒家が建っていた。さほど大きくはない平屋だが、庭は広く雑草が大量に生えており、木製の塀が周囲を取り囲んでいた。壁も塀も腐りかけており、ヘビー級ボクサーのパンチで倒壊してしまいそうなくらいもろくなっている。
 もともとは、とある大会社の重役たちが、怪しげな趣味に興じるための別邸として用いていたらしい。もっとも、法律上の持ち主は十年以上前に亡くなっている。
 相続する者はなく、かといって取り壊すことも出来ず、手入れする者も当然いない。完全に放置された状態であり、中はボロボロで異臭が漂っている。中は、虫や小動物の住処すみかとなっていた。ただ、時おり不良少年たちや、ネタに飢えた動画配信者が入り込むことある。



 午後二時、その空き家に向かい、ひとりの少年が進んでいた。
 身長は小さく、百六十センチもないだろう。ほっそりとした体つきで、上下に迷彩色のジャージらしきものを着ている。年齢は、十代の半ばであろうか。少なくとも、成人していないのは確かだ。
 黒縁メガネをかけており、癖のある前髪は細かくうねっていた。一見すると、気弱でおとなしそうな印象を受けるだろう。
 そんな彼・灰野ハイノシゲルは、空き家の前で動きを止めた。姿勢を低くし、黒縁メガネを外す。
 途端に、顔つきが変わった。獲物を狙う肉食獣のごときものへと変化している──

 空き家の庭には、三人の男がいた。彼らは家の中には入らず、前にたむろし立ち話をしている。
 彼らの立っている場所は荒れ放題で、周囲からはカサコソ音が聞こえる。おそらく、空き家に住みついている虫の動く音だろう。
 地面はでこぼこで、雑草は成人男性の膝ほどの高さまで伸びている。そのため、歩く時には注意せねばならない状態だ。
 そんな足場の悪い場所で、彼らはスマホをいじりつつ言葉を交わしていた。
 灰野は、草むらの中を音も立てず進んでいく。男たちに全く気づかれることなく、至近距離まで辿り着いた。
 男たちは、全く気づかず会話を続けている。
 
「遅えなあ。あの野郎、何をやってんだよ。バックレる気か?」

 革のジャンパーを着た男が、忌々しげな表情で呟いた。身長は百七十センチほどだが、異様に痩せた体つきである。頬はこけており、目つきもおかしい。ドラッグでもやっていそうなタイプだ。

「いや、それはないだろ。奴は、あのバカ娘を溺愛してるからな。娘のためなら、いくらでも出すぜ」

 金髪の若者が、軽い口調で答える。こちらは小柄で、百六十センチ前後といったところか。しかし顔は凶暴そうで、街のチンピラという風貌だ。

「クソがぁ……これ以上遅れたら、その分の金も取り立てようぜ」

 低い声で言ったのは、ひときわ体の大きな男だ。身長は百八十センチを優に超えており、セーターを着た上半身は筋肉で盛り上がっていた。腹の方もかなり出ているが、常人離れした腕力の持ち主であることは一目でわかる。
 平日の午後二時過ぎ、いい歳の大人三人が空き家に入り込み立ち話をしている……この時点で、彼らが堅気の勤め人でないのはわかるだろう。

 三人は、互いのやり取りに気をとられていた。そのため、自分たちに忍び寄って来る小さな影には、全く気づいていなかった。
 いや、会話をしていなくても、気づくことは出来なかったかも知れない。灰野は気配を完全に消し去っており、音も立てずに攻撃を開始したのだ。



 突然の出来事だった。
 革ジャンを着た男の表情が、いきなり歪む。一瞬の間を置き、膝から崩れ落ちた。そのまま、バタリと前のめりに倒れる。
 残りのふたりはというと、キョトンとした表情で死体と化した仲間を見ているだけだった。彼の身に何が起きたのか、全くわかっていないのだ。

 一方、灰野の方は動き続けている。瞬時に次のターゲットの背後に回り、右手を振り上げる。その手には、光るものが握られていた。
 次に崩れ落ちたのは、金髪の男だった。急に表情が歪んだかと思うと、膝から崩れ落ちる。土下座をするような形で、前のめりに倒れた。
 ひとり残った大男は、ようやく気づいた。何者かが、自分たちの近くにいる。そいつが、ふたりを殺したのだ──
 
「誰だ!」

 喚きながら振り返った。
 だが、そこにいたのは予想もしていなかった人物だった。背は低く、体もさほどゴツくはない。一見、片手で捻り潰せそうに見える。
 にもかかわらず、灰野の瞳には不気味な光が宿っていた。口元には、薄笑いを浮かべている。両腕はダランと下げられており、凶器を持っているような雰囲気はない。
 大男は思わず後ずさる。目の前にいる者は、あまりにも異様だ。人というより、妖怪に近い空気を漂わせている──

「な、何だてめえ!」

 反射的に怒鳴っていた。怒りよりも、むしろ恐怖に駆られていたのだ。
 灰野は、臆せず近づいて来た。目の前にいる巨体の男を、全く恐れてはいない。
 大男は、思わず顔をしかめる。拳を握り、思い切り殴りつけた。体格差は、それこそ大人と子供ほどの違いがある。このパンチをまともにくらえば、一撃で吹っ飛ばされていただろう。
 しかし、灰野は表情を変えない。大男がパンチを放った瞬間、スッとしゃがみ込んだ。放たれた拳は、空を切る。
 直後に灰野は、くるりと前転したのだ。相手の予想もしていなかった動作に、大男は混乱し次の手が出ない。
 その間、灰野は大男の背後に回っていた。いつの間にか、その右手には鋭い針のようなものが握られている。長さは十五センチほどあるだろうか。針といっても、縫い針のような細いものではなく、アイスピックほどの太さだ。
 針を逆手に持った灰野は、大男の背中に飛びついた。瞬時に、背中をよじ登る。
 と同時に、首筋に針を突き刺した──

 後頭部と首の境目は、延髄と呼ばれる場所であり人体の急所だ。その急所を、灰野は寸分の狂いもなく針で貫いたのだ。
 急所を突かれた大男は、瞬時に絶命する。意識が途絶える寸前に聞いたのは、この言葉だった。

「地獄へ落ちろ」



 針を引き抜くと、灰野はズボンのポケットからスマホを取り出した。針をしまい込み、何事もなかったかのような表情でスマホを操作する。
 やがて、メッセージが送られてきた。灰野はスマホに表示された文字を確認し、草むらにしゃがみ込む。

 三分ほどすると、外にトラックが到着する。中から、ひとりの男が降りてきた。緑色の作業服を着て作業帽を被り、口にはマスクを付けている。遠目から見れば、作業員にしか見えないだろう。
 灰野は立ち上がり、ペコリと頭を下げた。

「どうも吉本さん、お願いします」

「シゲ、これで全部だな?」

 聞かれた灰野は、冷めた表情で頷く。

「はい」

「わかった。ひとりデカいのがいるな。こいつは面倒だぞ」

 呟いた後、吉本ヨシモトツヨシはスタスタ歩いていく。荷物を受け取りに来た宅配業者のように、ごく普通の表情で死体の上半身を持ち上げる。灰野も、死体の足を抱えた。
 吉本と灰野は死体をひとつずつ運んでいき、次々と荷台へ放り込んでいく。
 幌をしっかりかけると、灰野は吉本と共にトラックに乗り込んだ。
 ふたりの人間と三つの死体を乗せたトラックは、ゆっくりとした速度でその場を離れていった。



「後で、大泉オオイズミが話があるから会いたいとよ」

 運転中、吉本が言った。

「わかりました。何の話ですかね?」

「たぶん次の仕事の依頼だろ。とにかく、夜の九時に鷹沢公園に来いって言ってたぞ」

「九時ですか。じゃあ、急がないといけないですね」





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