地獄の渡し守

板倉恭司

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ミーナ編

ミーナ、過去を思い返す

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「なるほど、死んだばかりの両親が来ていたのですか。哀れな話ですね」

 ボリスの言葉に、ニコライは頷いた。

「本当だよな。ところで、ミーナの奴は大丈夫か?」

「大丈夫か、とは?」

「あのな、奴はバンパイアだぞ。リムルの血を吸ったらどうすんだ?」

 ニコライの語気は、いつになく鋭いものだった。そんなふたりの話題の中心人物であるミーナはといえば、リムルを背負い隠れ家へと帰っていった。渋々ながらも、娘を預かることにしたのだ。
 もっとも、ニコライは不安だった。もし、ミーナが血への欲求に負けてしまったら……。
 その時、リムルはバンパイアにされてしまう。また、ミーナもバンパイアに「戻る」可能性が高い。一度、人の血の味を思い出したら、もう元には戻れないだろう。
 しかし、ボリスは自信に満ちた表情で語る。

「そのことでしたら、心配はいりません。彼女にはプロナクスがあります。あれなら、完璧に吸血の欲求を封じられます。プロナクスを一日一錠飲んでいれば、何の問題もありません」

 そう、理論的にはプロナクスさえ飲んでいれば大丈夫なはすだ。ただし完璧ではない。ボリスとて、不安は感じている。
 己の不安を振り払うためか、ボリスはさらに強い口調で語る。

「それだけではありません。ミーナさんには、リムルが必要なんです」

「はあ? 何を言ってるんだ?」

「あの人は、今までひとりで自由に生きてきました──」

「人じゃないけどな」

 ニコライの軽口を流し、ボリスは話を続ける。

「とにかく、あの方は今まで孤独でした。何の責任もなく、自由奔放に生きていたんです。そこに、リムルという存在が現れました。庇護を必要とする少女が……そうなれば、彼女は親として生きなくてはならないのです。否応なしに、これまでとは違う生活をしなくてはなりません」

「それは、リムルにとって幸せなのかねえ」

「本来ならば、リムルは死んでいた命。ならば、その命をミーナさんのために使っていただく。それが、私の考えです」

 その時、ニコライは溜息を吐いた。頭を掻きながら、大男を見上げる。

「お前、ずいぶん変わっちまったなあ」

「あなたに言われたくはありません。それに、私はミーナさんを信じています」

「信じてる? お前なあ、そういうのが一番危険なんだぞ。あいつは、邪眼草を吸ってんだろうが。いいか、邪眼草の中毒はな──」

「もし、ミーナさんがリムルの命を奪うような事態になった時は……私が責任を取ります」

 珍しく、ボリスが言葉を遮った。すると、ニコライの目がすっと細くなる。

「責任って、どう取るんだよ?」

「私が、ミーナさんを殺します」

 ・・・

 その頃。
 光の射さない隠れ家で、ミーナは眠っているリムルを見下ろしていた。
 ほんの気まぐれで、助けてしまった少女。平和な顔で眠っている。いや、気絶していると言った方が正確か。
 あどけない寝顔を見ているうち、思わず笑顔になっていた。だが、少女の体がピクリと動く。
 ミーナは溜息を吐いた。もうじき目覚めるようだ。その時は、厄介な仕事が待っている。
 やがて、リムルの目が開いた。だが、辺りは暗闇に覆われ何も見えない。少女は混乱し、あちこちに顔を向ける。
 ミーナは顔をしかめた。バンパイアである彼女は、暗闇でもものが見える。だが、人間はそうはいかない。以前、ボリスにもらった魔法のカンテラを奥から取り出す。明かりなど必要ないため、しまっておいたままだった。が、まさか今になって役に立つとは。
 明かりがつくと、リムルは顔をしかめた。急に明るくなったため、まだ目が対応できないのだろう。
 やがて、こちらを見ている女の姿に気づく。その途端、ビクリとなって後ずさる。
 そんな少女に向かい、ミーナは口を開いた。

「単刀直入に言うよ。お前のお父さんとお母さんは死んだ。ゴブリンに襲われたんだ」

 リムルの表情が、みるみるうちに変わっていく。歪んだ顔で、首を左右に振った。現実を受け入れたくないのだろう。
 幼い少女には、受け入れがたい事実である。それでも、真実は告げなくてはならない。

「お前だって、微かに覚えているだろ。確かにショックな話だけどさ、お前の父親と母親は死んだんだよ」

 その途端、リムルの目に涙が溢れる。
 直後、床に突っ伏して泣き出した──
 ミーナはといえば、胸が潰れそうな思いを堪え、泣いているリムルを見下ろした。長らく人との会話をしてこなかったせいか、こんな時はどんな言葉をかければいいのか……それすらわからない。
 ふと、自身がバンパイアになった時の記憶が蘇る。



 ごく普通の一日、のはずであった。
 二十五歳のミーナはその夜、いつもと同じように夕食のクリームシチューを食べていた。夫と共に、仲良く会話をしながら……。
 しかし、その平和な時間は一瞬にして砕かれた。突然、奇妙な男が現れる。モヒカン刈りの頭で黒い服を着た男が、奇妙な形のナイフを片手に、じっとこちらを睨んでいる。
 不幸なことに、押し入って来た者の目的は金品ではない。その場にいるふたりの命であった。
 侵入してきた男は大型のナイフを振り上げ、何のためらいも無く襲いかかる──

 全身をナイフで切り刻まれ、ミーナは死んだ……はずだった。少なくとも、彼女の記憶はそこまでしかない。
 しかし、ミーナは目覚めたのだ。どれくらいの時間が経過したのか……ふと気がつくと、彼女の目は開いていた。
 目覚めて最初に感じたのは渇きだった。ミーナは辺りを見回す。
 血の匂いだ。美味しそうな匂い。欲望を満たせるものは、あれしかない──
 それからは、本能が彼女を突き動かしていた。まだ温かみの残っている夫の死体にむしゃぶり付き、流れ落ちる血をすすったのである。
 渇きが満たされ、我に返ったミーナ。次の瞬間、己のした行為のおぞましさに愕然となった。両親の死体にしがみつき、血を吸ってしまった自分。それは人肉を食べるのと同じくらい、恐ろしい行為だ。しかも、相手は他人ではない。自分の夫だった男なのだ。
 最愛の人の血を、吸ってしまった。今の自分は、おぞましい化物なのだ。
 その時だった。突然、扉が開く。直後、室内に侵入してきたのは醜い顔の大男だ。思わず悲鳴をあげ後ずさるミーナに向かい、大男は静かな表情で口を開く。

「遅かった、ですか。もうおわかりかと思いますが、あなたはバンパイアにされてしまいました」

 大男の言ったことは事実だった。ミーナの体は、日の光を浴びることが出来なくなっていたのだ。日光を少しでも浴びると体に激痛が走り、皮膚に火傷のような症状が出る。
 また、ミーナの身体能力は人間のレベルを遥かに凌駕しており、体も頑丈であった。鉄の鎖を引きちぎるほどの腕力を持ち、動きも異常に速い。さらに、どんな怪我を負っても一瞬で治ってしまうのだ。
 そして、吸血鬼を吸血鬼たらしめている最大の要因……それは、血液を飲むことで飢えや渇きを満たしている点であった。今のミーナは、どんなものを食べても吐いてしまう。その体は、人間の食べ物をいっさい受け付けない。唯一、動物の血液の摂取のみがバンパイアの命を支えている。
 侵入してきた大男・ボリスと渡し屋ニコライの助けを得て、どうにか生活できるようにはなった。それでも、バンパイアになってしまった自分を受け入れるのに、半年近くの時間を要した。
 いっそ、身も心もバンパイアになりきってしまった方が幸せだったのかもしれない。

 それからのミーナは、復讐に生きてきた。
 人間としての幸せを全て奪われてしまった彼女にとって、生きながらえる理由はなどない。ならば、この世から消滅してしまう前に一匹でも多くのバンパイアを狩り殺す、それ以外に自身の存在理由など考えられなかった。
 夜な夜な街を徘徊し、バンパイアを見つけたら殺す。それこそが、ミーナの生活の全てとなっていた。
 


 

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