世にも異様な物語

板倉恭司

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裁判員はつらいよ

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 ある日、僕の家に手紙が届いた。
 何かと思ったら、裁判員の通知だった──

 ・・・

 そして今、この世にも奇妙な事件の裁判は始まった。法廷内では、検事が今回の事件について説明している。

「被告人の北岡信也キタオカ シンヤは、六月六日の深夜零時に、会社帰りの佐川樹サガワ イツキさんの前に現れ、金を出せと要求しました」

 その時だった。突然、弁護士が手を挙げる。

「異議あり! 検事は、被告の発言を正確に語っていません!」

「異議を認めます。検察は、当時の被告の発言を正確に伝えてください」

 裁判長の言葉に、検事は渋い表情になった。

「被告は、金を貸せと言いました──」

「異議あり! 検事は正確な再現をお願いします!」

 またしても、弁護士が異議を申し立ててきた。それにしても、あの弁護士、やけに言い方にこだわるな。いったい、どんな違いがあるのだろうか。

「異議を認めます。検察は、正確に再現してください」

「被告は、金を貸してくださいと言いました」

 検事は、そう言ったのだ。
 金を貸してください、とは。これは確か、強盗事件の裁判だったはず。なのに、貸してくださいときたか。
 どういうことなのだろう?



 続いて、被害者の佐川が証言台に立った。地味な雰囲気の、若い女性だ。年齢は二十五歳らしいが、まだ十代に見える。小さな体と幼い顔立ちが、彼女を余計に若く見せていた。

「質問します。六月六日の午前零時、あなたはどこにいましたか?」 

 検事の問いに、佐川は顔を上げる。

「帰宅する途中でした」

「その時、あなたの前に何者かが姿を現した。その人物は、ここにいますか?」

「はい」

「それは、被告人席に座っている人物で間違いないですね……」

 言いながら、検事は北岡の前に立った。

「この男ですね?」

「はい、そうです」 

 佐川は答えた。それに対し、検事は大きく頷く。

「わかりました。あなたの前に現れた時、彼は何を持っていました?」

「刃物です。形からして、果物ナイフだったと思います」

「なるほど。果物ナイフを持った彼が、あなたに何と言ったのですか?」

「お金を貸してください、と言いました」

 その言葉に、検事は大げさな反応をした。顔をしかめ、周りを見回す。

「果物ナイフを持った男が、金を貸してくださいと言ってきた……さぞや、怖かったでしょう?」

「はい……とても怖かったです」

 その時、弁護士が手を挙げた。

「異議あり! 裁判長、検察は答えを誘導しています!」

 だが、検事は言い返す。

「裁判長、佐川さんは小柄な女性です。武道や格闘技の経験があるわけでもありません。そんな彼女が、夜道で果物ナイフを持った男と出会う……恐怖を感じたのではないかという判断は、至極もっともなものかと思われますが?」

「異議を却下します。検察は、質問を続けてください」

 裁判長の冷静な声に、弁護士は悔しそうに座った。一方、検事は言葉を続ける。

「では、果物ナイフを持った被告に金を貸してくださいと言われ、あなたは恐怖を感じた。その後、あなたはどうしたのですか?」

「はい……お金を渡しました」

「いくらです?」

「三万円です」

 話を聞いていた僕は、被告人の北岡に視線を移した。ごく普通の青年、という感じだ。強盗などするタイプには見えない。
 事実、彼は真面目に生活していた。一月前までは、近所の町工場で工員として働いていたのだ。ところが、その町工場が倒産したために生活苦に陥り、今回の犯行に手を染めた。あるいは、他の理由もあったのかも知れないが。
 犯行の動機はどうあれ、これはよくある辻強盗だ。裁判は、すぐに終わるだろう……と考えていた。
 ところが、そう甘くはなかった。この事件は、僕の想像を超えていたのだ──



 続いて、弁護士が佐川に質問し始めた。

「被告はあなたの前に現れ、金を貸してくださいと言いました。これは間違いないですね?」

「はい」

「その時、あなたはどうしました?」

「えっと、お金を渡しました」

「その前に、何かやり取りがあったのではないですか?」

「や、やり取り?」

 困惑し、首を捻る佐川。その時、検事が手を挙げた。

「異議あり! 裁判長、弁護士は被害者を混乱させています!」 

 それに対し、弁護士は冷静に対処する。

「裁判長、被告と被害者の間で交わされたやり取りこそ、この事件の核となる部分です。ここだけは、はっきりさせなくてはなりません」

「異議を却下します。弁護人の質問に正直に答えてください」

 裁判長の言葉に、佐川はためらいながらも語り出す。さて、一体どんなやり取りがあったのだろう。

「あ、あの人は……ペコペコ頭を下げながら、金を貸してくださいと言いました」

「その後は? その後、彼は何をしたんです?」

「足を刺しました」

 予想外の言葉だった。では、北岡は佐川の足を刺して金を奪ったのか。となると、強盗傷害ではないか。
 しかし、それは間違いだった。 

「足を刺した、と言いましたね。では、誰の足を刺したのです?」

「自分の足です」

「つまり、北岡は自身の足を果物ナイフで刺したのですね?」

「はい」

 聞いていて、頭が混乱してきた。では、北岡は自分の足を果物ナイフで刺しながら「金を貸してください」などと言ったのか。そんなアホがいるとは……。
 強盗とは、別種の怖さがある。



 続いて、検事が北岡に質問することになった。

「当時、あなたは金に困っていた。そこで、手っ取り早く金を手に入れようと、果物ナイフを持って外に出ました。この時、強盗しようという意図があったのではないですか?」

「いいえ、なかったです」

「ほう、強盗をする気はなかったのですか。では、何のために外に出たのです?」

「誰かから、お金を借りようと思いました」

 さすがに無茶苦茶だ。夜中に誰かから金を借りようと思い、果物ナイフ片手に外に出たという話は……町にエイリアンが出たからナイフで撃退した、という話と同じくらいのバカバカしさだ。
 検事も、そう考えたらしい。呆れた表情で、大げさに首を振った。

「あなたは金を借りるため、なぜか果物ナイフを持って外に出た。すると、目の前を佐川さんが歩いていた。あなたは彼女に近づき、金を貸してください、と言いました。どうして、佐川さんを選んだのですか?」

「外で最初に出会ったのが、佐川さんだったからです」

「本当ですか? 佐川さんは、体格の小さな女性だ。この女なら、脅せばすぐに金を出すだろう……あなたは、そう考えたのではないですか?」

「違います!」

 北岡は、強い口調で否定した。
 見た感じ、彼は真面目そうな青年である。実際、近所でも評判は悪くなかったし、これまでの人生で警察の厄介になったことはないらしい。また、クソが付くほど真面目だったという話だ。強盗するようなタイプではない。

「では、何のために果物ナイフを持っていたのですか?」

「自分に罰を与えるためです」

 おいおい、と思った。全く意味不明だ。何の罰なのだろう。当然ながら、検事もそこを突いてきた。

「罰と言いましたね。それは、何に対する罰ですか?」

「見ず知らずの他人に対し、金を貸してくれと頼まざるを得ない自分に対する罰です」

 北岡は、真顔でそう言った。これはもはや、僕の理解を超えている。真面目なのはわかるが、その真面目さのベクトルがとんでもない方向を向いているらしい。さすがに、お手上げである。
 だが、続いての検事の質問は聞き逃せなかった。

「なるほど、自身に罰を与えるためですか。しかし、同時に果物ナイフが凶器になることもわかっていましたよね? さらに、佐川さんのような小柄な女性の前でナイフを出せば、恐怖心を煽ることも理解していましたよね?」

「そこまでは考えていませんでした」

 またしても、真顔で答える。これは、ちょっと無理があるだろう。果物ナイフとはいえ、刃物を出せば恐怖心を煽る……それを「考えていませんでした」では通らない。
 検事も、その点を突いてきた。

「本当に考えていなかったのですか? 自分に罰を与えるなら、他のやり方もあったはずですよね。にもかかわらず、刃物を持って外に出た……最初から、強盗しようと考えていたのではないですか?」

「断じて違います!」

 強い口調で否定した。だが、やはり無理がある。これは、強盗の意図があったと思われても仕方ないだろう。



 続いて、弁護士が北岡に質問する番だ。今のやり取りで、彼の印象は悪くなっているはずだ。いかにして、形勢を逆転するのだろう。

「あなたは今まで、罪を犯したことはありますか?」

「ありません」

「では、警察に逮捕されたこともないですね?」

「はい」

 それはわかっている。だが、問題はここからだ。弁護士は、どんな手を使うのだろう。

「そんなあなたが、仕事を失い生活に困窮した。挙げ句、見ず知らずの他人から金を借りようと思った……当時の自分の行動を、どう思います?」

「気が動転していた、としか思えません」

「なるほど。気が動転したあなたは、外に出た。すると、佐川さんが歩いているのが見えた。あなたは、金を貸してくださいと頼んだ……自分の足を、果物ナイフで刺しながら。これは、まともな行動ではないですね。なぜ、自分の足を刺したのですか?」

「自分への怒りのためです」

「もう少し詳しく教えてください」

「僕は、佐川さんに金を貸してくださいと言いました。同時に、そんなことをしている自分が恥ずかしく、また許せなくもあったのです。その感情に突き動かされ、気がついたら自分の足を刺していました」

「その結果、あなたは怪我をしましたね。病院で、何と言われました?」

「あと一回刺していたら、大動脈を傷つけてた……出血多量で死んでいたとしても不思議ではなかった、と言われました」

 僕は、思わず顔をしかめた。まさか、そこまでの怪我だったとは。いや、重傷と言っても差し支えない。
 この北岡、頭はおかしいかもしれない。だが、強盗と呼べるのだろうか。



 ここからは、検事の論告求刑と弁護士の最終弁論だ。判決は、次回に言い渡すこととなった。
 まず、検事が立ち上がる。

「被告は、被害者である佐川さんの前で自らの足を刃物で刺し、金を貸してくださいと要求しました。強盗罪は、暴行又は脅迫を用いて、他人の財物を強取したり、財産上不法の利益を得ると成立します。被告の行動は、まさに脅迫であり強盗罪が成立します。目の前で、刃物を振るい血を流し恐怖心を煽り、金を出させるように仕向けたのです。
 しかも被告は、卑劣にも強盗の意思はなかったなどと言っています。が、そもそも強盗の意思のない人間が、刃物を持って外に出るでしょうか? こんなものは、単なるごまかしに過ぎません。
 被告は、強盗罪の成立を妨げようと自らの足を刺し、さらに強盗の意思を否定しました。全ては、計算ずくの行動です。彼のような悪人を無罪にするなど、法治国家にとってあってはならない事態です。被告に、懲役七年を求刑します」

 うーむ、言われてみれば……やはり、果物ナイフを持っている時点で「強盗の意思はなかった」は無理がある。しかし、全てが計算ずくなら、こいつはかなりの悪人だ。 
 次は、弁護士の番だ。

「被告は、今まで真面目に生きて来ました。万引きさえしたことがありません。そんな彼が、いきなり強盗などするでしょうか?
 それに、彼の家には大きな肉切り包丁もありましたし、チェーンソーなど武器に適したものもありました。にもかかわらず、果物ナイフを持って出た……強盗の意思がある人間の行動としては、あまりに妙ですよね。
 しかも、被告は自らの足を刺し続けた結果、死ぬかもしれない大怪我を負いました。この行動は、強盗罪が成立するかを論ずる以前の問題です。完全に常軌を逸しています。心身喪失の状態であったと見るのが適切でしょう。したがって、被告は無罪であると主張します!」

 なるほど、確かに北岡の行動は無茶苦茶だ。おかしくなっていた、という見方は間違っていないだろう。そもそも、これは強盗罪が成立しているかどうか? その判断からして難しい。



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