ぼくたちは異世界に行った

板倉恭司

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喪失・黒沢貴史

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 一行は、その場でしばらく休むことにした。追跡者たちの死体から、金目の物や携帯していた食料などを奪う。
 自分たちは、本当に極悪人なのだ……とヒロユキは思った。人を殺し、その持ち物を奪う。この世界では弱い者を殺し、そこから奪うのが当たり前なのだ。それがこの世界の常識であるというのなら、受け入れるしかない。
 ヒロユキは黙ったまま、死体から着ている物を引き剥がした。

「ヒロユキくん、ちょっと君に手伝って欲しいことがあるんだ。君とニーナちゃんにね」

 タカシの声が聞こえた。ヒロユキが振り向くと、彼は相変わらずヘラヘラ笑っている。先ほどの、心に響いたセリフが嘘のようだ。
 ヒロユキは改めて、タカシという人間の幅の広さを感じた。ギンジとは、また違ったタイプの知性派とでも言おうか。だが、体力と度胸に関する限り、ギンジよりも上だ。おまけに異人種とも、言葉無しで意思を通わせることができる……ある意味、ガイやカツミよりも頼もしい存在である。

「ニーナちゃん、君はこの杖を使えるかい? 死んだ魔術師が持っていたんだ」

 そう言うと、タカシは魔法石の埋め込まれた杖をニーナに差し出す。杖に埋め込まれた魔法石は、わずかに黒く濁っている。だが、透き通っている部分の方が圧倒的に大きい。
 ニーナは杖を手に取り、しばらく眺めていた。そしてノートを開く。

(ツカエル)

「そうか。これを使えば、君の寿命を削らなくても済むんじゃないかな?」

 タカシが尋ねると、ニーナはこくりと頷く。横で聞いていたヒロユキはホッとした。これで、魔法を使ってもニーナの寿命を削らなくて済む。そうすれば、みんなを助けられる。ニーナの魔法は、みんなの頼りになるはずだ。
 ニーナも、戦わなくてはならない。

「どうしたんだい、ヒロユキくん」

 不意に、タカシが話しかけてくる。ヒロユキはハッとした。そう、この男に言わなくてはならないことがあったのだ。

「タカシさん、さっきは……ありがとうございます。もし、タカシさんがああ言ってくれなかったら……ぼくとニーナは──」

「お礼なんて、言わなくていい。あれは君たちのためだけに言ったわけじゃないんだよ。自分のため、でもあったんだ」

 かその声は、ひどく沈んだものだった。しかし、ヒロユキは声よりも、タカシの顔の方に驚いていた。これまで見たこともないような、ひどく暗い表情をしているのだ。一切の感情が消え失せ、人形のそれのような不気味な目をしている。

「ヒロユキくん、私はね……君たち二人に、私のような思いをして欲しくないんだ。昔、私にもいたんだよ。君にとっての、ニーナちゃんのような存在が……」

 ・・・

「ほらタカシ! 早くしないと学校遅れるよ!」

 登校までの道のり、タカシはいつもナオミに急かされる。どちらかと言うと、のんびりした性格のタカシ。一方、せっかちなしっかり者のナオミ。二人は真逆なタイプだった。
 外見もまた真逆であった。身長が百七十センチを超え、足が長く、モデルのようなすらりとした体型と美しい顔立ちのナオミ。百六十五センチのタカシはいつも、ナオミの顔を見上げる形で話すことになる。見上げたナオミの顔は、いつも眩しく見えた。
 そんなタカシの隣には、陽気なムードメイカーのキヨタカがいる。ヘラヘラしながら、地味で気弱なタカシにちょっかいを出しては、ナオミに叱られるというのがいつものパターンだ。
タカシはいつしか、ナオミのことを好きになっていた。友だちとしてではなく、異性として。
 もっとも小学生の時は、背も高くスポーツ万能で成績優秀、堂々とした態度である幼なじみのナオミに憧れていただけだったのであるが。気弱で、全ての面において平凡なタカシにとって、ナオミは友だちであると同時に、男女を超えた理想の存在でもあったのだった。
 それが……中学に入るとナオミの体に変化が生じ、タカシの気持ちにも変化が生じた。ナオミの顔が、ひどく眩しく見えるようになったのだ。気がついてみると、ナオミの一挙手一投足をじっと見つめていることがあった。そのくせ、ナオミの目を見ると、なぜか気恥ずかしくなって目を逸らせてしまうことも……。

「恋だな、それは」

 悩みを打ち明けたタカシへの親友のキヨタカの答えは、その一言であった。

「や、やっぱり、そうかな……」

「決まってんだろうが。ぷぷぷ……お前が、ナオミを……」

 キヨタカの顔は真っ赤になっている。恐らく、笑いを堪えているのだろう。タカシは、思わず怒鳴った。

「オ、オレは真剣なんだぞ! わ、笑うな!」

「ああゴメンゴメン。ま、相手はあのナオミだからな。当たって砕けるしか、ないんじゃないか。告白しちゃえよ。でないと、伝わんねえぞ」

「あ、ああ」



 しかしその後、三人の乗った飛行機が墜落した。

「お願いよ……ダガジ……ごろじで……ばやぐ……ごろじで……」

 そこは、この世の地獄だった。
 グシャグシャに潰され、あちこちに散らばる人体。
 文明の利器であった飛行機の、無惨な残骸。

 強い日射しが、血と肉片と鉄クズにまみれた場所を容赦なく照りつける。だが、タカシにとっては、そんなことはどうでも良かったのだ。
 それよりも、目の前の光景の方が衝撃だった。ナオミが、美しかった顔を歪めて訴えてくる。だが今、その顔は血まみれだ。投げ出された時に打ったのだろうか、左目とその周辺が醜く陥没している。
 さらに彼女の両足は、巨大な鉄塊の下敷きになってしまっていた。
 潰されてしまったのだ。
 あの、長く美しい両足が。
 タカシにとって憧れの象徴であり、コンプレックスの一因でもあった、ナオミの高い身長。その高身長の土台であった、長く美しい両足。
 それが、巨大な鉄塊の下敷きになってしまっている。

「ごろじで……お願い……ごろじで……」

 ナオミは訴え続ける。その声は人間のものとは思えなかった。その横では、キヨタカが震えている。明るくてお調子者ではあるが、タカシよりもずっとタフなはずのキヨタカ。だが、彼はへたりこんだまま震えている。
 タカシは震えながら、ナオミを見つめた。既にナオミの顔には血の気がない。蒼白になっている。タカシには詳しい医学知識などない。それでも、はっきりわかっていることがある。
 ナオミはもう、助からないだろう。
 ならば、彼女の最期の願いを……自分が叶える。
 なぜなら、自分は……彼女を愛して……。
 愛しているからだ。

 タカシは立ち上がり、ナオミのそばに歩いて行く。涙で視界が曇っているはずなのに、ナオミの顔がはっきり見える。タカシは号泣し、体を震わせながらも、彼女の首に手をかけた。
 だが、力が入らない。どんなに力を入れようとしても、自分の中の何かがそれを拒絶する。どうしても、首を絞めることができないのだ。

 なぜだ。
 なぜできない!?
 なぜ、力が入らないんだ!?

 タカシは手を離し、荒い息をつく。自分には、出来ない。出来そうもない。人を……それも、ナオミを殺すなんてことは。
 だが、またしても聞こえてきた声。

「ごろじで……お願いよ……あだじを……ずぎなら……」

 その言葉に、驚愕するタカシ。

 知ってたのかよ。
 クソ!
 お前は、オレの気持ちを知りながら……。
 それでも、オレに頼むのか?
 わかったよ。
 オレが殺る。
 そうだよ……お前の今の苦痛に比べれば、人殺しなんか……。
 大したことない。

 その時、タカシの口元が歪んだ。歪みは、笑みと呼ばれるものに形を変える。それに伴い、声が洩れていた。
 狂気の笑い声が。
 タカシは笑った。笑いながら涙を流していた。そしてナオミの首を絞める。タカシの心は張り裂けそうになっていた。だが笑うことで、かろうじて意思を保っていたのだ。もし笑っていなかったら……力が抜け、意思が挫けてしまいそうだった。
 次の瞬間、手に伝わってきたのは……何かが抜け出ていくような、奇妙な感触。
 直後、掠れそうな声。

「あり……がど……う」

 タカシは、ナオミの死に顔を見下ろした。美しかった顔は左半分が陥没し、表情は苦痛のために歪んでいた。しかし、どこか笑みを浮かべているようにも見える。
 その時、タカシは不思議な気持ちに襲われた……自分の中に巨大な空洞ができてしまったかのような、奇妙な感覚。
 次に、自分の体がとてつもなく軽くなってしまったかのような、あるいはふわふわ浮かんでいるかのように思えてきた……さらに、目に映る風景にも変化が生じた。現実感がないのだ。
 タカシは異様なものを感じ、自分の体に触れた。そして、あちこちに触れてみる。確かに感触はある。だが、薄いのだ。何かが決定的に欠けている。
 さらに、意味もなくこみ上げてきた笑い。タカシは笑った……笑いながら辺りを見渡した。唯一の生き残りであるキヨタカと目が合う。
 キヨタカは怯えていた。タカシを見る目には、ありありとした恐怖が浮かんでいる。だが、それすらも愉快だったのだ。

 ・・・

「私はそれ以来、ずっと不思議な感覚につきまとわれているんだ。胸に巨大な空洞があるような……そこは自分の体ですらないような気がする。何を見ても、薄ぼんやりとしているんだ。形は見えるが、薄いんだよ。まるで、夢の中にいるような気分なんだ。恐らく私は、あの時に……何か大切なものを失ってしまったんだろうね」

 淡々とした表情で語るタカシ。だがヒロユキは、今の話に衝撃を受け、打ちのめされていた。初恋の相手を、笑いながら絞め殺したタカシ。
 単純に考えれば、ホラー映画のひとつのシーンのように思える。笑いながら人を殺す殺人鬼……ホラーでは、よくありそうな題材だ。タカシのことを知らない人間なら、その行動だけで、タカシという男にひとつのレッテルを貼っただろう。殺人狂のサイコパスというレッテルを。
 しかし、異世界という名の地獄を見た今のヒロユキには理解できる。タカシは、意図的に自分の感覚を狂わせたのだ。狂気に身も心も委ねてしまうことで、タカシは終わらせることができたのだ。
 最愛の相手を手にかけるという行為を……。

「その後、どうしたんです? タカシさんと友だちは、どうやって日本に帰れたんです?」

 ヒロユキは胸が潰れるような思いを感じながらも、聞かずにはいられなかった。いつの間にか、ヒロユキの隣にはニーナだけでなくガイもいる。ガイもまた、真剣な表情で聞き入っていた。

「聞きたいのかい? では話すとしよう。その後、夜になると獣が来た。暗くてよくわからなかったが、恐らくライオンか、あるいはハイエナか……私たちは火で追い払おうとしたが、ダメだったよ。奴らは死体を食べ始めたんだ。私の……目の前で……だから……私は……」

 喋っているタカシの様子が、急におかしくなってきた。息が荒くなり、顔色が急激に変わり出す。青くなっているのだ。
 次の瞬間、タカシは手で口を押さえた。そして木の生い茂る中に飛び込む。
 やがて、嘔吐する音が聞こえてきた……。

「タカシさん!」

 ヒロユキは慌てて後を追う。タカシは地面にしゃがみこみ、胃の中のものを戻している。ヒロユキは汚物の匂いに構わず、タカシの背中をさする。ガイもまた、心配そうな顔で近づいて来た。

「すまない。私は、まだ……」

 そう言うと、タカシは立ち上がった。ヒロユキとガイを交互に見る。

「ヒロユキくん、ガイくん……君たち二人には、私のような思いをして欲しくないんだ。私の心の中には、穴が空いている……巨大な穴がね。私はいつも、覚めない夢を見ているような気分なんだよ。現実感のない……もしかしたら、私は誰かの夢の中に迷いこんでいるのかもしれないと思うこともあるくらいさ。それなのに、危険な状況にいる時だけは現実感が甦るんだ。ひょっとしたら私は、いつの間にか人間を辞めてしまっていたのかもしれないな……永遠にね。だが、君たちには愛すべき者がいる。私のようになってはいけない……絶対に」

 そう言って、タカシは笑った。だが、いつものヘラヘラ笑いではない。哀しさに満ちた笑みだった。見ているこちらまで、胸が潰れそうになるくらい……。
 ヒロユキは堪えきれなくなった。目から涙が溢れ出る。彼は嗚咽を洩らしながらも、タカシに訴えた。

「タカシさん、あなたは人間です……誰よりも……強く……誰よりも優しい……あなたは……」

 ヒロユキは言葉が続けられなかった。その場で泣き崩れる。すると今度はニーナが近づき、ヒロユキの頭を撫でる。
 いつの間にか、ギンジやカツミ、さらにはチャムまでがやって来て、こちらをじっと見ている。ギンジとカツミは黙ったまま、成り行きを見守っていた。二人とも険しい表情である。
 だが、何かを堪えているようにも見えた。かつて持っていたはずの何かを、揺り動かされているようにも……。
 だが、ニーナにすがりつき、泣いているヒロユキには見えていなかった。代わりに、タカシの声が聞こえてきた。

「ヒロユキくんは、泣き虫だなあ……」











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