夏休みの終わり

板倉恭司

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目覚め

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 その時、これまで味わったことのない異様な感覚が、零士の五体を駆け巡っていった。
 同時に、凄まじい感情のうねりが心を包み込む。生まれて初めての、制御不能な怒りに支配されていた。それに伴い、理性のタガが砕け散る──

 よくも母さんを殺したな!
 お前を殺す!
 オマエヲコロス!

 零士は、凄まじい勢いで飛び上がった。一気に間合いを詰め、統志郎に襲いかかる。怪物と化した父の体を掴み、力任せに放り投げた。
 統志郎の体は、軽々と飛んでいった。壁に叩きつけられ、派手な音を立てる。コンクリートの壁がへこみ、小さなひびが入っていた。しかし、その程度では何のダメージも受けていないらしい。統志郎は、素早く立ち上がる。
 立ち上がった父に、零士はなおも襲いかかっていく。この少年は、今まで人を殴ったことがなかった。他人の顔面に、拳を叩きつけるような行為には全く興味がない。喧嘩が嫌いだからこそ、他人とのかかわりを避けていた部分もある。
 しかし、今は違っていた。本能の命ずるまま、ひたすら攻撃を繰り返す。もはや、自分でも何をしているのかわからない。ただただ、殺戮の衝動だけが少年を突き動かしていた。



「零士」

 誰かが呼ぶ声がした。零士は、声のした方を向く。
 そこには、生首があった。引きちぎられ、床の上に無造作に置かれている。
 先ほど、自分が引きちぎったのではないか。現に、血まみれの体がすぐそこにある。床に倒れているが、まだピクピク動いていた。うっとうしい奴だ。後で、バラバラに引き裂いてやろう。
 もっとも、こんな状態になっては生きていられない。今はまだ動いているようだが、じきに死ぬはずだ。
 にもかかわらず、生首ははっきりとした口調で喋りかける。

「零士、お前は生きてくれ」

 そう聞こえた。
 直後、悲しげな表情で瞳が閉じる。ひとすじの涙が流れた。
 だが、零士はそんなものに構っていられなかった。片方の敵は死んだらしいが、もうひとり殺さねばならない敵がいる。自分の、大切なものの命を奪った憎い奴だ。
 しかも、そいつは獲物でもある。ひと暴れして、飢えを感じていた。この飢えを、何とかしなくてはならない。を殺して食うのだ。
 
 零士は、ゆっくりと振り返る。
 敵は、怯えた気配もなく立っている。逃げるような素振りもない。なら、好都合だ。零士は牙を剥き出し、すぐに襲いかかろうとした。
 すると、相手は落ち着いた様子で口を開く。

「零士くん、まずはこれを見たまえ。今の君の姿だよ」

 声と共に、ペドロが突きだしたものは鏡だった。手のひらより、少し大きなサイズのものである。
 鏡には、緑色の生物が映っていた。

 何だこれは? 

 動きが止まる。そっと、自身の顔に触れた。鋭い鉤爪の感触がある。人間の手には、ないはずのもの……。
 間違いない。目の前に見えている異様な生物は、自分の姿なのだ。

 零士の口から、異様な声が出る。悲鳴とも、咆哮ともつかないものだ。同時に、体が震え出す。今、何が起きているのだ? この姿は何だ? そもそも、自分はここで何をしている? 
 次々と湧き上がる疑問が、零士の心をズタズタに切り裂いていく。口からは、叫び声が出ていた。だが、人間の声とは違う。獣の咆哮だ。
 喚きながら、壁を思い切り殴りつける。衝動のまま、何度も殴りつけた。頑丈なはずの壁が、異様な音を立て揺れる。さながら地震のようだ。それでも、零士は殴り続ける。

 僕は怪物になってしまった──
 嫌だ! こんなの嫌だ!
 誰か助けて!

 その時、声が聞こえてきた。

「落ち着きたまえ。君は強い少年のはずだ。それに、自身の姿を変えられる能力ちからもある。まずは息を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。今は余計なことを考えるな。何も考えず、呼吸に意識を集中するんだ。いいね」

 言ったのはペドロだった。今の彼の声は優しく暖かみがあり、こちらの心の奥底にまで浸透していく。
 零士は、動きを止めた。言われるがまま、呼吸することだけに意識を集中させる。
 深く吸い、ゆっくりと時間をかけ吐き出す。徐々に気持ちが落ち着いてきた。
 同時に、姿も変わっていく。元の人間の形へと戻っていった──

「そう、その調子だ。君は強い。自分をコントロールするんだ。本能に流されるな」

 またしても、声が聞こえてきた。零士は、めまいのような感覚に襲われ床に座り込む。
 そこに、ペドロが語りかけてきた。

「由美さんを殺したのは、統志郎氏ではない。変身した君だったのだよ」

 言われるまでもない。自分でも、既にわかっていた。心の奥底に封じ込めていた記憶。出来ることなら、そのまま忘れ去ってしまいたかった。
 だが、ペドロは語り続ける。

「統志郎氏は鬼だった。それも、極めて特殊なタイプのものだ。普通の鬼は、人肉以外のものは食べられない。消化できず、もどしてしまう。ところが、統志郎氏は人間と同じものを食べることが出来た。したがって、人間を食べる必要がない」

 それは間違いない。
 朝食と夕食の時、統志郎は零士と一緒に食べていた。大橋と、三人で食卓を囲んだ思い出が蘇る。

「しかも、日の光への耐性を持っているため、昼間も問題なく活動できる。その上、他の鬼にはない様々な特殊能力も持っていた。そのため、彼は鬼たちのリーダーとしてこの島に君臨していた。そんな統志郎氏と、風間由美さんとの間に生まれた子供が君だ。君もまた、統志郎氏と同じく鬼だった。日光に耐性があり、特殊な能力を持つ存在だ」

 語るペドロの前で、零士は無言のまま座っていた。様々な感情が、胸の中で蠢いている。

「君の母親である由美さんも、鬼の存在を知っていたようだ。統志郎氏が鬼であることまで知っていたかは不明だがね。とにかく、由美さんは鬼の存在を知り、同時に島の秘密も知ってしまった。だからこそ、統志郎氏と離婚したのさ」

 言われてみれば、思い当たる点はあった。
 母は、父のことを語ろうとしなかった。幼い頃には、無邪気に聞いてみたことがある。なんで、うちにはお父さんがいないの? と。母は、お父さんは遠いところにいるとしか言わなかった。
 今にして思えば、あれは夜禍島のことだった。確かに、ここは違う世界だ──

「これは、俺の想像でしかないが……統志郎氏は最初、君を鬼ではないと思っていたようだ。だから、由美さんと離婚した際、親権を彼女に渡した。それでも、密かに君たちの様子をそれとなく探ってはいたようだね」

 そうだったのか。
 ならば、もっと早く助けて欲しかった。真実を教えて欲しかった。

「ところが、事件が起きたことにより、零士くんに鬼の血が受け継がれていることを知った。そこで、君を後継者にするため島に呼び寄せたのだ」

 そこで、ようやく零士は口を開いた。

「じゃあ父は、僕を愛していなかったんですか……」

「それは違う。統志郎氏は、君を愛していたのは間違いないよ。最初は、君を人間だと思っていた。だからこそ、鬼の世界とはかかわらせまいと、あえて接触しなかったのだよ」

「本当ですか?」

「おそらくは、ね。調べたところによると、鬼という種族は子供が生まれにくい体質のようだ。しかも、君のような男の鬼が生まれるのは、非常に稀なケースらしい。鬼のリーダーであった統志郎氏も、生まれた直後は、君が鬼であることに気づいていなかったようだ」

「そんな……でも、僕は今まで何をしても駄目だったんです。チビだし、力も弱くて運動神経もない。なのに、なぜ……」

 虚ろな表情のまま、零士は呟くような口調で言った。
 今まで、自分にこんな力があるとなど思ってもいなかった。スポーツはまるで駄目だし、腕相撲のような単純な力比べでも負けてばかりだった。
 そんな自分が、人を喰らう怪物だったとは……。

「鬼から生まれても、鬼の血を受け継いでいるとは限らない。特に男性の場合、ほとんどが人間であるらしいよ。君は今まで、自分を人間だと信じていた。そもそも、人として生まれて人として育っていたのだから、それも当然だろうね。だからこそ、君は鬼の力を無意識のうちに抑え込んでいたとも考えられる。人間として生きたいと願う気持ちが鬼の力を封じ、特別に無力な人間を演じさせていたのかもしれないね」

 ペドロは、理路整然とした口調で疑問を解いていく。その時、零士は思い出したことがあった。

「初めて会った時、あなたは気づいていたのではないですか?」

「何をだね?」

「僕が人間ではなく、怪物だということです」

 そう、ペドロは零士の顔を見て言ったのだ。これは驚いた……と。
 あれは、零士の正体に気づいていたからではないのか。

「ああ、気づいていたよ」

「なぜ、言ってくれなかったんですか?」

 静かな口調で尋ねる。しかし、ペドロの答えは実にシンプルなものだった。

「言ったところで、君は信じなかっただろう」

「そうですね」

 零士は頷いた。認めたくないが、認めざるを得ない。
 ペドロの言う通りだった。あの時、君は鬼だなどと言われたところで、誰が信じただろう。この男は、頭がおかしいと思うだけだ。そう、教えられたところで、自分には何の手も打てない。この結末は、避けることなど出来なかったのだ。
 運命とは、何と非情で残酷なものなのだろう。零士の口から、自然と笑い声が漏れ出ていた。無論、おかしくて笑っているのではない。もはや、笑うことしか残されていなかったのだ。
 一方、ペドロはにこりともしない。じっと少年を見つめている。その顔には、何の感情も浮かんでいない。
 やがて、零士の笑いが収まった。ペドロに向かい口を開く。

「あなたに、お願いがあります」

「何だね?」

「僕を殺してください」
 



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