凶気の呼び声~狭間の世界にうごめく者~

板倉恭司

文字の大きさ
51 / 73

一郎、女と会話する

しおりを挟む
 床は血の海だ。
 人が、ふたり倒れている。そのふたりに馬乗りになり、狂ったように手を振り下ろしている男がいた。
 次の瞬間、男はこちらを見る。
 ゆっくりと、こちらに歩いて来た。手には、血だらけの包丁が握られている。
 その顔には、見覚えがあった。


 仁美一郎は目を覚ました。
 恐ろしく気分が悪い。その上、未だに頭が混乱している。
 昨日の出来事はなんだったのだろうか? 会社に、何度も電話したのに通じなかった。いつの間にか、会社が電話番号を変えてしまったのだろうか? 
 しかも、あの大柄なスキンヘッドの男は誰なんだ?
 どこかで会っているはずだ。

 一郎は時計を見る。既に夕方になっていた。いつもは、目覚まし時計をセットしなくても朝の七時に起きられていたのだ。

 壊れていく。
 俺の世界が、凄まじいスピードで崩壊している。

 起き上がり、服を着替える。電話が通じないのなら、直接会社に行くしかない。何も食べずに家を出た。



 駅までの道を歩いている最中、一郎はこれまでの出来事について考えてみた。どうしてしまったのだろうか。つい一月前までは、普通に暮らしていたはずなのだ。会社に行き、仕事をして、そして家に帰る。

 いつからこうなった?
 いや、待てよ。
 そもそも、俺の目に映っているのは現実か?
 俺が触れている物は、実在しているのか?

 自分の感覚すら信用出来なくなってきている。どうしてしまったのだろうか。
 その時、目の前をひとりの女が通り過ぎて行った。

 あの女だ。
 今の自分を救うことができる、唯一無二の存在。

 女は歩いていく。どこに向かっているのか、早足でわき目もふらず進んでいた。
 その瞬間、一郎の目的地は変わった。女を追い始める。仕事帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生を避けながら、女に追い付こうとする。
 しかし追い付けない。女は普通に歩いているはずなのだが、その速度は異常に早い。

 追い付けない。
 このままだと、見失ってしまう!

 一郎の顔に、不気味な表情が浮かぶ。前を歩いていた女子高生を突き飛ばし、進んで行く。誰かの罵声が聞こえたが、そんなものは無視した。一郎の目に映るもの、それは前を進んでいる女だけだった。



「なぜ……付いて来たの……」

 人気ひとけのない裏通りに入ると同時に、女は振り返る。その顔は悲しげだった。

「あなたは誰なんです? やはり……俺の思った通りの人なんですか?」

「そう。ずっと、あなたを見ていた。私には気づかないでいて欲しかった」

 女の声は、ひどく悲しげだった。

「何を言ってるんです。あなたは俺の光だ」
 
 うわ言のように呟きながら、一郎は女に近づいて行く。今の自分を救える者は、この女しかいないのだ。
 彼女は全てを知っている。
 その時、女は手を伸ばした。

「一郎、あなたは子供の時のことを覚えてる?」

「子供の時?」

 記憶を辿ってみた。子供の時の出来事は、少ししか覚えていない。まず母親が消えた。父親が再婚し、新しい母親と姉ができた。

 姉?

「思い出した?」

 女の言葉に、一郎は頭を抱える。そう、自分には義理の姉がいたのだ。おぼろ気な記憶を辿る。

「あなたは……俺の姉さん?」

「違う。私はあなたの姉さんじゃない。あなたは姉さんと何度も会っている」

「そんな……」

 一郎は途方に暮れた。姉とどこで会っているというのだ? そもそも、自分は姉の存在すら忘れていた。

 待てよ。
 俺はなぜ、姉の存在を忘れていたのだ?
 何が起きている? どうしたんだ? 狂ってる? 何が現実だ? 俺は正気か? この女は誰だ? 何を信じればいい? そもそも、会社はどうなった? 一昨日のあれは一体なんだったのだ? あの男は何者だ?

 突然、湧き上がってきた疑問の数々に一郎は耐えきれず、その場にうずくまる。

「俺はどうしたらいいんです? わからない。何がどうなっているんですか?」

「思い出して。五年前に何があったのかを」

 五年前だと?
 何があった?

 一郎はうずくまったまま、必死で考えた。五年前……そう言えば、父と母は五年前に死んだ。悲しくもなんともなかった。葬式が面倒だったのを覚えている。父も母もどうしようもないクズだった。だから、死んだからと言って悲しくなかった。

「そう、あなたの両親は五年前に死んだ。でも、あなたは間違っている。両親は殺された」

「違う。父と母は事故で死んだんだ」

 そこまで言ったとたん、愕然となる。近頃、毎晩のように彼を悩ませる悪夢。怪物がふたりの人間を食べる夢。
 食べられているのは両親だった。



 気がつくと、家に帰っていた。そのまま、再び眠りにつく。
 その夜、また悪夢を見た──

 



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

月の綺麗な夜に終わりゆく君と

石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。 それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の 秘密の交流。 彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。 十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。 日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。 不器用な僕らの織り成す物語。

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

新しい家族は保護犬きーちゃん

ゆきむらさり
エッセイ・ノンフィクション
〔あらすじ〕📝初めて🐶保護犬ちゃんを迎え入れる我が家。 過去の哀しい実情のせいで人間不信で怯える保護犬きーちゃん。 初日から試行錯誤の日々と保護犬きーちゃんがもたらす至福の日々。 ◇ 🔶保護犬ちゃん達の過去・現在の実情の記述もあります🐾 🔶日々の些細な出来事を綴っています。現在進行形のお話となります🐾 🔶🐶挿絵画像入りです。 🔶拙いエッセイにもかかわらず、HOTランキングに入れて頂き(2025.7.1、最高位31位)ありがとうございます🙇‍♀️

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

処理中です...