魂(『はな六』番外編)

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魂 ①

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 サイトウは刑務所暮らしは苦にならない方だった……はずなのだが、今度の、人生で通算三度目(少年院を含めば)になるお務めは、ほんの少し、つらいものがあった。俺も年ィ取ったかんな……。たぶん加齢のせいで環境への順応力が低くなったのだろうと、考えた。規則正しい暮らし自体には馴れていた。彼は毎日変わらない日々を暮らすのが、元来好きなのだ。これは祖母の影響だ。サイトウを六つまで育ててくれた祖母は、とある宗教の熱心な信者で、朝昼夕の決まった時間に神棚に向かってお祈りをしていた。サイトウは祖母の宗教は受け継がなかったが、毎日同じ日課をこなして生活するという習慣は受け継いだ。
 刑務所の昼は単調な作業労働をこなす間に飛ぶように過ぎていき、夜はうんざりするほど長い。考える時間が沢山ありすぎて、かえって疲れてしまう。何もしない時間を考える時間とすることが、サイトウにとっては異常なことだ。
 薄い布団に大人しく入って、天井を仰ぎ見る。雑居房では誰も彼もが息を潜めて眠っていて、ため息一つ吐くのにも気を遣う。一人くらいイビキの五月蝿い奴がいてもいいくらいだが、どういうわけかこの部屋の面子は皆、ちゃんと息をしているのかこちらが不安になるくらいに静かに寝る。サイトウ自身のイビキはそうとうでかく響くらしいが、誰も文句を言ってこない。
 すんっと控え目に鼻から息を吸った。左脇の辺りが寒々しい。腕の付け根に重みがかからないことに、いまだ慣れない。そこが“俺のはな六”の指定席だった。はな六もまたサイトウのイビキを気にせず熟睡する奴だったのだが、ここの連中のように我関せずといった体ではなかった。サイトウの胸に鼻面を埋めて、本当に安心しきった様子で、安らかに肩を上下させて眠ったものだ。そんな人間はサイトウの人生の中ではな六ただ一人だ。
 俺の何が悪かったんかな……。サイトウは考える。稲荷大明神を怒らせるようなこと……俺の何が間違っていたのかと。毎晩、考えるが、答えはいつも分からない。月のない夜の室内は暗く、だが夜目の利くサイトウには、それでも灰色の天井がぼんやりと見える。
 考えているうちにいつの間にか眠りに落ちている。まるで死んだような無の世界を揺蕩っていると、ぼんやりとした朝ぼらけの気配が近づいてくる。夜明けがずいぶん早くなった。少し前なら、これくらいの時間帯がはな六が布団にこっそり潜り込んでくる頃合いだった。
 はな六はサイトウが気付いていないと思ってそろりそろりと布団に足を入れ、背中に寄り添って眠ろうとする。それをサイトウはすかさず捕まえる。はな六はくすぐったそうに嬌声を上げ、足をじたばたする。こっちを向かせて、はな六のつんとした鼻に鼻梁を擦り付ければ、はな六は目を細めて顎を上げ、口付けをねだる。お望み通り唇を押し当て、軽く食んでやると、大きな目を二三度瞬いて、うっとりと頬笑む。サイトウははな六のその表情が好きだ。甘いお菓子をお腹一杯食べた子供のように満ち足りた笑顔。大枚を叩いてボディをすっかり修理してやった甲斐があったというもの。以前のはな六は、常に痛みを我慢していたのか、可愛い顔に似合わない、頑固老人のような顰めっ面ばかりしていた。安らかな顔をするのは寝ているときだけだった、以前のはな六。もっと早くに気付いて、治療を受けさせてやればよかった……。
 目を開けると、相部屋の住人達の微かな寝息だけが聴こえた。左の腕の付け根にまだ重みと温かみが残っている。冷たい鼻先や頬、指先の感じも。脚の間に差し入れられた脚の感触も。時々このようなことがある。淋しがりなあいつのことだ。きっと見えないだけですぐ側にいて、ひとが寝ている隙をうかがって甘えに来ているのだろう。
 天国に行くのだと、別れ際にはな六は言った。だが、天国の門から締め出されてしまったのか、それともやっぱり思い直したのか、はな六の魂はまだ現世に留まっている。
 朝、裏庭に出て神棚に供えるヒメサカキの枝をとっていた時間になる頃にはもう、サイトウは分刻みで忙しない刑務所暮らしの日課に組み込まれている。午前中の作業の間にまた手紙が届いていた。仲間達の羨ましげな視線を避け、誰にも見られないようにそっと、封も開けずにそれを捨てた。どうせ“あのはな六”からだ。あのはな六はサイトウのはな六ではない。サイトウのはな六の中に短期間だけ人工魂のチップを埋め込んでいただけの他人。それがしつこく手紙を寄越してくる。あのはな六が何のつもりでそのようなことをするのか、サイトウは知りたいとも思わなかった。
 サイトウはアンドロイドの魂に関して、独自の考えを持っている。アンドロイドの魂は……それは人間や動物の魂のように神様から与えられた魂のことだ……機械で製造された人工魂ではなくボディに宿るのだと。つまり、アンドロイドという生き物は、昔話に出てくる付喪神の一種だとサイトウは思うのだ。長い年月を経て霊を宿した人形、それが“俺のはな六”だ。俺が古いちょんの間でお前を見つけた時、それは既に魂を宿していた……俺がそれに覆い被さると、鎖をちゃらちゃらといわしながら身動ぎをして、薄目を開けた……その目は生きている人間のもんだった、間違いねぇ……。世間で定義されるアンドロイドの“魂”なぞ、ボディを起動させる鍵でしかなく、命そのものではない。サイトウはそう思う。
 なのに、……あの医者は……はな六の魂とやらを解放してやれとサイトウに言い、はな六の死をただボディが壊れただけだと言った。だからサイトウは医者に思い知らせてやった。クリニックから出てくるのを待ち伏せ、鉄の棒で頭をめった打ちにした。俺のはな六と同じ苦しみを味わってみろ! アンドロイドがボディを喪ったらどうなるか、体験してみるがいい! 結果としてサイトウは殺人の容疑で逮捕され有罪になったのだから、自分の仮説は正しかったのだろうと思った。医者もはな六も壊れたのではない、死んだのだ。
 ともかく、どうして“俺のはな六”を喪わなければならなかったのか、サイトウには全く心当たりがなかった。だがはな六の魂はいまだにサイトウのすぐ側にいる。もしかすると、科された二十年のお勤めを果たせば、はな六は自分の元に帰って来るのかもしれないとサイトウは考えることにした。
 昼は光陰矢のごとくと感じ、夜には一日千秋と思った。同房のメンバーはころころ入れ替っていった。去ったと思ったらまた戻ってきた者もいたし、ずっと出て行かなかったのに二度と会えなくなった者もいた。サイトウは時間の感覚を喪っていった。ふと気付いてみれば、仕事柄荒れて黒く汚れていた手から汚れは消え、なのにいっそう節くれだってがさがさにひび割れていた。そんな両手を見て、長い時が過ぎたのを思い出した。
 お勤め最後の数ヶ月には少しは変化があった。出所した後で世間から浮かないように、ちょっとは髪を伸ばすことを許された。それでやっと、自分の髪がもうすっかり白くなっていて、昔のイカした髪型には戻せそうにないことに気づいた。
 いよいよ解放の時が近づくと、住み慣れた房から出され、別の一人部屋をあてがわれた。前回のお勤めとは違うのは、出所後の生活に関してくどくどと注意を受けなかったこと。出所後も規則正しい生活をするように、飲酒、喫煙、自慰をやり過ぎないように、そんなごく当たり前のことをこれでもかというくらいしつこく言われるなど、前回は罪人というよりはむしろ病人扱いされているようだった。だが、今度はそういったことはない。サイトウの思惑通り、刑期の終わった翌朝、サイトウはただ塀の外に出された。
 誰も迎えに来る者はいないと思っていた。唯一の頼れる友人からは、いつの間にか面会も手紙もなくなってしまっていた。きっと死んでしまったのだろう。マサユキのモットーは「人生は太く短く」で、彼はサイトウとは真逆の暮らしぶりをしていた。好きな時に寝起きして、好きなだけ飲み食いするし女の子や男の子を抱いた。そんな生き方をしていれば当然、長生きはできない。
 マサユキのことはあてにしなかった。ただ、差し入れてもらった金だけは大事にとっておいた。刑務所の作業労働で稼いだ金と合わせて、そんなに大した額ではないにしろ、生活の足掛かりを作る助けにはなるだろう。
 生憎の曇り空の下、長い塀とアスファルトの道路しかない景色は、塀の内側以上に殺風景だった。そんな風景のなか、まるで黒い染みのように立ち竦んでいる男の姿が真正面に見えて、サイトウはそれを大回りに避けて行こうとしたが、
「サイトウ」
 特徴的な、きゃんきゃんと座敷犬の吠え声のような声で呼ばれた。
「ソラ!」
 その名で呼ばれたのは、いつ以来だろう。サイトウは自分をその名で呼ぶのを祖母とマコちゃん……サイトウの母親にしか許していなかった。
 寒そうに鼻の頭を赤くして、はな六は待ち受けていた。サイトウが両手を差し伸べると、はな六はその手の上に掌を重ねた。相変わらず、冷えきった指をしていた。だが確かに生きているものの手だった。厚く張った氷の下を流れながら春を待つ小川のせせらぎのような冷たさで、誰かが……サイトウが温めてくれるのを待ち望んでいる。まごうことなく“俺のはな六”の手だった。抱き締めてやるとはな六は嗚咽を上げ、そして幼児のように声を上げてわんわんと泣いた。はな六ははな六で、何の罪を犯したのか……サイトウから引き離されてずっと真冬のような二十年を生きてきて、やっとのことでサイトウの元へ帰ってこれたのだ。
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