魂(『はな六』番外編)

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魂 ④

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「ごめんなさいでした」
「……あ?」
 校舎の屋上に出る扉の内側の薄暗がりで、いつものように二人で昼飯を食べていると、マサユキは藪から棒に謝罪をしてきた。ごめんなさいでした……ふざけた言い方だが、そういう言い方をするときに限って、マサユキは深く反省をしているのだ。サイトウはコンビニの手巻きおむすびを咀嚼していた。一晩冷蔵庫に入れておいたので、おかしな味はしなかったが、飯がすっかり硬くなってしまっていた。飲み込んで、ペットボトルの茶を含み、それから応えた。
「俺、オメェから何かされたっけか」
「君本人にというか、なんというか。あのですねぇ、僕、つい、君との縁を繋いでおきたいがために……りっ、じゃなかった、はな六ちゃんを利用してしまいました。だから、ごめんなさいでした」
「はぁ?」
 マサユキはもう弁当を食べ終え、サイトウが分けてやった惣菜パンも食べてしまい、胡座の上に置いたぬいぐるみを手でもてあそんでいた。クマともタヌキともつかない、ぽんぽこりんの青くてぼろぼろのぬいぐるみ。マサユキは昔からこういった可愛いマスコットのようなものが大好きなのだが、親に嫌な顔をされるので自分のぬいぐるみを持てず、歳の離れた妹のものを借りては愛でていた。
「つうかさ、はな六っちゃ誰だよ。オメェのオナショウ?」
 えっ……と、マサユキは心配そうな顔でサイトウを覗き込んだ。
「りっ、じゃなかった、はな六ちゃんのことを、サイトウ君は忘れてしまったんですか?」
「忘れたっちゅうか、知らねぇなぁ、そんなヤツ」
「そうですか」
 マサユキは俯いて、膝の上のぬいぐるみを弄り始めた。クマともタヌキともつかないぽんぽこりんの青いぬいぐるみは、脚は短いのに両手はバネで出来ていて、引っ張るとびょーんと長く伸びた。その長く伸びる手をマサユキは交互に引っ張り、伸ばして縮めてとやっている。親に叱られるのが嫌で、友達に馬鹿にされるのが嫌で、こんな所で隠れてこそこそと遊んでいる。こんな可哀想なヤツに、サイトウは何も言えずに黙り込んだ。呑気で良いなとサイトウは思った。マサユキの何が悪いのかはわからないが、少なくとも年寄りを平手で打った自分よりは悪くはないはずだ。サイトウは自分の掌を見た。いまだに祖母を打ったときの感触が生々しく残っていて、もう節くれだってしわしわで、あの頃の祖母と同じくらいに年寄りなのに……。
 半世紀近く昔のことが、昨日のことどころか、ついさっきの出来事のように思い出されるなど。時間の感覚を喪いつつあるのか。もしかすると自分は呆け始めているのでは。なにせもう、あの頃の祖母と同じくらいの歳になっているのだ。
 
 ものの三日であっさりと、はな六は目を覚ました。サイトウが見舞うと突然むくりと起きたのだ。目をしぱしぱと瞬いたはな六の表情からは、生きているものの感じがした。
「サイトウ」
 はな六は相変わらずの舌っ足らずな声色で呼んだ。
「おれ、お腹空いちゃった」
「ったく、オメェって奴は。人の気も知らねぇでよ」
 サイトウがはな六の顔に手を伸ばそうとすると、はな六は一瞬首を竦めた。サイトウもぎくりとして、ちょっと手を引っ込めたが、そろそろとはな六の頬に手を伸ばし、触れた。はな六は自分からサイトウの掌に手を添えて頬擦りをし、口付けた。
 
「お医者さんがさぁ、一度魂を検査に出した方がいいんじゃないかって言ってたよ。ボディの方はそこらのクリニックで検査や修理をできるけど、魂は製造元まで持っていかないと検査できないんだって」
 花見に行きたいなどというから、サイトウははな六を連れ出した。ほんの近所、ただの公民館の周囲をぐるりと桜が囲んでいる。住宅街の真ん中で大通りからは見えないからか、いつもひと気がない穴場だ。花の盛りは既に過ぎて、微風が吹く度に花びらが煩いほどにばさばさと舞った。
「でもさ、おれ嫌だよ。だって魂だよ? もし壊れてたって、どうしたらいいの。直したら直したで、もとのおれじゃなくなりそうじゃない? お金だってきっと沢山かかるしさ」
「おぉ」
「なんだよ、おぉって。気のない返事」
 はな六はブスッとしてサイトウから視線をソフトクリームに戻した。サイトウは缶コーヒーの残りを一気に飲み干し、はな六を見た。はな六は丁寧にソフトクリームを舐めとっていく。さすが元セクサロイドなだけあって、巧みな舌づかいだ。だがサイトウがじっと見ているのに気づくと顔を上げ、唇に着いたクリームをぺろりと舐めて言った。
「サイトウ、今なんか変なこと考えてただろ」
「あ? 考えてねーよ」
「ほんと?」
 はな六はサイトウをじっと見詰めた。昔は、サイトウがはな六を見詰めれば、はな六はきまり悪そうに視線を逸らしたものだった。なのに今は、まるで心の奥底まで見透かそうとしているかのように、じぃっと見てくるのだ。
「そんな穴の空きそうなほど見んなや」
「だって、サイトウの目、綺麗なんだもん。いいなぁ、おれもサイトウみたいな色の目にすれば良かったかな」
「いいんだよオメェはよ。そのドングリみてぇな色がお似合いだ」
 そっと口付けてやると、ほんのりとバニラの甘い味がした。はな六は目をすっと三日月型に細めて笑った。
「オメェは俺のはな六だからよ。何も変えることなんてねぇんだ。なぁ」
 はな六は頷き、すっかり平らになるまでクリームを舐めてしまうと、コーンをもそもそと齧り始めた。サイトウははな六の肩を抱いて、ごめんな、と言葉にはせず心の中で思った。
「オメェは俺のはな六だからよぉ」
 せっかく二十年もかけて俺のもとに帰って来てくれたのに、つまんないことで俺のはな六じゃないなんて思って悪かった。そうしんみりと思っていると、はな六はニヤリと笑って言った。
「おじいちゃん、それもうさっき聞きました。呆けるのにはまだちょっと早いんじゃないの?」
「オメェ、ずいぶん生意気な口きくようになったじゃねぇか、あ?」
 サイトウははな六の、コーンを口いっぱい頬張って丸くなったほっぺたに口付けの雨を降らせた。 


(おわり)
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