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第14話
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「これは……驚いた。湿気にも崩れず、携帯にも適し、腹持ちもいい。」
一人の騎士が、金色に焼けた“旅のひとくちパン”を噛みしめた。見た目こそ粗末だが、皮はしっかりとした噛み応えを持ち、中に練り込まれた干し肉と香草の風味が絶妙に広がる。
「戦場の保存糧と違って、これは“楽しめる味”だな。しかも、食後に重くない。」
その場には、若い騎士や副官たちもいた。
彼らも皆、口々に賞賛した。
「で、どこで手に入る?」
「名はない。だが……“夜風の印の子供”から買えると、最近噂だ。」
貴族階級――特に前線を任される若き騎士たちの間で、“夜風のパン”は一つの名物となっていた。
名もなく、住所もなく、ただ印のついた子供たちが街を歩いて売り歩いているという話。
だがその需要は、すでに供給を遥かに超えていた。
「今日、断られたんだ。“今週は数が足りない”って。」
「なんだと。買えないのか?」
「……作っている数が限られてるんだろう。子供がぽろっと、“一日二十個が限界”って言ってた。」
その情報は、すぐに一部の貴族の耳にも届いた。
そして、数日後――
「マルク。少し、話があるの。」
例の“紫の外套の貴婦人”が、彼を静かに呼び止めた。
「私の屋敷の一角に、空きの煉瓦窯があるの。……使ってくれない?」
「え……?」
「貴族として関わるわけではないわ。“ただの屋敷”として、倉庫と窯と少しの粉を、あなたたちに貸す。もちろん、対価は支払う。何も聞かないし、名も問わない。」
マルクは、しばし黙ったあと、深くうなずいた。
「……あの人たちは、表に出たがらない。俺たちは、届ける者。それでいいんです。」
その夜、マルクは工房に戻って、小さな声で言った。
「貴族の一部が、うちのパンを“必需品”として見てる。だから……作業場所を貸したいって。名前は出さないし、管理もしない。“ただの焼き場”として貸すって。」
レノがしばらく無言で煙草をくゆらせていたが、やがて静かに言った。
「……借りるだけなら、悪くねぇ。」
「でも、手はどうするの?増やさないと、焼ききれないよ?」
「手は、俺たちが育てた子たちがいる。もう、“焼き方”は教えてある」
ティナが目を細めた。
「“夜風の分火”ってやつだね。うちの火を、外に分けるんだ。」
その日から、工房はひとつ増えた。
本拠地の影に隠れて、新しい“窯”が静かに火を灯し、同じパンが焼かれ始めた。
街では、誰も知らない。
だが、“夜風のパン”は、確実に広がっていく。
焼いた者の名も、工房の場所も、誰一人知らないまま。
ただ、三日月の印だけが、それを語っていた。
一人の騎士が、金色に焼けた“旅のひとくちパン”を噛みしめた。見た目こそ粗末だが、皮はしっかりとした噛み応えを持ち、中に練り込まれた干し肉と香草の風味が絶妙に広がる。
「戦場の保存糧と違って、これは“楽しめる味”だな。しかも、食後に重くない。」
その場には、若い騎士や副官たちもいた。
彼らも皆、口々に賞賛した。
「で、どこで手に入る?」
「名はない。だが……“夜風の印の子供”から買えると、最近噂だ。」
貴族階級――特に前線を任される若き騎士たちの間で、“夜風のパン”は一つの名物となっていた。
名もなく、住所もなく、ただ印のついた子供たちが街を歩いて売り歩いているという話。
だがその需要は、すでに供給を遥かに超えていた。
「今日、断られたんだ。“今週は数が足りない”って。」
「なんだと。買えないのか?」
「……作っている数が限られてるんだろう。子供がぽろっと、“一日二十個が限界”って言ってた。」
その情報は、すぐに一部の貴族の耳にも届いた。
そして、数日後――
「マルク。少し、話があるの。」
例の“紫の外套の貴婦人”が、彼を静かに呼び止めた。
「私の屋敷の一角に、空きの煉瓦窯があるの。……使ってくれない?」
「え……?」
「貴族として関わるわけではないわ。“ただの屋敷”として、倉庫と窯と少しの粉を、あなたたちに貸す。もちろん、対価は支払う。何も聞かないし、名も問わない。」
マルクは、しばし黙ったあと、深くうなずいた。
「……あの人たちは、表に出たがらない。俺たちは、届ける者。それでいいんです。」
その夜、マルクは工房に戻って、小さな声で言った。
「貴族の一部が、うちのパンを“必需品”として見てる。だから……作業場所を貸したいって。名前は出さないし、管理もしない。“ただの焼き場”として貸すって。」
レノがしばらく無言で煙草をくゆらせていたが、やがて静かに言った。
「……借りるだけなら、悪くねぇ。」
「でも、手はどうするの?増やさないと、焼ききれないよ?」
「手は、俺たちが育てた子たちがいる。もう、“焼き方”は教えてある」
ティナが目を細めた。
「“夜風の分火”ってやつだね。うちの火を、外に分けるんだ。」
その日から、工房はひとつ増えた。
本拠地の影に隠れて、新しい“窯”が静かに火を灯し、同じパンが焼かれ始めた。
街では、誰も知らない。
だが、“夜風のパン”は、確実に広がっていく。
焼いた者の名も、工房の場所も、誰一人知らないまま。
ただ、三日月の印だけが、それを語っていた。
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