灰と麦と夜明けのパン

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第15話

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最近の工房は、少し静かだった。

窯の火が安定し、子供たちは交代で仕込みや配達をこなす。夜の仕込みも、朝の焼きも、流れるように進む。

「……ねえ、お兄ちゃん。これってもう、普通の生活、って言えるのかな。」

ティナが粉まみれの手で、生地を丸めながらぽつりと言った。

「たぶんな。いや……たぶん、だけど。」

そのときだった。

「失礼いたします。夜風の……使徒様。」

急な訪問者に、工房の空気が一変した。

入ってきたのは、整えられた修道服をまとった青年。神殿の従者――司供と呼ばれる階級だった。

「……あなた方が焼くという“神の火に宿るパン”、ぜひ我が神殿にて、供物として献上させていただきたく。」

「……供物?」

レノが眉を上げる。

「神々の祝祭が近く、儀式には供物として“最も美しき形の食”を捧げねばなりません。そのうえで、巷で噂のこの“夜風の印のパン”が……理想に近いと、主祭様が。」

「……うちのパン、味はあるけど、見た目は……。」

「わかっております。しかし、それでも――人々がそれを“祝福の香り”と呼ぶなら、我々が無視するわけには参りません。」

ティナがそっと手を挙げた。

「見た目のいいパン、ってことは……装飾?」

「あるいは、形。黄金比の曲線、美しい焼き色、供物台に映える飾り包み……そういった視覚的な“神性”が求められます。」

「……できるかな?」

「やってみよう。」

その晩、工房では試作が始まった。

柔らかく膨らんだ丸パンに、焼き色の濃淡をつけて“花”のように見せるための包丁を入れる。

香草を散らし、焼きあがった後で蜂蜜を薄く塗り、光沢を出す。

「……美しい。けど、うちのパンか?」

ティナが不思議そうに見つめた。

「形は変わっても、火は同じ。中身が、俺たちだ。」

そして、数日後。

供物として届けられた“夜風の聖花パン”は、神殿の祝壇に供えられ、神官たちの間でさえ話題となった。

「これが……あの子供たちの焼く、パンか。」

「見よ、この焼き色……香草の香りも祝福のようだ。」

「……これは、神への贈り物にふさわしい。」

それでも――作った者の名は、どこにも記されなかった。

夜風の工房は、今日も静かに火を灯し、パンを焼く。

その姿を、誰も知らない。

けれど確かに、パンは神の祭壇にさえ届いた。
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