不老の子兎ぴょんぴょん跳ねる ~異世界転生子兎縛り~

文字の大きさ
3 / 6

第3話:一滴ぶんの通り道

しおりを挟む
鐘の音に呼ばれて集まった村の広場は、いつもの朝よりもずっと重たい空気だった。
鍬を持ったままの人、手ぬぐいを首にかけたままの人、パンをくわえた子どもまでいる。
みんな急いで来た顔をしている。

リオは私を胸に抱いたまま、人の隙間を縫って前へ進んだ。
私は揺れに合わせて耳をぺたんと伏せる。
こんなとき、子兎って“手荷物”みたいだな、とちょっと思う。
いや、手荷物は大事にされるから、いいのか。

「静かにー!」

村長のおじさんが手を上げた。
背が高くて、声が太い。
畑の土みたいに、どっしりした人だ。

「上流の土手がまた崩れた。川の流れが細くなって、下の水路に水が届きにくくなってる。今朝、見回りが見つけた」

ざわ、っとどよめきが広がる。

「またって……この前もだったじゃない」
「田んぼの水、足りなくなるよ!」
「畑が枯れたら冬が――」

ミラが小さく舌打ちして、リオの肩に手を置いた。

「落ち着きな。水が“止まった”わけじゃない。細くなっただけなら、まだ手はある」

ミラの声は強いのに、怖くない。
みんなの背中を支えるみたいに響く。

村長が頷いた。

「そうだ。いまから人を出す。土をどけて、流れを戻す。危ない場所だから、子どもは――」

「俺、行く!」

リオが手を上げた。
声が真っ直ぐで、広場の空気が一瞬だけ明るくなる。

「手伝える! 薪運びでも、土運びでも!」

村長は眉を上げ、リオの顔を見た。
それから私を見た。

「……その白いのも一緒か」

私は反射で、

「きゅ」

と鳴いてしまった。
意味は「えへへ」……じゃない。
今は「はい」です、はい。

周りのおばさんが小声で言う。

「縁起物がいるなら、きっと大丈夫よ」
「白い子が見てたら、川も機嫌を直すかもねぇ」

川が機嫌を直すって何。
水って感情あるの。
あるかもしれないけど、私は水の顔色なんて読めない。

でも――私は、ただ“見てるだけ”は嫌だった。

役に立ちたい。

畑の土をしっとりさせたみたいに、ほんの少しでいい。ほんの一滴ぶんでいい。
水の通り道を、作れたら。

「よし。行くぞ」

村長の号令で、大人たちが道具を持って動き出す。
鍬、スコップ、縄、木の棒。
リオも走り出した。
私は胸の中で、こっそり前足を握りしめた。

ぴょん、ぴょん。
私のやれることは小さい。
でも小さいことの積み重ねは、案外、侮れないのを私は知っている。

―――

上流へ向かう道は、普段は穏やかな散歩道だった。川の音がして、木陰が涼しくて、鳥が歌う。

だけど今日は、川の音が違った。

いつもなら「さらさら」なのに、今日は「とろとろ」。
流れが遅くて、どこか詰まっているのが耳にもわかった。

土手の崩れた場所に着くと、みんなが言葉を失った。

土が、ずるりと川へ落ちている。
土だけじゃない。
根ごと倒れた木が横たわっていて、まるで川に大きな“栓”が刺さっているみたいだった。

川はその手前で膨らんで、小さな池みたいになっている。
水はまだある。
でも行き先を失って、たゆたっている。

「うわ……こりゃ大仕事だ」

誰かが呻いた。

村長が周囲を見回し、指示を出す。

「まずは安全なところから土を掘り崩せ。木は縄をかけて引く。足場の悪いところに近づくな。落ちたら――」

「落ちないように、だね」

ミラが先に言って、村長が苦笑した。

「そうだ。落ちないように、だ」

リオは目をぎゅっと細めて、崩れた土手を見上げた。
胸の中の私まで、息を詰めたくなる。

……どうする。
ここで私ができることは、何だ。

土を掘れない。木を引けない。
でも水は動く。水は、道があれば進む。

道。

“道”を作ればいい。

大人たちが鍬を入れ始めた。
土は湿っていて重い。
木の根が絡んで、簡単には崩れない。
鍬の先が跳ね返り、ため息が増える。

そのとき、私は気づいた。

川の端――土手の根元に、小さな隙間がある。
木の幹と土の間。
ほんの指一本分の、暗い穴。

そこから、水が“ぽた、ぽた”と落ちていた。

一滴。
一滴ずつ、下流へ行こうとしている。

私はその隙間を見つめた。

……そこを、少しだけ広げれば。
「ぽたぽた」が「ちょろちょろ」になる。
「ちょろちょろ」が「さらさら」に近づく。

私の魔法は、小さな動きしかできない。
でも、“少しだけ湿らせる”のは得意だ。

乾いた土は固い。
湿った土は、形が変わる。

私はリオの胸を前足でとん、と叩いた。

「きゅ!」

リオが私を見て首をかしげる。

「どうした、ぴょん?」

私は目で、隙間の方を示すつもりで耳を向けた。
もちろん耳は指じゃない。示せない。
だから、もどかしくてもう一回鳴く。

「きゅ、きゅ!」

リオはしばらく私と隙間を見比べて――ぱっと顔を上げた。

「……あそこ、少し水が落ちてる!」

おお、伝わった。たぶん。偶然だけど。

「村長! あそこ、隙間があります!」

リオが叫ぶと、村長が近寄ってきた。
村長はしゃがんで隙間を覗き込み、唸った。

「ほんとだ。だがここを掘ると、崩れの追加が――」

「掘らないなら、どうする?」

ミラが言う。

村長は眉を寄せた。

「……木を引くのを待つしか――」

待つ間に水は届かない。
畑の苗が、乾く。
リオが落ち込む。
ミラが眉間にしわを増やす。
村長の声がさらに太くなる。

それは嫌だ。

私は、そっと地面に下ろされた。
リオが「ここ、危ないからな」と小声で言う。
私はこくりと頷く代わりに、鼻先をリオの指に当てた。

大丈夫。私は小さい。
危ないところへ行けない分、できることをする。

私は隙間の近くまで、ぴょん、ぴょんと跳ねた。
大人の足がどんどん動く。その振動で土が微かに揺れる。
怖い。でも、目を逸らさない。

隙間の前に座り、私は土の感触を“感じる”ことに集中した。

魔力の火種を、胸の奥からゆっくり押し出す。

じわ……じわ……。

“水を集める”じゃない。
“土をやわらかくする”でもない。
今日は――“土の中に道を思い出させる”感じ。

水は、通った場所を覚える。
一滴が通ると、次も通りやすくなる。
私はその「次」を、ほんの少し手伝う。

じわ……じわ……。

隙間の端の土が、ほんのわずか、色を変えた。
乾いた茶色が、しっとりした茶色になる。

そこへ、ぽた。
水滴が落ちた。

ぽた、ぽた。

落ちた水滴が、しっとりした土を少しずつ削っていく。
ほんの砂粒が流れていく。
隙間が、ほんの紙一枚ぶん、広がる。

「……!」

私は息を呑んだ。
できる。これなら。
私の魔法は派手じゃない。でも、続けられる。

時間はかかる。
私は不老。時間は味方。
だけど今日は急ぐ。急ぎたい。
だから、焦らない範囲で、少しだけ強く念じた。

じわ……じわ……。

隙間の内側に、細い“湿りの道”が伸びる。
水滴が、そこを選んで落ち始める。

ぽた、ぽたが――ちょろ。

ちょろ、ちょろ。

「水が……!」

誰かが声を上げた。
リオが目を丸くして、隙間を見つめている。

村長もしゃがんで、口の端を上げた。

「……いいぞ。流れができた」

ミラが私を見て、目を細めた。
その目は、疑っているというより――“確かめている”目だった。

私は慌てて、知らんぷりの顔を作って、

「きゅ」

と鳴いた。
意味は「偶然だよ」です。
はい、偶然。
偶然って便利。

でも、偶然じゃない。

私はまた魔力を流した。
ちょろちょろを、もう少し。

ちょろちょろが、さらさらに近づくまで。

大人たちの鍬の音に混じって、川の音が少しずつ戻っていく。

「ほら、下の水路に流れが来たぞ!」

見張りに行っていた人が走って戻ってきた。

「まだ細いけど、止まってない! ちゃんと来てる!」

広場みたいに、ここでも空気が変わった。
重たかったものが、ふっと軽くなる。

村長は大きく頷いた。

「よし。流れがあるうちに、木を引く準備をする。水が戻れば畑も助かる。――助かった」

最後の言葉は、小さかった。
でも、私の耳にはちゃんと届いた。

助かった。

その言葉が胸に落ちて、火種がぽっと明るくなる。

リオがしゃがんで、私をそっと抱き上げた。

「ぴょん……お前、もしかして」

私は顔を背けて、

「きゅう」

と鳴いた。
意味は「秘密だよ」です。
秘密にして。
お願い。

リオは笑った。
それから、私の頭を指先で撫でて、ちょっとだけ声を落とした。

「いてくれてよかった」

……それだ。
それが欲しかった。

ありがとう、よりも、もっと深い言葉。
“ここにいていい”って、許されるみたいな言葉。

私は胸の奥がいっぱいになって、言葉の代わりに鼻先をリオの手にこすりつけた。

―――

作業はそのあとも続いた。
縄をかけて、みんなで木を引く。
土を崩しすぎないように、慎重に掘る。
私は危ない場所から少し離れて、隙間の流れが細くならないように、ちょこちょこ魔力を流した。

じわ……じわ……。

一滴ぶんの仕事。
それを、何十回。

途中でミラが私に水をくれた。
「がんばった顔してる」と言いながら。
顔だけで判断しないでほしい。
でも、嬉しいから飲む。

夕方、太陽が傾く頃には、木は少し横にずれて、土の栓がだいぶ減った。
川はまた「さらさら」に近い音を取り戻していた。

「今日はここまでだな。夜は危ない」

村長の声で解散になった。
みんなが帰る準備をする中、リオがふと足元を見て言った。

「……ん?」

崩れた土の中に、何かが光った気がしたらしい。
リオがしゃがみこんで、指で土を払う。

そこにあったのは、小さな石。
青白く、淡く光る、つるんとした石。

「これ……何だ?」

ミラも覗き込む。村長も近づく。
誰かが息を飲んだ。

「……魔石、じゃないか?」

魔石。
私はその言葉に、耳がぴんと立った。

魔法がある世界で、魔石って、たぶん――面倒の種か、希望の種か、そのどちらかだ。

村長は石を手のひらに乗せ、光を見つめた。

「土手が崩れるのが続いたのは……これが原因かもしれん」

原因。
もしそうなら、また崩れるかもしれない。
また水が止まるかもしれない。

リオが私を抱き直して、私の赤い目を見た。

「ぴょん。明日も、行けるか?」

私は迷わなかった。

「きゅ!」

行く。
小さくても。
一滴ぶんでも。

だって私はもう、“縁起物”だけじゃなくて――この村の、水の道の、ほんの小さな一部になりたいから。

夕暮れの川は、さらさらと音を立てながら流れていった。
その音の奥で、青い石がまだ、ほのかに光っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

あっ、追放されちゃった…。

satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。 母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。 ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。 そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。 精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。

魅了の対価

しがついつか
ファンタジー
家庭事情により給金の高い職場を求めて転職したリンリーは、縁あってブラウンロード伯爵家の使用人になった。 彼女は伯爵家の第二子アッシュ・ブラウンロードの侍女を任された。 ブラウンロード伯爵家では、なぜか一家のみならず屋敷で働く使用人達のすべてがアッシュのことを嫌悪していた。 アッシュと顔を合わせてすぐにリンリーも「あ、私コイツ嫌いだわ」と感じたのだが、上級使用人を目指す彼女は私情を挟まずに職務に専念することにした。 淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

悪役令嬢、休職致します

碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。 しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。 作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。 作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

【完結】愛されないと知った時、私は

yanako
恋愛
私は聞いてしまった。 彼の本心を。 私は小さな、けれど豊かな領地を持つ、男爵家の娘。 父が私の結婚相手を見つけてきた。 隣の領地の次男の彼。 幼馴染というほど親しくは無いけれど、素敵な人だと思っていた。 そう、思っていたのだ。

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

処理中です...