3 / 10
第3話:一滴ぶんの通り道
しおりを挟む
鐘の音に呼ばれて集まった村の広場は、いつもの朝よりもずっと重たい空気だった。
鍬を持ったままの人、手ぬぐいを首にかけたままの人、パンをくわえた子どもまでいる。
みんな急いで来た顔をしている。
リオは私を胸に抱いたまま、人の隙間を縫って前へ進んだ。
私は揺れに合わせて耳をぺたんと伏せる。
こんなとき、子兎って“手荷物”みたいだな、とちょっと思う。
いや、手荷物は大事にされるから、いいのか。
「静かにー!」
村長のおじさんが手を上げた。
背が高くて、声が太い。
畑の土みたいに、どっしりした人だ。
「上流の土手がまた崩れた。川の流れが細くなって、下の水路に水が届きにくくなってる。今朝、見回りが見つけた」
ざわ、っとどよめきが広がる。
「またって……この前もだったじゃない」
「田んぼの水、足りなくなるよ!」
「畑が枯れたら冬が――」
ミラが小さく舌打ちして、リオの肩に手を置いた。
「落ち着きな。水が“止まった”わけじゃない。細くなっただけなら、まだ手はある」
ミラの声は強いのに、怖くない。
みんなの背中を支えるみたいに響く。
村長が頷いた。
「そうだ。いまから人を出す。土をどけて、流れを戻す。危ない場所だから、子どもは――」
「俺、行く!」
リオが手を上げた。
声が真っ直ぐで、広場の空気が一瞬だけ明るくなる。
「手伝える! 薪運びでも、土運びでも!」
村長は眉を上げ、リオの顔を見た。
それから私を見た。
「……その白いのも一緒か」
私は反射で、
「きゅ」
と鳴いてしまった。
意味は「えへへ」……じゃない。
今は「はい」です、はい。
周りのおばさんが小声で言う。
「縁起物がいるなら、きっと大丈夫よ」
「白い子が見てたら、川も機嫌を直すかもねぇ」
川が機嫌を直すって何。
水って感情あるの。
あるかもしれないけど、私は水の顔色なんて読めない。
でも――私は、ただ“見てるだけ”は嫌だった。
役に立ちたい。
畑の土をしっとりさせたみたいに、ほんの少しでいい。ほんの一滴ぶんでいい。
水の通り道を、作れたら。
「よし。行くぞ」
村長の号令で、大人たちが道具を持って動き出す。
鍬、スコップ、縄、木の棒。
リオも走り出した。
私は胸の中で、こっそり前足を握りしめた。
ぴょん、ぴょん。
私のやれることは小さい。
でも小さいことの積み重ねは、案外、侮れないのを私は知っている。
―――
上流へ向かう道は、普段は穏やかな散歩道だった。川の音がして、木陰が涼しくて、鳥が歌う。
だけど今日は、川の音が違った。
いつもなら「さらさら」なのに、今日は「とろとろ」。
流れが遅くて、どこか詰まっているのが耳にもわかった。
土手の崩れた場所に着くと、みんなが言葉を失った。
土が、ずるりと川へ落ちている。
土だけじゃない。
根ごと倒れた木が横たわっていて、まるで川に大きな“栓”が刺さっているみたいだった。
川はその手前で膨らんで、小さな池みたいになっている。
水はまだある。
でも行き先を失って、たゆたっている。
「うわ……こりゃ大仕事だ」
誰かが呻いた。
村長が周囲を見回し、指示を出す。
「まずは安全なところから土を掘り崩せ。木は縄をかけて引く。足場の悪いところに近づくな。落ちたら――」
「落ちないように、だね」
ミラが先に言って、村長が苦笑した。
「そうだ。落ちないように、だ」
リオは目をぎゅっと細めて、崩れた土手を見上げた。
胸の中の私まで、息を詰めたくなる。
……どうする。
ここで私ができることは、何だ。
土を掘れない。木を引けない。
でも水は動く。水は、道があれば進む。
道。
“道”を作ればいい。
大人たちが鍬を入れ始めた。
土は湿っていて重い。
木の根が絡んで、簡単には崩れない。
鍬の先が跳ね返り、ため息が増える。
そのとき、私は気づいた。
川の端――土手の根元に、小さな隙間がある。
木の幹と土の間。
ほんの指一本分の、暗い穴。
そこから、水が“ぽた、ぽた”と落ちていた。
一滴。
一滴ずつ、下流へ行こうとしている。
私はその隙間を見つめた。
……そこを、少しだけ広げれば。
「ぽたぽた」が「ちょろちょろ」になる。
「ちょろちょろ」が「さらさら」に近づく。
私の魔法は、小さな動きしかできない。
でも、“少しだけ湿らせる”のは得意だ。
乾いた土は固い。
湿った土は、形が変わる。
私はリオの胸を前足でとん、と叩いた。
「きゅ!」
リオが私を見て首をかしげる。
「どうした、ぴょん?」
私は目で、隙間の方を示すつもりで耳を向けた。
もちろん耳は指じゃない。示せない。
だから、もどかしくてもう一回鳴く。
「きゅ、きゅ!」
リオはしばらく私と隙間を見比べて――ぱっと顔を上げた。
「……あそこ、少し水が落ちてる!」
おお、伝わった。たぶん。偶然だけど。
「村長! あそこ、隙間があります!」
リオが叫ぶと、村長が近寄ってきた。
村長はしゃがんで隙間を覗き込み、唸った。
「ほんとだ。だがここを掘ると、崩れの追加が――」
「掘らないなら、どうする?」
ミラが言う。
村長は眉を寄せた。
「……木を引くのを待つしか――」
待つ間に水は届かない。
畑の苗が、乾く。
リオが落ち込む。
ミラが眉間にしわを増やす。
村長の声がさらに太くなる。
それは嫌だ。
私は、そっと地面に下ろされた。
リオが「ここ、危ないからな」と小声で言う。
私はこくりと頷く代わりに、鼻先をリオの指に当てた。
大丈夫。私は小さい。
危ないところへ行けない分、できることをする。
私は隙間の近くまで、ぴょん、ぴょんと跳ねた。
大人の足がどんどん動く。その振動で土が微かに揺れる。
怖い。でも、目を逸らさない。
隙間の前に座り、私は土の感触を“感じる”ことに集中した。
魔力の火種を、胸の奥からゆっくり押し出す。
じわ……じわ……。
“水を集める”じゃない。
“土をやわらかくする”でもない。
今日は――“土の中に道を思い出させる”感じ。
水は、通った場所を覚える。
一滴が通ると、次も通りやすくなる。
私はその「次」を、ほんの少し手伝う。
じわ……じわ……。
隙間の端の土が、ほんのわずか、色を変えた。
乾いた茶色が、しっとりした茶色になる。
そこへ、ぽた。
水滴が落ちた。
ぽた、ぽた。
落ちた水滴が、しっとりした土を少しずつ削っていく。
ほんの砂粒が流れていく。
隙間が、ほんの紙一枚ぶん、広がる。
「……!」
私は息を呑んだ。
できる。これなら。
私の魔法は派手じゃない。でも、続けられる。
時間はかかる。
私は不老。時間は味方。
だけど今日は急ぐ。急ぎたい。
だから、焦らない範囲で、少しだけ強く念じた。
じわ……じわ……。
隙間の内側に、細い“湿りの道”が伸びる。
水滴が、そこを選んで落ち始める。
ぽた、ぽたが――ちょろ。
ちょろ、ちょろ。
「水が……!」
誰かが声を上げた。
リオが目を丸くして、隙間を見つめている。
村長もしゃがんで、口の端を上げた。
「……いいぞ。流れができた」
ミラが私を見て、目を細めた。
その目は、疑っているというより――“確かめている”目だった。
私は慌てて、知らんぷりの顔を作って、
「きゅ」
と鳴いた。
意味は「偶然だよ」です。
はい、偶然。
偶然って便利。
でも、偶然じゃない。
私はまた魔力を流した。
ちょろちょろを、もう少し。
ちょろちょろが、さらさらに近づくまで。
大人たちの鍬の音に混じって、川の音が少しずつ戻っていく。
「ほら、下の水路に流れが来たぞ!」
見張りに行っていた人が走って戻ってきた。
「まだ細いけど、止まってない! ちゃんと来てる!」
広場みたいに、ここでも空気が変わった。
重たかったものが、ふっと軽くなる。
村長は大きく頷いた。
「よし。流れがあるうちに、木を引く準備をする。水が戻れば畑も助かる。――助かった」
最後の言葉は、小さかった。
でも、私の耳にはちゃんと届いた。
助かった。
その言葉が胸に落ちて、火種がぽっと明るくなる。
リオがしゃがんで、私をそっと抱き上げた。
「ぴょん……お前、もしかして」
私は顔を背けて、
「きゅう」
と鳴いた。
意味は「秘密だよ」です。
秘密にして。
お願い。
リオは笑った。
それから、私の頭を指先で撫でて、ちょっとだけ声を落とした。
「いてくれてよかった」
……それだ。
それが欲しかった。
ありがとう、よりも、もっと深い言葉。
“ここにいていい”って、許されるみたいな言葉。
私は胸の奥がいっぱいになって、言葉の代わりに鼻先をリオの手にこすりつけた。
―――
作業はそのあとも続いた。
縄をかけて、みんなで木を引く。
土を崩しすぎないように、慎重に掘る。
私は危ない場所から少し離れて、隙間の流れが細くならないように、ちょこちょこ魔力を流した。
じわ……じわ……。
一滴ぶんの仕事。
それを、何十回。
途中でミラが私に水をくれた。
「がんばった顔してる」と言いながら。
顔だけで判断しないでほしい。
でも、嬉しいから飲む。
夕方、太陽が傾く頃には、木は少し横にずれて、土の栓がだいぶ減った。
川はまた「さらさら」に近い音を取り戻していた。
「今日はここまでだな。夜は危ない」
村長の声で解散になった。
みんなが帰る準備をする中、リオがふと足元を見て言った。
「……ん?」
崩れた土の中に、何かが光った気がしたらしい。
リオがしゃがみこんで、指で土を払う。
そこにあったのは、小さな石。
青白く、淡く光る、つるんとした石。
「これ……何だ?」
ミラも覗き込む。村長も近づく。
誰かが息を飲んだ。
「……魔石、じゃないか?」
魔石。
私はその言葉に、耳がぴんと立った。
魔法がある世界で、魔石って、たぶん――面倒の種か、希望の種か、そのどちらかだ。
村長は石を手のひらに乗せ、光を見つめた。
「土手が崩れるのが続いたのは……これが原因かもしれん」
原因。
もしそうなら、また崩れるかもしれない。
また水が止まるかもしれない。
リオが私を抱き直して、私の赤い目を見た。
「ぴょん。明日も、行けるか?」
私は迷わなかった。
「きゅ!」
行く。
小さくても。
一滴ぶんでも。
だって私はもう、“縁起物”だけじゃなくて――この村の、水の道の、ほんの小さな一部になりたいから。
夕暮れの川は、さらさらと音を立てながら流れていった。
その音の奥で、青い石がまだ、ほのかに光っていた。
鍬を持ったままの人、手ぬぐいを首にかけたままの人、パンをくわえた子どもまでいる。
みんな急いで来た顔をしている。
リオは私を胸に抱いたまま、人の隙間を縫って前へ進んだ。
私は揺れに合わせて耳をぺたんと伏せる。
こんなとき、子兎って“手荷物”みたいだな、とちょっと思う。
いや、手荷物は大事にされるから、いいのか。
「静かにー!」
村長のおじさんが手を上げた。
背が高くて、声が太い。
畑の土みたいに、どっしりした人だ。
「上流の土手がまた崩れた。川の流れが細くなって、下の水路に水が届きにくくなってる。今朝、見回りが見つけた」
ざわ、っとどよめきが広がる。
「またって……この前もだったじゃない」
「田んぼの水、足りなくなるよ!」
「畑が枯れたら冬が――」
ミラが小さく舌打ちして、リオの肩に手を置いた。
「落ち着きな。水が“止まった”わけじゃない。細くなっただけなら、まだ手はある」
ミラの声は強いのに、怖くない。
みんなの背中を支えるみたいに響く。
村長が頷いた。
「そうだ。いまから人を出す。土をどけて、流れを戻す。危ない場所だから、子どもは――」
「俺、行く!」
リオが手を上げた。
声が真っ直ぐで、広場の空気が一瞬だけ明るくなる。
「手伝える! 薪運びでも、土運びでも!」
村長は眉を上げ、リオの顔を見た。
それから私を見た。
「……その白いのも一緒か」
私は反射で、
「きゅ」
と鳴いてしまった。
意味は「えへへ」……じゃない。
今は「はい」です、はい。
周りのおばさんが小声で言う。
「縁起物がいるなら、きっと大丈夫よ」
「白い子が見てたら、川も機嫌を直すかもねぇ」
川が機嫌を直すって何。
水って感情あるの。
あるかもしれないけど、私は水の顔色なんて読めない。
でも――私は、ただ“見てるだけ”は嫌だった。
役に立ちたい。
畑の土をしっとりさせたみたいに、ほんの少しでいい。ほんの一滴ぶんでいい。
水の通り道を、作れたら。
「よし。行くぞ」
村長の号令で、大人たちが道具を持って動き出す。
鍬、スコップ、縄、木の棒。
リオも走り出した。
私は胸の中で、こっそり前足を握りしめた。
ぴょん、ぴょん。
私のやれることは小さい。
でも小さいことの積み重ねは、案外、侮れないのを私は知っている。
―――
上流へ向かう道は、普段は穏やかな散歩道だった。川の音がして、木陰が涼しくて、鳥が歌う。
だけど今日は、川の音が違った。
いつもなら「さらさら」なのに、今日は「とろとろ」。
流れが遅くて、どこか詰まっているのが耳にもわかった。
土手の崩れた場所に着くと、みんなが言葉を失った。
土が、ずるりと川へ落ちている。
土だけじゃない。
根ごと倒れた木が横たわっていて、まるで川に大きな“栓”が刺さっているみたいだった。
川はその手前で膨らんで、小さな池みたいになっている。
水はまだある。
でも行き先を失って、たゆたっている。
「うわ……こりゃ大仕事だ」
誰かが呻いた。
村長が周囲を見回し、指示を出す。
「まずは安全なところから土を掘り崩せ。木は縄をかけて引く。足場の悪いところに近づくな。落ちたら――」
「落ちないように、だね」
ミラが先に言って、村長が苦笑した。
「そうだ。落ちないように、だ」
リオは目をぎゅっと細めて、崩れた土手を見上げた。
胸の中の私まで、息を詰めたくなる。
……どうする。
ここで私ができることは、何だ。
土を掘れない。木を引けない。
でも水は動く。水は、道があれば進む。
道。
“道”を作ればいい。
大人たちが鍬を入れ始めた。
土は湿っていて重い。
木の根が絡んで、簡単には崩れない。
鍬の先が跳ね返り、ため息が増える。
そのとき、私は気づいた。
川の端――土手の根元に、小さな隙間がある。
木の幹と土の間。
ほんの指一本分の、暗い穴。
そこから、水が“ぽた、ぽた”と落ちていた。
一滴。
一滴ずつ、下流へ行こうとしている。
私はその隙間を見つめた。
……そこを、少しだけ広げれば。
「ぽたぽた」が「ちょろちょろ」になる。
「ちょろちょろ」が「さらさら」に近づく。
私の魔法は、小さな動きしかできない。
でも、“少しだけ湿らせる”のは得意だ。
乾いた土は固い。
湿った土は、形が変わる。
私はリオの胸を前足でとん、と叩いた。
「きゅ!」
リオが私を見て首をかしげる。
「どうした、ぴょん?」
私は目で、隙間の方を示すつもりで耳を向けた。
もちろん耳は指じゃない。示せない。
だから、もどかしくてもう一回鳴く。
「きゅ、きゅ!」
リオはしばらく私と隙間を見比べて――ぱっと顔を上げた。
「……あそこ、少し水が落ちてる!」
おお、伝わった。たぶん。偶然だけど。
「村長! あそこ、隙間があります!」
リオが叫ぶと、村長が近寄ってきた。
村長はしゃがんで隙間を覗き込み、唸った。
「ほんとだ。だがここを掘ると、崩れの追加が――」
「掘らないなら、どうする?」
ミラが言う。
村長は眉を寄せた。
「……木を引くのを待つしか――」
待つ間に水は届かない。
畑の苗が、乾く。
リオが落ち込む。
ミラが眉間にしわを増やす。
村長の声がさらに太くなる。
それは嫌だ。
私は、そっと地面に下ろされた。
リオが「ここ、危ないからな」と小声で言う。
私はこくりと頷く代わりに、鼻先をリオの指に当てた。
大丈夫。私は小さい。
危ないところへ行けない分、できることをする。
私は隙間の近くまで、ぴょん、ぴょんと跳ねた。
大人の足がどんどん動く。その振動で土が微かに揺れる。
怖い。でも、目を逸らさない。
隙間の前に座り、私は土の感触を“感じる”ことに集中した。
魔力の火種を、胸の奥からゆっくり押し出す。
じわ……じわ……。
“水を集める”じゃない。
“土をやわらかくする”でもない。
今日は――“土の中に道を思い出させる”感じ。
水は、通った場所を覚える。
一滴が通ると、次も通りやすくなる。
私はその「次」を、ほんの少し手伝う。
じわ……じわ……。
隙間の端の土が、ほんのわずか、色を変えた。
乾いた茶色が、しっとりした茶色になる。
そこへ、ぽた。
水滴が落ちた。
ぽた、ぽた。
落ちた水滴が、しっとりした土を少しずつ削っていく。
ほんの砂粒が流れていく。
隙間が、ほんの紙一枚ぶん、広がる。
「……!」
私は息を呑んだ。
できる。これなら。
私の魔法は派手じゃない。でも、続けられる。
時間はかかる。
私は不老。時間は味方。
だけど今日は急ぐ。急ぎたい。
だから、焦らない範囲で、少しだけ強く念じた。
じわ……じわ……。
隙間の内側に、細い“湿りの道”が伸びる。
水滴が、そこを選んで落ち始める。
ぽた、ぽたが――ちょろ。
ちょろ、ちょろ。
「水が……!」
誰かが声を上げた。
リオが目を丸くして、隙間を見つめている。
村長もしゃがんで、口の端を上げた。
「……いいぞ。流れができた」
ミラが私を見て、目を細めた。
その目は、疑っているというより――“確かめている”目だった。
私は慌てて、知らんぷりの顔を作って、
「きゅ」
と鳴いた。
意味は「偶然だよ」です。
はい、偶然。
偶然って便利。
でも、偶然じゃない。
私はまた魔力を流した。
ちょろちょろを、もう少し。
ちょろちょろが、さらさらに近づくまで。
大人たちの鍬の音に混じって、川の音が少しずつ戻っていく。
「ほら、下の水路に流れが来たぞ!」
見張りに行っていた人が走って戻ってきた。
「まだ細いけど、止まってない! ちゃんと来てる!」
広場みたいに、ここでも空気が変わった。
重たかったものが、ふっと軽くなる。
村長は大きく頷いた。
「よし。流れがあるうちに、木を引く準備をする。水が戻れば畑も助かる。――助かった」
最後の言葉は、小さかった。
でも、私の耳にはちゃんと届いた。
助かった。
その言葉が胸に落ちて、火種がぽっと明るくなる。
リオがしゃがんで、私をそっと抱き上げた。
「ぴょん……お前、もしかして」
私は顔を背けて、
「きゅう」
と鳴いた。
意味は「秘密だよ」です。
秘密にして。
お願い。
リオは笑った。
それから、私の頭を指先で撫でて、ちょっとだけ声を落とした。
「いてくれてよかった」
……それだ。
それが欲しかった。
ありがとう、よりも、もっと深い言葉。
“ここにいていい”って、許されるみたいな言葉。
私は胸の奥がいっぱいになって、言葉の代わりに鼻先をリオの手にこすりつけた。
―――
作業はそのあとも続いた。
縄をかけて、みんなで木を引く。
土を崩しすぎないように、慎重に掘る。
私は危ない場所から少し離れて、隙間の流れが細くならないように、ちょこちょこ魔力を流した。
じわ……じわ……。
一滴ぶんの仕事。
それを、何十回。
途中でミラが私に水をくれた。
「がんばった顔してる」と言いながら。
顔だけで判断しないでほしい。
でも、嬉しいから飲む。
夕方、太陽が傾く頃には、木は少し横にずれて、土の栓がだいぶ減った。
川はまた「さらさら」に近い音を取り戻していた。
「今日はここまでだな。夜は危ない」
村長の声で解散になった。
みんなが帰る準備をする中、リオがふと足元を見て言った。
「……ん?」
崩れた土の中に、何かが光った気がしたらしい。
リオがしゃがみこんで、指で土を払う。
そこにあったのは、小さな石。
青白く、淡く光る、つるんとした石。
「これ……何だ?」
ミラも覗き込む。村長も近づく。
誰かが息を飲んだ。
「……魔石、じゃないか?」
魔石。
私はその言葉に、耳がぴんと立った。
魔法がある世界で、魔石って、たぶん――面倒の種か、希望の種か、そのどちらかだ。
村長は石を手のひらに乗せ、光を見つめた。
「土手が崩れるのが続いたのは……これが原因かもしれん」
原因。
もしそうなら、また崩れるかもしれない。
また水が止まるかもしれない。
リオが私を抱き直して、私の赤い目を見た。
「ぴょん。明日も、行けるか?」
私は迷わなかった。
「きゅ!」
行く。
小さくても。
一滴ぶんでも。
だって私はもう、“縁起物”だけじゃなくて――この村の、水の道の、ほんの小さな一部になりたいから。
夕暮れの川は、さらさらと音を立てながら流れていった。
その音の奥で、青い石がまだ、ほのかに光っていた。
0
あなたにおすすめの小説
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
異世界で魔法が使えない少女は怪力でゴリ押しします!
ninjin
ファンタジー
病弱だった少女は14歳の若さで命を失ってしまった・・・かに思えたが、実は異世界に転移していた。異世界に転移した少女は病弱だった頃になりたかった元気な体を手に入れた。しかし、異世界に転移して手いれた体は想像以上に頑丈で怪力だった。魔法が全ての異世界で、魔法が使えない少女は頑丈な体と超絶な怪力で無双する。
ペットになった
ノーウェザー
ファンタジー
ペットになってしまった『クロ』。
言葉も常識も通用しない世界。
それでも、特に不便は感じない。
あの場所に戻るくらいなら、別にどんな場所でも良かったから。
「クロ」
笑いながらオレの名前を呼ぶこの人がいる限り、オレは・・・ーーーー・・・。
※視点コロコロ
※更新ノロノロ
辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます
蒼月よる
ファンタジー
素材の重さが申告と合わない。鑑定書の書式がおかしい。冒険者が持ち込む報告書には、いつもどこかに嘘がある。
辺境の小さなギルド支部で、受付嬢ナタリアは今日も一人、帳簿を武器に冒険者たちの嘘と向き合っている。剣も魔法も使えない。でも素材を見る目と、数字の辻褄を見抜く勘だけは、誰にも負けない。
持ち込まれた棘鱗の産地が違う。新人冒険者の目が妙に鋭い。腕のいい薬師が素性を隠している。書類を処理するだけの毎日のはずが、カウンターの向こうには不思議な人々と、小さな謎が絶えない。
一話完結の日常謎解き。辺境の受付カウンターから覗く、冒険者たちの嘘と真実の物語。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
犬の散歩中に異世界召喚されました
おばあ
ファンタジー
そろそろ定年後とか終活とか考えなきゃいけないというくらいの歳になって飼い犬と一緒に異世界とやらへ飛ばされました。
何勝手なことをしてくれてんだいと腹が立ちましたので好き勝手やらせてもらいます。
カミサマの許可はもらいました。
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる