不老の子兎ぴょんぴょん跳ねる ~異世界転生子兎縛り~

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第5話:夜更かし兎と、水のひと

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戸の向こうで、男の人が「急ぎで……」と声を震わせた。
ミラは戸を細く開けたまま、寝起きとは思えない鋭さで相手を見上げている。

「……急ぎでも、夜中は夜中。村長に聞いたなら、まず村長の家へ行きな」

「行きました。でも、村長さんも“石は今ミラさんの家だ”って……。タマ婆さんに見せるまで、ここで預かるって……」

男の人は慌てて言葉を継いだ。

「僕、村の外で“水路の見立て”をしてる者なんです。流れが変わったとき、どこが詰まってるか――そういうのを見て回ってる。……今回は、石が関わってる気がして」

水路の見立て。
この世界にも、水道屋さんみたいな人がいるんだ。

ミラはうなずかない。
うなずかないけど、追い返しもしない。
“話を聞く”の姿勢だ。ミラのこういうところ、ほんとに頼れる。

「名前は?」

「……セインです。セイン・ルーク。村長さんには、一度だけ顔を出しました」

聞いたことない。少なくとも私の耳には初めて。
でも、声の調子は丁寧だし、焦ってる理由も一応筋は通ってる。

ミラが息を吸って、静かに言った。

「セイン。夜中に来たのは減点。名乗ったのは加点。……で、“石が関わってる気がする”って、根拠は?」

セインさんは、両手を胸の前に上げた。敵意なし、の合図。

「魔石がある場所って、水の音が変わるんです。……僕、遠くからでも“水のざわつき”がわかる。今日は、川の音が、妙に落ち着いたり、ざわついたりしてる。落ち着いたのはいいことなんですが……落ち着き方が、変なんです」

変。
落ち着き方が変。

私は棚の上で、布包みに前足を置いたまま固まった。
さっき、私が落ち着かせた。
それが“変な落ち着き方”に聞こえたってこと?

……え、やばい? 私、余計なことした?
いやでも、パンくず転がってたし……。

ミラが目を細めた。

「つまり、その石は危ない?」

「危ない、というより……“眠りたい”んだと思います」

眠りたい。
同じことを私はさっき思った。
え、これ、当たりだったの?

セインさんは言葉を選びながら続ける。

「水寄りの魔石って、流れを整えることがあるんです。村の水路を“助ける”方向に働くこともある。でも――」

「でも?」

「乱暴に動かしたり、欲をかけたりすると、逆に水を“寄せすぎる”ことがある。川が一箇所に集まりすぎると、土が負けます。土手が崩れる。……崩れが続いたのは、その兆候かもしれない」

ミラが黙った。
黙るときのミラは、考えている。
そして“優先順位”を決めている。

「……わかった。話はわかった。でも、夜中に家に入れるわけにはいかない。リオも寝てる。ぴょんも――」

ぴょんも。
私は反射で「きゅ」と鳴きそうになり、口を閉じた。危ない。私は今“寝てる設定”だ。

ミラは戸を閉めかけて、最後に言った。

「明け方、村長とタマ婆を呼ぶ。あなたも来な。そこで話す。今は帰って」

「……でも、今この瞬間に――」

「今この瞬間に何かあるなら、うちの犬が吠える」

ミラの言い切りは強い。
セインさんは口を開けて、閉じて、結局うなずいた。

「……わかりました。待ちます。家の外で、近くで」

「外で寝る気? 減点が増えるよ」

「……増やしたくないんですが……でも、増やします」

素直でよろしい。
ミラはため息をついて、戸を閉めた。

カタン。
家の中が、また静かになる。

私は棚の上で、ようやく息を吐いた。
兎の息だから、ふっ、だけど。

――でも、静かになったのは、外だけだった。

布包みの中の青い石が、ぽう……と光った。
さっきみたいに暴れはしない。でも、どこか“落ち着かなさ”が戻っている。

私が落ち着かせたのに。
私が触って、落ち着いたのに。
今は……戻ってる。

……外にセインさんがいるから?
いや、石が人の気配で反応する?
そんな繊細なの?

私は耳を揺らしながら、魔力の火種を確かめた。
まだ残ってる。
でも、がんばりすぎると朝に起きられない。
子兎の体は、小さい分、すぐ疲れる(心が)。

それでも、石がまたパンくずを転がし始めたら困る。
ミラが起きる。リオが起きる。騒ぎになる。
“縁起物”が“夜な夜な怪しいことしてる兎”になる。

それは避けたい。

私は布包みに鼻先を寄せて、心の中で話しかけた。

(ねえ。落ち着いて。明日、ちゃんと詳しい人が来るから)

返事はない。
でも、光が少しだけ弱まった気がした。

……よし。
今夜は、これ以上はやめよう。
私は棚の上で丸くなろうとした。

その瞬間。

――ぽと。

また、雫が落ちた。
机の上じゃない。今度は、棚の縁。私のすぐ前。
青い雫が、ころん、と丸くなる。

私は目を見開いた。
雫は月明かりを映して――

すうっ、と小さな線になった。

流れた。

棚の木目の溝に沿って、雫が“道”を作っていく。
まるで、どこかへ行きたいみたいに。

私は思わず、溝の先を追った。
雫は棚の端まで行き、ぽと、と落ちて――床に落ちる前に、ふわりと消えた。

……今の、何?

水が道を示した?
いや、ただの偶然?
木目の溝に沿っただけ?

でも、私には“意志”に見えた。
行きたい方向があるみたいに。

私は棚から下りた。慎重に。
踏み台に下り、床に下り、雫が落ちた場所の真下に来る。

そこは、台所の床板の継ぎ目。
ほんの小さな隙間。

そこから、冷たい空気が、わずかに上がっている。
床下だ。

――もしかして。

石は、“ここじゃない”と言ってる?
この家の中じゃ落ち着けない?
本当は、もっと水に近い場所――川のそばとか、水路とか、そういうところに置かれるべき?

私は頭の中でぐるぐるした。
でも、動かすのは危険かもしれないってセインさんは言ってた。
勝手に持ち出したら、ミラが怒る。リオが心配する。村長が頭を抱える。

だから私は、動かさない。
動かさないけど――“伝える”ことはできるかもしれない。

言葉は無理。
でも、私には小さな魔法がある。

私は台所の水甕(みずがめ)の前へ行った。
そこには明日の料理用の水が入っている。
甕は私の背より高い。覗けない。
でも、下に置かれた小鉢ならある。ミラが味見に使うやつ。

私は小鉢の縁に前足をかけて、よいしょ、と覗いた。
水面が暗く揺れて、月がぼんやり映っている。

私は胸の火種を、そっと押し出した。

じわ……じわ……。

狙いは大きな魔法じゃない。
ただ、水面に“線”を作る。
水が示したい道を、見える形にする。

じわ……じわ……。

水面が、ほんの少しだけ動いた。
中央から、すーっと細い筋が伸びる。
筋は、鉢の縁へ向かって、まっすぐ……いや、少し左へ。

左。
台所の左は、外へ続く勝手口の方だ。

私はぞくっとした。
怖い、じゃない。
当たったかもしれない、の震え。

そのとき。

背後で、きし、と床が鳴った。

私は固まった。
誰かが起きた?

振り返ると、寝間から出てきたのは――ミラだった。
髪をゆるく結び直し、眠そうな顔。
でも目は、半分だけ起きている。

「……ぴょん?」

やばい。見つかった。
夜更かし兎、確定。

私は固まったまま、

「きゅ……」

と小さく鳴いた。意味は「ごめんなさい」。
ミラは目を細めて、私の前の小鉢を見た。

「……水、揺れてる」

私は慌てて、小鉢から離れようとして足を滑らせた。
短い足が空を切って、私は――

ぽて。

床に落ちた。
痛くない。子兎サイズの強み。
でも、かっこわるい。とても。

ミラは大きなため息をついてから、しゃがみこんで私をそっと両手で包んだ。

「怪我してないね。……あなた、ほんとに目が離せない」

怒ってる、というより呆れてる。
それはそれでつらい。

ミラは私を抱いたまま、棚のほうを見た。
布包みの青い光が、ぽう……と弱く脈打っている。

「……石が気になるの?」

私は、こくり、と頷く代わりにミラの手のひらに鼻先を押し付けた。
“そう”のつもり。

ミラは少し黙って、最後にぽつりと言った。

「……さっきの男の子の言ってたこと、当たってるのかもね」

男の子、セインさん。
外で寝てる減点の人。

ミラは小鉢の水面をもう一度見て、首をかしげた。

「……でも、なんで勝手口の方に筋が――」

私は心の中で叫んだ。
気づいた! 気づいたよミラ!

ミラは私を木箱へ戻し、藁を直しながら言った。

「明け方まで寝な。あなたが眠らないと、リオが泣く」

泣く。
それは困る。
私は素直に丸くなった。藁はあったかい。

ミラは棚の布包みを一度だけ確かめ、そっと手を置いて、低い声で言った。

「……朝まで、静かにして。ね」

石に言ったのか、私に言ったのか、両方か。
青い光が、ぽう……と一度だけ優しく光って、それきり静かになった。

―――

明け方。空が薄い灰色になったころ。
戸が叩かれた。トン、トン。律儀な二回。

今度は村長だ。
そして、外にはセインさんも立っていた。
ちゃんと起きてる。
減点を積み上げた分、顔が少ししょぼしょぼしてる。

そこへ、杖をついたタマ婆がやってきた。
夜明けの空気を裂くように、すたすた歩いてくる。元気すぎる。

「で、どれが問題の石だい?」

タマ婆の目が、家の中を一瞬で見渡す。
そして、私の木箱のほうに一瞬だけ止まった。

……やめて。見抜かないで。

タマ婆はにやりと笑った。

「ふん。白い子兎が、寝不足の顔をしてる。石より先に、こっちが“水気”を吸ってるねぇ」

私は顔を藁に埋めた。
寝不足、ばれた。

村長が苦笑し、ミラが肩をすくめた。

「うちの子、夜更かしでね」

「うさぎが夜更かしとは、これまた器用な話だ」

タマ婆は棚へ近づき、布包みに手をかざした。
触れない。近づけるだけ。
それだけで、空気がふっと変わる。

「……水寄りだね。しかも、ただの水寄りじゃない。“道を作る”石だ」

道。
私の胸が、どきん、と鳴った。

セインさんが一歩前に出る。

「やっぱり……! これ、どこに置くべきですか」

タマ婆は目を細め、天井を見た。
まるで川の流れを頭の中でなぞっているみたいに。

「置くべき場所は、石が覚えてる。でも、石は口が利けない。――代わりに、誰かが“聞く”んだよ」

そう言って、タマ婆の視線が、すっと私に向いた。

私は固まった。
いや、待って。
まさか。

タマ婆が言う。

「白い子。昨夜、何か見ただろう?」

……見た。
雫が道を示した。
水が勝手口の方向へ筋を作った。

でも私は、話せない。
私は、ただの兎だ。
縁起物だ。
夜更かし兎だ。

それでも。

私は木箱から出て、ぴょん、と跳ねた。
みんなの視線が集まる。
怖くない。
今は、役に立ちたいほうが大きい。

私は勝手口の方へ、ぴょん、ぴょんと進んだ。
途中で振り返って、もう一回鳴く。

「きゅ!」

ついてきて、のつもり。

ミラが目を丸くし、村長が口を開け、セインさんが息を呑んだ。
タマ婆だけが、楽しそうに笑った。

「ほらね。聞ける子がいた」

勝手口を開けると、外は冷たい朝の匂い。
土と草と、川の気配。
私は門の外へ出て、家の裏手――小さな水路のほうへ向かった。

石は、そこに行きたがっている。
まだ確信じゃない。
でも、昨夜の雫は、確かにその方向だった。

私がぴょんぴょん進むたびに、背後で足音が増える。
ミラ、村長、タマ婆、セインさん。
そして眠そうなリオも、慌てて飛び出してきた。

「ぴょん!? どこ行くんだよ!」

ごめん、リオ。
でも今日は、起きててほしい。

私は水路の手前で止まり、耳を立てた。
水の音が、さらさら。
昨日より少しだけ元気だ。

タマ婆が呟いた。

「……行き先は、もっと上だねぇ。この石は“村の水の道”の根っこに帰りたがってる」

根っこ。
上流。
泉。祠。
そんな言葉が、頭の中で繋がっていく。

セインさんが、ごくりと唾を飲み込む。

「……今日、行けますか」

村長が拳を握る。

「行く。行かなきゃ、また崩れるかもしれん」

ミラが私をそっと抱き上げた。
あったかい手。いつもの“家族の手”。

「ぴょん。案内、できる?」

私はミラの腕の中で、まっすぐ前を見た。
怖さは控えめ。でも、責任はちゃんと重い。

それでも私は――

「きゅ!」

と鳴いた。
小さな声で、大きな返事をした。

青い石は、まだ棚の上にある。
でも、もうすぐ動く。
村の水の道の、いちばん大事な場所へ向かって。

そして私は、ぴょんぴょん跳ねながら、また一滴ぶんの役に立つつもりだった。
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