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第2話 置き去りの田舎、腹が減る
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王都から離れるほど、道は雑になる。
石畳はひび割れて土が顔を出し、轍は深く、雨が降ればそのまま川になるだろう。馬車が通る回数が減る。つまり――流通が弱い。薬草があっても、売り先が遠い。村が貧しくなる。そういう当たり前の因果が、道の形に刻まれている。
俺は一人で歩いていた。
背中の薬箱が重い。重いけど、慣れてる。慣れてしまっているのが、ちょっと悔しい。保護者枠だった頃は、荷物の重さが“責任”の重さと直結していた。今は……ただの荷物だ。いや、違う。俺の技術と、俺の命綱だ。
それでも、腹は減る。
腹が減ると、思考が浅くなる。人間の脳は単純だ。単純だから、基本に戻る。
「まず水。次に塩。……で、糖」
独り言に返事はない。あの四人がいたら、うるさいって言われていた。今は、森の鳥が鳴く。
日は落ちかけていた。野営の場所を決める。風の向き、地面の乾き、火を焚いた時の煙の逃げ。瘴気が薄い場所を選ぶ。……選び方が、まだ“彼らを想定”しているのが苦い。
俺は小さな窪地を避け、少し高い場所に腰を下ろした。草を踏み固め、簡易の結界札を一枚、木に括る。戦闘は不得手でも、こういう“死ににくくする工夫”は、いくらでもできる。
火を起こす。乾いた枝を折り、薬草袋から油分のある種を少し出す。火種は大事だ。現代でも異世界でも。
ぱち、と炎が立つ。
それを見た瞬間、腹がぐう、と鳴った。
「……ああ、そうだよな」
笑ってしまった。追放された直後って、悲しみとか怒りとか、もっとドラマチックな感情が来ると思ってた。でも現実は、腹が減る。人間は結局、生き物だ。
携帯食は、ほとんど残っていなかった。王都で買える乾パンもどきは高い。保護者枠の予算は、もう使えない。接触制限の証文がある限り、王国の金に触れるのは危険だ。余計な因縁は、腹いっぱいだ。
だから、採る。
森の縁に生える薬草を探す。葉の形、茎の毛、香り。指で軽く擦って鼻に当てる。青臭い。わずかに甘い。……ミズナ草に近いが違う。鉄分が強い。これは“鉄根の仲間”だ。
「鉄味……じゃない。渋味か」
舌先にほんの少し乗せて確かめる。渋味が立つ。胆味のような苦さではない。胃を締める方向。処理を間違えると腹を壊す。
俺は根元を掘り、少量だけ採取した。採りすぎると森が痩せる。そういうところまで“うるさい”と言われるんだろうな、とまた笑った。
次に探すのは、脂質。
苦味を削るのに、脂は強い。舌の上に膜を作って、苦味の立ち上がりを遅らせる。香りで“苦い情報”を上書きすることもできる。甘味で誤魔化すだけだと、吸収が落ちる。だから設計する。効き目を落とさず、不快だけ削る。
近くの木の実を割ると、少量だが油が滲んだ。匂いはナッツに近い。これでいける。
あとは、胃を整えるベース。
俺は薬箱の奥から月白根を一本取り出した。ミズナ村の特産だと聞いていたが、王都の薬舗でも少しは流れている。買ったのは、保護者枠の頃だ。……この一本が、俺の“切り替え”の象徴みたいで、少しだけ胸が痛んだ。
「今は俺のだ」
言い聞かせて、根を薄く削った。
鍋に水を張り、火にかける。そこへ月白根を入れ、さっきの渋味草を少し。塩は持っている。最後に、木の実の油を数滴。
湯気が上がる。
香りが変わる。
胆味は、情報だ。だから情報を整理する。鼻に入る香りを先に整えると、舌の受け取り方が変わる。温度も重要だ。熱いままだと苦味が立つ種類もあるし、冷めると渋味が尖るものもある。……この世界の薬師は、たぶんそこまでやらない。効くなら苦くていい、で止まる。
でも俺は、止まれない。
止まれなかったから追放されたとも言えるし、止まれないから今も生きているとも言える。
煮立ったところで、少量の粉――携帯用の穀粉を入れた。粥にする。腹持ちが違う。胃に優しい。明日の体力が作れる。
木の匙でかき混ぜ、火を弱める。粥がとろりとしたところで、いったん鍋を火から外し、少し冷ます。
ここ。
“飲みやすさ”は、温度で決まることが多い。熱すぎると舌が麻痺して苦味が遅れて来るが、後味で地獄を見る。冷めすぎると香りが立たず、渋味が前に出る。今は……ふうっと息を吹きかけて、舌で確かめられるくらい。
俺は一口、口に含んだ。
――うまい。
派手じゃない。甘くもない。だけど胃がほっとほどける感じがする。月白根の淡い香りが先に立って、渋味草の“締める”性質を丸く包む。最後に脂が、喉を滑らせていく。
「……食える薬、だな」
食える薬。言葉にすると変だが、俺にとっては当たり前だった。前世の俺は、苦い健康食品をどうやって飲ませるかで夜を明かしていた。効き目があるものほど、だいたい不味い。だから、“美味しくないから捨てる”って発想が、どうしても許せなかった。
許せなかった結果が、今。
俺は鍋を抱えるようにして、粥を食べた。腹に温かさが落ちていく。心まで温まる……なんて器用なことは言わない。でも、少なくとも、泣きたい気持ちは薄れる。
食べ終えた頃には空が暗くなっていた。火を小さくし、周囲に灰を撒く。匂いは魔物を呼ぶ。俺は“帰れる”を基準にする。だから夜のリスクを減らす。
寝袋代わりの布にくるまり、目を閉じかけたとき――遠くで、獣の声がした。
低い。重い。猪の鳴き声に似ているが、湿った音が混ざる。瘴気を吸った魔物だ。
「……畑荒らし、ってやつか」
ミズナ村が近いなら、村の畑が被害に遭っている可能性がある。噂で聞いた。“小型魔物”と。“毒虫”と。“猪型”。
俺は起き上がり、薬箱の紐を締め直した。寝る前に一回、周囲を確認する。……相変わらず、うるさい。
けれど、うるさいのは生存率だ。
―――
翌朝。
霧の中を歩き、丘を越えた先で、ようやく村が見えた。小さな家が点在し、畑が広がり、煙突から細い煙が上がっている。
――ミズナ村。
名前だけは知っていた。薬草の産地。だが、道から見ても分かる。豊かじゃない。畑の土が痩せている。柵が修理途中で止まっている。人手が足りない村の景色だ。
村の入口で、犬みたいな獣がこちらを警戒するように吠えた。すぐに、若い女が現れる。日焼けした肌、黒髪を一つに結び、弓を背負っている。猟師の娘だろう。目がまっすぐで、嘘を嫌う目だ。
「……あんた、旅人?」
「そう。薬師だ。……泊まれる場所を探してる」
女は俺の背負う薬箱を一瞥して、鼻で笑った。
「薬師が、こんな田舎に?」
「追い出された」
「ふーん。……まあ、顔は悪そうじゃないね。変なことしたら、撃つけど」
物騒で、率直で、嫌いじゃない。
「正しい。俺もそうする」
「は? 自分で言う?」
女は肩をすくめた。
「村長のとこ行きな。……ついでに、腹減ってるなら、元食堂がある。潰れかけだけど」
潰れかけ。
その言葉が、妙に胸に引っかかった。店が潰れる理由は単純だ。客が来ないか、仕入れができないか、働き手がいないか。田舎は、その全部が起こりやすい。
村の中心に近づくと、確かに小さな食堂があった。看板は斜め。窓は曇っている。中から人の気配は薄い。
俺は戸を押した。
きい、と鳴る。
中は静かで、埃の匂いがした。椅子はある。鍋もある。……使える。使えるけど、手入れが足りない。火入れが弱かった厨房の匂い。これを放置すると、胃を壊す。
腹が減っているのに、まず掃除を考えてしまう自分が嫌になる。嫌になるけど、やる。だって、胃を壊したら、もっと腹が減る。
そこへ、さっきの猟師娘が顔を出した。
「入ったんだ。あそこ、もう誰も使ってないよ。……あんた、なんか作れんの?」
「作れる。食える薬なら」
「食える薬? なにそれ」
俺は薬箱から月白根の残りを取り出した。猟師娘の目が、少しだけ動く。興味があるときの目だ。
「胃を整える粥。昨日も食った。腹は、ちゃんと減るようになる」
「腹が減るって、いいこと?」
「生き物としてはな。減らない腹は、だいたい壊れてる」
猟師娘はしばらく俺を見て、短く言った。
「……じゃあ、味見してやる。まずかったら、正直に言うからね」
「助かる。正直が一番、改善できる」
「改善って……薬も料理も、改善するもんなの?」
「する。しないと、死ぬ」
自分でも硬い言い方だと思った。けれど、俺はそういう人間だ。守るために厳しくなる。厳しくなるから嫌われる。……それでも、今は、嫌われてもいい相手がいない。
鍋に水を張り、火を起こす。厨房の位置を確認し、手洗い場の水を流す。刃物を洗い、布を煮沸して拭き上げる。猟師娘は呆れたように見ていた。
「……すごいね。いきなり掃除から?」
「火入れと衛生は、土台だ。腹壊したら、狩りも畑もできない」
「うわ、保護者みたい」
胸が、ちくりとした。
俺は包丁を置いて、深呼吸する。過去に引っ張られるな。今はここだ。ここで生きる。
「……そう見えるなら、そうなんだろうな」
「悪口じゃないって。……でも、村の子どもにその言い方したら、嫌われるよ?」
「……知ってる」
猟師娘は一瞬、目を丸くして、それから口の端を上げた。
「嫌われた経験、あるんだ」
「ある。たぶん、相当」
「ふーん」
それ以上は聞かない距離感。踏み込まないのに、切り捨てもしない。田舎で生きてる人間の、実務の距離。
湯気が立ち、月白根の香りが広がる。俺は穀粉を落とし、ゆっくりかき混ぜた。塩を少し。最後に、村の棚に残っていた干し薬草を一つ、匂いを嗅いでから入れる。……ミズナ草。胃を動かす。苦味は弱い。香りは青く、でも強すぎない。
粥ができた。
器に盛って、猟師娘の前に出す。
「熱い。舌をやるな。まず、香りを吸ってから」
「……うるさいな」
言いながら、彼女は器を両手で持ち、ふうっと息を吹いた。
一口。
ぱち、と彼女の表情が変わった。
「……うまっ」
思ったより率直だった。俺は、思わず肩の力が抜けた。
「なにこれ。腹が……あったかい。……なんか、胃が動く」
「月白根とミズナ草。胃の底の冷えを抜く。――ただし、食べ過ぎると逆に胃が疲れる。適量だ」
「出た。適量」
「適量が一番難しい」
猟師娘は、もう一口食べて、ふっと笑った。
「……あんた、名前は?」
「ユージン。ユーでいい」
「私はハナ。ハナ・ミズナ。村の猟師の娘。……で、ユー。追い出されたって言ってたけどさ」
彼女は器を置き、真っ直ぐ俺を見た。
「戻るなよ」
即答できなかった。できなかった自分が、また悔しい。
ハナは続ける。
「あんた、優しいのは分かった。でも戻るなよ。優しさで死ぬぞ」
……痛いところを突く。しかも、優しさを褒めているわけじゃない。優しさが“武器”にも“凶器”にもなると知ってる人の言い方だ。
俺は目を伏せ、短く言った。
「……戻れない。制度上」
「制度?」
「……いろいろある」
「ふーん。なら、なおさらだ。戻るな。あんたがここで生きるなら、ここで生きろ」
俺は、少しだけ笑った。
「分かった」
分かった、と言えたのが、自分でも意外だった。王都で“守る”に縛られていた俺は、誰かにこうやって背中を押されるのが下手だった。
でも腹は満たされた。胃が動いた。血が巡った。すると、不思議と、目の前の“潰れかけの食堂”が、ただの廃墟じゃなく見えてくる。
鍋もある。椅子もある。火も起こせる。薬草の村だ。材料は、たぶん、ある。
足りないのは――流れだ。
「ハナ。この食堂、誰のものだ?」
「元は村の共同。前の店主が病気で倒れて、そのまま。借り手もいない。……どうすんの?」
俺は厨房を見回し、もう一度、粥の香りを吸った。
「……腹が減る村なら、飯は武器になる」
「武器?」
「そう。生きるための武器」
ハナは目を細めて、少しだけ楽しそうに言った。
「じゃあさ。村長に話してみな。……うまい飯、作れるなら。村、ちょっとは明るくなるかも」
その言葉が、胸の奥で小さく灯った。
俺は、鍋を洗いながら頷いた。
「……まず、掃除からだな」
「また掃除!」
「衛生は土台。腹壊したら、全部終わる」
「はいはい。うるさいうるさい」
うるさい、という言葉が、今回は少しだけ軽かった。
外では、村の子どもの笑い声がした。王都で聞いた泣き声と違って、腹の底から出る声だ。
俺はその音を背中で受けて、思った。
――ここでなら。
俺は“うるさい”ままでも、生きられるかもしれない。
ただし。
窓の外、街道の向こうに目をやると、荷馬車が一台、村を素通りしていくのが見えた。村の特産を積むはずの馬車が、止まらない。
流通が、詰まっている。
田舎だから、ではない。意図的な匂いがする。
俺は指先の薬草の染みを見つめ、静かに息を吐いた。
「……面倒なのが、来そうだな」
でも今は、腹が減る。
腹が減るなら、飯を作る。
それが、俺の生き方だ。
石畳はひび割れて土が顔を出し、轍は深く、雨が降ればそのまま川になるだろう。馬車が通る回数が減る。つまり――流通が弱い。薬草があっても、売り先が遠い。村が貧しくなる。そういう当たり前の因果が、道の形に刻まれている。
俺は一人で歩いていた。
背中の薬箱が重い。重いけど、慣れてる。慣れてしまっているのが、ちょっと悔しい。保護者枠だった頃は、荷物の重さが“責任”の重さと直結していた。今は……ただの荷物だ。いや、違う。俺の技術と、俺の命綱だ。
それでも、腹は減る。
腹が減ると、思考が浅くなる。人間の脳は単純だ。単純だから、基本に戻る。
「まず水。次に塩。……で、糖」
独り言に返事はない。あの四人がいたら、うるさいって言われていた。今は、森の鳥が鳴く。
日は落ちかけていた。野営の場所を決める。風の向き、地面の乾き、火を焚いた時の煙の逃げ。瘴気が薄い場所を選ぶ。……選び方が、まだ“彼らを想定”しているのが苦い。
俺は小さな窪地を避け、少し高い場所に腰を下ろした。草を踏み固め、簡易の結界札を一枚、木に括る。戦闘は不得手でも、こういう“死ににくくする工夫”は、いくらでもできる。
火を起こす。乾いた枝を折り、薬草袋から油分のある種を少し出す。火種は大事だ。現代でも異世界でも。
ぱち、と炎が立つ。
それを見た瞬間、腹がぐう、と鳴った。
「……ああ、そうだよな」
笑ってしまった。追放された直後って、悲しみとか怒りとか、もっとドラマチックな感情が来ると思ってた。でも現実は、腹が減る。人間は結局、生き物だ。
携帯食は、ほとんど残っていなかった。王都で買える乾パンもどきは高い。保護者枠の予算は、もう使えない。接触制限の証文がある限り、王国の金に触れるのは危険だ。余計な因縁は、腹いっぱいだ。
だから、採る。
森の縁に生える薬草を探す。葉の形、茎の毛、香り。指で軽く擦って鼻に当てる。青臭い。わずかに甘い。……ミズナ草に近いが違う。鉄分が強い。これは“鉄根の仲間”だ。
「鉄味……じゃない。渋味か」
舌先にほんの少し乗せて確かめる。渋味が立つ。胆味のような苦さではない。胃を締める方向。処理を間違えると腹を壊す。
俺は根元を掘り、少量だけ採取した。採りすぎると森が痩せる。そういうところまで“うるさい”と言われるんだろうな、とまた笑った。
次に探すのは、脂質。
苦味を削るのに、脂は強い。舌の上に膜を作って、苦味の立ち上がりを遅らせる。香りで“苦い情報”を上書きすることもできる。甘味で誤魔化すだけだと、吸収が落ちる。だから設計する。効き目を落とさず、不快だけ削る。
近くの木の実を割ると、少量だが油が滲んだ。匂いはナッツに近い。これでいける。
あとは、胃を整えるベース。
俺は薬箱の奥から月白根を一本取り出した。ミズナ村の特産だと聞いていたが、王都の薬舗でも少しは流れている。買ったのは、保護者枠の頃だ。……この一本が、俺の“切り替え”の象徴みたいで、少しだけ胸が痛んだ。
「今は俺のだ」
言い聞かせて、根を薄く削った。
鍋に水を張り、火にかける。そこへ月白根を入れ、さっきの渋味草を少し。塩は持っている。最後に、木の実の油を数滴。
湯気が上がる。
香りが変わる。
胆味は、情報だ。だから情報を整理する。鼻に入る香りを先に整えると、舌の受け取り方が変わる。温度も重要だ。熱いままだと苦味が立つ種類もあるし、冷めると渋味が尖るものもある。……この世界の薬師は、たぶんそこまでやらない。効くなら苦くていい、で止まる。
でも俺は、止まれない。
止まれなかったから追放されたとも言えるし、止まれないから今も生きているとも言える。
煮立ったところで、少量の粉――携帯用の穀粉を入れた。粥にする。腹持ちが違う。胃に優しい。明日の体力が作れる。
木の匙でかき混ぜ、火を弱める。粥がとろりとしたところで、いったん鍋を火から外し、少し冷ます。
ここ。
“飲みやすさ”は、温度で決まることが多い。熱すぎると舌が麻痺して苦味が遅れて来るが、後味で地獄を見る。冷めすぎると香りが立たず、渋味が前に出る。今は……ふうっと息を吹きかけて、舌で確かめられるくらい。
俺は一口、口に含んだ。
――うまい。
派手じゃない。甘くもない。だけど胃がほっとほどける感じがする。月白根の淡い香りが先に立って、渋味草の“締める”性質を丸く包む。最後に脂が、喉を滑らせていく。
「……食える薬、だな」
食える薬。言葉にすると変だが、俺にとっては当たり前だった。前世の俺は、苦い健康食品をどうやって飲ませるかで夜を明かしていた。効き目があるものほど、だいたい不味い。だから、“美味しくないから捨てる”って発想が、どうしても許せなかった。
許せなかった結果が、今。
俺は鍋を抱えるようにして、粥を食べた。腹に温かさが落ちていく。心まで温まる……なんて器用なことは言わない。でも、少なくとも、泣きたい気持ちは薄れる。
食べ終えた頃には空が暗くなっていた。火を小さくし、周囲に灰を撒く。匂いは魔物を呼ぶ。俺は“帰れる”を基準にする。だから夜のリスクを減らす。
寝袋代わりの布にくるまり、目を閉じかけたとき――遠くで、獣の声がした。
低い。重い。猪の鳴き声に似ているが、湿った音が混ざる。瘴気を吸った魔物だ。
「……畑荒らし、ってやつか」
ミズナ村が近いなら、村の畑が被害に遭っている可能性がある。噂で聞いた。“小型魔物”と。“毒虫”と。“猪型”。
俺は起き上がり、薬箱の紐を締め直した。寝る前に一回、周囲を確認する。……相変わらず、うるさい。
けれど、うるさいのは生存率だ。
―――
翌朝。
霧の中を歩き、丘を越えた先で、ようやく村が見えた。小さな家が点在し、畑が広がり、煙突から細い煙が上がっている。
――ミズナ村。
名前だけは知っていた。薬草の産地。だが、道から見ても分かる。豊かじゃない。畑の土が痩せている。柵が修理途中で止まっている。人手が足りない村の景色だ。
村の入口で、犬みたいな獣がこちらを警戒するように吠えた。すぐに、若い女が現れる。日焼けした肌、黒髪を一つに結び、弓を背負っている。猟師の娘だろう。目がまっすぐで、嘘を嫌う目だ。
「……あんた、旅人?」
「そう。薬師だ。……泊まれる場所を探してる」
女は俺の背負う薬箱を一瞥して、鼻で笑った。
「薬師が、こんな田舎に?」
「追い出された」
「ふーん。……まあ、顔は悪そうじゃないね。変なことしたら、撃つけど」
物騒で、率直で、嫌いじゃない。
「正しい。俺もそうする」
「は? 自分で言う?」
女は肩をすくめた。
「村長のとこ行きな。……ついでに、腹減ってるなら、元食堂がある。潰れかけだけど」
潰れかけ。
その言葉が、妙に胸に引っかかった。店が潰れる理由は単純だ。客が来ないか、仕入れができないか、働き手がいないか。田舎は、その全部が起こりやすい。
村の中心に近づくと、確かに小さな食堂があった。看板は斜め。窓は曇っている。中から人の気配は薄い。
俺は戸を押した。
きい、と鳴る。
中は静かで、埃の匂いがした。椅子はある。鍋もある。……使える。使えるけど、手入れが足りない。火入れが弱かった厨房の匂い。これを放置すると、胃を壊す。
腹が減っているのに、まず掃除を考えてしまう自分が嫌になる。嫌になるけど、やる。だって、胃を壊したら、もっと腹が減る。
そこへ、さっきの猟師娘が顔を出した。
「入ったんだ。あそこ、もう誰も使ってないよ。……あんた、なんか作れんの?」
「作れる。食える薬なら」
「食える薬? なにそれ」
俺は薬箱から月白根の残りを取り出した。猟師娘の目が、少しだけ動く。興味があるときの目だ。
「胃を整える粥。昨日も食った。腹は、ちゃんと減るようになる」
「腹が減るって、いいこと?」
「生き物としてはな。減らない腹は、だいたい壊れてる」
猟師娘はしばらく俺を見て、短く言った。
「……じゃあ、味見してやる。まずかったら、正直に言うからね」
「助かる。正直が一番、改善できる」
「改善って……薬も料理も、改善するもんなの?」
「する。しないと、死ぬ」
自分でも硬い言い方だと思った。けれど、俺はそういう人間だ。守るために厳しくなる。厳しくなるから嫌われる。……それでも、今は、嫌われてもいい相手がいない。
鍋に水を張り、火を起こす。厨房の位置を確認し、手洗い場の水を流す。刃物を洗い、布を煮沸して拭き上げる。猟師娘は呆れたように見ていた。
「……すごいね。いきなり掃除から?」
「火入れと衛生は、土台だ。腹壊したら、狩りも畑もできない」
「うわ、保護者みたい」
胸が、ちくりとした。
俺は包丁を置いて、深呼吸する。過去に引っ張られるな。今はここだ。ここで生きる。
「……そう見えるなら、そうなんだろうな」
「悪口じゃないって。……でも、村の子どもにその言い方したら、嫌われるよ?」
「……知ってる」
猟師娘は一瞬、目を丸くして、それから口の端を上げた。
「嫌われた経験、あるんだ」
「ある。たぶん、相当」
「ふーん」
それ以上は聞かない距離感。踏み込まないのに、切り捨てもしない。田舎で生きてる人間の、実務の距離。
湯気が立ち、月白根の香りが広がる。俺は穀粉を落とし、ゆっくりかき混ぜた。塩を少し。最後に、村の棚に残っていた干し薬草を一つ、匂いを嗅いでから入れる。……ミズナ草。胃を動かす。苦味は弱い。香りは青く、でも強すぎない。
粥ができた。
器に盛って、猟師娘の前に出す。
「熱い。舌をやるな。まず、香りを吸ってから」
「……うるさいな」
言いながら、彼女は器を両手で持ち、ふうっと息を吹いた。
一口。
ぱち、と彼女の表情が変わった。
「……うまっ」
思ったより率直だった。俺は、思わず肩の力が抜けた。
「なにこれ。腹が……あったかい。……なんか、胃が動く」
「月白根とミズナ草。胃の底の冷えを抜く。――ただし、食べ過ぎると逆に胃が疲れる。適量だ」
「出た。適量」
「適量が一番難しい」
猟師娘は、もう一口食べて、ふっと笑った。
「……あんた、名前は?」
「ユージン。ユーでいい」
「私はハナ。ハナ・ミズナ。村の猟師の娘。……で、ユー。追い出されたって言ってたけどさ」
彼女は器を置き、真っ直ぐ俺を見た。
「戻るなよ」
即答できなかった。できなかった自分が、また悔しい。
ハナは続ける。
「あんた、優しいのは分かった。でも戻るなよ。優しさで死ぬぞ」
……痛いところを突く。しかも、優しさを褒めているわけじゃない。優しさが“武器”にも“凶器”にもなると知ってる人の言い方だ。
俺は目を伏せ、短く言った。
「……戻れない。制度上」
「制度?」
「……いろいろある」
「ふーん。なら、なおさらだ。戻るな。あんたがここで生きるなら、ここで生きろ」
俺は、少しだけ笑った。
「分かった」
分かった、と言えたのが、自分でも意外だった。王都で“守る”に縛られていた俺は、誰かにこうやって背中を押されるのが下手だった。
でも腹は満たされた。胃が動いた。血が巡った。すると、不思議と、目の前の“潰れかけの食堂”が、ただの廃墟じゃなく見えてくる。
鍋もある。椅子もある。火も起こせる。薬草の村だ。材料は、たぶん、ある。
足りないのは――流れだ。
「ハナ。この食堂、誰のものだ?」
「元は村の共同。前の店主が病気で倒れて、そのまま。借り手もいない。……どうすんの?」
俺は厨房を見回し、もう一度、粥の香りを吸った。
「……腹が減る村なら、飯は武器になる」
「武器?」
「そう。生きるための武器」
ハナは目を細めて、少しだけ楽しそうに言った。
「じゃあさ。村長に話してみな。……うまい飯、作れるなら。村、ちょっとは明るくなるかも」
その言葉が、胸の奥で小さく灯った。
俺は、鍋を洗いながら頷いた。
「……まず、掃除からだな」
「また掃除!」
「衛生は土台。腹壊したら、全部終わる」
「はいはい。うるさいうるさい」
うるさい、という言葉が、今回は少しだけ軽かった。
外では、村の子どもの笑い声がした。王都で聞いた泣き声と違って、腹の底から出る声だ。
俺はその音を背中で受けて、思った。
――ここでなら。
俺は“うるさい”ままでも、生きられるかもしれない。
ただし。
窓の外、街道の向こうに目をやると、荷馬車が一台、村を素通りしていくのが見えた。村の特産を積むはずの馬車が、止まらない。
流通が、詰まっている。
田舎だから、ではない。意図的な匂いがする。
俺は指先の薬草の染みを見つめ、静かに息を吐いた。
「……面倒なのが、来そうだな」
でも今は、腹が減る。
腹が減るなら、飯を作る。
それが、俺の生き方だ。
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だが、彼が何気なく作った剣は竜を貫き、魔王をも滅ぼすほどの威力を秘めていた。本人はただの職人のつもりでも、周囲からは「神の使徒」として崇められ、王女や聖女、果ては魔族までが次々と彼の元に集う。
「俺、本当にただの鍛冶屋なんですが……?」
気づけば彼は、闇の勢力も聖なる教団も巻き込む世界最大の戦争の鍵を握る存在に――。
これは、無自覚に最強となった青年が世界を変える、“作るだけ無双ファンタジー”。
異世界の底辺村で静かに暮らしたいだけなのに、気づけば世界最強の勇者だった件
fuwamofu
ファンタジー
「村の畑を守りたいだけなんだが…?」──勇者召喚に巻き込まれて異世界に来た青年レオン。しかし才能を測る水晶が“無能”を示したため、勇者パーティから追放される。失意のまま辺境の小村でのんびりスローライフを目指すが、土を耕せば豊穣の奇跡、狩りに出れば魔王級を一撃、助けた少女たちは次々と彼に恋をする。
本人はただ平穏に暮らしたいだけなのに、気づけば国を救い、人々に「救世の英雄」と讃えられていた──。
ざまぁ、逆転、ハーレム、爽快、全部乗せ! 無自覚最強スローライフ・ファンタジー開幕!
平凡な村人だと思われていた俺、実は神々が恐れる最強存在でした〜追放されたけど、無自覚チートで気づけば世界の頂点〜
にゃ-さん
ファンタジー
平凡な村人・レオンは、勇者パーティの荷物持ちとして蔑まれ、ある日「役立たず」として追放される。
だが、彼の正体は神々が恐れ、世界の理を超越する“創世の加護”を持つ唯一の存在だった。
本人はまったくの無自覚——それでも歩くたび、出会うたび、彼によって救われ、惹かれていく者たちが増えていく。
裏切った勇者たちは衰退し、彼を捨てた者たちは後悔に沈む。
やがて世界は、レオン中心に回り始める。
これは、最弱を装う最強が、知らぬ間に神々を超える物語。
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