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5.再会
しおりを挟む大学の講義はもう何回も遅刻してるし、出席足りなくて単位落としちゃった授業もいくつかあるけど、バイトの朝はしゃきっと起きられる。
高三の時、塾に通って必死こいて入学した地元の国立大学。
あの頃と違って大学って、ほんと自由というか、自己責任って感じだから、俺は高校の時と比べたら、良く言えばのびのび、悪く言えば堕落した生活を送っていた。
俺は三人兄弟の中の末っ子で、すぐ上の姉と十歳離れてる。だから、親にはめちゃめちゃ甘くされてきた。
家からギリ通えない距離の大学に受かったらあっさり一人暮らしさせてくれるし、仕送りもくれるし、大学受かってヨカッターって心の底から思う。
今はバイト5割、遊び3割、大学2割って感じ…。彼女いないから遊びの割合がちょっと低め。
バイト先は服屋を選んだ。県庁所在地にあるデッカイデパートの5階にある店だ。
アパレルで働くと割引きとかで安く服買えそうだし、力仕事もないし、毎日涼しいお店の中で働けるし、いいなーくらいのノリで始めたけど、天職?ってくらい楽しかった。マネキンのコーディネートとか配置は全部本社の人間が言う通りにやってるだけだけど、何やっても「すげー!」って気持ちになった。
すげー!新しいシャツかっこいい!すげー!この服高い!すげー!本社の人オーラある!
地元から出てきてるから、まずデパートっていうのが新鮮だし、いるだけでテンションが上がった。
同じバイト仲間のリョーちゃんっていう、芸大に通ってるちょっとアーティスティックな後輩は「ハヤトさん、アホだから毎日楽しそうっスね。羨ましいっス」って呆れたように言ってくるけど、否定する気にもならなかった。
俺は服を売って売って売りまくった。
服を売るためだったら、ここではどんな自分にもなれると思った。
頭よさそうな年上の男の人が来ても、それなりに話を合わせられたし、子連れで来てるお客さんの子は全力であやした。
どんな客が試着室から出てきても称賛の声を送れたし、不思議と、この人は靴も勧めたら買うな、とかそういうこともわかった。
たまに、「彼氏のプレゼントを買いにきた」って女の子が一人で来た時は、すごい紳士的に接した。
…彼氏いるって言いつつ、こういうバイトしてると、「ハヤトさんみたいな人タイプ」みたいに「俺に気があるのかな?」って勘違いするようなことを言う子が多いのにはビックリしたけど。
まあ、もちろん楽しいだけじゃない。ほとんどバイト中は座れないし、ゴールデンウィークもクリスマスもお正月もほぼ休めない。それでもお釣りがくるくらい、毎日幸せだった。
5月最後の土曜日、その日は朝から客足が少なめだった。
まあ、ゴールデンウィークのセールにいっぱい来てたし、会社勤めの人の夏のボーナスはまだ先だから、しょうがないっちゃしょうがないんだけど…。
客が来ないとやっぱり暇だ。服を売ってないと、時間が過ぎるのが遅い。貰ってる時給は一緒なのに。
リョーちゃんは仲のいい太客を何人か抱えてて、そういう人へ連絡しては店に来させて服を買わせている。
俺はそれを密かに「色恋営業」と呼んでいる。男女両方いるけど。
裏では「さっきの客すげえウザかったー…殺意湧きません?」とか言ってるのに、客の前だとめちゃくちゃ可愛くおどけたり、甘えたり、たまに強気に出たりして服を売る。
俺もリョーちゃんも社員じゃなくてバイトだから、基本的にどれだけ服を売ろうと、時給分のお金しか貰えない。夏と冬にちょこっとボーナスという名のお小遣い程度のお金が貰えるくらい。
だから、何をモチベーションにしてバイトしてんのかよく分からないし、しょっちゅう服買いに東京まで出てるリョーちゃんは「こんなしょっぼいデパートの中でしか服選べないなんて、ほんと終わってると思いません?」とか言ってるけど、俺はこういう癖のある奴好きだから、毎日「マジでハヤトさん、顔だけしか長所ないですよね」とか罵倒されてもそれなりに上手く付き合っていた。
今日は、俺一人だからそんなリョーちゃんの毒舌もないし、マジで暇だった。
とりあえず、レジの横のパソコンでメールチェックしてみたり、掃除してみたりしたけど、時計を見たらまだ十分も経ってない…なんてことがしょっちゅうある。
15時という遅い昼休憩の後、眠くて眠くてあくびを噛み殺していると、フラ、とお店に男性が一人入って来た。
俺とは一切目を合わさず、ディスプレイされている服やハンガーラックに引っかかっている服に触れることもなく、客の導線を意識して組まれてる道筋を逆走して、スタスタとネクタイやハンカチの並ぶショーケースへと向かっていった。
グレーの細身のスーツを上手く着こなしてるなーってのが第一印象だった。
うちの店にも一応スーツは置いてるけど、それよりずっと仕立ても生地もいいものだ。
店長から前に、若い男性客のスーツ選びは気をつけろ、と言われたことを思い出した。
細身シルエットは女性からのウケがいいから若い男の客なんかは好んで買いにくるけど、あまりにもタイトすぎるとコスプレっぽい印象になりやすいし、体型に合わないのに無理にワンサイズ小さいものを買おうとしてシルエットが汚くなりがちだ。
「綺麗な着こなしは目で見て覚えて」と店長から叩き込まれたことを俺は頭悪いなりに感覚で理解して、客のスーツ選びにはいつも慎重に付き合ってる。
その男性のスーツの選び方と着方は完璧だった。
細身の身体にちゃんとあったサイズ感のスーツが、洗練され、品格のある男にその人を見せている。細いのに後ろ姿からはどことなく威圧感が感じられた。
ジャケットの選び方も上手いと思った。体格が細い人はラペルと呼ばれるジャケットの下襟部分が細くなっているものを選ぶのが基本だって習った。
横顔しか見えないけど色白で細身なモードっぽい雰囲気を細いラペルが強調させている。
また、この襟幅も細すぎるとダサくなっちゃうんだけど…ちゃんとジャストサイズで仕立ててある。顔が小さい人じゃないと似合わない着こなしだ。
あからさまに「話しかけないでください」オーラを出しまくってるけど、俺はどうしても「とっても似合ってますね、それどこのスーツっスか?」と言いたくて、そっと近づいた。
驚かせないようにその人の左後ろから徐々に俺が視界に入るよう自然に歩いて、正面に回り込んだ。
色がめちゃくちゃ白くて、小さい顔にパーツがそれぞれきちんと収まっていて、切れ長の目…
「え、先生だよね?」
俺は「いらっしゃいませ」を言うのも忘れて、思ったことを気が付いたら口にしていた。
その人はどっからどう見ても、高校の頃散々叱られた冷徹ロボ浅尾先生だった。
「……高瀬」
ネクタイから顔を上げた先生は、俺の顔を見て、たぶん頭の中のメモリーにきちんと記録されていたのであろう名前をちゃんと呼んでくれた。
あれから三年が経つから、先生はもう25歳になっているはずだ。相変わらず人形みたいに綺麗で、真っ直ぐ背筋を伸ばして立っている。
先生してた時より髪が若干長くなっていて、全体的にゆるめのCカールのパーマがかかったマッシュベースのショートになっていた。色は黒のままだけど。
前髪をおろして流してるから、特徴的な短めの眉毛が隠れてて、先生してた頃より顔の印象が柔らかくなったように見えた。
「え?先生、この辺に住んでるの?」
「いや、今は東京に住んでて…たまたま予定があって戻って来た」
「そうなんだ!俺、ここでずっとバイトしてるんだよね…あっ!そうだ、俺大学受かったよ」
俺は「接客をする」ということを忘れて、先生に喋りまくった。バイト中にそうなったのは初めてだった。
先生はというと、ちょっと困ってる感じだった。たぶん、もう教師辞めちゃってるし、いきなり前のテンションには戻せないのかな、と思った。
でも、「そうか」「よかったな」「すごいな」って先生にしてはいっぱい褒めてくれた。
「先生って今何の仕事してるの?」と俺が聞くと、某外資系の化粧品会社の本社にいると教えてくれた。
「え、すごい有名なとこじゃん!すごい!先生ってそういう才能もあったの?」
「俺にはデザインも出来ないし、営業の才能もないさ。ただ本社で毎日数字に追われているだけだ」
会社のパソコンをがしゃがしゃしながら、仕事をしている先生は簡単に想像出来た。
全国の店舗へ向けた長文のメールに赤字、太字、二重線を走らせて指示したり、店のレイアウト画像を送らせては、それを事細かにチェックして、「その空いているスペースにもテナント料は発生しているんだが?どういう意図でそういうふうに陳列した。説明しろ」とか言って販売員のお姉さんを詰めたりしてそう、と思った。
もっと話したかったけど、予約注文してた客が、商品を受け取りに来たので、しぶしぶ諦めた。
「先生、ゆっくり見てってよ!」と俺が言ったのに対してギクシャクと先生は頷いた。
先生みたいに自分の体格をちゃんと理解した服を着ていて、どういうものなら買うか、ハッキリしてそうな客には「何かお探しですかー?」とか言って、あまり話しかけすぎない方が良い。
こういう客に「ショップ店員の俺のセンス」とかで対抗しに行っても100%不快になって帰っていくことがほとんどだから。
俺は、服を畳み直したり、レジ触ってるふりしながら様子を盗み見た。
先生はネクタイを選んでいるようだった。グリーンのマルチストライプのネクタイとネイビーとライトベージュの太いストライプのネクタイを手に取って、しげしげと眺めた後、鏡の前であててみたりして、熟考している。
俺はそんな先生に「違うよ!先生」と言いたくて仕方なかった。
おそらく、先生は普段、ホワイトとかネイビーとかグレーとかブラックとかそういう服をシンプルに着こなしてるんだろうと思う。
今日着てるスーツも青みがかったグレーで先生によく似合っていた。
ただ、差し色を選ぶセンスはあまり無い、というか、自分にどういう色が似合うかあんま気にしてない。
俺はゆっくり先生に近づいてから、なるべく驚かさないように「先生」と声をかけた。
それでも先生は「見ていたのか」と言いたそうな顔で、目を丸くしていた。
「先生の肌とか髪の色的に、こういう黄みがかった深い色じゃなくてさ、青みのある色でコントラストがハッキリした色の方がいいよ」
俺はネイビーとボルドー、ホワイトの組み合わせのタータンチェックのネクタイと、シルク100%のライトパープルにシルバーの細いストライプ模様が入ったネクタイを勧めた。仕事用なのか、パーティーとかお呼ばれ用なのか、どういう意図で買おうとしていたのかはわからないから、とりあえずシックなやつと華やかなやつ両方を選んである。
先生は太めのネクタイを選んでたけど、ライトパープルの方は、ラペルの太さに合わせて細いのを選んだ。
「もし、最初に選んでた緑とかがいいならエメラルドグリーンとか、ベージュならあんまり黄みがかってない、グレージュとかの方が似合うと思う」
鏡の前で俺の選んだネクタイを締めてあげたら、先生の持つシャープな雰囲気が強調されて顔の綺麗さも引き立つし、めちゃくちゃいいじゃん!って思った。
やっぱモデルがいいと選ぶのも楽しい、と思いながら「何か変わるのか?」と言いたそうにしてる先生の顔を覗き込んで、「ほら!全然違うでしょ!」とテンションでゴリ推しといた。
「…すごいな」
先生はそう呟いた後、「両方買う」と言った。
「え、いいの?」
高いよ、うちの、と思ったけど、先生の腕には高そうな時計が光ってたから、ま、いいか、と思うことにした。
先生のネクタイをショッパーに入れながら「先生、絶対また来てよ」と俺は言った。
「ああ」
昔みたいになんの感情もこもってない声で返事をされて、「たぶん、来ないだろうな、だって家東京だし…」って思ったりしたけど、「来るわけないだろ」とか言われたわけじゃないからほんの少し希望はある、と思う。
その後、夕方から交代で来たリョーちゃんに、見た目は人形とかロボットみたいなめちゃくちゃ綺麗だけど愛想なくてすげー怖い客が来たら絶対俺に教えてよ、って言ったら「そんな人間いるわけないでしょ。バイトサボって昼寝でもしてたんじゃないスか?いい加減起きてください」と言われた。
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