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4.哀れなロボ

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中間も期末テストも終わり、体力測定とか校外学習とかそういうダルい行事も終わって、一学期の終業式の日が来た。
たまたまその日が週番だったせいで、担任から教室のゴミ出しを命じられて、燃えるゴミとそうじゃないゴミの袋を両手に持ち、ゴミ置き場に向かっていた。
早く教室の戸締りして家に帰りてーと思いながら、校舎に沿って歩いていると、美化活動中の浅尾先生を見つけた。

「センセ、草刈り?」
「…おう。当番か?感心だな」

先生とは最早怒られすぎててしょっちゅう会話してるし、勉強もいっぱい教えてもらってるから、この頃になると、俺は他の奴に比べてフツーに会話出来るようになっていた。
相変わらず尋問ロボットだけど。たぶん、たまに優しいのもエラーかバグだと思う。

いつもはスーツとかそれに準ずる服装をしているのに、今日はアディダスのジャージ姿だから新鮮だった。細身な体ながらスポーティーに着こなしているし、似合っている。
こういう服を着ている先生は、実年齢である22歳らしく見えた。

今日の気温は33度。しかも快晴だったため、先生の真っ白い額や首筋に刺すような日差しが照っており、玉のような汗が光っている。どう見ても、野外での草刈り向きに作られている人間じゃないと思うけど、一生懸命だった。
先生の後ろには「たった一人でやったんですか?」と聞きたくなるくらいの量の刈り取られた草が山のように積んであった。
他にも仕事は山ほどあるはずなのに、と思う。たぶん、この後大量の草を捨てに行って、着替えて、職員室でパソコンして、見回り行って、またパソコンして…。

「…なんで、先生一人でこんなことしてんの?てか、校長がやればいーじゃん。いつも座ってるだけだし」

なんの考えもなしにそういうことを言ったら、わりと強めの口調で「そういうことを軽々しく言うのはやめろ」と叱られた。
この時の言い方がかなり本気っぽかったから、結構校長のことを尊敬しているんだな…と思った。
先生はポケットから取り出したちっこいタオルで汗を拭った後、「…早く、そのゴミを捨ててこい」と言ってまた自分の作業を再開してしまった。
とりあえず先生の言う通りゴミ出しをした後、「センセ―、俺も手伝う!」と走って戻った。

「……制服が汚れる」
「いーよ、べつに」

洗うのお袋だし…、と思ったけどそれを言うとまた「お前は自分の制服も洗ってないのか」とか「やってもらっといて何だその言い方は」とか叱られそうだから黙っておいた。
先生は、制服姿で軍手も持ってない俺を見て、「……じゃあ、熊手あるだろ?そこにある草、それで集めといてくれ。…自分の都合で帰ってもいいから」と渋々指示を出した。
手伝ってあげようとしてる相手に気を遣われるって、なんか、自分がすごくガキ臭く思えた。

暑い中、ほとんど人が来ない校舎の側の花園で俺と先生はそれなりに喋った。
あえていろんな教師の話題を振ってみて、先生がそれにどんな反応を示すかを試していた。化学の実験でリトマス紙を使う時みたいに。
意外と先生はわかりやすかった。露骨に不機嫌になったり、動揺したりするわけではないけど、平坦な口調と少ない言葉の端々に小さな変化が確実にあった。
先生が好きな教師の名前を出すと先生自身も結構喋るけど、苦手な教師の話題を出すと「そうだな」しか言わなくなる。

校長のことは普通に尊敬していた。青色。教頭は好きでも嫌いでもない。変化なし。
同じ生徒指導の主任の先生にはかなり良くしてもらってて、先生も相手を敬っていること。真っ青!
逆に野球部顧問の体育教師のことは嫌いらしい。赤色。
「そうか…」としか言わなくなるし、たまに聞こえないフリしてるから。…先生、もやしっ子っぽいしイジメられてんのかなと思った。
この間、野球部の部室の合い鍵をパクったまま卒業して、夜間に忍び込んだ挙句に酒を飲んでたOBを先生が警察に通報したとか言う噂があったから、それで恨まれてんのかな。

クラスの奴らが「浅尾って絶対職員室でボッチだよ」と言ってたのを思い出した。
まあ、でも尊敬してるっぽい人も、良くしてくれる人もいるみたいだし、俺ら生徒にはわからない人間関係を先生も築いているんだろう。
さすがの先生も先輩とか上司には下手に出たりするんだろうか…。上司のつまらない冗談に愛想笑いをする先生はとても想像出来なかった。

女の教師の場合は誰の名前を出しても「いい人だ」「そうか?」「そうだな」「言葉に気をつけろ」を交互に言うだけだった。
まあ、うちの学校可愛い先生いないし、気持ちはわかるケド…という視線を向けたら「何が言いたい」と凄まれた。


花園の端から端までキレイに刈り取った後、先生は俺が集めた草をぽいぽい一輪車に乗せて、「捨ててくるから、お前はもう帰れ。ありがとう」とだけ言った。
軍手を外した先生の指は女みたいに白くて細長く、桃色の爪も薄くて、脆そうで、繊細な造りをしていた。







夏休みが明けて、二学期の最初の登校日。朝、目が合った瞬間、先生にソッコー捕まった。
…こっそり髪の毛をダークブラウンに染めていたのがバレたみたいだった。
先生は他の教師に正門の見張りを交代した後、俺を引きずるようにして生徒指導室へ連れて行った。
「新学期早々何考えてんだ」と怒ってて、ヤベー、先生の手を煩わせた、バレないだろうって思わないでちゃんと黒く染めてくれば良かったってちょっと焦った。
なにせ、相手は俺達を取り締まるのに特化したロボットなんだから、そう簡単に誤魔化せるわけがないのだ。



「…座ってろ」

そう言って先生は部屋の奥に行った。俺はマジで坊主にされるかも、と思って震えた。
土下座したとしても絶対そういうの通用する相手じゃないし「そんなことでなんとかなると思ったのか?」「なぜ、そこまで髪の毛が大事なのに、そんな頭で登校した?」とか、絶対言うに決まっている、と俺が頭を抱えていると、先生は手に光るものを持って戻ってきた。
バリカン…ではなく、髪を一時的に黒くするスプレーだった。

「…制服を脱げ」

俺が脱いだシャツを丁寧にハンガーにかけて壁から出ているフックに吊るした後、先生は俺の肩にでっかい古いバスタオルを美容師の人がするみたいにかけた。

「先生、美容師みたいだね」
「…お前、やっぱり床屋じゃなくて美容室行ってんのか」

なんの意図で先生がそんなことを言ったのかわからないけど、俺は「そこ?」とちょっと困惑した。
人間社会のそういう文化に興味を持ってしまった哀れな人型ロボを想像して、ちょっとウケてたら「なに、ヘラヘラしてんだ」と怒気を含んだ声が頭上から降ってきて、次こそマジで坊主にされる、と背筋が一瞬で凍った。

先生は、俺の髪を一束そっと摘まんだ。もっと鷲掴みにされて、スプレーを乱暴にぶっかけられると思ったけど、意外にも俺の頭皮と毛髪は丁寧に扱われた。
細い十本の指が髪を梳くように、頭のてっぺんから襟足の方まで何度も往復する。
あれ、俺の髪そんなサラサラだったっけ?と錯覚しそうになるくらい、指の動きは滑らかだった。

べつに、先生は今の髪の毛じゃ始業式に出せないから事務的にこういうことをやってるんだろうけど、心地よくて優しい手つきだったから、なんか…すごい親密な人どうしみたい、俺、元カノの髪の毛こういうふうに触ったことあるし…とか思ってしまって、先生に対してすごい後ろめたい気持ちになった。
美容室と違って、古い生徒指導室だから俺の前に鏡はないけど、先生の綺麗な顔が自分の後ろにあって、あの指が俺の髪に触れてるって思ったら、急に緊張してきた。次、失言したら坊主にされるっていう恐怖感と合わさって、音が先生にも聞こえてるんじゃないかってくらい、心臓がバクバクした。これがつり橋効果?というやつだろうか。

「…先生って、女子でもこうやって髪染めてやってんの?」

ちょっと間が空いてから、「…了承を得られれば」と返って来た。
…絶対勘違いする奴いるでしょ、と思ったけど、たぶん先生には到底理解出来ないだろうと思って聞けなかった。

「…この間、染め方が汚いって言われたから、そういう時は自分でさせてる」
「うっそ?先生にそんなこと言える奴いんの?!誰?」
「…女は強い」

「染め方が汚い」って言われたのがショックだったのか、声に元気が無いようだった。
意外とそういうのは気にすんだ…と思った俺は、とりあえず大人しく髪黒くされようって思った。



「……なんで、今日はそのまま登校した?」
「夏休みの最初にほんの少し染めたくらいだから、バレないかなと思って…スミマセンデシタ」
「卒業するまで二度とすんな」
「はい、わかりました。……素朴な疑問だけど、先生、なんで髪の毛染めたらマズいの?」

ピタッとスプレーを噴射する先生の手が止まり、部屋はしーんとした嫌な沈黙に包まれた。
「なんで、髪伸ばしたら駄目なの?」「なんで、ワックスつけてきたら駄目なの?」
今までどの教師に聞いても頭ごなしに叱られるだけで、納得する答えが返ってきたことなんかなかった。
先生、数学教えるの上手いし丁寧だしもしかしたら、こういうことも俺にもわかるように説明してくれんのかなーと一瞬でも思ったのが間違いだった。
怖くて振り返れないから先生の顔見えないけど、たぶん無表情ですげーキレてる気がする。
…俺の髪の毛さようなら、俺は思わず眼を閉じた。


「学校は、生徒を親から預かっている」

先生はスプレー缶をコトリと机に置いてから、喋り始めた。

「一人一人、たくさんの大人に手をかけてもらってここまで成長している。それを引き継いでるから、俺も、学校も責任を持って預かるし出来ることをする。
学校出てからはもっと守らないといけないことや理不尽なことが沢山ある。そういうのに耐えられる大人にしてやりたい、全員を」

説明は終わりだとでも言うように、先生はスプレーを散布する作業を再開した。
先生は怖いし、ちょっとヤバいし、冷徹だけど、生徒のことは全然嫌いじゃなくて、むしろ愛情ってやつを持って接していたんだなと思った。
俺の髪の毛の扱い方からでも、なんとなくわかったけど。

「…風呂に入ったら落ちる」

だから、ちゃんと自分で染めてこい、と先生は言って俺の髪にスプレーをちょっとずつかけた。
丁寧に染めてくれたから落ちないよ、と思った。
始業式が始まるからなのか、今日はいつもみたいにグダグダ尋問されることもなかった。

「高瀬」

部屋から飛び出して教室にカバンを置きに行こうとした俺を先生は呼び止めた。
上履きをキュッと鳴らして、足を止めてから「何?」と振り返った。

「俺は二学期も徹底的にやる。だからちゃんとしろ、いいな」

先生の顔はゴムのマスクでも被ってんのかってくらい、無表情で筋肉一つ動かさなかった。
俺が返事をするまで黙ってこっちを見ている目が時々瞬きをしていた。生き物として当たり前なはずのその動作が妙に恐ろしく感じられた。
作り物にしか見えない人間が、そうでないことを主張するために自らの動きをことさら強調してるように見え、生々しかった。
先生と、生物の持つ生々しさって最高に相性悪い、とその時思った。
「やる」って「殺る」じゃないよな…と怯えながら俺は「はい」とだけ返事をして、ドアをそうっと閉めて先生の耳に足音が聞こえなくなるくらいの距離まで忍び足で歩いた後、教室までダッシュで逃げた。

俺が進級するまでの間、先生はその宣言通り、徹底的に”先生”をした。

二年の修了式の時、転勤する教師の中に先生もいた。

他の教師と違って先生は自分がどこへ行くのかは言わなかった。司会の教頭が「浅尾先生は、別のお仕事に就かれます」とだけ紹介した。

生生が俺の先生を辞めちゃうことと、もう絶対会えないだろうってこと、両方がすごくショックだった。


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