初恋はヴィンセントさんと

サトー

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2.ティモシーの恋


 翌日約束の時間ピッタリにヴィンセントさんは俺を迎えに来た。アパートの前に立って迎えを待っていたら「次からは家の中で待っていていいよ。危ないから」とさらっと言われて、それだけで俺は内心慌てていた。次があるの? とすごくビックリしたからだ。

 しばらく車を走らせた後、ヴィンセントさんは俺のことを新聞社の側にあるカフェーへ連れていった。俺とヴィンセントさん以外は皆、片方の手で食事をしながらもう片方の手で何か書き物をしたり本を読んだりしている。
 恋人やお友達と一緒に軽食とお喋りを楽しむための場所というよりは、忙しい大人が手っ取り早くお腹をいっぱいにしてコーヒーで一休みをするためのお店だと感じた。
 ヴィンセントさんがすぐ隣の新聞社で働いていることは知っていたから、いつもここで食事をしながら記事を書いているのかなあと思いながら、俺はキッシュとサンドイッチを慎重に食べた。

 緊張してしまってあまり自分から話しかけることは出来なかったけれど、ヴィンセントさんはそれをほとんど気にしていないみたいだった。沈黙が続いても、窓の外をボーッと眺めたり、紙製のコースターを手の中で弄んだり、すごく自然体でのびのびしているように見えた。時々俺と目が合うと、口の端を上げてニコッと微笑んでくれる。その度に俺は、どうしよう、という気持ちになった。





「あのお店で働いて長いの?」
「ま、まだ半年くらいです。ずっと本屋で働いてみたいと思ってて……」
「確かに、あそこは理想的な職場だ。あんな小さな店にあれだけの本が詰め込まれているなんて夢のようだ」

 ヴィンセントさんがそう言うのを聞いて、俺は新しい本を熱心に入荷してくれるお婆さんに心から感謝した。毎週金曜のアルバイトの度に会えるなんて、それこそ俺にとって夢みたいだ。

「それから、レジに並べば素敵な子が立っているし」
「えっ!?」
「ん? 言ってなかったかな、私は。君はいつも素敵だねって」
「い、いえ……、俺は何も……素敵なんてことは……」

 しどろもどろになる俺を見てヴィンセントさんはくすりと笑っていた。食後に陶器のカップに入った紅茶が運ばれてきたけれど、味も香りもよくわからないまま、ただただ「熱い」ということだけを感じながら全部を飲み干した。ヴィンセントさんが、紅茶と一緒に出されたスパイスの効いたクッキーを一枚だけ残して紙ナプキンで包んでから、胸のポケットへしまっていたのが妙に印象に残った。

 カフェーを出た後に、食事代を半分払いますと言う俺のことをヴィンセントさんはまるで珍しいものでも見るような目付きで観察してから「いいよ」と笑っていた。でも、食事を無条件でご馳走されることが苦手な俺はなんとかお願いして、お金を受け取ってもらった。ヴィンセントさんは、こんな子は初めてだよと笑ってくれたからホッとした。

 その後、ヴィンセントさんと俺は町の古い映画館で映画を観た。ニワトリと同じように「夜になると目が見えなくなる」という獣の名残に悩みながらもパイロットを目指す少年の物語だ。
 ポップコーンの匂いが充満していて、椅子は硬くてお尻が痛くなったけれど、俺は、どうかこの時間が終わらないで欲しいとずっと願っていた。ヴィンセントさんの側にただ座っていられるだけで幸せだったから。
 映画の最中、胸の辺りがちくちくと痛み始めた時は「どうしよう」ってすごく焦ったけれど、服を濡らすこともなく、なんとかその日を無事に終えることが出来た。

 願いが誰に通じたのかはわからないけれど、翌週もその次の土曜日もヴィンセントさんは俺を遊びに誘ってくれた。少しずつ会話は増えてきたけれど、俺なんかと一緒にいて楽しいのかな? と俺はいつだって不思議に思う。
 なんというか、一緒にいてもヴィンセントさんは側でモジモジしている俺を気にせずに、一人で過ごしているかのように、ぼんやりと考え事をしたり、口笛を吹いたり、ポケットの中を覗いたりとにかく自由だった。一度、休日に俺が側にいるのは邪魔じゃないんですかと聞いたら、「君がいるから、いいんじゃないか」とすごく驚いた顔で言い返された。



 それで、五回目の土曜日の帰りに「付き合って欲しい」とヴィンセントさんから言われた。

「どうして……俺なんかで本当にいいんですか……?」

 出掛けた五回は全て、昼から夕方にかけての時間に会っている。一度、今度は夜にお酒を飲みに行こうと誘われた時に「身体に問題があって、夜は出掛けられない」と断って以来、ヴィンセントさんは俺にすごく気を遣ってくれている。夕方は必ず家まで送ってくれるし、気分が悪くないか定期的に声をかけてくれる。夜は無理ですと断った時も、「よかった。そういうことを教えてもらえて」と言ってくれた。

 俺は何も返せないのに。夜は会えない、というのは身体の関係を持てないという意味だとヴィンセントさんはもしかしたら気がついていないのかもしれない。


 その日はひどい雨が降っていて、ヴィンセントさんは車を港の側に止めた。近くにも似たような車が何台か止まっていたけれど、激しい雨のせいで中に人が乗っているのかどうかもわからない。灰色の空のせいなのか、しんと静まり返った車内での沈黙が重く肩にのし掛かってくるようだ。

「私はね、ティモシー。今まで、誰かとお付き合いを始める時は、それを言葉になんかしたことなかったんだ。いつの間にか始まっていつの間にか終わっている。それが私にとっては普通のことだった。でも、そういうことを言葉にするのも悪くないんじゃないかって、君を見ていたら思ったよ。……好きだ、私の恋人になって欲しい」

 信じられなかった。それと同時に苦しくなる。こんな身体じゃなかったら、もっと素直にヴィンセントさんからの好意を受け入れられたかもしれないのにって。

「……ヴィンセントさんの獣の名残はなんですか?」

 自分でもビックリしてしまうくらい声が震えていた。こんな大事な時に、なんでそんなことを聞くんだろう。失礼だってわかっているのに。自分の秘密を隠したくて、でもヴィンセントさんの心には少しでも近づきたくて、思わず口から出てしまった。
 ヴィンセントさんの瞳が一瞬大きく見開かれて、俺の心臓がドクンと跳ねた。しまった、って思ったけど、もう遅い。
 俺からの質問に、ヴィンセントさんのくっきりと線の入った瞼がパチパチと瞬きを繰り返した。自分の気持ちを伝えた後にそんなことを聞かれるなんて思ってもみなかったのだろう。「私?」と微笑んだ後、ヴィンセントさんは小さく息を吐いた。

「……リスだ。貯食行動といって……リスが木の実を集めて隠すだろう? あれと似たようなことがやめられない」

 そう言ってからヴィンセントさんは「特に大事なものは、自分だけの場所に隠して、とっておきたくなるんだ」と俺を真っ直ぐ見つめている。その視線がどこか熱を含んでいて、俺はじわじわと頬が赤くなるのを自分でも感じていた。言葉に詰まって、俺はただ下を向いて、膝の上で指をぎゅっと握りしめた。

「……素敵だと思います」
「そうかな。いい大人がみっともないと、嫌がる人もいる。今日だって私のシャツのポケットには拾った花の種や、剥がれた切手が入っている。それを家の中にせっせと隠すんだ。滑稽だろう?」
「ううん、すごく素敵です。いつも、ヴィンセントさんが何かをしまう度にそう思っていました……」

 この世界では、獣から人へと進化を遂げる時に、鋭い牙や爪を失っても変わらずに獣だった頃の特徴が一人に一つずつ残っているのだと言われている。それを「獣の名残」と呼んでいて、それぞれが上手な付き合い方を探す。パートナー選びも、性別が男であるか女であるかということよりも、獣の名残の相性を重要視することが多い。

 ヴィンセントさんみたいにリスの習性が行動に結び付く人もいる。スポーツ選手を調べてみたら、ほとんどがチーターやライオンといった獣の「足が早い」という特徴を持っていたというのは有名な話だ。
 夜行性の人は夜勤の仕事で活躍が出来るし、例えば俺のお父さんは木登りが得意という特徴を庭師という仕事に活かしている。

 でも、俺の身体にはどんな獣の名残が残っているかなんて絶対に言えない。大好きな人には知られたくない。

 誰もが自分の獣の名残に誇りを持って堂々と出来るわけじゃない。自分ではどうにも出来ない特徴で不便な思いをしている人もいるし、欠点だと感じて受け入れられない人もいる。だから、その人の獣の名残についてそれほど親しくない人に気安く質問することは、とても失礼なことなのだと教えられてきた。

「もし、そういう部分を素敵だと思ってくれるのなら……私にはやっぱり君しかいないんじゃないかって、そんな気がしているよ」

 俺が自分から話そうとしないことで何かを察したのか。ヴィンセントさんは俺の獣の名残については何も聞いてこなかった。代わりに、「ねえ、ティモシー。君がそうして欲しいと望むのなら、私達の付き合いは何も変わらないよ。ただ今の関係に名前をつけるだけだ」と穏やかな声で言うだけだった。

「本当に……? ……あの、俺、すごく身体が変で、お付き合いをしても、きっとヴィンセントさんには見せられないんです……。触れられるのも、嫌われちゃうかもって思ったら、すごく怖い……」

 ブカブカの服の胸の辺りを掴みながら、俺はなんとか自分の思いを伝えた。思いが通じあった後にガッカリされて嫌われるくらいなら、普通じゃない、ということを伝えてしまっておいた方がいい。
 去年、デートをした男の人からいきなり身体を触られて、それを拒んだらすごく怒らせてしまったことがあった。食事もご馳走したのにヤらせないつもりかと言われて、確か、食事にかかったお金を全部返して、何度も謝りようやく許してもらえた。もう二度とこんなことで誰かを怒らせたり失望されたりしたくない。それなのに、ヴィンセントさんがこのまま離れていってしまうかも、と思うと目に涙が浮かんだ。



「……性行為の最中に、愛してると伝えることがあるけれど」

 ヴィンセントさんの口から出た「性行為」という言葉に俺は激しく動揺した。一切いやらしさを感じさせない、例えるなら病院で使われるような硬い雰囲気を持った言い方だったけれど、それでもヴィンセントさんがそんなことを言うのがなんだか信じられなかった。

「私は普段一緒にいる中で、そういう気持ちを君に伝えようと思っている。だから、君に触れられないのは、それほど問題じゃないよ。私にとって」
「……いいんですか? 好きあっているのに、その……、せ、性行為をしないなんて……」

 ヴィンセントさんのその辺りの事情を俺は何も知らない。知っているのは俺がアルバイトをしている本屋でポルノ雑誌を買わないということぐらい。ハンドルを掴む長い指や、艶のある金色の髪をどれだけ見つめても、どのぐらい性欲というものがあって、どのぐらいそれを重要視しているのかはわからなかった。
 俺は今までに何度も恋することを諦めたり、ダメになったりしているから、大丈夫だと言われても不安な気持ちがなかなか消えずにいる。いつか、この心地よい関係が壊れてしまうかもしれない。それが何よりも怖い。


「もし、君が私のことを気に入ってくれていて、少しでも同じ気持ちだと感じることがあれば、時々それを言葉で返してくれれば嬉しいよ」

 その日は「気が向いた時に返事をくれればいい」と、夜がくる前にヴィンセントさんは俺のことを家まで送ってくれた。じゃあまた、次の土曜日に、と言って去っていくヴィンセントさんの水色の車が見えなくなるまで見送った時に、初めて「寂しい、もっと一緒にいたい」という気持ちになった。正確には今までずっとそう思っていた気持ちに蓋をしていたのに、とうとう溢れでてしまったという感じだった。

 いつか、お別れしないといけない日が来ることを、すごく怖いと思うくらい、俺はヴィンセントさんのことが好きなんだ。

 そう自覚してからは、毎日ヴィンセントさんのことを考えるだけで心が苦しくなる。それで、次の土曜日に勇気を出してヴィンセントさんにその気持ちを伝えた。

「私も同じだよ」

 すごく大きな本屋へ遊びに行った帰りの車の中で。初めて気持ちが通じあった。
 ヴィンセントさんは俺に優しく言っていた。恋するのは怖いことばかりじゃないよ、それを君が感じてくれるのなら私にとってこんなに嬉しいことはないよ、と。

「……はい。ヴィンセントさんと一緒にいると、毎日がとても大切で素晴らしいものだって感じます。ヴィンセントさんに土曜に会うと、次の土曜日までの一週間分の幸福を貰えたような気持ちになって、俺はそれがすごく嬉しいです」

 その時のヴィンセントさんは「そうか」と神妙な顔で頷いてから、真っ直ぐ前だけを見て運転していた。次に会った時に「君からの言葉で、私は今日までの一週間ずっと幸福な気持ちでいられたよ」と言ってくれた。それから、あの時は嬉しすぎてビックリして、上手く反応出来なかったのだとも。

「ありがとう、ティモシー」
 
「少しでも同じ気持ちだと感じることがあれば、時々それを言葉で返してくれれば嬉しい」というヴィンセントさんの言葉を思い出す。して貰うばかりじゃなくて、俺にも出来ることがあるんだって、ヴィンセントさんが俺に教えてくれていた。
 その時から俺はすこしずつ、この人の側にいてもいいんだって、思えるようになった。池に張った厚い氷が暖かくなって少しずつ溶けていくように。怖がってばかりだった俺の心は、ゆっくりとヴィンセントさんとの恋に夢中になっていった。



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