ニンゲンミナライは成長中

サトー

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いいおまじない

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「……そうだ。早く元気になりたいなら毎日よく寝て、質の良いたんぱく質と鉄分、それにカルシウムをキチンと摂るんだな。
……確かに赤いきつねは最高だが、子供はなんでもよく食べろよ。
まあ、俺はこれから紺のきつねそばをいただくが……」

紺のきつねそばを見つけた途端に「時間外の診療は、紺のきつねそばで払って貰おう」と言い出したキキョウ先生は、ホタルと交渉の末、お金の代わりにカップ麺を3つ持ち帰ることになった。

税抜き98円のカップ麺3つ分が診療費だと思うと安いような気はする。
だけど、値段は安くてもホタルにとってはすごく大切な食べ物だ。

ホタルは、ドンキホーテで紺のきつねそばを発見した時に、「ああっ……!」と興奮で目を輝かせながら嬉しそうにカートを押していた。
家に帰ってからは、カレンダーを眺めながら「この日にアオイと食べるだろ……。この日はヒナタも呼ぶだろ……」とブツブツ言いながら、カップ麺の消費計画だって立てている。



紺のきつねそばが取られてしまう、と気付いた途端にホタルは甘えるような声でキキョウ先生のことを「兄さん」と呼び始めた。
そして、「お願いだ。もう残りが少ないんだ」と、診療にかかったカップ麺三個を二個に減らそうと頑張っていたけど、ダメだった。

「……悪いな。一個はしばらくの間、部屋に飾るから、どうしても三個必要なんだ。
俺は赤いきつねの「でか盛り」が量・味・デザイン性共にこの世界で一番優れた製品だと思っているが、紺のきつねそばのパッケージは趣があっていい。
見ろよ、かまぼこの位置が……」

……長々と話し続けるキキョウ先生は、冗談を言っているんだと思って、コッソリ様子をうかがったら、ウサギやハムスターを眺めているかのような優しい目で、両手に抱えた紺のきつねそばを見つめていた。

ホタルはホタルで、「そうだろう!」と何度も頷いていた。

紺のきつねそばの良さをわかって貰えたことが嬉しかったのかもしれない。
その後、すごく自慢気に「俺とアオイは別々のレジに並んで、大量に買ってきたんだ」と言っているのが聞こえた。

ホタルの様子は、俺といる時とも、ヒナタといる時とも違っていた。
ドンキホーテで紺のきつねそばを見つけてどれだけ嬉しかったかをキキョウ先生に得意気に話す様子は、お兄さんに自分の成果を認めて貰おうと一生懸命になる子供みたいだった。




「……少しずつ食べて、長く楽しむ計画が狂ってしまったが……、アオイを診てくれたうえに、兄さんは紺のきつねそばが大好きだったからな。
まあ、仕方ない……」

ホタルは仕方ない、と言っているけど、本当は大好物を手放すことをすごく残念だと思っているに決まっている。
全身を布団の中に潜り込ませて、大事なものだったのに、ごめんなさい、と心の中で何回もホタルに謝った。

キキョウ先生に渡した分の紺のきつねそばを手に入れたいけど、狐の里から人間の世界へと続く真っ暗なほら穴は、どこがどうなっているかなんてさっぱりわからないから、ホタルのために一人で買い物に行くことも出来ない。

俺が手に入れられるもので、ホタルが喜ぶものってなんだろう。
そもそも、足が痛いうちは安静にしているように言われたから、やっぱり何にも出来ない……と落ち込んでいると、うんと大事にしてやれよ、とキキョウ先生が言っているのが聞こえた。

「……してる」
「そうだな。大きくなってるのが、何よりの証拠だ。
一応、また診に来るが……。それまで、人混みには連れて行くなよ」
「人混み……?わかった」


じゃあな、とキキョウ先生が帰った後、玄関の戸をピシャリと閉めてから、部屋へ戻ってきたホタルは肩を震わせていた。

「……ふっふっふ。キキョウの奴、俺がまだまだ紺のきつねそばを隠し持ってるとは知らずに、三個で満足しちゃって……」

部屋に出していた分はオトリだったのに、兄さんってば、まんまと引っ掛かったな……と満足そうに呟きながらホタルは俺の側へ近付いてきた。

「アオイ、騒がしかったか……?さっき、頭まで布団をかぶって丸まっていたから……」

ゆっくり休まないといけないのに悪かったよ……とホタルが頭を撫でてくれる。

「……ううん。俺、ちゃんとお医者さんに病気を診てもらったことが、ほとんど無いから緊張してしまって」
「…………そうか」

本当は、「俺のせいで、ホタルの大好物をあげることになってごめんなさい」と言いたかった。
けど、そんなことを言ったら、ホタルはきっと優しいから「そんなことない」って、俺を慰めようとする。
謝っているようで、自分の欲しい言葉を貰うなんてズルいことは出来ないから、別の理由で誤魔化しておいた。

「キキョウは、俺とヒナタの兄貴代わりで……手先が器用で頭が良かったから、医者になったんだ。
アイツは赤ん坊から年寄りまでみてやるいい医者だ。アイツの言う大丈夫は本当だから安心していい……」
「……はい」

大きくて頼もしそうだったね、とキキョウ先生に対して思っていたことを伝えると、「あれは、いかにも有能な外科医っぽく化けてるんだ。本当はもっと、俺やヒナタみたいに細っこい男だよ」とホタルは笑っていた。

……俺と同じ人間なんだろうか、と感じた姿が本当じゃなかったなんて、とビックリしたけど、そうか、先生もやっぱりニンゲンギツネなんだ、って納得もしてしまった。

膝を擦ってやろう、とホタルが布団をそうっと捲った。

「俺が擦って本当に平気なんだろうか……」
「うん……。すごく安心する。嬉しい……」

不思議なことにホタルの暖かい手が触れていると、痛みが和らぐような気がした。
こんなふうに「痛い」と訴えた場所を誰かに擦って貰えるのは初めてで、嬉しいと感じているのに、本当にこんなことをして貰っていいんだろうかって、不安にもなる。

「アオイ」
「うん……?」
「もし、またどこかが痛くなったり、具合が悪くなったりしたら、すぐ俺に言うんだよ。
俺は……アオイに元気が無かったら、ただのキツネに戻って口がきけなくなってしまうよ……」
「……はい」

成熟した大人の身体を手に入れたホタルは、きっともう、ただのキツネに戻ったりなんかしない。
自分の心と身体を完全にコントロール出来るようになったホタルは、前みたいに家を飛び出して行くことは無くなって、すごく自信に満ち溢れていきいきしている。

だけど、俺が落ち込まないようにそんなことを伝えてくれてるんだってわかったから、ホタルの言うことに素直に頷いておいた。


「……今日は用事も無いし、俺も一緒に寝るかな」
「へ……?」
「すぐ出て行くから……」

もぞもぞとホタルが布団に身体を滑り込ませてくる。
触られると身体が痛むかと聞かれて、ぶんぶん首を横に振った。
ホタルは俺の身体を慎重に抱き締めてから、「……本当だ。すごく大きくなったんだな」と呟いた。

「アオイ、もしも……俺に言いにくいことがあったとするだろ?
そしたら、ヒナタでもキキョウでもいい。外を歩いているニンゲンギツネを捕まえて「長老のお言葉をいただきたいのですが」と頼んでもいい……。
誰でもいいから、困ったことがあったら我慢しないで言っていい。
勉強と同じくらい大事なことだからな、忘れてはいけないよ……」

うん、と返事をした後、ぎゅっと目を閉じた。なんだか目と鼻の奥が、ツンとして痛い。

「良い子だな……」

額に柔らかいものが触れる。それがホタルの唇だってわかって、固まっていたら、そのまま、ちゅ、ちゅ、と何度も軽く音を立てながら額に口付けられて、飛び起きそうになった。

……こういうことはずいぶん久しぶりだ。寝かしつけようと抱き締められている時とは全然違う、身も心もホタルを求めて、触れられた所から熱がじわじわ広がっていく感覚。

「ホタル……」

もっと、という気持ちを込めて名前を呼んだのに、ホタルはすごくビックリした顔をしてから「……これは、アオイが早くよくなるように、いいおまじないをかけたんだっ!」と捲し立てるようにして言った。




「……ホタル、いいおまじない、もっとかけて」


身体は少しダルいけど、それよりも、ホタルに触って欲しかった。
さっき一人でしたのに、と思うと自分がすごくいやらしい人間に感じられて恥ずかしい。
……だけど、声を殺して、じっと身を硬くしながら、ホタルと愛し合ったあの時間が、恋しくて堪らなかった。

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