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不慣れ(3)

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「あの人、すぐ土下座してくる」
「またパンツのことでいじられた」
「黒いパンツ履いたのにいじってくる」
「たぶん、俺の持ってるパンツ暗記してる?怖い」
「パンツ売れって言われた。きもちわる」


 ユウイチさんと付き合う前、まだ雇用契約中だった頃に密かにいろいろな事を書いていたルーズリーフが本人に見つかってしまった。
 ヤバイ、いくら事実とは言え、失礼なことを書いているのがバレてしまった、とすごく焦った。けれど、ユウイチさんは気を悪くするどころか何を見ても「マナトは正直で可愛いな。ハハハ……」と笑っている。

 なんで、こんなことになったのかと言うと、シュークリームを食べた後、「部屋を見ても?」というユウイチさんの問いに、あまりよく考えずに頷いたのが始まりだった。
 台所と風呂・トイレの位置が逆になっているだけで、全く同じ広さの隣室に住んでいるというのに、ユウイチさんは初めて内見にやって来た人よりもずっと真剣なんじゃないかという顔つきで、部屋のあちこちを眺めていた。

 冷蔵庫にマグネットで留めてある、公共料金の請求書と国民年金の納付書が見つかっただけで「ああっ……! こんなところに……!」と大騒ぎする。どうしても自分に払わせてくれ、としつこく言われて「自分で払うから本当に本当に大丈夫です」と何度も言うはめになった。
 その後、急に静かになったなと不審に思っていたら、室内干し中の洗濯物に下がっているパンツをじっと見ていて、引き剥がすのに苦労した。


「いい部屋だな……こんなに良い物件が近くにあったなんて……」
「えっ? 嘘でしょ!? 全く同じ部屋に住んでるじゃないですか!」
「まず、部屋の空気が良い。マナトの匂いが充満してる」
「ひっ……」

 毎日生活していると、自分の家の匂いはわからなくなる。無言で先週買ったルームフレグランスを指差したものの「そういうことじゃない」と言われてしまった。
じゃあ、マナトの匂いってなに? と自分の腕に鼻を近付けて嗅いでみたもののよくわからなかった。

「……ユウイチさん、あんまり怖いこと言わないでくださいよ」

 あと、変なこともしないでください……と伝えたら、「ここには俺の夢が詰まっている」と怖いくらい真剣な顔で言われた。正直、ユウイチさんが変なことをしないか見張っている間は、言うことを全然聞かない小学生の弟を連れて出掛ける時と同じくらい疲れた。

「……マナト、あれは?」

 部屋を探索していたユウイチさんが見つけたのが100円ショップで買った蓋付きのポリプロピレン収納ボックスだった。

「ああ……、本とか雑誌を適当に箱に入れてるんです」
「中を見ても……?」

 部屋に干してあるヨレヨレのくたびれたパンツを見られるよりはマシだと思って、「いいですよ」と答えた。
 真っ白で中が見えないようになっているから、向きを気にせずにギュウギュウに本が詰め込まれている。ユウイチさんは中身を見てから、「……勉強の本ばっかりだ」と呟いた。

「……教科書とか、あと資格の問題集とか、全部ここに入れてるんです」

 毎日学校で実習ばかりしているわけじゃなく、資格の勉強をしていることを意外に思ったのかユウイチさんは「こんなにたくさん、いつ勉強を? マナトは本当にエライな……」と褒めてくれた。俺の機嫌をとろうと大袈裟に言っているんじゃなくて、本気で驚いて感心してくれているみたいだったから、すごく嬉しかった。

 高校生の頃アルバイトをして貯めたお金で買った「日本車大図鑑」も一緒に眺めてくれた。
「この本三万円もしたんだよ」と言ったら、「え?」とビックリされたけど、「マナトの宝物の本ってこと? じゃあ、もっと一緒に見よう」としばらく図鑑を見ながら車の話に付き合ってくれた。
 さっきまではユウイチさんのことを、弟の面倒を見るより疲れる……と思ったけど、こうやって「うん、うん」と話を聞いてくれる時は俺よりもずっと大人だった。

「……このルーズリーフは? 勉強用?」

 ユウイチさんは、授業でもらったプリントがパンパンに挟まっているクリアファイルと教科書の間から、それを見つけ出した。
 ちょっと前に開いたっきりで、最近は全然使ってないルーズリーフだった。質問に正直に答えるべきか、「うん、ただの勉強用」と嘘をつくべきかほんの一瞬迷った。

「これは、あの、……ユウイチさんのことを書いたメモ……」
「えっ?」

 雇ってもらっていた頃、ユウイチさんと何をして、お金をいくら受け取ったかをずっとルーズリーフにメモしていた。「バイト代を貰っているんだから、頑張らないと」と思い、ユウイチさんとの会話の内容や、ネットで調べたことをメモしながら、どうやったら満足してくれるかを一生懸命考え続けていた時の記録だ。

 ユウイチさんから中身を見たいと言われた時は、恥ずかしいから嫌だと感じた。けれど、べつに日記のように長々とユウイチさんへの思いを書き綴っていたわけでもないし、さっき一緒に車図鑑を見てくれたお礼に、「ちょっとだけなら」とオーケーすることにした。

 一番最初のページにはユウイチさんが作って二人でサインをした契約書が挟まっている。もうこれって無効なのかな……? と考えていると、ユウイチさんがページをさらに捲った。

「あ、ああああっ……!?」
「えっ!? どうかしました!?」
「……余りにも情報量が多すぎて……。とんでもないものを見つけてしまった……!」
「ええ……そんな、変なものじゃないですよ……。普通のメモですよ」

 ユウイチさんは何度も大袈裟に深呼吸してから、もう一度ルーズリーフを開いた。一分程黙った後、最初に発した言葉は「まず、字が可愛すぎる……」だった。
 小学6年の頃から一向に進化していない、どこからどう見ても下手くそな俺の字をユウイチさんは、「こぢんまりした、なんて可愛い字を書くんだ……! なるほど、マナトは指先に力を入れて字を書くタイプか……」と分析しながら、大袈裟に悶えている。なんのためかはわからないけど、写真も何枚か撮られた。

 ユウイチさんはルーズリーフに書かれている内容もじっくりと読み込み始めた。
「ハハハ……『またパンツを売れと言われた。怖い。絶対変態』だって」と自分のことを言われているにも関わらず、喜んで笑っている。
「生田さんの、大きかった」とメモしているのもバレてしまって、本当に恥ずかしかった。なんで、こんなことまで書き留めたんだ……と激しく後悔しながら、隠すように慌ててページを捲った。

 けれど、中盤以降へ進めば進むほど、少しずつユウイチさんに心が惹かれていく様子が文章に表れ過ぎていて、余計に恥ずかしくなってしまった。ルーズリーフのメモには一度もユウイチさんのことを「好き」と書いたりはしていない。だけど、「怖い」「気持ち悪かった」という記述がどんどん減っていって、「嬉しかった」「生田さん、いい人」という言葉が増えていく。

 一番わかりやすかったのは「今度初めて外で会う」という殴り書きの素っ気ないメモだった。結局、初めて二人で食事をした後に行ったラブホテルで、手を縛られた俺が「お願いだから、おちんちん入れてよ」と大泣きしてしまったせいで、台無しになってしまった。……こうやって、ちゃんと一緒にいられるようになるなんて、あの時は思いもしなかった。

 ユウイチさんと、外で会う。
 ただ、それだけのことでも、わざわざ書き残しておきたいと感じるくらい、あの時の俺はきっと嬉しかったに決まっていた。

「わああああ……!」
「……マナト?」
「恥ずかしい……! こんなことまで書いてたんだ……!」
「うん……?」

 今までは、起こったことや調べたことを淡々とルーズリーフに書き綴っていただけだと思っていた。一人で読み返しても「そういえば、そんなこともあったなー」と感じるくらいで、俺にとって恥ずかしいことなんて一つも書かれていなかった。

 でも、ユウイチさんと一緒に見ると全然違う。悩んだり迷ったりしながら、ちょっとずつユウイチさんのことを受け入れて、好きになっていった様子を本人に知られるのは、裸を見られるのと同じかそれ以上に恥ずかしかった。

 ユウイチさんは自分のことを「怖い」「変態」と書かれていることについては笑っていたけど、俺の気持ちの変化については、絶対にからかってきたり、いじってきたりはしなかった。
 ただ、「大事なものを見せてくれてありがとう」と優しくお礼を言って、それでルーズリーフを返してくれた。俺が、見せなきゃ良かった、と後悔しないように気を遣ってくれているのかもしれない。

 だから、ユウイチさんに対しての気持ちを全部知られて最悪だと感じていたけど、もしかしたら、今まで言葉が足りなくて上手く伝わっていなかったことも、ユウイチさんなら汚い字で書かれたメモから読み取ってくれたのかもしれないと思えた。

「……いくらバイト代を渡しているとはいえ、マナトに怖い思いをさせたり、いろいろ悩ませたりしているんじゃないかと、ずっと気になっていたから……。マナトがこんなに一生懸命いろいろ調べて俺を喜ばせようとしていたのが知れて良かった。ありがとう」
「うん……」
「今は……? その……痛くて嫌だとか、怖いと感じる時はいつでも言ってくれていいから」
「ううん……、あの……」

 ずっと言おうと思っていたことがあったのに、いざユウイチさんに伝えようとすると、緊張して言葉がなかなか出てこなかった。
ユウイチさんは「早く」と急かすことはしないで、ただじっと黙って待ってくれている。
 顔つきも優しかった。散々待たせておいて、やっぱり言いたくない、と俺が言ったとしてもすぐに、「うん、いいよ」と言ってくれそうだった。

「……この前、セックスした時のこと、覚えてる? あの、初めてお裾分けして貰った時の……」

 覚えてるよ、とユウイチさんが頷いた。なるべくユウイチさんの顔は見ないようにして言葉を続けた。

「……あ、あの時、なんか、俺、変で……」
「……変って?」
「その、むずむずして、もどかしかった……。もっと、……して欲しいって…」

 恥ずかしくて、「どこがもどかしかった」「何をもっとして欲しかった」という決定的な部分を詳しく言うことが出来なかった。
ユウイチさんが黙ったままだから不安になって顔をあげると、目を見開いた状態で顔を強張らせて固まっていた。何かを目まぐるしく考えているんだろうけど、それに対する感情を、一切表情に出さないようにしているみたいだった。

「……慣れてきたんじゃない?」

 長い沈黙の後、ようやく口を開いたユウイチさんが言ったのはそれだけだった。静かな口調ではあったものの、素っ気ない言い方ではなくて、「だから、大丈夫だと思うよ」と宥めるような言い方だった。
 もしかしたら、もっと聞きたいことや言いたいことがあったのかもしれないけど、俺を困らせないように、伝えたいことを最低限に留めているようだった。


「うん……。ちょっとずつ、ユウイチさんとセックスするのに体が慣れてきたかも……」
「よ、良かった……?」
「……うん」

 頷くと、ユウイチさんの「良かった」という安心した声がした。その後も、二人で何度か「良かった」「うん」と言い合った。
たった一言の「良かった」という言葉を交わし合うだけで、確かに気持ちが通じあっていると感じられた。


「もっと、慣れたい」


頭にそう浮かんできて、なんだかそれがすごくしっくり来た。
「なんで俺は挿入されたり、出し入れされるのを怖いと感じるんだろう?」「なんで、俺は中でイくことが出来ないんだろう?」とモヤモヤ悩んでいたことを、たった一言で表現してくれるうえに、悩みを軽くしてくれるような言い方だと思えた。



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