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最も尊く美しい
◇◆◇
「アーシュ様ってめちゃくちゃ機嫌がいい時でも俺にだけ厳しいんだよなー。この前もちょーっと予習をサボってきただけで、ブチ切れて俺だけ居残りだぜ。シシィからもなんとか言っといてくれよ」
いつもの修行が終わる時間よりもずっと遅くに出てきたジーノは裏庭で「マジで疲れた! 疲れすぎて、帰ってから自習なんて出来るわけねーよ!」と相変わらずブーブー言っている。草抜きをしていた俺は手を止めて、ジーノの様子を窺った。この調子だと、夕べアーシュ様が俺に「他の弟子はそろそろ独り立ちが近いが、アイツだけはまだまだ私がみっちり鍛えてやらないと話にならない」とブツブツ言っていたのは教えない方がよさそうだ。
「でも、アーシュ様はジーノのためを思って言っているんじゃないかな……。他の人よりもずっとジーノに手を焼いて……違う、ジーノとの修行に時間を費やしているし」
「いや、気にかけてるって言うより、多少キッツイことを言っても大丈夫だと思って俺のことを八つ当たり要因にしてんだよ! 俺だって本当は繊細なんだから傷つくこともあるって言うのによー」
他の弟子の人にジーノのことを聞いたら「あれだけ怒鳴られてもケロッとしてしつこくアーシュ様に絡みに行くからアイツはスゴイ。というか怖い。弟子としての出来はともかく、精神力は化物並みだと思う」と言っていた。確かに叱られている時に、「でも、俺がいなかったら、アーシュ様とシシィは二人で後十年は絶対うじうじしてましたよ! なのになんで俺にばかり怒るんですか!? 怒られるどころか逆に感謝して欲しいくらいですよ!」とアーシュ様に言い返したと言うから、ジーノは強い。
「あっ! アーシュ様がイライラして俺に八つ当たりすんのって、シシィが家のことばっかりで構ってやらないからだろ!? だいたいお前、あの時買ったものは使ったのかよ?」
「それは絶対関係ない! ジーノがちゃんと勉強しないからだろ!? か、買ったものはまだ使えてないけど……」
ジーノと行ったお店で買ったものは「浄化に時間がかかる」という理由でアーシュ様が預かったままだ。あと……、アーシュ様が前に「ここを隠すのは惜しい」って言っていた。俺の胸を吸っている時に……。もちろん、口が裂けてもそんなことはジーノに教えられない。
「やっぱりな! 毎晩毎晩、シシィが寝た後、血走った目で浄化作業に時間を費やしてるからイライラして俺への当たりがキツイんだな。さっさと使えよ、ホントに……。そんなんだからシシィはいつまでもガキ臭くて色気がないんだ」
「お、俺だってジーノに色気を感じた事なんか一度もないよ!」
「お? なんだよ、お前。言うようになったよなー」
わはは、とジーノが笑って俺の髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。手に土がついているからボサボサになった髪を整えることも出来ず、俺は雨に濡れた犬のようにぶんぶんと頭を振った。
確かにアーシュ様と結ばれてから、俺の生活も俺自身もだいぶ変わったと思う。アーシュ様からは「シシィの心が喜ぶなら」という理由で、お屋敷の中でコソコソと隠れる必要がなくなり、俺はアーシュ様の弟子達と普通に挨拶をして、少しだけお喋りも出来るようになった。「なるべく目立たないようにしなきゃ」ってビクビクしていた今までが嘘みたいに、俺の毎日は明るくなっている。
ジーノについては、アーシュ様が「屋敷の外でコソコソ会うのはやめて、堂々と話をしたり遊んだりしたらいい」と言ってくれている。だから、裏庭で話もするし、俺の絵を描く道具を買いにいくのに付き合ってもらうこともある。夕方の五時までに帰ってくることと、どこに行くのかをちゃんとアーシュ様に教えてから出掛けること、というアーシュ様との約束事は「今時、十歳の子供だってもう少し門限は緩いって!」とジーノからは笑われているけど、いつも五時少し前にお屋敷まで送ってもらっている。
「まー、でも、前に比べたらアーシュ様もちょっとは雰囲気が柔らかくなったよな。少なくとも俺以外の人間には! やっぱ、家庭を持つと変わるんだなー」
心地いい風が吹いてオリーブの木の枝が揺れる。ジーノの言葉に俺はドキリとして、左手の薬指の指輪に目をやった。
初めて結ばれた日からほとんど時間を置かずにアーシュ様は俺の両親とそれから王様に、俺のことを話してくれた。息子が突然アーシュ様を連れて帰って来たことに「タダ事じゃない」と感じ取った俺の両親はオロオロしてしまって、オーブンに入れていた鴨のローストのことを丸一日忘れてしまった程だった。「ご子息を一生大切にすると約束する」と真剣な目で言うアーシュ様に両親は「息子の顔を見ていれば、それが良いことなのかどうか、私達はちゃんとわかっています」と俺とアーシュ様を祝福してくれた。俺と一緒になるとアーシュ様の跡継ぎを残せないことが心配だという両親にアーシュ様はちゃんと話をしてくれた。
「……私の持っているものは血統ではない。子供を作ったところで力を遺伝させる方法も無い。私が次の世代に残していけるのは、手にした力の扱い方の教えだけ。だから、跡継ぎのことについては何も心配はいらない。子供は必要ない、私に必要なのはシシィだけだ。どうかそれをわかっていただきたい」
本当は俺も、そのことをずっと気にしていたから、アーシュ様がそう言ってくれた時は嬉しくてホッとして、両親の前なのに泣いてしまっていた。
ただ、有名で高い位を持っているアーシュ様が俺を伴侶にしたことが広く知れ渡ると俺の安全が脅かされるかもしれないということをアーシュ様はずいぶん心配していた。「私のことをよく思っていない連中のせいで、シシィが危険な目に合うかもしれない」とアーシュ様も言っているし、俺は別にこのまま今までと同じようにひっそりと暮らしていければいいと思っていた。
そしたら、両親が自分たちのお店でたった四人だけのお祝いの席を設けてくれた。肉や魚をあまり口にしないアーシュ様のために、たくさんの野菜と果物が使われている見た目が美しい料理をいくつも準備してくれていた。いつもはお城の騎士様向けの「安い・早い・肉が多い」という料理しか出てこない店なのに、お父さんもお母さんもこんな料理も作れたのって、何度「ありがとう」と言っても足りないくらいだった。店の戸の前に貼られた「本日新メニュー試食会のため休業中! 覗き見厳禁!」という大きな貼り紙を見て、俺もアーシュ様も笑った。
王様に俺のことを打ち明ける時はアーシュ様も緊張していたらしく、場合によってはこの国を出て行く、と前々から言っていた。実際はどうだったのかというと、「アーシュ、君は愚かな男だなあ。私はとっくに気が付いていたよ。お前に思い人がいることは」と笑われたらしい。大々的にお披露目が出来ないということを理解してくださった王様からは、俺とアーシュ様に銀の食器と自分の大切なニワトリが産んだという金の卵が贈られた。未だにすごく緊張するけど、俺の作る質素な料理を毎日銀の皿に盛り付けている。卵は茹で玉子にしていいのかわからなくて、今は俺の部屋に柔らかい布にくるんでしまってある。アーシュ様はそんな俺を「そのうちヒヨコが孵るだろうな」と言ってからかう。
「うーん、そうだね……。俺もアーシュ様も安心出来る拠り所が出来たというか、すごく毎日が穏やかで幸せに包まれている感じはするかな」
「マジか! なんだよ、シシィのくせに急に余裕が出てきて、大人っぽくなるなよな!」
ジーノからは「その調子で、アーシュ様の神経質でピリピリしたところが丸くなるよう、シシィも協力しろよ!」と言って帰っていった。たぶん、次の修行の時も予習や復習をサボってアーシュ様に叱られるんだろう。でも、ジーノを叱った後、夕食の時に「人を育てるのはこんなに難しいことだったのか……」といつだって真面目な顔で考え事をしているアーシュ様を見るのが俺は好きだった。
「ふー……、これでいいかな」
庭に咲いた花をいくつか積んでから、お屋敷へ戻る。大好きな人の笑顔を思い浮かべながら花を活けるのは俺にとって幸せな時間だ。こんな日々がずっと続きますように。こんな日々をずっと守っていけますように、とお祈りをするのも忘れない。青い小さな花と、真っ白でほわほわした花は素朴でどちらも可愛い。
「あれはもう帰ったのか」
ちょうど花瓶に花を飾り終わったタイミングでアーシュ様が俺の側へやって来た。書斎にいたはずなのに、いつの間に寝室にいる俺の側へやって来たんだろう? 相変わらずアーシュ様の持つ力は不思議で、俺にはわからないこともいっぱいあるけど、「綺麗だ」と花を見て微笑むアーシュ様が何よりも美しいことも変わらない。
「アーシュ様は? お仕事中でしたか?」
「……今日はもうお終いだ」
台所へ戻ろうとする俺にアーシュ様が抱き着いてきたから、途端に俺の足の進みが遅くなる。このままだとベッドに連れていかれてしまう。それがわかって俺が身を捩ると、アーシュ様はますます体重をかけて俺の身体をしっかりと捕まえる。きゃーっという俺の笑い声が混じった悲鳴が、明るい部屋の中に響き渡った。
「シシィ、私はもう体力の限界なんだ。シシィと抱き合って休まないと……」
「え~……、じゃあお昼寝だけなら……」
渋っているふりをしている俺の口の端がこっそりと上がっていることにアーシュ様は気が付いているだろうか。乾いた爽やかな風がカーテンをそよそよと揺らす。
「……お仕事、大変でしたか?」
「いつものように祈って、でもその前後はシシィの幸福をずっと願っていたよ。それで充分だ」
「……はい。ありがとうございます。俺もさっき、アーシュ様のことをお祈りしました」
休みたい、と言っていたのは本当だったみたいで珍しくアーシュ様の声は眠そうだった。凡人の俺がただ祈っているのとは違って、アーシュ様のお祈りにはたくさんの人を救うための願いが込められているから、当然体力や魔力を消耗する。真っ白なシーツの上に広がった黒い髪から甘い良い香りがして、俺はこっそりと目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「……シシィ、私の祈りはね。いつだって空虚なものだった。このまま、私は魔力を消費されて終わるのだと。国を、人々をいつだって恨んで、こう考えていた。こんな世界はなくなってしまえばいいと」
アーシュ様は今でも時々、見たくないものを見てしまって苦しむことがある。そんな時、ただ俺は側にいることしか出来ない。とにかくアーシュ様を一人ぼっちにしないように。
「でも今の私は、誰かを思ってただひたむきに祈ることの美しさを知っている。祈りで腹は膨れない。けれど、私を救ったのは間違いなくシシィの祈りだった。だから、私も……、今日も明日も、祈り続ける。それにはきっと終わりは無い。けれど、私の祈りがこの世界の誰かを救っているのなら、それが巡り巡ってシシィと私の明日をよくするのだと、そう信じて……」
すう、とアーシュ様が深く息を吸い込むのがわかった。とんとんとアーシュ様の胸を優しく叩きながら、俺も心の中で静かに祈った。アーシュ様がずっと幸せでありますようにと。
叶うはずがないと思っていた「アーシュ様ともっと近づきたい」という俺の祈りはちゃんと届いていた。だからきっと、俺の子供の頃からの唯一の願いも叶うって俺は信じている。アーシュ様への願いが、俺に勇気と自信を与えて強くしてくれたのだから。きっと「アーシュ様の幸せ」という俺の祈りは「もっとアーシュ様の笑顔が見たい」「アーシュ様に喜んでほしい」という新しい願いに広がっていく。その心をいつまでも離さないでいよう。「すべてが欲しい」と望んでくれた人のために俺が唯一出来ることなのだから。(完)
「アーシュ様ってめちゃくちゃ機嫌がいい時でも俺にだけ厳しいんだよなー。この前もちょーっと予習をサボってきただけで、ブチ切れて俺だけ居残りだぜ。シシィからもなんとか言っといてくれよ」
いつもの修行が終わる時間よりもずっと遅くに出てきたジーノは裏庭で「マジで疲れた! 疲れすぎて、帰ってから自習なんて出来るわけねーよ!」と相変わらずブーブー言っている。草抜きをしていた俺は手を止めて、ジーノの様子を窺った。この調子だと、夕べアーシュ様が俺に「他の弟子はそろそろ独り立ちが近いが、アイツだけはまだまだ私がみっちり鍛えてやらないと話にならない」とブツブツ言っていたのは教えない方がよさそうだ。
「でも、アーシュ様はジーノのためを思って言っているんじゃないかな……。他の人よりもずっとジーノに手を焼いて……違う、ジーノとの修行に時間を費やしているし」
「いや、気にかけてるって言うより、多少キッツイことを言っても大丈夫だと思って俺のことを八つ当たり要因にしてんだよ! 俺だって本当は繊細なんだから傷つくこともあるって言うのによー」
他の弟子の人にジーノのことを聞いたら「あれだけ怒鳴られてもケロッとしてしつこくアーシュ様に絡みに行くからアイツはスゴイ。というか怖い。弟子としての出来はともかく、精神力は化物並みだと思う」と言っていた。確かに叱られている時に、「でも、俺がいなかったら、アーシュ様とシシィは二人で後十年は絶対うじうじしてましたよ! なのになんで俺にばかり怒るんですか!? 怒られるどころか逆に感謝して欲しいくらいですよ!」とアーシュ様に言い返したと言うから、ジーノは強い。
「あっ! アーシュ様がイライラして俺に八つ当たりすんのって、シシィが家のことばっかりで構ってやらないからだろ!? だいたいお前、あの時買ったものは使ったのかよ?」
「それは絶対関係ない! ジーノがちゃんと勉強しないからだろ!? か、買ったものはまだ使えてないけど……」
ジーノと行ったお店で買ったものは「浄化に時間がかかる」という理由でアーシュ様が預かったままだ。あと……、アーシュ様が前に「ここを隠すのは惜しい」って言っていた。俺の胸を吸っている時に……。もちろん、口が裂けてもそんなことはジーノに教えられない。
「やっぱりな! 毎晩毎晩、シシィが寝た後、血走った目で浄化作業に時間を費やしてるからイライラして俺への当たりがキツイんだな。さっさと使えよ、ホントに……。そんなんだからシシィはいつまでもガキ臭くて色気がないんだ」
「お、俺だってジーノに色気を感じた事なんか一度もないよ!」
「お? なんだよ、お前。言うようになったよなー」
わはは、とジーノが笑って俺の髪の毛をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でる。手に土がついているからボサボサになった髪を整えることも出来ず、俺は雨に濡れた犬のようにぶんぶんと頭を振った。
確かにアーシュ様と結ばれてから、俺の生活も俺自身もだいぶ変わったと思う。アーシュ様からは「シシィの心が喜ぶなら」という理由で、お屋敷の中でコソコソと隠れる必要がなくなり、俺はアーシュ様の弟子達と普通に挨拶をして、少しだけお喋りも出来るようになった。「なるべく目立たないようにしなきゃ」ってビクビクしていた今までが嘘みたいに、俺の毎日は明るくなっている。
ジーノについては、アーシュ様が「屋敷の外でコソコソ会うのはやめて、堂々と話をしたり遊んだりしたらいい」と言ってくれている。だから、裏庭で話もするし、俺の絵を描く道具を買いにいくのに付き合ってもらうこともある。夕方の五時までに帰ってくることと、どこに行くのかをちゃんとアーシュ様に教えてから出掛けること、というアーシュ様との約束事は「今時、十歳の子供だってもう少し門限は緩いって!」とジーノからは笑われているけど、いつも五時少し前にお屋敷まで送ってもらっている。
「まー、でも、前に比べたらアーシュ様もちょっとは雰囲気が柔らかくなったよな。少なくとも俺以外の人間には! やっぱ、家庭を持つと変わるんだなー」
心地いい風が吹いてオリーブの木の枝が揺れる。ジーノの言葉に俺はドキリとして、左手の薬指の指輪に目をやった。
初めて結ばれた日からほとんど時間を置かずにアーシュ様は俺の両親とそれから王様に、俺のことを話してくれた。息子が突然アーシュ様を連れて帰って来たことに「タダ事じゃない」と感じ取った俺の両親はオロオロしてしまって、オーブンに入れていた鴨のローストのことを丸一日忘れてしまった程だった。「ご子息を一生大切にすると約束する」と真剣な目で言うアーシュ様に両親は「息子の顔を見ていれば、それが良いことなのかどうか、私達はちゃんとわかっています」と俺とアーシュ様を祝福してくれた。俺と一緒になるとアーシュ様の跡継ぎを残せないことが心配だという両親にアーシュ様はちゃんと話をしてくれた。
「……私の持っているものは血統ではない。子供を作ったところで力を遺伝させる方法も無い。私が次の世代に残していけるのは、手にした力の扱い方の教えだけ。だから、跡継ぎのことについては何も心配はいらない。子供は必要ない、私に必要なのはシシィだけだ。どうかそれをわかっていただきたい」
本当は俺も、そのことをずっと気にしていたから、アーシュ様がそう言ってくれた時は嬉しくてホッとして、両親の前なのに泣いてしまっていた。
ただ、有名で高い位を持っているアーシュ様が俺を伴侶にしたことが広く知れ渡ると俺の安全が脅かされるかもしれないということをアーシュ様はずいぶん心配していた。「私のことをよく思っていない連中のせいで、シシィが危険な目に合うかもしれない」とアーシュ様も言っているし、俺は別にこのまま今までと同じようにひっそりと暮らしていければいいと思っていた。
そしたら、両親が自分たちのお店でたった四人だけのお祝いの席を設けてくれた。肉や魚をあまり口にしないアーシュ様のために、たくさんの野菜と果物が使われている見た目が美しい料理をいくつも準備してくれていた。いつもはお城の騎士様向けの「安い・早い・肉が多い」という料理しか出てこない店なのに、お父さんもお母さんもこんな料理も作れたのって、何度「ありがとう」と言っても足りないくらいだった。店の戸の前に貼られた「本日新メニュー試食会のため休業中! 覗き見厳禁!」という大きな貼り紙を見て、俺もアーシュ様も笑った。
王様に俺のことを打ち明ける時はアーシュ様も緊張していたらしく、場合によってはこの国を出て行く、と前々から言っていた。実際はどうだったのかというと、「アーシュ、君は愚かな男だなあ。私はとっくに気が付いていたよ。お前に思い人がいることは」と笑われたらしい。大々的にお披露目が出来ないということを理解してくださった王様からは、俺とアーシュ様に銀の食器と自分の大切なニワトリが産んだという金の卵が贈られた。未だにすごく緊張するけど、俺の作る質素な料理を毎日銀の皿に盛り付けている。卵は茹で玉子にしていいのかわからなくて、今は俺の部屋に柔らかい布にくるんでしまってある。アーシュ様はそんな俺を「そのうちヒヨコが孵るだろうな」と言ってからかう。
「うーん、そうだね……。俺もアーシュ様も安心出来る拠り所が出来たというか、すごく毎日が穏やかで幸せに包まれている感じはするかな」
「マジか! なんだよ、シシィのくせに急に余裕が出てきて、大人っぽくなるなよな!」
ジーノからは「その調子で、アーシュ様の神経質でピリピリしたところが丸くなるよう、シシィも協力しろよ!」と言って帰っていった。たぶん、次の修行の時も予習や復習をサボってアーシュ様に叱られるんだろう。でも、ジーノを叱った後、夕食の時に「人を育てるのはこんなに難しいことだったのか……」といつだって真面目な顔で考え事をしているアーシュ様を見るのが俺は好きだった。
「ふー……、これでいいかな」
庭に咲いた花をいくつか積んでから、お屋敷へ戻る。大好きな人の笑顔を思い浮かべながら花を活けるのは俺にとって幸せな時間だ。こんな日々がずっと続きますように。こんな日々をずっと守っていけますように、とお祈りをするのも忘れない。青い小さな花と、真っ白でほわほわした花は素朴でどちらも可愛い。
「あれはもう帰ったのか」
ちょうど花瓶に花を飾り終わったタイミングでアーシュ様が俺の側へやって来た。書斎にいたはずなのに、いつの間に寝室にいる俺の側へやって来たんだろう? 相変わらずアーシュ様の持つ力は不思議で、俺にはわからないこともいっぱいあるけど、「綺麗だ」と花を見て微笑むアーシュ様が何よりも美しいことも変わらない。
「アーシュ様は? お仕事中でしたか?」
「……今日はもうお終いだ」
台所へ戻ろうとする俺にアーシュ様が抱き着いてきたから、途端に俺の足の進みが遅くなる。このままだとベッドに連れていかれてしまう。それがわかって俺が身を捩ると、アーシュ様はますます体重をかけて俺の身体をしっかりと捕まえる。きゃーっという俺の笑い声が混じった悲鳴が、明るい部屋の中に響き渡った。
「シシィ、私はもう体力の限界なんだ。シシィと抱き合って休まないと……」
「え~……、じゃあお昼寝だけなら……」
渋っているふりをしている俺の口の端がこっそりと上がっていることにアーシュ様は気が付いているだろうか。乾いた爽やかな風がカーテンをそよそよと揺らす。
「……お仕事、大変でしたか?」
「いつものように祈って、でもその前後はシシィの幸福をずっと願っていたよ。それで充分だ」
「……はい。ありがとうございます。俺もさっき、アーシュ様のことをお祈りしました」
休みたい、と言っていたのは本当だったみたいで珍しくアーシュ様の声は眠そうだった。凡人の俺がただ祈っているのとは違って、アーシュ様のお祈りにはたくさんの人を救うための願いが込められているから、当然体力や魔力を消耗する。真っ白なシーツの上に広がった黒い髪から甘い良い香りがして、俺はこっそりと目を閉じて深く息を吸い込んだ。
「……シシィ、私の祈りはね。いつだって空虚なものだった。このまま、私は魔力を消費されて終わるのだと。国を、人々をいつだって恨んで、こう考えていた。こんな世界はなくなってしまえばいいと」
アーシュ様は今でも時々、見たくないものを見てしまって苦しむことがある。そんな時、ただ俺は側にいることしか出来ない。とにかくアーシュ様を一人ぼっちにしないように。
「でも今の私は、誰かを思ってただひたむきに祈ることの美しさを知っている。祈りで腹は膨れない。けれど、私を救ったのは間違いなくシシィの祈りだった。だから、私も……、今日も明日も、祈り続ける。それにはきっと終わりは無い。けれど、私の祈りがこの世界の誰かを救っているのなら、それが巡り巡ってシシィと私の明日をよくするのだと、そう信じて……」
すう、とアーシュ様が深く息を吸い込むのがわかった。とんとんとアーシュ様の胸を優しく叩きながら、俺も心の中で静かに祈った。アーシュ様がずっと幸せでありますようにと。
叶うはずがないと思っていた「アーシュ様ともっと近づきたい」という俺の祈りはちゃんと届いていた。だからきっと、俺の子供の頃からの唯一の願いも叶うって俺は信じている。アーシュ様への願いが、俺に勇気と自信を与えて強くしてくれたのだから。きっと「アーシュ様の幸せ」という俺の祈りは「もっとアーシュ様の笑顔が見たい」「アーシュ様に喜んでほしい」という新しい願いに広がっていく。その心をいつまでも離さないでいよう。「すべてが欲しい」と望んでくれた人のために俺が唯一出来ることなのだから。(完)
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