安心してください、僕は誰にも勃ちませんから

サトー

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カーブシュート

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 よっぽど答えたくない質問だったのか、貝のようにキョウジはぴったりと口を閉ざしてしまった。思い出すことも嫌なのか、それとも自分が何をされたのか上手く説明するだけの言葉をもっていないのか、俺が何を聞いても首を横に振るばかりで、ついには「もう帰る」と逃げるように帰り支度を始めた。

「帰るって、足は? 歩けるの?」
「近くまで父親が迎えに来るから大丈夫」

 お茶も毛布もありがとう、暖かかった、とキョウジはブランケットをたたんでから、丁寧にベッドを整える。普段は気にならないのに、キョウジがそうしていると、何枚も安い毛布が重ねられている自分のベッドが、人間の寝具というよりは動物のねぐらにしか見えなかった。
 着るものと化粧品にお金をかけすぎているから、使っている家具は全部が安物で、床も壁も何もかもが古ぼけているこの家の中で、キョウジは馴染まずに浮いていた。サラサラした髪の毛も、シワ一つないシャツも、キョウジを形作るものは、全てがまっさらで健康的だったからだ。

「……キョウジって、今はどこに住んでるの」
「今も実家。会社からそう遠いわけじゃないから」

 なんとなく聞かなくてもわかっていることだった。キョウジの両親が息子をこんなアパートに一人で住まわせて平気でいられるとは到底思えなかったからだ。
 

「あのさ、ライン、ブロックを解除するから、待ち伏せだけは本当にやめて。いない時だってあるし……」

 ボソボソと早口でそう伝えると、玄関で靴を履いている最中だったキョウジはビックリした様子で目を見開いていた。なんだよ、その反応は、とイラッとしたけど口には出さなかった。
 本当はさっきの、「誰かに何かされたの?」の答えが気になっていたけれど、きっと今日はいくら粘ったとしてもキョウジは教えてくれないような気がしていたから諦めるしかない。

「……ありがと。待ちぼうけになったことはないから大丈夫だよ。風俗の、ホームページを見たら、ユウマくんがいつ予約が入ってるのかちゃんとわかるし」
「あっそ。もうわざわざ出勤スケジュールも見なくていいから。他の人と比べてあんまり売れてないんだなって思われるのもムカつくし……」

 本当のことなのに、ふて腐れる俺を見て、何が面白いのかキョウジは「ははっ」と短く笑う。笑った顔は昔と同じように可愛らしくて、それにほんの一瞬でも見とれてしまった自分に腹が立った。

「じゃあね、ユウマくん。おやすみなさい」

 本人がいいと言うから外まで見送ることはしなかった。アルミで出来た外階段をキョウジが一段ずつ降りていくカン、カンという音を聞きながら、高校の頃キョウジの父親が乗っていた真っ白なアルファードのことを思い出していた。息子とそのサッカー仲間を乗せるために買ったと思われるミニバンで、俺も何度か家まで送ってもらったことがある。
 息子が大きくなってサッカーを辞めた今、とっくにあの車は手放してしまったんだろうか。「明日は朝五時に集合して、そこから父親に連れていってもらうんだ」と、大事な試合の前の日にキョウジは言っていたなあ、となぜかそんなことが思い出された。


 その日の夜は疲れているのになかなか眠れなかった。キョウジの身に起こったことも気になっていたし、久しぶりに首を絞められた日のことを考えてモヤモヤしてしまったからだ。

 べつに、「俺にこんなトラウマを植え付けておいて、被害者ぶるな」とキョウジについて腹を立てていたわけではない。なかなか何があったのか口にしないキョウジにやきもきしていたけれど、よくよく考えてみたら俺もキョウジに首を締められた日のことを未だに誰にもきちんと話せていないと、ふと気がついたからだ。

 勃起出来ない、という症状に悩まされてクリニックへ行った時も、医者は俺のペニスの機能について調べながら、注意深く何かストレスの原因になるようなことはないのか尋ねた。「嫌なことがあった」とは言ったと思う。でも、どういった経緯で何をされたのかについてはどうしても言えなかった。口にしてしまうと、もっと嫌な気分になって、心が壊れてしまうような気がしたから。だから、なるべく早く忘れようと一生懸命だった。

 それを死ぬまで一人で抱えるのはとても苦しいけど、嫌なことを言葉にするのは難しい。やっぱりキョウジも、何か人に言えないようなことを抱えていて、それで助けて欲しかったんだろうか? そもそも、キョウジは、俺の首を絞めた日のことを、誰でもいいから話せた? それとも誰にも言わずにずっとずっと隠しているのか……。

 暗い部屋の中だと、俺の心は実際に会っている時よりもずっと、キョウジについて真剣に向き合おうとする。何枚も毛布をかぶっているせいで重たくて動きにくいのに、その晩は何度も寝返りを打ちながらモゾモゾやっていた。

◇◆◇

 いつでも連絡をとることが出来る、という状態が精神の安定に繋がったのか、ぱったりとキョウジは現れなくなった。或いは俺の部屋を見て「すぐに引っ越して逃げ出すことは不可能だろう」と判断したのかもしれない。

 年末年始の忙しさもあって、バタバタとしている間に俺の生活はキョウジがいない日常に戻っていく。
 仕事場のファンシーショップではK-POPの超人気アイドルのグッズを詰めた福袋は全部売れたのに、俺が一番色っぽいと思っている同じ韓国のアイドルの男の子のカードは全然売れない。この人達と俺とは男の趣味が合わないんだな、と思いながら女の子達をぼーっと眺めて、琥珀糖とマシュマロをせっせと売った。

 
 家の中には通販で買ったコスメが段ボールに入ったまま玄関に詰まれている。自分へのクリスマスプレゼントとして買ったシャネルもディオールも段ボール箱に閉じ込められたまま新年を迎えてしまった。「開けたらその段ボールを捨てないといけないのがめんどくさい」と思うような俺には、今のところ高いコスメを使ってオシャレをして会いたいと思う相手はいない。

 それぐらい身体も心も疲れていたけど、一月に入ってすぐ、風俗の仕事で女の人と会った。直接DMで「予約したいんだけど」と連絡をもらい、それから横浜の方でデートをしてホテルには行かずに解散した。
 その人は俺と同じお店のキャストに一年以上稼ぎのほとんどをつぎ込んでいる「太客」と呼ばれている種類のお客さんだった。仕事は会社員じゃなくて風俗嬢だというのはキャストの間では有名で、毎月数十万円を使っていると言う。

 フラッと入ったカフェの入り口から一番遠い席に座ってから、彼女は自分の推しているキャストについて話したがり、「あの人、お店で私のことを何か言ってる?」ということについて、しきりに知りたがった。たぶんだけど、「すごくいいお客さんだよ」とか、「可愛いから他の客よりテンションが上がる」とか、そういうことで自分が話題になっていて欲しいと望んでいるようだった。
 答えはノーというか、「アイツからあといくら引っ張れるかな」という話をしているのは聞いたことがあるけど、それは彼女が望んでいる情報ではないだろうから俺は黙って首を横に振った。

「お客さんの話はキャストどうしで、してはいけないことになってる」

 つまらなさそうな顔で彼女は頷いてから、「お金、払っても払っても、最初の頃の優しい態度に戻らないんだ。というか、だんだん悪くなってるかも。でも、もう、いっぱいお金使っちゃってるから」と呟いた。真っ白なコートは脱がずに冷えたオレンジジュースを目の前で飲まれると、暑いのか寒いのかわからなくなってしまって、俺はほとんど紅茶に手をつけられずにいる。

「もうこれからはミヤビさんを指名するって言っちゃおうかな。そしたら慌てるかも」
「……本当に指名するかどうかは別として、それで何かが良くなるなら俺の名前はどんどん使っていいよ。俺から『会いたい』って営業かけられたって言ってもいいし」
「ありがと。でも、ミヤビさんは大丈夫?」
「大丈夫だよ」

 彼女のことを好きだと思っている男なら、笑った時に時に見える小さな白い歯を「可愛い」と感じるのだろうけど、俺は噛まれすぎてぺしゃんこに潰れたストローの先端について、「中身がもう出てこないんじゃない?」としか思えなかった。

 帰り道、「客としか思ってないって言うのに、時々プライベートで普通にデートをしてくれるのってなんでなんだろう」と彼女は泣いた。「好きだからプライベートでも会いたいんだと思うよ」という答えを待っていたんだろうけど、そういう嘘をつくのは嫌いだから、俺は黙って涙を拭ってやった。
「本当にバカだなー。好きだったら月に何十万も平気で金を受け取るわけないだろ」と思うけど、それは絶対に言えない。正論は求められていないからだ。

 風俗で働いていると、時々こういうことが起こる。俺を経由して誰か別の男からの愛情や承認欲求を満たそうとする、女の人の回りくどい感情に付き合うことが。
 そういう時、俺はキョウジが練習していたシュートのことを思い出す。ゴールの枠の外を狙って蹴っているようで、大きく曲がってゴールに吸い込まれていく軌道を。



 キョウジが店のホームページで俺の予約状況を把握しているというのは本当だったのか、久しぶりの風俗への出勤の後すぐに、狙ったようなタイミングで「会おうよ」と連絡が来た。
 会って聞きたいことはあったけど、ホイホイとその提案に乗るのは癪だったから、「いいけど。その代わり家には絶対来るな」と返事をした。この調子だと「この前は何か話したいことがあったんじゃないの?」と聞ける頃には冬が終わっているかもしれない。

 それで、やっぱり俺はサッカーボールが大きくカーブをするシュートのことを思い出す。俺は、一度キョウジから逃げ出してしまっている弱い人間だから、向き合わないといけないと思っていることに、真っ直ぐ向かっていくことがすごく難しかった。

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