咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第一章

20.俺の希望

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 カイトはもう喋らなかった。寝てしまったのだろうか。
 薄暗い霧を歩き続けていると風の音に混じり遠くから何か聞こえた。瘴魔かと身構えたがそれが徐々にはっきりと聞こえ、人の声だと分かった。

「ヴァーンっ!! カイトさーん!!」
 
 この声は……アドニール!?

 心底安堵した。この時ばかりは神の存在だって信じた。

 アドニールならきっと、何とかしてくれる。

 声のした方へ駆け出す。霧の中に人影が見えた。それは何故か二つ見える。奇妙に思ったが、影に向かい一直線に走る。

「返事をして! お願いっ!!」
「アドニール! ここだっ!!」

 アドニールも気づいたようで、一つの影が霧の中から現れた。それはやはりアドニールであった。アドニールが駆け寄ってくる。

「ヴァン! 無事でよかった……本当に。体は大丈夫!?」
「俺はいいっ! それよりもカイトがっ!!」

 アドニールは背にいるカイトを見る。ビクッと肩が跳ね、動きが止まる。

「カイト……さん」
「頼む! 治せないか!?」
「……」
「アドニールっ!」
「あっ、うっうん。大丈夫、治せる……から。……カイトさんを降ろして」

 よかった。傷さえ治ればとりあえず出血は抑えられる。何より痛みも無くなる。緊張の糸が緩み、膝が震えだす。

「カイト、少し動かすぞ」
「傷を治しても出血した血液は戻らないから……早く外へ連れて……行かないと」
 
 感情が抜け落ちた様な声であった。任せて大丈夫なのか不安になる。小刻みに震えた手がカイトの胸に当て、止まる。俺はそれを祈る様に見つめていた。何も起こらない。こんなものなのだろうか?いや、そんなはずない。カイトに当てている小さな手が大きく震え出した。

「何してるんだ!? 早くやってくれ!」
「……」

 俺の声に応えることもなく、依然ただ黙って手を当てている。鼓動が早くなる。

「なぁ!?」

 アドニールの肩を掴み無理矢理こちらを向かす。面を被っているせいで表情を読み取る事はできない。アドニールの顔がおもむろにこちらを向く。

「ごめん……なさい」

 涙を含む、ひどく悲しい声だった。何がごめんなさいで、何をそんなに悲しんでいるのか。

「な……にが……」

 震え出す唇で、この言葉を出すのがやっとだった。体も震えだす。鼓動が更に早く跳ねる。頭の中で浮かんだ三文字。それを、俺は必死になって押さえ込んだ。
 アドニールは何も言わない。俯くだけだ。こちらも見ない。それにわっと怒りが込み上げた。

「答えてくれっ!」

 アドニールの肩を掴む。
 
 頼む、頼む、頼む、頼む、頼む、頼む。
 否定してくれ。

 それでも何も答えない。アドニールを睨む様に見ると、面の下からのぽたぽたと滴が垂れているのが見えた。

「彼はもう、死んでいるよ」

 急に飛んできた言葉に、頭を殴られ視界が歪んだ。後ろを向く。そこには先程出会った目玉の瘴魔がいた。
 
「お前」
「また会ったね」

 目玉の瘴魔はどぼどぼとした足取りで近づいて来る。空虚な頭で俺は問う。

「お前……今、なんて言った」
「彼はもう死んでる、って言ったんだよ」
「しっ死ん……だ?」

 必死に押さえ込んでいた三文字を口にした。途端世界がぐにゃりと歪む。呼吸の仕方を忘れた。鼓動が止まった。自分の存在が消えた気がした。細波のように揺れるアドニールを見る。アドニールはずっと俯いてるだけ。

 嘘だ……嘘だ、嘘だ。

 カイトのそばに行く。顔を覗き込む。全身の力が一気に抜け、その場に膝から落ちた。
 血の気の通わない青白い肌。薄く開いている新緑の様な緑色の瞳はもう光を宿していない。そっと手を握る。驚くほど冷たい。

 いつから?
 だって、さっきまで……さっきまで話していたのに。

 その冷たさが、無理矢理現実を突きつけてくる。

「……なんで」
「ヴァン」
「なんで、なんで……なんで」

 気付けばアドニールの肩を揺さぶっていた。どうしようもない気持ちがうまく言葉に表せない。行き場のない怒りや後悔、悲しみが吐口を探している。頭の中はぐちゃぐちゃ。昔の思い出やカイトの笑顔、それが一気に押し寄せる。アドニールはやっぱり何も言わない。
 突然地面が大きく揺れ、激しい風が吹き始めた。アドニールが風の流れを見ている。深い霧の中、一点に向かい吸い込まれるように吹いている。

「だから言ったのに……見つかった」

 ボソリと目玉の瘴魔が呟く。その言葉に俺は途方もない不安に襲われる。

「早くここから出ないと、あいつに捕まってしまうよ。急いだほうがいい」

 目玉の瘴魔は棒の様な腕を前に出す。周りの空間が歪み、激しく風が回りだす。それは次第に大きくなり、ぽっかりと黒い穴を作り出した。全てを無にしてしまいそうなほどの黒であった。

「この力を使うとやっぱり疲れるなぁ。さぁ、早くここに入って。外に出られるから」
「そんな事、信じられるか」
「そう。でももう、ここからしか出られないよ」
「ヴァン」

 アドニールが服の袖を掴んでくる。掴まれた手を振り払い、カイトの体に手を回す。目玉の瘴魔が話しかけてくる。

「何してるの? そんな事してる時間はないよ」
「うるさいっ!!」
「……困っただな。彼はもう死んでいるんだよ」

 ぎゅっと唇を噛み締める。

 嘘だ。

 そんなの嘘だ。認めない。こいつは正気じゃないんだから。デタラメばかりなんだから。
 カイトを背負う。肩に回したカイトの手が動いた気がした。俺はゆっくりと赤く染まった手を見る。指先がピクピクと動いている。間違いなく動いている。

「生きてる」
「えっ?」
「今、動いたんだっ!」

 ほら、やっぱり。

「だから、早く治してくれ……アドニール」

 カイトは生きてるんだ。

 よく分からない感情が濁流の様に押し寄せる。俺は、泣いていた。背でもぞもぞと動き出すカイト。アドニールが思い切り俺の腕を引っ張った。この小さな体からは想像出来ないほど強い力であったので、その拍子でカイトを落としてしまった。アドニールはそのまま引っ張り続け、俺とカイトを引き離す。

「お前何するんだっ! 離せっ!」
「ダメっダメ。見ちゃ……ダメっ」

 アドニールはすがる様に必死に俺の腕を掴み、引いてくる。その力に抗い足を止めて、カイトを見る。落ちてしまったカイトの体が一回大きく跳ね、小刻みに震え出す。それは人がする動きではなかった。そばに居る目玉の瘴魔がカイトを見下ろしている。

「カイ、ト?」
「変異する」
「へっ?」
「大切な人なら……見ない方がいいんじゃないかな」

 目玉の瘴魔が真っ直ぐ俺を見る。
 きっとこれもまた……デタラメなんだ。

「デタラメを言うなっ!」
「そうなら……良かったんだろうけどね」

 ぐぅっと言葉を飲み込んでしまう。反論する言葉が見当たらない。デタラメだったと言わせてやりたかったのに。それがどうしようもなく口惜しかった。

「大丈夫。自分がやっておいてあげるから」
「やる? ……何、を」
「可哀想なら放っておいてもいいよ。でも、怪物になってしまうよ。戦えるの? それとも、君が今やるかい?」
「俺……が?」

 俺が?

 俺がカイトを殺すという事なのか?
 大切な友人の体に、刃を立てるという事なのか?
 
 大切な……俺の生ていられた希望だったのに。

 カイトの笑顔が脳裏に浮かんだ。いつも見ていたはずなのに、その顔が霞み始めた。消え始めた。アドニールが俺にしがみついて何か叫んでいたが、それが止まった。
 自身の闇がまた危険を知らせ出す。
 深い霧の奥から感じた。
 それはそれは深い絶望。
 
 何かに……見られてる。

「来たよ! もう時間がない。さぁ早く行って」

 強い力で腕を引かれる。

「ヴァンっお願い! お願いっだから、一緒に来て」

 おもむろに霞む視界でカイトを見る。横たわるカイトの傍には目玉の瘴魔が立っている。

「カイ……ト」

 足が動かない。代わりに手を伸ばす。血だらけのカイトがふらふらと立ち上がった。見たくない、見たくないのに視線が逸らせない。目玉の瘴魔が起き上がったカイトを見上げ、大きな目玉を歪めながら黒い体に漆黒を纏い出す。血を滴らせながらカイトがゆっくりと顔を上げる。そこで俺はアドニールに手を引かれ、カイトが視界から消えた。

「……君も、行くんだね」

 目玉の瘴魔のかすかに聞き取れた声。次に声を張り上げた。

「もう二度とここには来ちゃダメだよ! 自分は何も出来ない。でも、どうか……神の加護を」

 そう言った後、背後で何が燃える音がした。それは自分が死んだ様に聞こえた。目の前に深淵を彷彿させる真っ黒な穴がある。アドニールに手を引かれるがままそこへ飛び込んだ。
 
 匂いが変わった。風を感じた。人と獣の叫びが聞こえた。瞼を開ける。視界が明るくなった。近くに異形の怪物、群がる黒の向こうに瘴気が見えた。ふらっとその場で膝をつく。肩を揺さぶられた。アドニールが何か言った後、どっか行って傍で肉が切られる音と、爆撃音がしだす。それもどれも全部、別の世界の出来事の様。

「カイト」

 夢じゃないのか?

 本当にいなくなってしまったのか?さっきまで一緒だったのに……ずっと、今まで一緒だったのに。
 ぎゅっと握った拳がぬるぬるする。手を広げる。真っ赤だった。

 ――死んだ――

「――っ!!」

 俺の中の闇が大きく波打ちだし、荒れ狂う。止められない。止めることが出来ない。ただ悲しみだけが胸を支配する。

「ヴァン!? どうしたの!?」
「うるさい、うるさいっ!! もう俺を呼ばないでくれっ!!」

 ずっと閉じ込めていた闇が出ようとしてくる。その闇は自分を飲み込むようにどんどん溢れ出す。黒くなる。自分は何になってしまうのだろう。

「アドニール様っ!!」
「ミッミツカゲ!」

 落雷した轟音とミツカゲの声が聞こえた。

「こいつは」
「ヴァン! どうしたの!?」
「ダメです! 離れて下さいっ!!」
「いやっ! 離してっヴァンっ!!」

 知られたんだ。
 殺されるんだ。
 俺は父と母のように殺されるんだ。
 どんなに人の様になろうとしたところで、これが定めか。

 もう……いいや。

 アドニールを見る。ミツカゲに体を抑えられながら、こちらに手を伸ばしている。相変わらず表情の見えない顔。その面の下の瞳は今、俺をどう見ているのだろう。

 お前はどんな顔をしていたのか。

 ふと花をあげた顔の無いあいつが、アドニールと重なって見えた。

 ……お前が希望になると言うのなら。

「お前が……斬ってくれ」

 目の前が真っ暗になる。
 そこで意識が無くなった。
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