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第二章
36.行かないと
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「マリャってなんだ」
ミツカゲへ駆け寄っていた足がピタッと止まる。リナリアはそのまま背を向け、何も言わない。不機嫌そうなミツカゲの顔色に険しさが増す。
「まだ、言っていなかったのですか? それを言う為に、こんな事をしていたのではないのですか?」
「今は……まだ」
はぁとミツカゲが重たい息を吐きながらリナリアの横を通り過ぎ、俺から彼女を隠すように立つ。冷徹な瞳が俺を見る。胸が跳ね、背がぞくっとした。
「貴方が言えないのなら、代わりに私がお前に答えてやる」
「まっ待って、ミツカゲ!」
「お前の母親は、悪魔だ」
悪魔?
躊躇なく出された言葉。
こいつは何を言っているのだろうと、凍てつく瞳を唖然と見た。ぽかんとした空虚な頭でも鼓動がバクバクと鳴り、呼吸が乱れだす。
「世界を滅ぼそうとする悪の元凶。お前はその悪魔の血が……本当なら今すぐにでも」
「ミツカゲやめて!」
リナリアがミツカゲにしがみついて訴える光景を眺める。彼女の悲痛な声色が嘘ではない、現実だと言っている。
……悪魔?
言われた事を静かに考えた。
母は悪魔。
頭の中で木霊した言葉に、わっと発狂したくなる様な恐怖が心を蝕む。
闇ビトという存在だけでも、疎まれるのに……それなのに。
俺にはあの、悪魔の血が流れてる。
何故か今までの記憶が乱暴に蘇る。
初めてキルと会った時、両親の事を聞かれて怒った事。
初めてカイトに会った時、カイトが嬉しそうに俺の名を呼んだ事。
二人と虫を取りに行って、キルが蝶を捕まえて喜んでいた。
二人と一緒に本を読んで、カイトが約束を口にした。
記憶が飛ぶ。
赤い瞳の父が釣りをしながら俺を見て、微笑んでいた。
泥だらけのローブを着て魚を見ていたあいつ。フードの中から見えた光の無い青い瞳が、俺を見上げていた。
川の向こうで長い黒い髪を靡かせながら、母が俺を呼び微笑んでいた。
全部が一瞬で呼び起こされ、亀裂が入って崩れ落ちていく。
何もかも全部、壊れた気がした。
「ヴァン、あのね」
いつの間にかリナリアが目の前にいて手を伸ばしてくる。それがとても怖かった。振り払う。彼女は目大きく見開いた後、悲しそうに瞳を歪める。恐怖が最高潮になる。
「待って、ヴァンっ!!」
気づけば走ってた。
煌びやかな街中。
たくさんの人が笑ってる。
隣にいる人を見て笑ってる。
それが嘲笑されている様に聞こえた。
でも、誰も俺の事なんて見ていない。
やっぱりここに、俺はいない。
いや、いない方がいいんだ。
だって、俺にはカイトを殺した奴の血が流れてるんだ。
また暗い部屋へ逃げ込む。
慌てて布団に隠れ耳を塞ぎ、息を殺す。しっかりと塞いでいるのに、抑え込めない自分の粗い息がよく聞こえる。
誰かそばで立っている。分かってる、誰かじゃない。布の隙間から覗き見る。闇の中に佇む友を見上げる。
「……カイ、ト」
頭と口から血が流れ出す。その血がカイトの顔も、服も赤に染めていく。赤く染まり出した瞳が蔑む様に見下ろしている。
そうだ、そうだろう。
カイトが俺に憎しみを抱くのも当然だ。
塞ぎ込む。
全部俺のせいだ。出会わなければよかった。そうしたらカイトも死ななかった。いや、産まれてこなければよかったんだ。どうして両親は俺を産んだんだ。こんな何も。
希望のない世界。
願望を口にする。
「もう、全部消えればいい」
悲しい事しかない。
それでも二人がいてくれたから、楽しいと思える事もあった。二人がいてくれたから、思い出の中の俺は一人じゃなかった。
それなのに、俺のせいでカイトは死んでしまった。
全部無くなればいいのに。
思い出だけじゃない。自分の存在も全部、消えてしまえばいいのに。消えたってこの世界は何も変わらない。カイトだけじゃなくて、きっと俺はこれからも禍をもたらす。なら。
「俺なんて」
「……そんな事、言わないで」
耳を塞いでいるのに、よく聞こえた。
柔らかい口調に胸が跳ね、はっとカイトを見る。カイトは血濡れたまま悲しそうに俺を見ていた。赤に染まる緑の瞳が、チラッと横を向いた。それと同時に扉がドンドンと叩かれる音がする。
体が跳ね、鼓動が止まる。
恐怖に体が硬直する。
体を震わせながら恐る恐る扉を見る。
「ヴァンっ!!」
……リナ、リア?
暗い部屋の扉の向こうから彼女の声がした。それに胸がぎゅっとして、よく分からない感情が溢れ出す。
「ヴァン」
カイトが名を呼ぶ。おもむろに見る。
「……カイト」
目を見開く。息が止まる。流れる血が徐々に引いていく。血に染まった瞳が新緑のような緑を取り戻す。カイトは柔らかい瞳で俺を見ていた。胸が熱くなる。自然と涙がこぼれ落ちた。今目の前にいるカイトは俺のよく知る、ずっとそばにいてくれた友人だった。カイトはいつもの様に微笑んでくれる。
「呼んでるよ……行かないと」
カイトの影が薄くなる。そのまま静かに消えてしまう。
「待って」
「ヴァンっ!」
「……」
「お願い、だから。話を……聞いて欲しい」
扉の向こうでリナリアが呼んでる。彼女はきっと俺に現実を突きつけてくる。会いたくない。いつも俺は逃げてしまう。……それでも。
……行かないと。
カイトにそう言われたから。俺は立ち上がり扉の方へ懸命に歩く。短い距離なのに、やけに長く感じた。鼓動を跳ねさせながらドアノブを握る。そのまま握る。
迷い。
この扉を開けたら、自分自身に向き合わないといけない。今まで自分からずっと逃げてきた弱虫な俺の最後の足掻き。
でも、カイトが背を押してくれている気がする。
キルか引っ張り、いつもカイトが背を押してくれた。
ノブを回し、扉をゆっくり開ける。
開けた先にはリナリアがいた。大きく開いた青い瞳が俺を映す。
「……泣いていたの」
言われて頬を触る。濡れた指先を見つめる。
「ごめんね。どうしても……言えなかった」
彼女は瞳を歪めてポロポロと涙を溢し始める。
言葉が何も出ない。浮かんでこない。
突然の事実を俺はどう受け止めたらいいのか、分からない。俺は……どうしたらいい。
リナリアは言う。
「少し……お話ししよ」
俺を見上げる涙した青い瞳に胸が揺らいだ。
彼女なら……答えをくれる気がした。
この闇の中、俺の進むべき道を。
俺は彼女を部屋へ入れる。
ミツカゲへ駆け寄っていた足がピタッと止まる。リナリアはそのまま背を向け、何も言わない。不機嫌そうなミツカゲの顔色に険しさが増す。
「まだ、言っていなかったのですか? それを言う為に、こんな事をしていたのではないのですか?」
「今は……まだ」
はぁとミツカゲが重たい息を吐きながらリナリアの横を通り過ぎ、俺から彼女を隠すように立つ。冷徹な瞳が俺を見る。胸が跳ね、背がぞくっとした。
「貴方が言えないのなら、代わりに私がお前に答えてやる」
「まっ待って、ミツカゲ!」
「お前の母親は、悪魔だ」
悪魔?
躊躇なく出された言葉。
こいつは何を言っているのだろうと、凍てつく瞳を唖然と見た。ぽかんとした空虚な頭でも鼓動がバクバクと鳴り、呼吸が乱れだす。
「世界を滅ぼそうとする悪の元凶。お前はその悪魔の血が……本当なら今すぐにでも」
「ミツカゲやめて!」
リナリアがミツカゲにしがみついて訴える光景を眺める。彼女の悲痛な声色が嘘ではない、現実だと言っている。
……悪魔?
言われた事を静かに考えた。
母は悪魔。
頭の中で木霊した言葉に、わっと発狂したくなる様な恐怖が心を蝕む。
闇ビトという存在だけでも、疎まれるのに……それなのに。
俺にはあの、悪魔の血が流れてる。
何故か今までの記憶が乱暴に蘇る。
初めてキルと会った時、両親の事を聞かれて怒った事。
初めてカイトに会った時、カイトが嬉しそうに俺の名を呼んだ事。
二人と虫を取りに行って、キルが蝶を捕まえて喜んでいた。
二人と一緒に本を読んで、カイトが約束を口にした。
記憶が飛ぶ。
赤い瞳の父が釣りをしながら俺を見て、微笑んでいた。
泥だらけのローブを着て魚を見ていたあいつ。フードの中から見えた光の無い青い瞳が、俺を見上げていた。
川の向こうで長い黒い髪を靡かせながら、母が俺を呼び微笑んでいた。
全部が一瞬で呼び起こされ、亀裂が入って崩れ落ちていく。
何もかも全部、壊れた気がした。
「ヴァン、あのね」
いつの間にかリナリアが目の前にいて手を伸ばしてくる。それがとても怖かった。振り払う。彼女は目大きく見開いた後、悲しそうに瞳を歪める。恐怖が最高潮になる。
「待って、ヴァンっ!!」
気づけば走ってた。
煌びやかな街中。
たくさんの人が笑ってる。
隣にいる人を見て笑ってる。
それが嘲笑されている様に聞こえた。
でも、誰も俺の事なんて見ていない。
やっぱりここに、俺はいない。
いや、いない方がいいんだ。
だって、俺にはカイトを殺した奴の血が流れてるんだ。
また暗い部屋へ逃げ込む。
慌てて布団に隠れ耳を塞ぎ、息を殺す。しっかりと塞いでいるのに、抑え込めない自分の粗い息がよく聞こえる。
誰かそばで立っている。分かってる、誰かじゃない。布の隙間から覗き見る。闇の中に佇む友を見上げる。
「……カイ、ト」
頭と口から血が流れ出す。その血がカイトの顔も、服も赤に染めていく。赤く染まり出した瞳が蔑む様に見下ろしている。
そうだ、そうだろう。
カイトが俺に憎しみを抱くのも当然だ。
塞ぎ込む。
全部俺のせいだ。出会わなければよかった。そうしたらカイトも死ななかった。いや、産まれてこなければよかったんだ。どうして両親は俺を産んだんだ。こんな何も。
希望のない世界。
願望を口にする。
「もう、全部消えればいい」
悲しい事しかない。
それでも二人がいてくれたから、楽しいと思える事もあった。二人がいてくれたから、思い出の中の俺は一人じゃなかった。
それなのに、俺のせいでカイトは死んでしまった。
全部無くなればいいのに。
思い出だけじゃない。自分の存在も全部、消えてしまえばいいのに。消えたってこの世界は何も変わらない。カイトだけじゃなくて、きっと俺はこれからも禍をもたらす。なら。
「俺なんて」
「……そんな事、言わないで」
耳を塞いでいるのに、よく聞こえた。
柔らかい口調に胸が跳ね、はっとカイトを見る。カイトは血濡れたまま悲しそうに俺を見ていた。赤に染まる緑の瞳が、チラッと横を向いた。それと同時に扉がドンドンと叩かれる音がする。
体が跳ね、鼓動が止まる。
恐怖に体が硬直する。
体を震わせながら恐る恐る扉を見る。
「ヴァンっ!!」
……リナ、リア?
暗い部屋の扉の向こうから彼女の声がした。それに胸がぎゅっとして、よく分からない感情が溢れ出す。
「ヴァン」
カイトが名を呼ぶ。おもむろに見る。
「……カイト」
目を見開く。息が止まる。流れる血が徐々に引いていく。血に染まった瞳が新緑のような緑を取り戻す。カイトは柔らかい瞳で俺を見ていた。胸が熱くなる。自然と涙がこぼれ落ちた。今目の前にいるカイトは俺のよく知る、ずっとそばにいてくれた友人だった。カイトはいつもの様に微笑んでくれる。
「呼んでるよ……行かないと」
カイトの影が薄くなる。そのまま静かに消えてしまう。
「待って」
「ヴァンっ!」
「……」
「お願い、だから。話を……聞いて欲しい」
扉の向こうでリナリアが呼んでる。彼女はきっと俺に現実を突きつけてくる。会いたくない。いつも俺は逃げてしまう。……それでも。
……行かないと。
カイトにそう言われたから。俺は立ち上がり扉の方へ懸命に歩く。短い距離なのに、やけに長く感じた。鼓動を跳ねさせながらドアノブを握る。そのまま握る。
迷い。
この扉を開けたら、自分自身に向き合わないといけない。今まで自分からずっと逃げてきた弱虫な俺の最後の足掻き。
でも、カイトが背を押してくれている気がする。
キルか引っ張り、いつもカイトが背を押してくれた。
ノブを回し、扉をゆっくり開ける。
開けた先にはリナリアがいた。大きく開いた青い瞳が俺を映す。
「……泣いていたの」
言われて頬を触る。濡れた指先を見つめる。
「ごめんね。どうしても……言えなかった」
彼女は瞳を歪めてポロポロと涙を溢し始める。
言葉が何も出ない。浮かんでこない。
突然の事実を俺はどう受け止めたらいいのか、分からない。俺は……どうしたらいい。
リナリアは言う。
「少し……お話ししよ」
俺を見上げる涙した青い瞳に胸が揺らいだ。
彼女なら……答えをくれる気がした。
この闇の中、俺の進むべき道を。
俺は彼女を部屋へ入れる。
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