咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第三章

69.リナリアの花を

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 リナリアは、木の幹に体を半分隠したまま、こちらを覗いている。
 この状況どうしたら、何て声をかけたらいい?
 本当に嫌われたかもしれない。
 言い訳、何か……何も思いつかない。

「どうしてヴァンが、ここにいるの?」

 はっ!そうだ。
 この状況を打開だかいできるのは、これしかない。
 とにかく今は、一旦心を落ち着けて、冷静に。
 なかった事にはできないが、これ以上事を荒立てないように、何でもないフリ。気にしてないフリ。
 俺は胸ポケットから、預かった手紙をリナリアへ差し出す。

「キルからの手紙を、届けに来た」
「えっ? キルから?」

 リナリアがひょっこり顔を出す。
 あごに手を添え悩むような仕草をした後、隠れるのをやめてリナリアは、ゆっくりとこちらに来る。
 慌てて視線を下に向ける。
 恥ずかしくて、顔が見えない。
 足音が近づくにつれ、鼓動が早くなる。
 リナリアが目の前に立つ。
 手紙を差し出した、少し震える自分の手だけ見ていると、リナリアが手を伸ばし手紙に触れる、っが何故かすぐに取らず掴んだまま。
 どうした?見ないのか?
 あ、手紙を取った。
 ビリって、え、ここで開けるのか?
 思わずリナリアを見る。
 俺が見た時にはもう封筒の蓋を破って、リナリアは中身をのぞいていた。

 結構雑、なんだな。
 でも何だか切迫した顔。

 中身を覗くリナリアの瞳が、歪んだ。
 悲しそうな顔。
 どうして、そんな顔をするのか。入っている物のせいなのか?
 そっと便箋びんせんをリナリアは取り出す。
 折りたたまれた紙を開いてすぐ、細めていた目が見開かれ、みるみると顔が赤く染まっていく。
 もう、訳が分からない。
 内容も入っていた物も全く見当がつかない。
 キル、お前は何を書いて、何を入れた?
 
「何が書いてあったんだ? 中に何が」
「な、なんでもないよっ! わざわざ届けに来てくれて、ありがとう。あと、ごめんね。私のせいで、迷惑かけちゃって」
「別にリナリアのせいじゃ」
「でも、ヴァンが来てるって聞いた時はびっくりしたよ。まさかアナスタシアに来るなんて、思ってなかったから」
「やっぱり、知ってたのか」
「あ、うん。トワがね、教えてくれてたから。トワがここを教えたの?」
「いや、君の友達だ」
「ジュンちゃんとダイヤ? 二人は何処にいるの?」
「あっちで待ってる」
「そうなんだ。もう、ジュンちゃんったら」
「……俺に会いたくなかったそうだが、来てしまってすまなかった」
「え゛ぇっ!?!?」
  
 会いたくないと、彼女に言われた事。ジュンはそれは嫌いとかではなく俺が、止めてしまうかもしれないと言っていたが、何のことだろう。今の所分からない。

「あっ、あのね!! 私、会いたくないって、本当に会いたくなかった訳じゃなくて……怒ってる?」
「別に怒ってない。少し、傷付いただけだ」
「あわわ、ごっごめんなさい!! ただ、どんな顔して会ったらいいのか、分からなくて」

 どんな顔って、泣いてた事を気にしてるのだろうか?別に、そんな事いいのに。
 まぁ、本当に嫌われた訳じゃないようで良かった。
 慌てる彼女を見ていると、自分が徐々に冷静になれる。だから、周りが見えるようになってきた。

 それにしてもリナリアは、どうしてこんなに汚れてる?

 バタバタして気に留められなかったが、リナリアが着ている白いローブは所々に泥がついている。
 濡れている地面に寝転がっていたせいもあるが、それだけではこうはならない。特に足元。茶色の靴が泥だらけで、水遊びでもしたのかと思うくらい。
 それとも、何かあったのか?

「ヴァンを傷つけるつもりはなかったの。本当にごめんなさい」
「もう気にしなくていい。それにしても随分服が汚れているが、何かあったのか?」
「へ、あっ!!」

 わぁっ!!と叫んで、リナリアは慌ててローブの泥を払い出すが、シミがついてもう手遅れだ。
 さっきから本当に、忙しそう。
 だが、少しほっとした。

 なんか思ったよりも、元気そうだな。

 ジュンがずっと泣いていると言っていたから心配したが、いつも通りのリナリアに見える。
 でも、やはり少し顔色が悪いか?

「あの、ごめんね。恥ずかしい格好で」
「いや。何かあったのか、気になっただけだ」
「これは何かあったわけじゃないから、大丈夫!!」
「そうか、ならいいが。それと、もう平気なのか?」
「えっ? 何が?」
「あの悪魔の話しに、ショックを受けていたから」
「……」

 慌ただしい空気がわずかに張り詰めた気がした。
 だが、リナリアは笑う。

「フォニの話が、私の思ってた事といろいろ違って、だから少し取り乱しちゃった。頼りないところ見せちゃったね」
「そんな、頼りないなんて」
「でも、大丈夫だから。心配してくれて、ありがとう。私もね、ヴァンの事心配してたの。あの後、どうしたかなって。だから今日元気そうな貴方を見て安心して、会えてよかったなって本当に思ったから」
「リナリア」

 会えて良かったと言ってくれるのは嬉しいのに、その笑みは何かを取り繕うように張り付いたものに見え、に落ちない。

「本当に、大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫!!」

 やはりリナリアは、大丈夫としか言わない。俺はただリナリアの力になりたいだけなのに、それはいつも叶わない。
 悪魔に命を狙われる事。
 世界の命運が、自分にかかっている事。
 力を託された訳ではなく、闇を押し付けられた事。
 どれも大丈夫、といって受け止められるほど軽い話ではない。
 時期に世界が再び繋がると、あの悪魔も言っていたし……そう言えばリナリアは、悪魔に言われた事をどう思っただろう?

 リナリアが俺を守ろうとしてくれた事、俺がリナリアの事を気にしていると言った事。

 俺はこの気持ちは自分のものだと、偽りなんてないと答えを出したが、リナリアも答えを出しているだろうか?
 まさか、俺の気持ち気づいたりしてないよな?

 向き合っていたリナリアが、おもむろに花の群生の方を向く。
 そして、耳に髪をかけながら綺麗でしょ、っと弾む声で言う。

「ここでね、小さい頃ジュンちゃんとダイヤと三人で、良く遊んでたの」
「ジュンがそう言っていた。秘密の場所なんだろ」
「うん。二人がここで遊んでて、私は後から仲間に入れてもらったの」
「そうか」
「この白い花の名前、知ってる?」
「知らない。詳しくない事、知ってるだろ?」
「だから、わざと聞いたの」
「何だそれ」
「ふふ。ニリンソウって言うの。葉っぱ、食べれるんだよ」
「へぇ、よく知ってるな」
「でもね、気をつけなきゃいけない事があってね、ニリンソウの葉はトリカブトの葉にも良く似てるの。混生こんせいして生えてる事があるからね、取るなら今みたいに花が咲いてる時期にした方がいいよ。それなら見分けがつくからね。間違って食べちゃダメだよ、死んじゃうから」
「……あぁ、そうだな。そうする」

 なら良かったっ、とリナリアは楽しそうに笑う。
 俺は葉なんて食べないけど、って言いたいが、リナリアが楽しそうなら何でもいい。君が笑ってくれるだけで、俺も嬉しくなる。
 俺を見るリナリアが更に、口角を上げる。満足そうだな。

「花言葉はね、友情、ずっと離れない。だから、ジュンちゃんとダイヤとはずっと友達だよって、ここでそう約束したの」
「本当に仲が良いんだな。そういえば二人は、君からもらったお守りを首に下げていた。友達だから、あげたのか?」
「そ、そうだよ。あと、ミツカゲとトワにもあげてて、それと」
「他にも、いるのか?」
「う、うん」

 いい辛そう。
 挙動きょどうがおかしい。
 何故隠すのだろう?
 俺が知らない人だから、言っても……って訳じゃなさそう。
 下を向いているから彼女の表情は見えないが、髪をかけた耳が赤いのだけは分かる。

 まさか、男……なのだろうか。

 でもリナリアは、異性に思われるのを嫌がっていなかったか?そんな、リナリアに想う人が……いや、キルが言ってたじゃないか。リナリアに、気になる人ができたっぽいぞって。
 あぁ、そうだ。そうだった。
 
 はぁもう。

 今日二回目だ、振られた気持ちになるのは。でもこれは曖昧あいまいではなくて、決定的。
 分かっていた。もともと報われる事なんてないって。ただ会いに来ただけ。
 そう言い聞かせて来たけど、いざそれを現実に突きつけられると想いの大きさの分、辛い。
 
「はぁ」
「ど、どうしたの?」
「別に」
「あの!! 手紙を預かった時、キル何か言ってた!?」
「何か? 何かって」
「ううん!! やっぱり、何でもない」

 俺の気持ちに微塵みじんも気づかなくて、誰かを想うリナリアに少し意地悪くしたくなる。
 だから、言ってしまえ。

「そう言えば、君に気になる人がいるかもしれないと言っていた」
「へっ!? え゛ぇっ!!!!」

 もぉっ!!と、リナリアは林檎のように真っ赤の顔を両手で隠す。
 やはり、本当なんだ。

「誰かっ! 誰って言ってない!?」
「こっちが聞きたい。誰なんだ?」
「そ、それは」

 視線を感じる。
 潤んだ熱っぽい青い瞳が、上目で見つめてくる。
 もう、そんな目で見ないで欲しい。
 またさっきみたいな、過ちを犯してしまいそうになる。そもそも君が、触れてきたのがいけない。あれはどういうつもりだったんだ?
 気になるがせっかく穏便に進んでいるのに、掘り返したくはないし、逆に聞かれたら俺はなんて答える?
 
 はぁ。こんなに悩んでいるのも、俺だけだ。
 
 いっそ玉砕覚悟で言ってしまうか。
 困らせるだろうけど、少しは俺の事で悩んでくれ、なんていろいろこじらせているな、俺は。

「それは……秘密」
「別にいいじゃないか」
「じゃっじゃあ、そう言うヴァンは、どうなの? 好きな人とか、いるの?」
「そういう人なら、俺もいる」
「へっ」

 知らなかっただろ?
 そして、それが君だって事。

「え、あの、そ、そうなんだ……ヴァンに?」
「そんなに、意外か?」
「はわわ!! そんな事ないよっ!! ただ、びっくりして。そう、そうなんだ」

 声が震えてる。そんなに驚いてるのか?
 フォニが言った事は、大してリナリアの気には止まらなかったみたいだな。

「ど、どんな人なの?」
「気になるのか?」
「その、気になる、かな」
 
 言ったら少しは、リナリアは気づくだろうか?
 でも、本人の目の前で言うのは、少し恥ずかしいが、もうヤケクソ。

 俺にとってリナリアと言う人は。

「可愛らしい人だ」
「へっへぇ。ヴァン、女の人の事可愛いとか言ったりするんだね」
「あのな」
「ごっごめんなさい。それで」
「なんだろう。輝いていて、それに惹きつけられる。俺にいろいろ教えてくれた。生き方とか。一緒にいれると嬉しくて、そばにいたいから生きようと、そう思わさせてくれる俺の希望だ」
「希望」

 俺にとって君は、そう言う存在だ。
 恥ずかしくて言い切れなかったが、どうだ?
 少しでも、伝わっただろうか?

「そっか。うん、私もね、そう言う人なの。私の、希望みたいな人」
「あぁ……そうか」

 勘弁してくれ。
 伝わるどころか、追い討ちをかけられる。

「辛い事があっても、前を向く事ができて、優しくて、大切な人を大切にできる。そんな人」
「へぇ」
「だからね、彼の周りには人が集まるの。私だけじゃなくてね、他の人の希望にもなれる」
「ふーん」
「聞いてる?」
「聞いてる。要はいい人って事だろ」
「いい人って、ふふ。そうだね、いい人だよ。ヴァンの好きな人も、きっと素敵な人なんだろうね」
「ふっ、ははっ」

 自分でも驚いた。
 声を出して笑ったのはいつぶりだろう。でもしょうがない。おかしかったんだ。
 君の事を言っているのに、君がそう言うのだから。
 本当に、気づいてくれない。
 ぽかんとした青い瞳を見つめる。
 
 あぁ、そうだな。確かに君は素敵な人だ。

「ヴァン、変わったね」
「そうか? あまり自分じゃ分からない」
「本当に変わったよ。ちょっとびっくりしちゃった。でも、良かった。ヴァンにちゃんと、そう思える人がいて。もう、大丈夫なんだね」
「リナリア」

 変わったと言うなら、それはきっと君がそうさせた。
 こんなに人を好きになるなんて、思わなかった。君が思うより、君は本当に俺にいろんな事を与えてくれた。だからきっと、俺にとってはずっと大切な人のままだ。
 
 いいなっ、と聞こえた。
 吐息の様なか細い声であったが、確かに今リナリアがそう言った。
 
「何が?」
「へ? 何?」
「いいなって今、言っただろ?」
「い、言ってないよ!!」
「言った」
「言ってないっ!!」
「たく、意地っ張りだな」
「あぁっ!! 今の悪口!!」

 ふと、リナリアの顔から表情が消える。
 それはきっと今吹いた、風のせい。
 木々の間を抜ける風を、リナリアは感じるようにした後、森の奥を見つめる。

「ヴァン私、そろそろ行かないと」
「え? 今からか? 何処へ行く?」
「ちょっとね、大切な用事があるの。せっかく来てくれたのに、ごめんね。手紙、ありがとう」

 こんな急に、行ってしまうのか?
 せっかく会えたのに、もう少し一緒にいたかった。

 次いつ会えるかも、分からないのに。
 
 それにまだ、アトラスから聞いた不思議な力を持つ人の話をしていない。

「もう少しだけ時間ないか? 話したい事が」
「話したい事? そう、でももう行かないと」
「急ぎなのか? なら、終わった後でも」
「それは、ちょっと難しいかな」
「何故?」
「今からここにミツカゲとトワが迎えに来てくれるから。精霊が、トワが今教えてくれたの。だから、それはその、ミツカゲはヴァンがここにいる事を、もう知ってるの」

 なるほど。
 毎度毎度リナリアに近づくな、っと俺を邪険にしてくるミツカゲがいたら、話どころではなくなるし、リナリアと話す機会すら与えられないかもしれない。
 確かに大問題だが。トワが来るのならアトラスも一緒なのか?
 なら、好都合。
 直接アトラスからリナリアに、話を聞かせてあげられるかもしれない。それに、トワだってその不思議な力を持つ者を知っているのなら……。

 知っていたのなら、何故リナリアに話さなかった?

 そう、何故言わなかった?
 もしかしたらその人なら、リナリアの中にある闇を消せるかもしれないのに。

「リナリア。ここに来る途中、不思議な力を持つ人を知っている奴に会ったんだ。そいつはトワの知り合いみたいだったが、トワから何か聞いてないか?」
「……私は、聞いてない、かな」
「そうなのか? ならもしかしたら、その人ならリナリアの力になれるのかもしれない。だから」
「そうかもしれないね。ならトワに聞いてみるよ。教えてくれてありがとう」

 ありがとう、ってリナリアは、あからさまに話を切り上げたがっている。
 それにやっと解決できるかもしれないのに、あまり嬉しそうにも見えない。

「心配しないで。ちゃんとトワに聞くから」
「リナリア」
「ごめんね、もう行かないと」

 取り付く間もない。
 そんなに急いでいるのか?
 それに、俺と話をしたくないような気さえしてしまう。俺はただ、リナリアの事が心配なだけなのに。あとはトワが話してくれる事を信じるしかないのか?
 リナリアはもう行くと、言わんばかりに泥で汚れた白いフードを被る。
 もう、行ってしまう。
 フードすそを摘み整えると、俺を見上げる。

「会えて本当に良かったよ。貴方が大切な人と幸せになれる事を、祈ってるから」

 そんな、祈られても……ん?

 急におかしな感覚に襲われる。
 木々がささやくような葉音や、鳥たちがさえずる声が聞こえなくなった。
 匂いが、濃い緑の匂いを感じない。
 まるで、夢の中にいるみたいに現実が曖昧あいまい
 目の前にいるのは、リナリアのはずなのに。

 誰だ?

 今まで話していた大切な人なのに、誰?って自分が頭の中で呟いた。
 知ってるが、知らない。
 未視感みしかんみたい。
 遠くに感じる。
 泥のついたローブ。
 目部下まで被ったフード。
 そして、そこから見える青い瞳。
 その姿だけが、まるで世界から切り取られたように見えた。

 どう、して。

 さっきまで想いを語っていた口が、くっ付いたように離れなくて、開けなくて。
 身動きできない程の恐怖と、強い拒絶。
 それだけが強烈に己を支配するが、何に対してかまでは理解出来ない。
 
 ただ今のリナリアが、想起そうきさせ、重なる。

「あの、ヴァンは私と同じ名前がついた花がある事、覚えてる?」

 記憶にあって俺は、ただ頷いた。

「リナリアの花言葉はね、フォニが言っていた幻想と、もう一つあるの。知ってる?」

 記憶にないので俺は、ただ横に首を振る。

「ふふ、そうだと思ったよ。ヴァンはお花に興味ないもんね。だから」

 リナリアが、一歩近づく。
 そして、俺の胸にふわりと体を寄せる。
 
 ……軽い。

 あんなに触れてもらえるのが、嬉しかったのに、あんなに触れていたいと思っていたのに、今は喜びも、幸せもない。
 しがみつく様に俺の胸に手を当てるリナリアの、泥のついたフードをただ見つめる。
 
「だから貴方に、リナリアの花を」
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