咲く君のそばで、もう一度

詩門

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第四章

90.疑念

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 帰路の途中、笛の音が聞こえ立ち止まる。
 闇夜を射抜くように町中に響いたこの音は、警備隊からの警告。加護の力は、人に使用してはいけない。それは当たり前だが、対象を制圧するためにやむをえず使用しなければならないときもある。対象が従わない場合、一回鳴らし警告する。二回鳴ればっ、というわけだが。静かな町にその後、笛の音も爆撃音も響かなかった。
 再び足を進める。
 大事にならずよかったという安堵と、何も起こらず残念だと不謹慎極まりない思いが混濁する。
 それは、今の自分には何もできないという状況のせい。
 
 はぁ、これでいいのか。
 
 トワのいうことは理解できる。
 先走る思いじゃどうにもならないことも。疲弊した体で、悪魔と戦うことができないということも。だが、憂慮ばかり募りとても休めそうにない。
 悪魔は迫っている。
 時間はない。
 なのに、こんな悠長に過ごしてもいいのか?
 これは正しいのか、間違っていないのか。
 一つだって間違うことなんてできないのに。
 もどかしい。
 ならば、っと焦燥から生まれた後悔。

 なら、そばにいればよかったのだろうか。

 トワがいるし、ミツカゲも時期に合流するだろう。あそこにいる意味はないかもしれないが、何もできないのならせめて、リナリアのそばにいればよかったのかもしれない。気まずさから出ていかなければよかった……あれは?
 自分の住むアパートの壁にもたれかかる人影。
 闇の中でも、淡い街灯の光で誰か分かる。そいつは、俺に気がつき下を見ていた顔をあげた。

「カイリ」
「おかえり、ヴァン」
「どうしたんだ、こんなところで」

 カイリはうーん、と曖昧な返事をしながらこちらへ来る。路面を打つ足音と共に、頭の中に蘇るトワの言葉。

『ヴァンさんのそばにいる可能性が、高いと思われます』

 芽生える疑心。
 抱く怖れと、まさかという否定。
 目の前にカイリが静かに立つ。
 己が鳴らした警告に、一歩下がり距離を取る。
 
「なんだ」
「明日ね、異物を保管してある倉庫の整理を頼まれたの」
「整理? それを、わざわざ伝えにきたのか」
「まぁね。あと、会えたらいいなって思って待ってたの」
「他に用があるのか」
「用事っていうかその、今日何してたのかなって」
「なにって、聞いてないのか?」
「……聞いてるけど」

 よく分からない。
 聞いているならリナリアいや、アドニールへ手紙を届けにアナスタシアへ行ったことを知っているはずだ。それにいつ俺が帰るか不明であるのに、それを承知で待つ意味も分からない。
 一体何をしに来たのか。
 まさかと思うが、カイリが潔白だと分かるまで慎重に話を進めていかないと。

「聞いているなら、知っているだろ」 
「アドニール様に手紙を届けに行ったんでしょ。アナスタシアまで。でも、なんでそれをヴァンがするの」
「何故って、別に理由なんて」
「……でも、国王様が言ってたの」
「キルが? キルに会ったのか?」
「昨日ヴァンと別れたあとお会いしたの。手紙を届けて欲しいからって、ヴァンを探してて」

 俺を探していた?
 なら、あそこでキルに会ったのは偶然ではなかったのか。確かに都合良く手紙を持っていたしな。

「そうか。キルはなんて言ってたんだ?」
「どうしてヴァンなんですかって聞いたら、ちょっとしたお節介って……ねぇそれってどういう意味? なんで手紙を届けることがお節介なの」
「特に深い意味はないし、それほど気になることじゃないだろ」
「でもアルたちがそれを聞いて、なんかはしゃいでたから」

 頭が痛い。
 キルの奴一言余計なんだ。
 そのせいでカイリみたいに詮索してく奴が出てくるし、あいつらにも勘付かれた。
 俺は明日、あいつらにも同じような質問をされるのだろうか。まぁ、誰に聞かれたところで答えは変わらない。
 
「あいつらが何をはしゃいでいたか、俺に心当たりはない」
「でも」
「この話はもういいだろ。これ以上答えられることはない」
「……」

 冷たい言葉だったな。
 カイリは眉間に皺を寄せ不満そうな顔をしている、が仕方ない。
 誰がカルディアか分からない以上、聞かれたことを安易に答えたくはない。そもそもこんな状況でなくとも、俺は正直に答えたりしないが。
 
 それより。
 
 さっきから探るような目で見られているのが、堪らなく居心地が悪い。
 逸らしたくなる視線に、否定したい疑念がさらに膨らみもやもやとする。
 
 腕輪があれば、確かめられたのに。
 
 だが確かめてそうであったら、俺はカイリに刃を向けなければならない。
 正確にはカイリであった者に。
 悪魔を一刻も早く見つけたいと思う反面、今だにそうでなければという願いは消えはしない。
 その願いは自分の甘さ、弱さなになるのだろうか。
 
「ヴァン、元気ないね。何かあったの?」
「……少し疲れただけだ」
「そう。そうだよね。ごめんね、疲れてるのにこんな話。それじゃぁ、また明日ね」

 今の俺にできることは何もない。問うたところで馬鹿正直に正体を晒しはしないだろうし、カイリにいきなり刃を向けることなんてできるはずない。
 また明日、明日腕輪をリナリアから返してもらえれば白黒つく……それはいいが。

「……どうした」
「……」
 
 別れの挨拶を口にしたのに、カイリはこの場を立ち去ろうとせず目の前にいる。他に何か、っと聞いてもカイリは答えない。
 
 肌寒い空気を伝い、また笛の音が聞こえる。
 それは先ほどよりも近くで、人の怒号も聞こえた。
 だがそれも、どこか別の世界での出来事のように今の俺にはどうでもいいことで。
 目の前にいる人間に、最大の警戒をする。
 何故、何も言わない?
 動こうとしない?
 泣いているように見えるカイリの瞳が、徐々に歪み震わしていた唇が開く。

「ねぇ……本当はリナリアに、会いに行ったの」

 一気にこの場の空気が凍てついた。
 音が消え、どこか一点に吸い込まれていこような感覚。咄嗟に思考を巡らす。
 カイリがもしカルディアなら、この質問の意図はなんだ?
 そもそも悪魔は、どこまで俺たちの行動を把握している。尋ねてくるということは、リナリアと接触したことは知らない?なら、俺と一緒にリナリアはアデルダへ入ったのだから、ここにいることも知らないのだろうか。
 カルディアに警戒されたくない。
 やはり答えない方がいい。情報を与えない方が……。

 そう、っと俯いたカイリが呟く。
 重く、低く、心臓を掴まれたような声に身が震え、息が止まる。いつものカイリの雰囲気とかけ離れた、狂気すら感じる異質な空気がこの場を支配する。

「カイリ」

 消えない願いから、懇願するように名を呼んだ。
 ぱっ、とカイリが顔を上げる。
 不穏な空気に似合わず、カイリは笑っていた。満遍の笑みで、とても嬉しいことがあったよう。
 その笑みがあまりにも異様。
 金縛りにでもあったかのように体が動かない。
 視線も逸せない。
 さっきから悪寒も止まらない。
 
「リナリアのこと好きなの?」
「なに、言ってるんだ」
「いつも否定するのにね、しないんだね。その顔、なんで分かるのって顔してる。なんでか分かる? だって私、ずっと見てだんだから。ねぇ、どうだった? リナリアに会えた? その顔は、どっちかな? でも、幸せそうじゃないね。うまくいかなかったのかな」
「カイリ」
「リナリアは、酷いよ。私だったらヴァンにそんな顔させないのに」

 にっと笑うが、そこからは嬉々といった生を感じない。
 能面みたいに張り付いた笑みを浮かべながら、ペラペラと言葉を吐くカイリはまるで別人。
 なんなのか、そうなのか?
 
 カイリ、君が?

 荒れる思い。
 見知った人間がカルディアではないと願った。
 リナリアを必ず守ると誓った。
 抱く願いと誓いは、平等ではない。
 
 迷うな。
 
 拳をつくり、奮い立つ。
 いけない、このまま相手に気圧されては。
 仕掛けてくるならば、やらないと。
 願いは願い。
 相手が誰であろうと戦うと、そう覚悟を決めたじゃないか。リナリアを守るのだから。
 視線を逸らさず、静かにグリップに手をかける。
 同時に勢いよくカイリの視線がそれた。
 気付かれたか。
 カイリは不可解だと言わんばかりに首を傾げる。

「どうしたの? なんで、そんな怖い顔してるの。私はただ笑って……あれ」

 はっとカイリが目を開く。
 傀儡に血の気の通ったような、変な感覚をカイリから感じた。
 驚きを露わにしていた表情が、すぐに曇りだす。口元を押さえたあと、背を向ける。

「ご、ごめん。私、もう帰るね!」
「なっ、カイリっ!」

 弾かれたように走り出したカイリを追い、角を曲がり路地に入る。カイリの背が闇夜の中に消えてしまう。見失ってしまう。
 前方にすとんっと影が空から降ってきた。
 狭い路地の中、行手を阻まれ立ち止まる。阻んだ奴はこちらへくるなりフードの中から睨みつけてくる。

「そこまでにしろ」
「……ミツカゲ」
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