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しおりを挟む「お噂は常々耳にしていますし、まさにそのお噂通りである意味安心ではありましたが。いいですかリートフェルト卿、いくら貴方様が噂に違わぬ社交界の花であったとしても、こんなにも気軽に女性の気持ちを受け入れてはなりません!」
社交界の花こと、レオン・ファン・リートフェルトは夜会の最中でありながら絶賛説教を受けている。
夏の夜、風通しの良い中庭のベンチで男女が二人、であるにも関わらず、あまりにも甘さの欠片も無い。
懇々と説教をしているのはヘンリエッタ・キールス子爵令嬢。緩やかに波打つ栗色の髪が夜風に揺れる。丸く少し垂れた碧色の瞳は今はきつくレオンを見据えている。
今日の夜会で出会ったばかりの人物であり、そしてレオンに告白してきた相手でもある。
告白をされたのでそれを了承した、だけなのに。その結果まさかの説教である。
こんな展開を誰が予測できただろうか。レオンは吹き出しそうになるのを必死に堪えつつ、ほんの少し前の彼女とのやり取りに意識を向けた。
「リートフェルト卿、ずっとお慕いしておりました! 結婚を前提にお付き合いしてください!!」
まさかの女性からの求婚。あげくその表情は親の仇でも見る様なもので、あまりのちぐはぐさにレオンは一瞬だが固まってしまった。
蜂蜜色の髪に青紫色の瞳を持つ彼の存在は社交界では有名だ。甘いマスクにミステリアスな瞳は数多くの女性達の心を虜にしてきた。侯爵家の次男、そして、王太子であるアレクサンデルの学友であり側近でもあるものだから尚更だ。
そんな彼にこうやって直接声を掛けてくる令嬢は少なくはない。が、ここまで直球なのは初めてである。しかもその中身と顔が合ってはいない。
ふむ、とレオンは考える。彼の主義として女性と付き合っている間はその一人のみと関係を持つ事にしている。二股などは絶対にしない。別れる時もお互いが納得のいく方向で話を進め円満に終わらせる。
現在レオンにそういった相手はいない。なので彼女からの想いを断る理由は特にない。結婚、の二文字が聞こえたが自分もそろそろ身を固めろとの圧力を受けているし、もし付き合ってみて気が合う様ならそれでいいか、という答えが出るまでたったの五秒。
「分かった、君と付き合おう……っと、いう事で、まずは名前を聞いてもいいかな?」
すると当の本人がポカンとした顔でレオンを凝視する。ん? とレオンが首を傾げれば、だんだんと彼女の眉間に皺が寄り、ややあって出てきた言葉は「は?」と言うなんとも短いものだった。
「……あの、今、なんと……?」
「君から俺が好きで、結婚を前提に付き合って欲しいと言われたので、そうしよう、と」
「それはつまり、わたしの話をお受けになると……?」
「そういう事だね?」
チ、チ、チ、と時を刻む音が三つ続いた後に彼女の眉間に皺がギュンと寄る。
「いや……いやいやいや違うでしょうそうじゃない、そうじゃない!!」
見事なまでの渋面。およそ貴族の令嬢がしていい顔ではない。というかそもそも年頃の女性がするものではないだろう。けれども彼女はまるで頭痛に耐えるかの様にこめかみを指で押さえ深く呼吸を繰り返す。
「なにがだろう?」
「なにが……なに、が……! ああもうこれはあれですねちょっとお時間よろしいですかリートフェルト卿!? わたしとお話をしていただきたいのですが!」
なんだか見覚えのある顔だなあと思いつつ、レオンは彼女に連れられて中庭に出た。ちょうど庭の中央にあるガゼボ、のベンチを勧められて腰を下ろす。今までレオンの胸元辺りにあった彼女の顔が見上げる位置だ。そこにある表情、にようやくレオンは思い至る。幼き頃、侍女のメイサがレオンを叱る時の顔にそっくりだ。
「とりあえず、君も座らないか? あと、そろそろ名前を教えてもらえると嬉しいんだが」
「……初めてお目に掛かりますリートフェルト卿。ヘンリエッタ・キールスと申します」
彼女はレオンの隣、拳を三つほど空けた位置に腰を下ろし――そうして怒濤の説教が始まった。
「本当にありえませんリートフェルト卿!」
「よければ名前で呼んでくれないかなあ?」
「それはあまりにも馴れ馴れしくはありませんか!?」
「でもヘンリエッタ嬢とはほら、これから親しくなる仲なわけだし。なんならそのまま結婚」
「だから簡単に話を受け入れてはなりませんと申し上げましたよね!? リートフェルト家のみならず、ご自身が王家にとっても重要であるということをもっと自覚なさってください!」
王太子の側近であり友人、侯爵家自体も長きに渡って将軍職を務めている重鎮の一つだ。侯爵家を継ぐのは兄のハーネストだが、兄弟仲は悪くはないのでいずれ兄を支えるつもりでいる。
「リートフェルト家……ええもうそれではお言葉に甘えて今宵だけはレオン様と呼ばせていただきますね! 先程から何度も申し上げておりますが、いくらレオン様が社交界の花、もしくは花と花を飛び交う蝶、有り体に言ってしまえば女好きのロクデナシだとしてもです! 守らねばならぬ血筋とお立場をもう少し考えるべきでしょう!」
怒られている。二十歳を超えてしばらく経つが、こんなにも女性に怒られているのは子どもの時以来だ。あととてつもなく失礼な事も言われたが、それは事実なのでレオンは大人しく耳を傾けている。
「単純に見目麗しいレオン様の寵愛を狙う者もいれば、お家の権力を狙う野心家もおりましょう! 百歩譲って付き合うだけならまだしも、その後の結婚まで了承とは不用心、考え無しにも程があります!! 特に婚姻は貴族社会においてどれ程重要か、いかに自由奔放、お気楽極楽を体現なさるレオン様でも少しはお分かりなのでは!?」
繰り返すが告白してきたのは彼女の方だ。レオンはそれを了承しただけ。だと言うのにこの状況はあまりにも理不尽ではないのか。しかしレオンはこの状況こそが楽しくて仕方がない。未だかつてこんな目に遭った事などない。いやむしろ世の男性誰一人として同じ目に遭った事はないだろう。
「聞いておられますか!?」
「ああ……そうか、貴女が【至論の令嬢】か」
レオンのその言葉にヘンリエッタの口がピタリと止まる。どうやら正解であったらしい。
至論の令嬢――ヘンリエッタ・キールスがそう呼ばれる様になったのは一年前のとある出来事が原因だ。
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