38 / 416
【3】右往左往~幾久、迷子になる
無事にお帰りなさい
しおりを挟む
爆音を響かせてバイクが幾久の所属する『御門寮』の前に到着した。
降りた瞬間、ふらついてしまったが宇佐美が腕を引っ張ってくれる。
「……あざす」
「お疲れさんーお、けっこう早かったなあ」
時計で時間を確認しながら宇佐美が言うが、幾久はそれどころじゃない。
「し、死ぬかと思った……」
迷子だったのを助けてくれたのはありがたかったが、さすがにバイクはちょっと大変だった。
生まれて初めて乗ったけど、もう二度と乗りたくない。
というか今日は大変じゃないことがなかった気がする。
「大げさだなあ。ちゃんとスピード出てなかったっしょ」
一応気をつかったらしい宇佐美は反撃するが。
「スピードは出ないけど角度が……」
「あー、まあね。でもあそこまで角度あったらねえ、とばしたらふっとんじゃうし」
スピード出されなくてよかった!と幾久はほっと胸をなでおろした。
「ついでだから寮に寄ってくわ」
報国院高校のOBで、この御門寮出身でもある宇佐美は気安く寮に入っていく。
一緒に御門寮の門をくぐり、敷地内の庭に入ると、すでに寮から誰か出てきた。
「いっくん!よかった、帰ってきた!」
幾久の姿を見て安心して近づいてきたのは二年生の吉田栄人だ。
「ただいまっす」
「おっす。あれ?バイクに気付いた?」
宇佐美の言葉に吉田が首を横に振る。
「双子から電話があったって、ハルが」
「あー、それでか」
さっと吉田が何も言わずに幾久や宇佐美の荷物を受け取る。
「いっくんが出かけたってガタに聞いて、それなら別にいっかと思ってたんだけど、遅くなっても帰ってこないしおかしいなと思ってスマホ鳴らしたら寮の中にあるし。困ってるんじゃないのかって思ってたら案の定」
「えーと……」
山縣に頼まれた事は喋っていいのだろうか、と思っていると吉田が答えた。
「あ、ガタは全部吐かせた。ほんっとあいつ、どうしようもない!ボコボコにしといたから安心して」
「えっ……」
ボコボコとは穏やかじゃない、と幾久は思ったが、吉田は笑顔で答えた。
「あ、あいつじゃないよ。あいつの大事にしてるフィギュア」
ひどい。
あのオタクの山縣はフィギュアを大事に大事にしてるのに。
倒れただけで叫ぶレベルなのに。
本人を殴るよりよっぽどダメージを食らっただろう。
にこやかなのに、やっぱ栄人先輩もちゃんと怖い、と幾久は体を震わせた。
寮に戻ると、犠牲のフィギュアのせいだろう、憔悴しきって倒れている山縣先輩と、幾久を心配してくれたらしい高杉と久坂の顔があった。
「ただいまっス」
幾久が言うと、高杉も久坂もほっとして、「おかえり」と言ってくれた。
「電話あったんか」
宇佐美がブーツを脱ぎながら尋ねると高杉が頷く。
「うん。双子が電話してきてくれた。うさ兄が、さっきいっくん連れて出たって」
「気が利くなあ、あいつら」
俺がそうすりゃよかったかなー、でもすぐだしなーと言いながら上がってくる。
吉田が二人の荷物を置き、いつものように、こまごまと動き始めた。
「いっくん、コーヒー飲む?」
「いや、さっき神社で貰ったんで」
それより空腹だからご飯がいい。夕食まだかな、と思っていると、宇佐美が尋ねてくれた。
「それよりさあ、ご飯まだ?」
「まだも何も、うさ兄急に来たじゃん。まあ一応、麗子さんがいろいろ置いてくれてる」
呆れていう久坂だったが、宇佐美は全く気にしない。ああ、それで宇佐美のことを『うさ兄』と呼んでいたのかと納得した。
久坂は人を寄せ付けない雰囲気があるし、自分でも人見知りと言っていたけど、宇佐美に対しては全くそんな感じがなかった。
兄と親しかったのなら、久坂も宇佐美をよく知っているのだろう。
「それでいいや。それ食お」
「ま、幾久が帰ったら飯にするつもりだったからの」
高杉が口を開く。案外、面倒見のいい先輩なので心配してくれたのだろう。
「えと、アリガトウゴザイマス?」
「別にええ。ガタの阿呆が全部悪い」
あ、そういえば出かけたのは山縣に頼まれた明太子を買ってきたからだった。
幾久は荷物の中から明太子を取り出した。
皆が夕食の仕度を始める中、山縣はべったりとうつ伏せになって意気消沈中だ。
「えーと、ガタ先輩?明太子買ってきましたよ?」
「……お前のミッションは成功(コンプリート)したが、俺のハートはブロークンだ」
「とりあえず置いておくっス」
言って寝ている山縣の後頭部に明太子の箱を置いた。
「オレ、預かったお金も忘れちゃってたんで、あとで計算してお釣り返します」
「いっくん、もうお釣り貰ってもいいよそれ」
ぶぎゅっと吉田がわざと寝ている山縣の背中を踏みつける。
「そうじゃ。つうか、別に賃金払ってもらってもええくらいじゃ」
更に高杉が山縣を踏んで歩く。
「ほんっと、余計なことばっかりする為にならない先輩だよね、山縣って」
どすんと久坂が山縣の背中に座り、山縣がぎゃああ、という声を挙げた。
さすがに太ってないとはいえ、身長が百八十はあろうかという久坂が上に座ると苦しいらしい。
悶えながら横に転がり、久坂の下から脱出する。
「あれ?山縣先輩いたの?」
にこっと微笑んで言う久坂に、山縣はなにか言いたげにするが、「ふんっ!」と子供のようにそっぽを向いて、自分の席に戻る。
幾久は吉田が配膳するのを手伝い、全員の前に食事が揃った。
「合掌!いただきます!」
「いただきます!」
全員が挨拶して、すぐに食事が始まる。食事中は喋らない人が殆どなので、もくもくと食事をすませて、ぽつり、ぽつりと互いの報告をするくらいだ。
「やでも、ほんとビックリしたよ。いっくんが出かけたって聞いたからさ、てっきり一年の友達と出かけてるもんだとばかり」
吉田に幾久が答える。
「一年は殆ど、片付けするって言ってましたよ」
誘われもしたが、まだ寮に入って間もないので、この土日で片付けるというのが殆どだった。
よっぽど荷物が少ないか、だらしないか、片付けないのはそういう人だろう。
「だよねえ、そっかあ」
吉田がなるほど、と納得する。
「その一年生の貴重な時間をどっかの馬鹿の三年生が奪っちゃってねえ」
ちくりと久坂が山縣のことを言う。
山縣はばつが悪そうに食事をしている。
「ほんっと、馬鹿にも程がある」
高杉もあきれているが、それには嬉しそうだ。
このあたりが山縣の理解できないところと言うか、気持ちの悪いところと言うか。
山縣は三年のくせに二年生の高杉を心酔しきっているので、何を言われても嬉しいらしい。
「ガタ、ちゃんといっくんに謝った?」
吉田の言葉に、山縣は一言「サーセン」と言うが、そこで高杉の拳骨が入る。
「ちゃんと謝れ」
高杉の拳骨が入った途端、山縣はさっと端をおき、幾久の前まで行くと深々と土下座をした。
「ほんっとすみませんでした!反省しております!」
「や、別にいいっすってば」
酷い目にはあったけれど、土下座までされるほどの事じゃない。
この年で迷子になるのは驚いたが、新赤間ヶ関の駅が報国院に近いと勝手に思い込んだのは幾久だ。
あの時点でもうちょっと無茶な行動に出ず、あと駅員さんには正直に『迷子になったので、報国院高校までの正しいルートを教えて下さい』と言えばよかっただけの事だ。
迷子になったのが恥ずかしくて変な誤魔化し方をしたせいで、結局間違えてしまった。
幾久が間違えた一ノ宮、住吉神社は確かに傍に学校があったが、報国院ではなく、地元の小学校だった。
説明を誤魔化したせいでこうなったし、スマホを忘れたのも自分なので、自業自得という事もある。
「それに、ちょっと楽しかったし」
幾久の言葉に、山縣が『ほらな!』みたいに勝ち誇った顔をしたので、高杉がもう一度拳骨を喰らわせた。
食事をすませ、いつものように食後のコーヒータイムになった。
そこで初めて、山縣がなぜ幾久に明太子を買わせる羽目になったのか、という事を吉田が尋ねると山縣が言った。
「明太子食っちまったんだよなー、麗子さん宛ての奴」
麗子さん、とはこの御門寮の寮母である、吉田麗子のことだ。五十歳くらいのおばさんだが、料理が上手で優しいおばさんだ。
この御門寮のある敷地内にもう一軒家があり、そこで暮らしている。
基本、土日は麗子さんは休みになっているが食事を作ることも多く、出かける用事があるときなんかは今回のように作っておいてくれる。
つまり、日常でも麗子さんはこの寮に居ることが多いので、荷物、特に食料関係はこちらの寮で受け取っておく場合が多い。
今回山縣が食べてしまったのは、その麗子さん宛ての宅急便だったらしい。
「なんで麗子さんの荷物をお前が勝手にあけるんだよ」
吉田の言葉に山縣が反論する。
「ハァー?お前が宅急便の伝票剥がして明太子だけ俺らの場所につっこんだんだろ?!んなことすっから俺が間違えて食っちまったんだよ!」
「おれそんなことしてない」
吉田もきちんと反論する。
「は?だって伝票が」
「や、だからしてねえし」
「ごみ箱に……」
御門寮の冷蔵庫はかなり大きい。
業務用かと思っていたが、アメリカではよくあるサイズらしい。
それを聞いたときアメリカ人どんだけ食うんだよ、と思ったが、当然日本人だらけの御門寮では余裕で使える。
寮生も個人で購入したものは冷蔵庫に入れておくので、『麗子さんが使う場所』と『寮生の個人用』という場所が分かれている。
その冷蔵庫は、内部がきちんと分かれていて、いくつも棚があるのでスペースには困らない。
今回の事件は、山縣が『寮生用』のスペースに好物の明太子があったので、それを食べてしまったが、ゴミ箱の中に落ちている伝票を発見。
明太子は麗子さん宛てだった。
つまり、うっかり誰かが麗子さんの明太子を間違って寮生用のスペースに入れたのが原因。
それで山縣が食べてしまった後に気がついて慌てた。幸い、知っている明太子屋だったので同じものを買ってくれば大丈夫だと判断、幾久に買いに行かせたというオチらしい。
「はあ、でも栄人先輩もやってない、っていうし、じゃあ一体誰が寮生用の場所に、麗子さんの明太子つっこんだんですか?」
「うーん、確かに冷蔵庫に一番触っているのは栄人だし、そういう事するのも栄人しかいないけど、そういう失敗しないのも栄人だし」
久坂がおかしいね、と首をかしげる。
「ひょっとしたら麗子さんが、自分のスペースがいっぱいだから、わしらの方に入れたか、もしくは間違えたか」
高杉が言うが、それでも勝手に食べてしまったのはまずかっただろう。
一応、明太子は幾久が買って来たお陰で無事新しいものがそこにあるので、あまり心配はいらないとは思うのだが、それにしてもおかしい、と全員が首をかしげていると、玄関から声がした。
「ただいまーって、表にバイクがあったけどうさちゃん来てるの?」
寮母の麗子さんの声だ。
「おかえりー」
「ただいまぁ。あらコーヒーのいい香り」
「入れたげる!座ってて!」
吉田がいそいそと麗子のぶんのコーヒーを用意する。
「あのねえ、今日はちょっとお友達とお出かけしててね、おいしいタルトのお店があるっていうから、みんなにお土産かって来ちゃった!あ、沢山買って来たから、うさちゃんの分もあるわよ」
「え、マジで!麗子さんあいしてる!」
丁度全員でコーヒーを飲んでいるところだったのでタイミングはばっちりだ。
幾久も吉田を手伝って皿とフォークを用意する。
「おお!シュークリームあるぞ!」
高杉のテンションが上がる。
「栄人先輩、ハル先輩って、シュークリーム好きなんですか?」
吉田に尋ねると、頷く。
「もうすんごい、大好物。瑞祥も好きでさ、あの二人だったらシュークリーム買っておけば間違いないから」
そういえば、この前久坂がホモのふりをしていたのを謝罪されたときに大量にシュークリームがあったなあ、と幾久は思い出す。
(そっか。あれ、二人の好物なんだ)
へえ、と思っていると、久坂と高杉がちゃっかり先に自分たちの皿にシュークリームを乗せている。
嬉しげな様子に、本当に好きなんだなと思った。
「ああ、そうそう、明太子判った?」
突然の麗子さんの言葉に、コーヒーを飲んでいた山縣がむせた。
「な、なん、な、」
まともに喋れない山縣に代わって吉田が麗子に尋ねる。
「麗子さん、明太子って、この事?」
幾久が買って来た、つまり山縣が勝手に食べてしまった明太子を吉田が冷蔵庫から出して見せると、そうそう、と麗子が頷く。
「それね、矜(きょう)ちゃん好きでしょう?だから食べていいほうに入れておいたんだけど判った?」
矜(きょう)ちゃん、とは山縣の名前だ。
山縣(やまがた)矜次(きょうじ)というのが山縣のフルネームで、麗子さんは寮のメンバーを皆、名前かあだ名で呼ぶ。
「は?」
「へ?」
「え?」
「……」
「?」
全員が黙って顔を見合わせて、そして山縣をじっと見る。
「えと。麗子さんが、入れたの?」
「そう。食べていいほうに入れておいたから判ったでしょう?」
「宅急便の伝票……」
「あら?ちゃんと剥がしておいたと思ったけど、剥がしてなかった?」
「いやいやいや、麗子さんはちゃんとしてたよ!大丈夫!ね、ガタ?」
うんうんと山縣が頷く。
「そう、いただきものだけど矜ちゃんがそこの明太子、好きでしょう?だからお昼に食べたらいいかなあっておいといたの。食べなかったの?」
食べてましたよ、しっかりと。
ご贈答用の三百五十グラム、三千七百八十円、大体四本入りのぶっとい明太子をさくっと一人で完食。
「えーと……ありがとうゴザイマス」
山縣はそうお礼をいい、麗子さんはにこにこしていたが、幾久はあっけに取られていた。
「じゃあ、最初から、ガタ先輩の」
「勘違い、だね。や~ま~が~た~」
珍しく栄人も怒っている。そりゃそうか、自分のせいにされたんだもんな。
「……ワリ」
そう言った山縣の脇に強烈なボディブローが叩き込まれ、山縣はしばらくのたうちまわっていた。
降りた瞬間、ふらついてしまったが宇佐美が腕を引っ張ってくれる。
「……あざす」
「お疲れさんーお、けっこう早かったなあ」
時計で時間を確認しながら宇佐美が言うが、幾久はそれどころじゃない。
「し、死ぬかと思った……」
迷子だったのを助けてくれたのはありがたかったが、さすがにバイクはちょっと大変だった。
生まれて初めて乗ったけど、もう二度と乗りたくない。
というか今日は大変じゃないことがなかった気がする。
「大げさだなあ。ちゃんとスピード出てなかったっしょ」
一応気をつかったらしい宇佐美は反撃するが。
「スピードは出ないけど角度が……」
「あー、まあね。でもあそこまで角度あったらねえ、とばしたらふっとんじゃうし」
スピード出されなくてよかった!と幾久はほっと胸をなでおろした。
「ついでだから寮に寄ってくわ」
報国院高校のOBで、この御門寮出身でもある宇佐美は気安く寮に入っていく。
一緒に御門寮の門をくぐり、敷地内の庭に入ると、すでに寮から誰か出てきた。
「いっくん!よかった、帰ってきた!」
幾久の姿を見て安心して近づいてきたのは二年生の吉田栄人だ。
「ただいまっす」
「おっす。あれ?バイクに気付いた?」
宇佐美の言葉に吉田が首を横に振る。
「双子から電話があったって、ハルが」
「あー、それでか」
さっと吉田が何も言わずに幾久や宇佐美の荷物を受け取る。
「いっくんが出かけたってガタに聞いて、それなら別にいっかと思ってたんだけど、遅くなっても帰ってこないしおかしいなと思ってスマホ鳴らしたら寮の中にあるし。困ってるんじゃないのかって思ってたら案の定」
「えーと……」
山縣に頼まれた事は喋っていいのだろうか、と思っていると吉田が答えた。
「あ、ガタは全部吐かせた。ほんっとあいつ、どうしようもない!ボコボコにしといたから安心して」
「えっ……」
ボコボコとは穏やかじゃない、と幾久は思ったが、吉田は笑顔で答えた。
「あ、あいつじゃないよ。あいつの大事にしてるフィギュア」
ひどい。
あのオタクの山縣はフィギュアを大事に大事にしてるのに。
倒れただけで叫ぶレベルなのに。
本人を殴るよりよっぽどダメージを食らっただろう。
にこやかなのに、やっぱ栄人先輩もちゃんと怖い、と幾久は体を震わせた。
寮に戻ると、犠牲のフィギュアのせいだろう、憔悴しきって倒れている山縣先輩と、幾久を心配してくれたらしい高杉と久坂の顔があった。
「ただいまっス」
幾久が言うと、高杉も久坂もほっとして、「おかえり」と言ってくれた。
「電話あったんか」
宇佐美がブーツを脱ぎながら尋ねると高杉が頷く。
「うん。双子が電話してきてくれた。うさ兄が、さっきいっくん連れて出たって」
「気が利くなあ、あいつら」
俺がそうすりゃよかったかなー、でもすぐだしなーと言いながら上がってくる。
吉田が二人の荷物を置き、いつものように、こまごまと動き始めた。
「いっくん、コーヒー飲む?」
「いや、さっき神社で貰ったんで」
それより空腹だからご飯がいい。夕食まだかな、と思っていると、宇佐美が尋ねてくれた。
「それよりさあ、ご飯まだ?」
「まだも何も、うさ兄急に来たじゃん。まあ一応、麗子さんがいろいろ置いてくれてる」
呆れていう久坂だったが、宇佐美は全く気にしない。ああ、それで宇佐美のことを『うさ兄』と呼んでいたのかと納得した。
久坂は人を寄せ付けない雰囲気があるし、自分でも人見知りと言っていたけど、宇佐美に対しては全くそんな感じがなかった。
兄と親しかったのなら、久坂も宇佐美をよく知っているのだろう。
「それでいいや。それ食お」
「ま、幾久が帰ったら飯にするつもりだったからの」
高杉が口を開く。案外、面倒見のいい先輩なので心配してくれたのだろう。
「えと、アリガトウゴザイマス?」
「別にええ。ガタの阿呆が全部悪い」
あ、そういえば出かけたのは山縣に頼まれた明太子を買ってきたからだった。
幾久は荷物の中から明太子を取り出した。
皆が夕食の仕度を始める中、山縣はべったりとうつ伏せになって意気消沈中だ。
「えーと、ガタ先輩?明太子買ってきましたよ?」
「……お前のミッションは成功(コンプリート)したが、俺のハートはブロークンだ」
「とりあえず置いておくっス」
言って寝ている山縣の後頭部に明太子の箱を置いた。
「オレ、預かったお金も忘れちゃってたんで、あとで計算してお釣り返します」
「いっくん、もうお釣り貰ってもいいよそれ」
ぶぎゅっと吉田がわざと寝ている山縣の背中を踏みつける。
「そうじゃ。つうか、別に賃金払ってもらってもええくらいじゃ」
更に高杉が山縣を踏んで歩く。
「ほんっと、余計なことばっかりする為にならない先輩だよね、山縣って」
どすんと久坂が山縣の背中に座り、山縣がぎゃああ、という声を挙げた。
さすがに太ってないとはいえ、身長が百八十はあろうかという久坂が上に座ると苦しいらしい。
悶えながら横に転がり、久坂の下から脱出する。
「あれ?山縣先輩いたの?」
にこっと微笑んで言う久坂に、山縣はなにか言いたげにするが、「ふんっ!」と子供のようにそっぽを向いて、自分の席に戻る。
幾久は吉田が配膳するのを手伝い、全員の前に食事が揃った。
「合掌!いただきます!」
「いただきます!」
全員が挨拶して、すぐに食事が始まる。食事中は喋らない人が殆どなので、もくもくと食事をすませて、ぽつり、ぽつりと互いの報告をするくらいだ。
「やでも、ほんとビックリしたよ。いっくんが出かけたって聞いたからさ、てっきり一年の友達と出かけてるもんだとばかり」
吉田に幾久が答える。
「一年は殆ど、片付けするって言ってましたよ」
誘われもしたが、まだ寮に入って間もないので、この土日で片付けるというのが殆どだった。
よっぽど荷物が少ないか、だらしないか、片付けないのはそういう人だろう。
「だよねえ、そっかあ」
吉田がなるほど、と納得する。
「その一年生の貴重な時間をどっかの馬鹿の三年生が奪っちゃってねえ」
ちくりと久坂が山縣のことを言う。
山縣はばつが悪そうに食事をしている。
「ほんっと、馬鹿にも程がある」
高杉もあきれているが、それには嬉しそうだ。
このあたりが山縣の理解できないところと言うか、気持ちの悪いところと言うか。
山縣は三年のくせに二年生の高杉を心酔しきっているので、何を言われても嬉しいらしい。
「ガタ、ちゃんといっくんに謝った?」
吉田の言葉に、山縣は一言「サーセン」と言うが、そこで高杉の拳骨が入る。
「ちゃんと謝れ」
高杉の拳骨が入った途端、山縣はさっと端をおき、幾久の前まで行くと深々と土下座をした。
「ほんっとすみませんでした!反省しております!」
「や、別にいいっすってば」
酷い目にはあったけれど、土下座までされるほどの事じゃない。
この年で迷子になるのは驚いたが、新赤間ヶ関の駅が報国院に近いと勝手に思い込んだのは幾久だ。
あの時点でもうちょっと無茶な行動に出ず、あと駅員さんには正直に『迷子になったので、報国院高校までの正しいルートを教えて下さい』と言えばよかっただけの事だ。
迷子になったのが恥ずかしくて変な誤魔化し方をしたせいで、結局間違えてしまった。
幾久が間違えた一ノ宮、住吉神社は確かに傍に学校があったが、報国院ではなく、地元の小学校だった。
説明を誤魔化したせいでこうなったし、スマホを忘れたのも自分なので、自業自得という事もある。
「それに、ちょっと楽しかったし」
幾久の言葉に、山縣が『ほらな!』みたいに勝ち誇った顔をしたので、高杉がもう一度拳骨を喰らわせた。
食事をすませ、いつものように食後のコーヒータイムになった。
そこで初めて、山縣がなぜ幾久に明太子を買わせる羽目になったのか、という事を吉田が尋ねると山縣が言った。
「明太子食っちまったんだよなー、麗子さん宛ての奴」
麗子さん、とはこの御門寮の寮母である、吉田麗子のことだ。五十歳くらいのおばさんだが、料理が上手で優しいおばさんだ。
この御門寮のある敷地内にもう一軒家があり、そこで暮らしている。
基本、土日は麗子さんは休みになっているが食事を作ることも多く、出かける用事があるときなんかは今回のように作っておいてくれる。
つまり、日常でも麗子さんはこの寮に居ることが多いので、荷物、特に食料関係はこちらの寮で受け取っておく場合が多い。
今回山縣が食べてしまったのは、その麗子さん宛ての宅急便だったらしい。
「なんで麗子さんの荷物をお前が勝手にあけるんだよ」
吉田の言葉に山縣が反論する。
「ハァー?お前が宅急便の伝票剥がして明太子だけ俺らの場所につっこんだんだろ?!んなことすっから俺が間違えて食っちまったんだよ!」
「おれそんなことしてない」
吉田もきちんと反論する。
「は?だって伝票が」
「や、だからしてねえし」
「ごみ箱に……」
御門寮の冷蔵庫はかなり大きい。
業務用かと思っていたが、アメリカではよくあるサイズらしい。
それを聞いたときアメリカ人どんだけ食うんだよ、と思ったが、当然日本人だらけの御門寮では余裕で使える。
寮生も個人で購入したものは冷蔵庫に入れておくので、『麗子さんが使う場所』と『寮生の個人用』という場所が分かれている。
その冷蔵庫は、内部がきちんと分かれていて、いくつも棚があるのでスペースには困らない。
今回の事件は、山縣が『寮生用』のスペースに好物の明太子があったので、それを食べてしまったが、ゴミ箱の中に落ちている伝票を発見。
明太子は麗子さん宛てだった。
つまり、うっかり誰かが麗子さんの明太子を間違って寮生用のスペースに入れたのが原因。
それで山縣が食べてしまった後に気がついて慌てた。幸い、知っている明太子屋だったので同じものを買ってくれば大丈夫だと判断、幾久に買いに行かせたというオチらしい。
「はあ、でも栄人先輩もやってない、っていうし、じゃあ一体誰が寮生用の場所に、麗子さんの明太子つっこんだんですか?」
「うーん、確かに冷蔵庫に一番触っているのは栄人だし、そういう事するのも栄人しかいないけど、そういう失敗しないのも栄人だし」
久坂がおかしいね、と首をかしげる。
「ひょっとしたら麗子さんが、自分のスペースがいっぱいだから、わしらの方に入れたか、もしくは間違えたか」
高杉が言うが、それでも勝手に食べてしまったのはまずかっただろう。
一応、明太子は幾久が買って来たお陰で無事新しいものがそこにあるので、あまり心配はいらないとは思うのだが、それにしてもおかしい、と全員が首をかしげていると、玄関から声がした。
「ただいまーって、表にバイクがあったけどうさちゃん来てるの?」
寮母の麗子さんの声だ。
「おかえりー」
「ただいまぁ。あらコーヒーのいい香り」
「入れたげる!座ってて!」
吉田がいそいそと麗子のぶんのコーヒーを用意する。
「あのねえ、今日はちょっとお友達とお出かけしててね、おいしいタルトのお店があるっていうから、みんなにお土産かって来ちゃった!あ、沢山買って来たから、うさちゃんの分もあるわよ」
「え、マジで!麗子さんあいしてる!」
丁度全員でコーヒーを飲んでいるところだったのでタイミングはばっちりだ。
幾久も吉田を手伝って皿とフォークを用意する。
「おお!シュークリームあるぞ!」
高杉のテンションが上がる。
「栄人先輩、ハル先輩って、シュークリーム好きなんですか?」
吉田に尋ねると、頷く。
「もうすんごい、大好物。瑞祥も好きでさ、あの二人だったらシュークリーム買っておけば間違いないから」
そういえば、この前久坂がホモのふりをしていたのを謝罪されたときに大量にシュークリームがあったなあ、と幾久は思い出す。
(そっか。あれ、二人の好物なんだ)
へえ、と思っていると、久坂と高杉がちゃっかり先に自分たちの皿にシュークリームを乗せている。
嬉しげな様子に、本当に好きなんだなと思った。
「ああ、そうそう、明太子判った?」
突然の麗子さんの言葉に、コーヒーを飲んでいた山縣がむせた。
「な、なん、な、」
まともに喋れない山縣に代わって吉田が麗子に尋ねる。
「麗子さん、明太子って、この事?」
幾久が買って来た、つまり山縣が勝手に食べてしまった明太子を吉田が冷蔵庫から出して見せると、そうそう、と麗子が頷く。
「それね、矜(きょう)ちゃん好きでしょう?だから食べていいほうに入れておいたんだけど判った?」
矜(きょう)ちゃん、とは山縣の名前だ。
山縣(やまがた)矜次(きょうじ)というのが山縣のフルネームで、麗子さんは寮のメンバーを皆、名前かあだ名で呼ぶ。
「は?」
「へ?」
「え?」
「……」
「?」
全員が黙って顔を見合わせて、そして山縣をじっと見る。
「えと。麗子さんが、入れたの?」
「そう。食べていいほうに入れておいたから判ったでしょう?」
「宅急便の伝票……」
「あら?ちゃんと剥がしておいたと思ったけど、剥がしてなかった?」
「いやいやいや、麗子さんはちゃんとしてたよ!大丈夫!ね、ガタ?」
うんうんと山縣が頷く。
「そう、いただきものだけど矜ちゃんがそこの明太子、好きでしょう?だからお昼に食べたらいいかなあっておいといたの。食べなかったの?」
食べてましたよ、しっかりと。
ご贈答用の三百五十グラム、三千七百八十円、大体四本入りのぶっとい明太子をさくっと一人で完食。
「えーと……ありがとうゴザイマス」
山縣はそうお礼をいい、麗子さんはにこにこしていたが、幾久はあっけに取られていた。
「じゃあ、最初から、ガタ先輩の」
「勘違い、だね。や~ま~が~た~」
珍しく栄人も怒っている。そりゃそうか、自分のせいにされたんだもんな。
「……ワリ」
そう言った山縣の脇に強烈なボディブローが叩き込まれ、山縣はしばらくのたうちまわっていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)
MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。
かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。
44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。
小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。
一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。
ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる