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1 こんにちは神様です
しおりを挟む「う、っぎゃああああ!!!」
耳を劈く断末魔、眼前に広がる赤、鼻をつく鉄の匂い、肉体から溢れるそれが、力なくへたり込む自分の足を、手を、ぬるりと生温く滑っていく。瞬きもできず、呼吸の仕方も忘れ、ただ呆然とその光景を空の下で見つめた。
崩れるように倒れた男性がいる冷たいコンクリートの通路と、自身が座りこむ雑草の生い茂る外の世界は、僅か数センチの差。先程までこの謎の空間で脱出手がかりを共に見つけ出口にかけていた、扉の向こうで血の海に沈みなおもこちらへ逃げようと手を伸ばす男の背後に立つ影は、明らかに人の形ではなかった。蛸のように何本もある触手が蠢き、這いながら微かに息のある男へと伸びていく。
助けなければ、頭のどこかで叫ぶ自分にあの傷では助からないと誰かが囁く。
風も吹いていないのにゆっくりと屋敷の扉が閉まって、その隙間から聞こえるのは彼の最期の絶叫と、優しい、楽しそうな、誰かの声。冷たい風が自身の身体を撫でるように吹き、そして……
「──ッ!!」
跳ねるようにベッドから飛び起きて、異常に上がった心拍を鎮めるように胸に手を当てた。およそ人間がかく量ではない汗を含んで張り付くシャツが握り締めた時に嫌な水音を立てたが、荒い息が整うまで日も昇っていない暗い部屋の中、ひたすらにじっと待つ。
ようやく深呼吸ができるまでに落ち着いて、額から未だにぽたりと零れる汗を拭った。そのまま服を脱いで、狭いワンルームマンションの中、明かりもつけずにユニットバスへと向かう。熱いシャワーを頭から被って汗を流しながら、安堵か溜息かもわからない息を吐いた。
「……夢、だったのか……」
不可思議な構造の館。見ず知らずの、年齢も職業もばらばらな男女。点在する謎を解きながら、時には仲間を犠牲に出口を目指す不思議な夢。
ただ、あの感触は、あの匂いは、あの声は、いやに生々しく思い出せてしまった。この世のものとは思えない、安い言い方をするならばモンスターに──ただ、モンスターなどと安易な表現しかできない自分の語彙力のなさが悔やまれるが、あれを詳細に説明してはいけないと本能が拒んでいるような気もした──赤の他人とはいえ絶望的な状況で協力しあった仲間が一人、また一人と殺されていく、夢。
「……っぐ、」
思い出して、こみ上げる胃液を堪える。排水溝に吸い込まれていく水を見つめて、そっと目を閉じた。大丈夫、あれは夢。俺は生きてる。俺は、俺だけが……?
考える事をやめて、シャワーを止め顔を上げた。酷い顔だと鏡に映る自分を嘲笑する。今日は午後からの授業だけのはずだから、時間は十分にあるしもう一度眠ろう。頭からタオルを被って視線を外した鏡の向こうで、誰かが笑っているような気が、した。
「初めまして、神谷大佑さん」
大学内の自販機でペットボトルを取る神谷の背中に、聞き慣れない声がかけられた。顔を上げると、見慣れない青年が立っている。くりっとした目の愛らしい顔立ちは、長身の部類にわけられるだろう神谷より少し視線が上だった。整った、というにはあまりに精巧な、人形のように美しい顔から目が離せない存在。一度目にすれば二度と忘れる事もないだろう顔立ちの青年は、黒檀のように艶やかで美しい髪を春の風に遊ばせながら、神谷と目が合った事でにんまりと口角を上げる。それは素朴で愛らしい、けれど恐ろしく感じてしまうような、どこか歪な笑顔。ぞく、と神谷の背筋に悪寒が走る。
「俺、星崎楽って言います。楽しいって書いて、がく。あなたと同じ大学に通う事にしました、神様です」
神谷は、自身の悪寒に納得をした。これはヤバイ奴だ。電波というか、宗教というか、変な勧誘とかされるやつ。絶対そう。良くわからない壷を高価な値段で買わせたりする感じだ。
思わず一歩後退る神谷に、星崎はこてん、と愛らしく首を傾げて見せる。なるほど、男女受けしそうな長身の、警戒心を抱かれにくい愛らしい顔の男に話を持ちかけさせる、そういう商法か。
じっと星崎の顔を窺う神谷は、授業で習った仕草や表情の動きを脳内で復唱しながら慎重に観察してみる。が、心理学を専攻してまだ一年という浅学が故か、はたまた星崎という男が特殊なのか、一切の感情が読めない。読めない、というより、見えない。その愛らしい顔に靄がかかっているかのように、何も見えない。貌が、わからない。
ふふ、と笑う星崎に、なぜか胃液がこみ上げてくるような感覚を覚える。表情で読み取れないのなら、対話で理解を試みるしかない。神谷は渋々といった顔で、口を開いた。
「何で俺の名前知ってんの……? 俺に、どういう用?」
「俺、何度か神谷さんに会ってるんですよ。あなたはちょっと、覚えてないでしょうけど。面白そうな人だなぁって、興味持っちゃったんですよ。だから降りてきちゃいました。お友達になりたくて」
眩暈がするのは星崎の雰囲気のせいか、発言のせいか。この場から逃げ切る手立てを考えたいのに、何故か思考が霞んでしまう。
まともに回らない頭で考えても良案は当然出てこず、星崎の履いている黒いスニーカーが視界に映りこんで神谷は俯いていた視線を上げた。
ふわりと、甘く優しい香りが鼻腔をつく。星崎の顔が、鼻先が神谷についてしまいそうな程に近い。神谷の眼前に、男にしては長い睫毛に覆われた、星崎の宇宙を詰め込んだような仄暗くも美しい瞳が広がる。抗えないその美しさに、神谷はどうしようもなく魅入られてしまった。
「仲良くしてくださいね、神谷さん」
微笑んだ彼にどうして頷いてしまったのか、このときの神谷には知る由もなかった。
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