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こんなに気分の重い朝は初めてだと思った。
あれから家に戻り就寝の準備をしてベッドに入り込んだは良いが、睡魔は来ず、結局朝まで眠る事は出来なかった。
暫くして奏太さんが起きる気配がしたが、狸寝入りを決め込んで。気配が消え、時間を確かめたら7時を回っていた。今日は祝日の為、仕事は休みだ。
起きる準備をし、一階に向かえば香ばしい匂いが鼻腔を擽ったが、食欲は湧かなかった。
「あ、秋乃。おはよ。」
「あ、うん、おはよ…」
ちょうど洗面所で奏太さんと会ってしまったが、お腹が空いているのかすぐにその場を立ち去った。暫くしてリビングから奏太さんと麻美さんの話し声が聞こえた。
溜息を吐いて、適当に顔を洗い鏡を見遣れば、顔色の悪い自分の顔が映り込む。
昨日確認した時よりも削げているのは気のせいという事にしておこう。自己暗示を掛けながらリビングへと向かえば丁度朝食が出来たのか、皆勢揃いで各席に着いている。勿論その中には和臣さんも居て。
彼に視線を向けないよう挨拶をしながら席に着いた。
「あら、あらあらあら!秋乃ちゃんってば久しぶりに逢ったと思えば凄く病人みたいな顔してるわよ!?」
と、麻美さんが眉を潜めながら言う。その後、その視線を奏太さんにずらし、どういう事?と責めるかのように言葉が続いた。
「もー!かなちゃんってばちゃんと妻の健康にも気を付けなさい!貴方達夫婦でしょう?」
「いえ、奏太さんは悪くないです、最近仕事が立て込んでいて、碌にご飯も食べなかったから…」
眉を下げながらそう告げれば、麻美さんは納得したのか、小言を言いながら身を引いて。奏太さんを見遣れば何とも言えない表情をしていた為、小さな声で謝れば小さく頷くだけだった。
重い空気を室内に纏わせながら朝食が始まる。
食欲は全く感じなかったが、食べなければ目の前で見張る麻美さんに何か言われるに違いない。
雑談を交えながら麻美さんと奏太さんが楽しそうに飯をつついている。それを楽しそうに聞く振りをしながら綺麗に焼けた鮭を口に運べば味がしなかった。だが、食べる。ただ、機械のように作業をしている、そんな感じだった。
和臣さんは何も言葉を発さなかった。恐怖から彼を見る事が出来ない私は彼がどんな表情を浮かべているかすらわからなくて。
気まずさの中、ただ、ただ食べる、という作業を繰り返した。
「ごちそうさまー。なぁ、秋乃、今日休みだよね?久しぶりに出掛けない?」
いきなり声を掛けられ、びくりと身体が震えたが不審に思った者は居なかったのか、何も言われなかった。
私は手に持ったグラスをテーブルに置き、落ち着いた表情を浮かべながら決意を言葉にしようと口を開いた。
「…奏太さん。話があるんだけど。」
「…どうした?……上に行く?」
「…ありがと、ここでいいの」
恐らく何か感じたのだろう。そう言うも、二人きりでは駄目だった。ここではないと、全員が居ないと駄目なのだ。
――喉が渇く。脈が変速的に音を立てる。
言わないと、言わなければ。
私はぎゅっと拳を握り、言うべき事を音に乗せてゆっくりとした口調で発した。
「私と別れてください」
言葉にしたと同時に、静寂が部屋に訪れる。
眼を逸らさずに、奏太さんを見遣れば、顔を真っ青にして口をぱくぱく、と動かしている。まるで金魚のようだ、と不謹慎ながら思ってしまった。
離婚、という言葉はずっと頭の隅にあった。けれど、実行出来なかったのは結局自分の為だった。
幸せを壊したくなくて。嫌われるのが怖くて。全て、保身だった。
全ては貴方に向けた感情で、本当に向けるべき相手には一つも向いていなかった。
「…え、何、ちょっと意味がわかんないんだけど…」
「離婚してくださいって言ったの」
離婚、と強調するように言えばやっと理解したのか奏太さんの瞳が大きく見開かれ、私の肩を掴んで何度も揺さぶった。
「は…?なんで?なんでそういう事、言うんだよ!俺達うまくやっていったよな?どうして――…」
「ごめん。もう駄目なの。」
「何が駄目なんだよ!言ってくれないとわかんないだろ!!」
「…ごめん。」
顔色も変えずに私は準備していた言葉を紡ぐ。
そんな私に気付いたのか、奏太さんの口から大きな溜息が漏れる。
先程よりも遙かに気まずい沈黙だった。そんな沈黙を破ったのは顔色を失った麻美さんだった。
「ちょっと待って、秋乃ちゃん。冷静になって?きっと凄く疲れていて…ちゃんと考えられないのよ。ね、今日はゆっくり眠って、それからまた話し合いましょう?」
そう言うが、私の決意は変わりようが無い。嘘でも冗談でも、ストレスでも疲労でも何でもない。心からの決断なのだ。
冷静ではないのは誰だ、と言いたくなったが口を紡ぐ。
私は何も言わず、この場を離れた。どんなに時間を置いたって考えは変わらない。
家を出ようか、とも思ったが奏太さんに玄関で止められて、外出する事は叶わなかった。
このまま出ていかれると思ったのか知らないが、そこまで無責任ではない。
自室に戻りゴロリとベッドに寝転がった。
今はもう何も考えたく、ない。寝てしまおうかと思ったが睡魔は来なくて。
寝返りを打ち、ドアのある方へ視線を向ければ和臣さんが壁に凭れて私を見つめていた。
「秋乃ちゃん」
間違い無くドアは閉めた筈なのだが…。
音に気付かない程考え事をしていたのだろうか。
頭の中がぐるぐると回る。
何を思って和臣さんは此処にいるのか。どうしてそんな嬉しそうな表情を浮かべているのか。…意味が、わからない。
私は起き上がり、尻伝いでじりじりと後ろに下がる。その分、否。それ以上に和臣さんが近付く。
「秋乃ちゃん」
「来ないで、下さい」
「どうして?」
和臣さんの言葉に息が詰まりそうになる。
どうして、って。言えるわけが無いじゃない!…なんて、そんな苛立ちを和臣さんにぶつけたって意味が無いのはわかっている。勝手に想って、勝手に焦がれて。
「昨日の続き、君に伝えようと思ってね。良い処で邪魔が入っただろう?」
ゆっくりとだが確実に二人の距離を縮めながら、和臣さんは美しい笑みを浮かべ言葉を放つ。
和臣さんの台詞に違和感を感じるが、うまく動かない頭ではその違和感に気付く事が出来なかった。
ぎしり、と音を立てながら和臣さんはゆっくりとした動作でベッドに上がり、手を壁に押し付け私を閉じ込めて。まるで先日の再現のようだった。
片手が私の顔に触れようとするも、咄嗟に顔を逸らした。
「どうして、逃げるんだい?」
「…どうして、触るんですか…?」
「――わからないのかい?」
質問を質問で返せばまた質問で返ってきて。
私は顔を逸らしたまま俯けば、和臣さんの指によって顎を囚われ無理矢理視線を合わされた。
愛でるように頬から唇へと、指が這う。そんな仕草に胸がきゅっと苦しくなって。
これ以上触れられると、どうにかなってしまいそうになる。
「和臣、さん、本当、やめて、下さ…っ」
「やめないよ。君もそれは望んでいないだろう?」
「――っ!」
「私の事、好きなら大人しく、して。」
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