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救済の狼煙 8

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 後日、薫はウィリアムに事の詳細を聞きに王城へと足を運んだ。
 
「で、結局あの男は何だったんですか?」

「それが、彼は記憶を失くしていて身元が分からないんだ」

 曇った顔でウィリアムは答えた。その表情と言葉に薫は首をかしげる。
 
「あのあと、一命を取りとめた襲撃者にいろいろと尋問してんだが、一切何も覚えていなかった。というより、自我がなかった」

「自我がなかった?」

「言葉はおぼつかず、意識はあるのに夢でも見ているかのように目に光がなかった」

「誰かに操られていた……てことなんですかね」

「可能性はある。今まで貴族殺しの犯人の尻尾が一切つかめなかったのに、今回は雑すぎる。間違いなく男は今までの犯行とは無関係と考えていい」

「問題は、操っている人物が今までの犯行を行っているかどうか……」

「こちらでも、引き続き調査を続ける。こうなった以上ここで君を蚊帳の外にはできない。いいかい?」

「もちろんです」

 薫は自信に満ちた顔をウィリアムに向ける。
 ウィリアムは満足そうに「ありがとう」とだけ言って笑いかけた。




 ウィリアムとの話を終えた薫は、ある場所に向かっている。一度しか歩いたことがないが、鮮明に覚えている。最初に通った時の心臓の音は消えており、落ち着いた足取りで廊下を歩き、ある扉の前で足を止めた。

「ふぅ~よし!」

 一呼吸付き、薫は扉をノックし名前を言う。その声に反応し、扉のせいで少しこもった返答が返ってきた。

「カオル様ですか? どうぞお入りくださいませ」

 その部屋の主に許可をもらった薫は扉を開ける。少しづつ中の光景が見えていくにつれ、薫の心はざわめく。ここには一言謝罪をしに来たからだ。
 中には窓から入る風にきれいな髪をなびかせて、椅子に身を預けているクラリスがいた。

「どうしました? そんな暗い顔をして。幸運が逃げてしまいますよ」

 さっきまで落ち着いて薫の心は不安で埋め尽くされ、それは表情に出ていた。
 そんな薫に冗談のように軽い笑いをしながらクラリスは言う。薫の表情を見た瞬間、心の内を理解したのだ。しかし、それは薫も同じ。クラリスの優しさが今はとても痛く感じる。
 薫は悔しさを口の中で押しつぶすように歯を食いしばって頭を下げた。

「すいませんでした!」

「あ、頭を上げてください! カオル様が謝る理由など……」

「いえ、自分はあなたを守ると言いました。しかし、あの時……」

 薫はクラリスが襲撃された時の記憶がよみがえる。あの後何度も同じ光景が脳内で再生された。そのたびに思う。もしも、あの場所にウィリアムがいなかったらと。薫は浮かれていたのだ。強さを手に入れ、自信を身に着け、覚悟を持った。しかし、それは力と共に油断の材料となる。試練に見た光景に現実味が出てくる。薫は恐怖というものを久々に体感した。
 
「絶対に守ると言っておきながら、危険な目に合わせてしまった。姫様は信じてくれたのに、初めて会った自分を信じてくれたはずなのに。自分はあろうことか力を過信してしまった。それがこの結果です。姫様がこうして自分の前にいるのは単に運が良かった。もし、ウィリアムさん、皇帝陛下と離れているときに襲撃されたら、大陸中大騒ぎになる事態になっていた」

 薫は悔しさがこみ上げる。薫は自分の心情をクラリスに話す。クラリスは何も言わず薫の言葉に耳を傾けた。少しづつ言葉に力がこもる。慣れていない敬語は完全に消えている。それでも、クラリスは聞いている。怒ることなどせず、薫の心を真正面から向き合った。

「僕は、何のために――」

「カオル様」

 薫は内から湧き出る感情を吐き出し、後悔の波に飲み込まれそうになった時、耳に入った声がその波を押さえた。

「確かに、わたくしがこうして風を感じていられるのは運が良かったのかもしれません。わたくしは守ってもらっている身でカオル様の言葉に反論する資格もありません。けれど、言わせてください。あなたのその紋章はたった一日のためのものなのですか?」
 
 薫は驚いた。クラリスが紋章の存在を知っていたことに。

「その紋章から凄い力を感じます。暖かくて優しい力を。それは、あの日のためだけのものではないとわたくしは感じました。あなたの目標はもっと大きいはずです」

 薫はあの時のことを思い出す。試練を突破した夜のことを。
 薫は茅原に言った言葉を再度自分に言い聞かせた。

「絶対に……守る……」

「失敗を経験した人は弱くなる場合もあればさらに強くなることもできます。後悔は歩みを止めます。なら、強くなるためにはどうしますか?」

「この失敗を受け入れて、もう一回自分に誓う……」

「なら誓ってください」

 薫の目つきが変わった。あの日、試練を突破したあの夜の目つき。覚悟に満ちた力強い瞳。

「もう……あなたを危険な目には合わせません!」

「わたくしだけですか?」

「いや……みんなをこの世界を救って見せます!」

 クラリスとの出会いは薫をさらに強くした。二人の絆は時間が経つにつれ深まった。
 お互いを良く知り、薫の思い出話はクラリスを楽しませ、クラリスの長話に薫は苦笑いしながら聞いた。それに気づいたのか膨れているクラリスの顔もまた可愛らしく、薫は顔が赤くなる。そうして、時間はほんの一瞬のようにすぐていった。

「では、自分はこれにて失礼いたします。これ以上姫様のお時間を取らせるわけにもいかないので」

「わたくしは別に構いませんよ。いつでも来てくださっても。あと……」

「あと?」

「わたくしのことはクラリスと呼んでください。わたくしもカオルと呼ばせてもらいますので」

「そんな、一国の姫を呼び捨てはちょっと」

「あら、わたくしは今、一国の姫ではなく、クラリスという一人の女の子として言ってるんですよ」

「なら、二人きりの時はそう呼ばせてもらいます。それでもいですか? クラリス」

「ん~まぁ、仕方ないですね。これからもよろしくお願いしますね、カオル」

 そうして、薫は王城を出て、相変わらずきれいな街並みの帝都を眺めながら、街に戻った。



 ********************



 薫は宿に戻った後、ある話をするため皆をロビーに集めた。

「なんだ話って……」

「ねむい……」

「ちょ、ひまりちゃん!? ここで寝たらまずいって」

 話の内容を知っている茅原やマリンと違って、ひまり、和樹、海斗、葵は知らない。薫がギルドに入りたいということを。

「実は、ギルドに入ろうと思って……」

「ギルド? どこの?」

 和樹は薫の目を見て返答。薫はマリンの方に目をやり、

「彼女のギルド紅の猫ロートキャッツってところなんだけど」

「そんなに人数は多くないし、みんな優しいからすぐに仲良くなれると思うよ」

 茅原も薫のフォローをする。マリンが話し出すと長くなりそうなので、話がまとまるまでは黙ってもらっていた。
 メンバーの目には戸惑いが現れていた。初ギルドの入団は大きな変化になる。不安になるのも無理はない。
 しかし、決断に至るまでそう時間はかからなかった。

「俺は良いぞ」

「和樹……」

「薫が入りたいって言ってんだったら俺は何も言わねえよ。薫のお墨付きなら心配ねぇしな」

「そうだね。私も賛成。茅原ちゃんも勧めるくらいだし良いところだと思うしね」

「葵ちゃん……」

「ひまりは……みんなと一緒なら……どこでも……」

「ひまりちゃん、寝ちゃってない?」

 皆、薫と茅原についていくようで、マリンはそこにメンバーの絆を感じていた。
 ただし、一人を除いて。

「俺はいい」

「海斗……」 

「ギルドは俺には合わなくてな。それに……」

「それに?」

「いや、なんでもない。とにかく、俺は入る気はないから。じゃあな」

 海斗は眼鏡の位置をただし、その場を去った。その光ったレンズに隠れた瞳は何を見据えているのか、薫にも理解できず、ただ離れていく海斗の後姿を見つめる事しか出来なかった。



 ********************



 そして、薫たちは再びアルカトラ。紅の猫ロートキャッツの前まで来た。薫たちとは違い、和樹らは初めてのギルドに少しばかり緊張している。

「入って入って~」

 マリンは自宅に帰る子供のようにみんなを手招きしながら中に入る。その手招きにつられるように中に入った。
 そこには、待ち構えていたのかおいしそうな料理が並んでいた。薫たちはその料理に数々に目を奪われていると、ウルドがこちらに歩いてきた。
 
「こんにちは。話はカオル君から聞いている。我々は歓迎するよ」

 ウルドはその大きな手を薫たちに向け、一人一人握手を交わす。ひまりの時など、もはや赤子の手を握るようだった。
 それから和樹たちがそのギルドになじむまでそれほど時間はかからなかった。
 葵はカーリーと妙に気が合い、和樹はブラウンを師匠と呼んでいる。フックはなぜかひまりにナンパじみたことをしていた。ひまりは涙目でいる。

 やはりアットホームな雰囲気のこのギルドでなら上手くやれそうだと、薫は内心安心している。
 紅の猫ロートキャッツは、マリン以外が金プレートの少数にしてはなかなかの実力派ギルドだ。名高いギルドが集まるアルカトラでも有名な部類らしい。
 
 薫はこのギルドで眷属として名を上げる。優希がこの地上に戻った時、大陸中に彼の名は知れ渡る程になっていた。
 これは、眷属として召喚された少年の始まりの物語。
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