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悪夢編

第九話 町1

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 翌朝はようやく嵐が過ぎ去り、空は雲一つない青空が広がっていた。
 カーテンを開け、見上げたそれにネモは微笑みを浮かべる。

「洗濯物がよく乾きそうね」

 季節は夏間近。
気温の変化は、過ごしやすいと思えば昼から暑くなったりと忙しないが、晴れれば洗濯物が乾きやすい。

「あっくん、今日出発するわよ」
「きゅいっ」

 ネモの言葉に、あっくんは、はーい、と良い子のお返事を返した。



   ***



「大変お世話になりました」
「まあ、ただ泊めただけですけどね。では、町まで気を付けて」
「はい。ありがとうございました」

 ハウエル夫人が一番前に立ち、代表してネモを見送る。その後ろでは、使用人四人が会釈したり、小さく手を振ったりしてネモを見送った。
 町は屋敷からほどほどに近く、のんびり歩いて三十分くらいで到着した。
 この町の規模は、町としては小さいが、住民の顔は明るく、善政が敷かれているのだと分かる。
 ネモは道行く人を呼び止め、宿の場所を聞き、そこへ向かう。
 辿り着いた宿は大通りから一つ外れた静かな通りに在る、小さな宿だ。老婆とその孫夫婦が経営しているらしく、宿の中はホッとするような柔らかな空気に満ちていた。

「すみません、宿泊をお願いします」
「はい。何泊のご予定ですか?」
「取りあえず、三泊で」
「はい、承りました。一拍につき銀貨一枚で夕食と朝食が付きますが、どうしますか?」
「お願いします」
「はい。それでは三泊と三日分の食事つきになるので、銀貨六枚になります」

 基本的に、だいたいの宿屋は先払いだ。そうでもしなければ、相手が冒険者の場合などは依頼の最中に死んでしまい、宿代を貰い損ねる恐れがあるからだ。
 若女将が鍵を取り出し、二階の突き当りの部屋へ案内された。

「トイレとお風呂は共用です。それから、夕食は午後六時から八時まで。朝食も午前六時から八時までになります」

 それではごゆっくり、と出て行こうとする若女将をネモが呼び止める。

「あの、すみません。洗濯をしたいんですが、井戸はありますか」
「ああ……」

 彼女はうーん、と困った顔をして言う。

「一応はあるんですけど、今日は宿にお泊りのお客様が一斉にお使いになっていて、順番待ちをしている状態で……」
「うわぁ……」

 頬を引きつらせるネモに、若女将は苦笑する。
 
「一応、屋上もあるので干場の確保は出来るかと思いますので、もし今日中に洗濯をご希望でしたら、町の共用洗濯場を利用してみたらいかがでしょうか?」
「ああ、その手がありましたね」

 ネモは共用洗濯場の位置を聞き、行ってみることにした。ちなみにあっくんは宿でお留守番である。
 共用洗濯場は宿から近い場所に在り、そこにはご近所の奥様方が大きなたらいで洗濯をしていた。

「こんにちはー! 私もここで洗濯して大丈夫ですか?」
「あら、大丈夫よ」
「こっちへいらっしゃいな」

 ネモはいかにも歴戦のおばちゃん、といった貫録を持つ奥様方に怯むことなく近寄って行き、するりと仲間へと入った。自称永遠の十七歳は、実はこの場の誰よりも年上で、面の皮の厚さともなれば、この場の誰よりも厚い。
 シレっとした顔で自然に井戸端会議へ突撃し、混ざる図太さは、年齢を重ねて得たのもだ。

「見かけない顔ね。旅人さんかい?」
「ええ、そうです。今朝この町に着いて」
「今朝? えっ、まさか、嵐の中を歩いて来たのかい⁉」

 目を剥くおばちゃんに、ネモはまさか、と手を横に振る。

「町からちょっと離れたところにお屋敷があるじゃないですか。あそこに泊めてもらってたんです」
「ああ、あそこかい」
「あの気難しい奥様が居る、あのお屋敷ね」
「あそこの使用人の男の子、奇麗な顔をしてるわよね」
「ああ、あたしの娘もポーッとしちゃってさぁ」
「あそこのメイドの子も坊ちゃんのことが好きみたいだね」
「あの顔だからねぇ。あの子に話しかけたらメイドさんに睨まれた、ってうちの娘が言ってたよ」

 さすがはおばちゃん。するすると情報が出て来る。
 
「泊めて貰っといてなんですけど、あの家財政難なんですかね? スープ食べさせてもらったんですけど、凄い味がして……。あのクラスのコックだと、お給料はかなり安いはず……」
「あー、そうだね。お金が無いのは確かだろうね」
「この町に引っ越してきた時、宝石だとか、貴族の坊ちゃんの服とか売りに来てたからね」
「へー……って、あれ? あの方、引っ越して来たんですか?」

 目を瞬かせるネモに、おばちゃん達はそうだよ、と頷く。

「だいたい、半年くらい前かね? 町はずれの古い屋敷に人が住み始めた、って聞いて驚いちゃったよ」
「町から遠いからね。不便だろうに、どんなもの好きかって噂になったもんさ」

 おばちゃん達は洗濯をする手を止めず、慣れたようにお喋りに花を咲かせる。

「きっと体を壊したから、町はずれの静かな場所を選んだんだろうね」
「そうね。あの奥様、前はふっくらした体系だったのに、今では随分痩せちゃって……」
「うちの旦那がパンを届けに行ったときに見たらしいけど、着ているドレスのサイズがあってなかったってさ。新しいのを買わない所を見ると、もしかすると自分の死期を悟ってるのかもしれないね」

 気の毒にね、とおばちゃん達は少し暗い顔をする。

「そういえば、あそこの執事さん、ちょっと不気味じゃありません? 夜中に見かけて、ぎょっとしちゃって」
「執事さん? 不気味なのかい?」
「うちの旦那が配達の時ちょっと見かけたらしいけど、細くて顔色が悪いらしいね」
「なんだい、男が細いだなんて。もっと食わせてやらなきゃ」

 おばちゃん達の話に、ネモはおや、と首を傾げる。

「もしかして、執事さんって町に来た事が無いんですか?」
「無いね。町で見かけるのは使用人の男の子とメイドさん、それからたま~にコックの人くらいだね」
「へー……」

 執事ともなれば、確かに屋敷に詰めているものだろうが、それでも家政を纏める立場であるが故に外での用事や、自分の用事で外出が必要になることがある。それが無いというのは、不自然だった。
 あの執事に感じた違和感が濃くなるのを感じつつ、ネモは洗濯物を絞った。
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