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第二章

「お嬢様はそれは美しく愛らしく聡明な黒猫でございました」

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 アルベルトが扉を押すと、あっさりと扉は開いた。
 中がどうなっているかわからないため、警戒しながらゆっくりと扉を開けていく。
 この時点で寝ている少年少女たちを起こしておくべきだったと思いいたったが、もう遅い。

 「おお!起きたか!」

 扉が開き切らないうちに、中から声がかかった。
 アルベルトが中を覗き込むと、そこにナイはいた。

 「ここは?」

 扉の中はダンジョンではない。まったく別の空間だった。
 かなり広いが、どこかの部屋のようだ。
 一番目を引くのは本棚だろうか?壁一面を埋め尽くしており、革の装丁をされた高そうな本がびっしりと並んでいた。
 いくつかあるテーブルの上には、山となった紙の束と見たこのない不思議な道具たち。
 
 「妖精の庵の中にある、賢者の研究室だ」

 机にむかって書き物をしていたナイが答えたが、アルベルトには理解できなかった。

 「お入りください。許されたお客様」
 「ふぉ!」

 急にすぐ近くから声をかけられ、アルベルトは驚きのあまり奇声を上げた。
 人の気配には敏感なつもりだったのに、傍らに立っている人物にまったく気づかなかったのだ。
 ドアの横に立っていたのは、上質な絹のメイド服を着た若い上品な感じの女性だった。淡い緑色の髪をしており、どこか人間離れした外見だった。
 
 「あ、あなたは!?」
 「わたくしはこの庵を管理させていただいております、シルキーの一人です。許されたお客様」
 「シルキー……?」

 シルキーと言えば友好的な妖精だったはずだ。人に害をなすどころか人間を手伝ってくれる。
 アルベルトは自分の記憶を探り、敵でないことを確認してホッと息を吐いた。

 「シルキーはここに複数いるがまったく見分けはつかないからな、すべてデントン嬢と呼んでやって欲しい。それが彼女たちの家名だ」
 「……はあ……。いや、その、ここは?」
 「だから、妖精の庵の賢者の研究室だ」

 ナイは先ほどと同じ説明を繰り返した。ナイからすればそれで説明したつもりなのだろうが、アルベルトはそれで理解できるほどの知識はない。

 「お嬢様。その説明ではご理解いただけてないようです。そうですよね、許されたお客様?よろしければ、わたくしから説明させていただきますが、いかがでしょう?」
 「そうか?それではデントン嬢、頼む」

 ナイに許しを得ると、シルキーのデントン嬢はアルベルトにやさしく微笑みかけた。

 「ここは普通の人間には立ち寄ることすら許されない、妖精界と人間界が重なる場所です。具体的には……そうですね、お嬢様や許されたお客様がいた大陸からはるか離れた場所にある小島の上になります」
 「はい?」
 
 予想外のことに、アルベルトはあんぐりと口を開いてデントン嬢を見つめる。

 「その場所にお嬢様のお父様である賢者ブリアック様が建てた庵になります。庵というものについての説明は必要でしょうか?許されたお客様」

 アルベルトは無言で首を横に振る。
 アルベルトでも庵くらいは知っている。引退した貴族が自分の住んでいる場所をそんな風に呼んでいた。
 ようするに、やたら金をかけて質素ぽく作った贅沢な小屋だ。

 それよりも、アルベルトにはお嬢様だのお父様だの賢者だのの単語の方が気になっていた。

 「この部屋は、庵の一室で研究室です。お嬢様と賢者ブリアック様が日々魔法や錬金術の研究をされておられた部屋です。許されたお客様が通ってこられた扉は、妖精の抜け道を言われるものです。わたくしたちシルキーの力で作り出し、わたくしたちが管理しております。シルキーが使う転移魔法のようなもの、とお考え下さい」

 また気になる単語が増えたと、アルベルトは頭を抱える。

 「お嬢様がお持ちの魔法石に封じられた魔法を鍵にして呼びかけていただくと、わたくしたちが開くことになっております。出入りは許された人間しかできません。許されたお客様はお嬢様が許可を出されておられた故、入ることが可能でした。ご理解いただけましたでしょうか?許されたお客様」

 デントン嬢は言い終わると丁寧に頭を下げた。

 アルベルトは物言いたげにナイの方を見る。
 ナイは一心不乱に書き物をしていてアルベルトの方を見ようともしない。
 その首で金色に光っている宝石。
 あれが例の扉を呼び出すための魔法石なのだろう。

 「その……ナイさん?は賢者の娘なのか?本人は猫だったと言っていたが」
 「お嬢様のお言葉通りです。お嬢様はそれは美しく愛らしく聡明な黒猫でございました。それ故、賢者ブリアック様は種族を超えてお嬢様を寵愛され養女として認めておられたのです。わたくしたち妖精は姿かたちでなく魂で個人を見分けます。お嬢様が黒猫でも人間でも、お嬢様として認識しております。賢者ブリアック様が亡くなられた今、わたくしたちの主人はお嬢様です」
 「主殿は口では我のことを娘だなんだと言っておったが、ちゃんとペットとして扱っておったぞ!変人だったがそこまでの変人ではない。寝る時も食事も仕事も女性を抱く時も常に一緒だったが、その程度だ!」

 書き物の手も止めず、アルベルトの方を見ることもなくナイが口を挟んだ。

 よくわからないが、賢者とやらが猫とイチャイチャする変人だったということだけは理解できた。
 そして、妖精のシルキーにまで保証されたのだから、ナイが猫だったというのは事実なのだろう。
 アルベルトはまだ若干信じ切れていないものの、とりあえずはナイが猫だったということを信じることにした。

 「よし!できたぞ!」

 急にナイが立ち上がった。
 手には一枚の羊皮紙が握られている。

 「さて、お主、聖剣と魔剣のどちらがいい?」

 ナイは強く輝く金色の瞳をアルベルトに向けた。
 
 
 
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