ジャスミン茶は、君のかおり

霧瀬 渓

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Episode.01

新入部員歓迎会、弱小部に入りました

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 理浜大学最寄り駅から都心方面へ少し離れたターミナル駅周辺はタワーマンションが建ち、ベットタウンにありがちな、それなりに栄えた繁華街が広がっている。
 大学関係者にはターミナル駅周辺に居住を構える者が多く、そうでない者も、何をするにもその繁華街まで出向いていた。

 大人数の他サークルと貧相なついたてで仕分けられた座敷席で、少人数の馬術部の新入部員歓迎会も、チェーンの居酒屋で開催されていた。
 「今年は多い、特需だ」
 副部長の獣医学部2年増尾信彦が上機嫌でジョッキを傾ける。その横で、新入部員の男子1名が肩を組まれ、ジャスミン茶のグラスを手に正座で固まっていた。
 特需と言っても、新入部員は3名だけ。在籍する上級生は5名、うち、2名は幽霊部員。有力獣医学部教授の後ろ盾で部を名乗れる、弱小サークルだ。
 「……あの」
 肩を組まれたままの新入部員が信彦に話かけた時、入口近くの襖が開き、高遠裕二が現れた。
 「遅れた、ゴメン」
 「まだ始めたトコー」
 信彦が新入部員と肩を組んだまま左にずれ、手招きをする。が、裕二の周りを隣の他サークルの女子たちが取り囲んだ。
 「あの、もしかして、高遠さんですよね、薬学部の」
 「私、看護学部のー」
 裕二が眉間にしわを寄せ、ため息をついて、取り囲む女子たちを睨みつける。
 「君たち乗馬部じゃないよね?」
 「私たちは、テニスサークルの」
 「こういうの、止めてくれないか
 あと、俺、車だから、呑まないから」
 ビールグラスを渡そうとした隣サークルの男子学生を振り解き、ついたての向こうの、隣サークルメンバー全員を睨みつけた。
 「た、高遠さん ……すみません」
 サークル代表らしき男子学生が、慌ててメンバーたちを回収し、頭を下げながらついたての先にあった障子を閉める。テーブル1卓分の学生が障子の向こうの部屋に押し込められ、乗馬部のスペースがやたらと広く、静かになった。
 馬術部上級生たちは、またか、といった表情で苦笑いし、新入部員3人は驚いて顔を見合わせている。
 「タカちゃんとオチカヅキになりたいなら、ウチの部に入ってくれればいいのに」
 「イキモノが嫌いなんだろ」
 「馬糞臭程度で諦めるんだから、その程度」
 慣れた様子で笑い飛ばす信彦と医学部3年上杉晃の間に、心底嫌そうな表情をした裕二が座る。
 「タカちゃん様だけじゃなくて、
 賢くかわいい巨大生物に触れ合える上に、畜産獣医学会の重鎮で競走馬オーナーという経済界のトップに顔パスの教授と親しくなれる、最高の部だっていうのに」
 晃の毒舌を遮り、信彦が仕切り直す。
 「じゃ、高遠裕二部長がご到着になりましたので
 新人サンたちに自己紹介してもらいましょう」

 最初に指名されたのは、先ほどまで信彦に肩を組まれて、横で固まっていた男子学生だった。
 「獣医学部の三ツ橋鷹也です
 祖父が北海道で畜産獣医をしているので、自分も格好よく馬に乗れたらいいな、と」
 彼は、オリエンテーションの日に裕二が助けた新入学生だった。
 「キミ、あの時の」
 「あっ、ハイ
 あの時、馬術部と聞いて、憧れていた部だったので」
 助けた甲斐があったと言わんばかりに、ニカっと裕二が笑う。
 「木下美耶です、私も獣医学部です」
 唯一人の女性が勢い良く続いた。
 「ウチは実家が犬猫専門なので、今のうちに大きなコを堪能しておきたくて、入りました」
 「松本澄人です
 自分の家は会社勤めで動物とは無関係ですが、国家資格の取れてつぶしの効く学部、ということで獣医に入りました
 小動物しか触ったことがないので、体力のあるうちに大きな動物と触れあいたいと、入部しました」
 獣医ばかりだな、と、信彦が笑う。
 「特に松本くん、顧問の加藤慶祐教授とは絶対に仲良くなれよ、たいがいの企業には、必ずコネがある」
 もう顔が赤くなり始めた晃がテーブルから身を乗り出し、澄人と硬い握手を交わした。

 「ところで」
 美耶が信彦に声をかけた。
 「高遠部長って、有名人なんですか?」
 たまたま隣り合わせただけのサークルの女子が、彼を見た途端に、群がって媚を売ってきたのだ。興味持たない方がおかしいだろう。
 「あぁ」
 裕二の方を見て、確認を取るかのようにアイコンタクトをしてから返事をする。
 「多分、新キャンパス内じゃ、下手な教授や助教より有名かも」
 「あ、俺わかります」
 澄人が会話に加わる。
 「高遠さん、むちゃくちゃカッコイイし、
 あきらかに、どうみても高ランクのアルファでしょう
 ……うらやましい…」
 そう言われれば、と、美耶は、裕二のビールグラスを渡そうとした隣サークルの男子学生が首に太めのチョーカーをしていたのを思い出した。
 「それだけじゃない」
 晃が、自信たっぷりに説明を始める。
 「ウチの大学、突然巨大企業と提携して、山奥の村に丸ごと移って来ただろ、でっかい病院と研究所も作って
 なのに、学費を値下げしたから」
 「そうそう、偏差値が一昨年から爆上がりして
 慌てて猛勉強したもん」
 美耶に、うんうん、と晃が頷く。
 「俺の時、医学部の中じゃ偏差値やや低めなのに有名な、学会の重鎮教授とかいて、狙い目だったの
 なのに、提携と移転の学費値下げのトリプルが来たから、1コ下からは10以上、上がっちゃってさ
 浪人しなくてよかった、って思ったよ
 って、そうじゃなくて」
 「超優良企業と繋がってるトコなら就職確実だし、学費安くて偏差値それなりだったら、狙うよね」
 そうそう、と澄人に全員が頷く。
 「で、その超優良企業サマのお名前が」
 あ、とそれまでずっと黙って話を聞くばかりだった鷹也が声をあげた。他の2名もやっと気づく。
 TAKATO、製薬や原料を中心とした化学系グループ企業。ここ10年ほどで急激に力をつけ、事業拡大を広げている国内有数の巨大企業だ。
 アルファベットの企業ロゴで、メディア等ではカタカナでその名を目にすることが多いため、新入部員3人は全く気がついていなかった。
 「そうです
 部長のお兄サマがCEOをされている企業です」
 新入部員の3人、特に鷹也が一番驚いている。
 「晃、いい加減にしろ」
 3人の驚いた様子に、裕二が釘を刺した。
 「会社は兄のモノだから、俺には関係ない
 コネもないモノと思ってくれ」
 「タカちゃんシビアだから
 でも、心配いらないよ
 3人とも獣医なら、最高の教授と仲良くなれる」
 晃が少しおどけた口調で、その話題を強引に納めた。

 裕二のことを知り、少し離れたて緊張していた新入部員3人も、歓迎会が終了する頃には、すっかり打ち解けていた。特に、獣医学部の先輩ということで、新入部員たちは部長の裕二よりも副部長の信彦に懐いたようにも見えた。

 歓迎会がお開きになり、ターミナル周辺に住む部員たちは店先で解散となった。
 「タカちゃん、送ってよ」
 大学近くのアパートに住む信彦が、酔った勢いで裕二に抱きつく。その左手で、鷹也の右手首を掴んで離さないまま。
 解散直前、晃が代表して会計をしている最中、鷹也も大学に近いアパートを借りていると聞き出した信彦が、一緒に帰ろうと捕まえたていたのだ。

 終電に間に合いそうもない、との言い訳で信彦と鷹也の2人は裕二の車で送ってもらうことになった。
 居酒屋近くの駐車場あった裕二の車のフロントには、誰もが知るスリーポインテッドスターのエンブレムが輝いていた。車に詳しくない鷹也でも驚き、乗車をためらうくらい有名な印だ。
 それは大きく車高のあるB社Gクラスという車。高級リムジンのイメージが強いB社には珍しいオフロードタイプの、家1軒が買えるほどの超高級車だ。しかし、裕二に言わせると、兄の不要になった車を使わせてもらっているだけ、とのこと。
 言葉通り、裕二と信彦は全く気にしていなかった。

 整備されつつあるとはいえ、街から離れる道はカーブが多い。裕二の高級車は勾配の強い村道とは思えないほど静かで、揺れの少ない乗り心地だった。そして、後部席の鷹也が眠気に襲われ始めた頃、車は指定したコンビニ駐車場に到着した。
 鷹也はお礼にと、買った缶コーヒーを裕二と信彦に手渡す。
 「ありがとうございます
 ボクのアパートはそこなんで」
 四つ角のコンビニの、斜向かいの信号と街灯2つ先にある3階建てのツーバイフォーのアパートを、鷹也が指差す。学生向けの、よくある駐車場付きアパートだ。
 周辺には、同様に大学関係者向けに建てられたものが多く、このコンビニもその居住者の需要を狙ったものだろう。そして、信彦も、もう少し離れてはいるが、同様のアパートに住んでいる。

 何度も頭を下げながら帰る鷹也を、裕二と信彦が、もらった缶コーヒーを飲みながら見送る。と、その2つ先の街灯の陰にフードをかぶった人物が立っているのが目に止まった。
 駐車場の裕二と信彦と、帰った鷹也を観察していたようにも見える。
 「あれ」
 信彦が手を止め、顎で男の方を指す。裕二がそちらを向くと、男は慌てて路地の陰へ紛れていった。
 「ストーカー?」
 2人がいるコンビニの駐車場は工事車両が数台入庫できるほど広く、周辺在住の学生やその友人たちが24時間絶えず利用している。大学周辺在住の学生を見つけるには格好の場所だ。
 「オレらじゃなければ、三ツ橋くんだよね
 それとも、たまたまか、別の人?」
 信彦に言われ、裕二は鷹也と最初に出会ったオリエンテーションの日を思い出した。
 彼は、あのストーカーに気づいて逃げたのかもしれない、と。
 「気をつけた方がいいかも」
 裕二が、独り言のように呟いた。
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